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酸いも甘いも噛み分けて  作者: 篠原 皐月


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42/128

(42)沙織の結婚観

 休日に玲二と南房総のドライブに繰り出した沙織は、昼過ぎまで景色と料理を楽しんでから、余裕を持って再びアクアラインで対岸へと向かった。その途中で海ほたるに寄る事にした二人は、海を見渡せる展望デッキに上がり、それを背景に写真を撮った。


「関本さん、さっきの写真、清人さんに送っておきましたから」

 フードコートに行って飲み物を買った玲二が、デッキに戻って来てから告げると、沙織がソフトクリーム片手に大真面目に応える。


「ありがとうございます。これで私達が付き合っているアリバイは、完璧ですね」

「『アリバイ』の日本語訳について、激しく問い質したい気分です」

 思わず溜め息を吐いてしまった玲二に、沙織がすかさず指摘する。


「ところで玲二さん。私達、一応付き合っているわけですから、私の呼称は『関本さん』ではなくて、『沙織さん』とか『沙織』とかが適当ではありませんか?」

「呼称もそうですが、関本さんの丁寧過ぎる物言いも、個人的に親密な付き合いをしているとは、言えないと思います」

「それもそうですね。ちょっと考えてみますか」

 イチゴソフトクリームを舐めながら、真剣な顔で海を見ている沙織を横目で見て、玲二がしみじみと言い出す。


「関本さんの恋愛観って、どんな代物なんでしょうね……」

「いきなり何ですか?」

「俺が観察してみても、友之さんの事を好きなのか嫌いなのか、全然分かりません」

 それに沙織は即答した。


「上司としては尊敬していますし、好感も持っていますよ? 幾ら仕事ができても、嫌いな人間を尊敬できる程、人間ができていませんから」

「それなら上司としてではなく、一人の男性としてはどうですか?」

「そこそこ良いんじゃありません? それが何か」

 淡々と正直に述べた沙織だったが、その反応を見た玲二が項垂れた。


「……本気で言ってるよ、この人」

「当然です。どうしてこんな事で、嘘をつかなくちゃいけないんですか」

「本当に手強いな。 友之さんに同情する」

「課長の周りの人達が甘やかしているから、私が多少当たりを厳しくしているだけじゃありませんか。そんなに面倒で嫌なら、他の女を当たってください」

 素っ気なく言われた玲二だったが、気合いを振り絞って話を続けた。


「結局、友之さんと別れた別れないの話になっている喧嘩の原因は、一体何なんですか?」

「喧嘩? 何のです?」

「え?」

「…………」

 咄嗟に意味が分からず、素で驚いた顔になった沙織と、どうしてそんな反応なのかと戸惑った玲二が、揃って顔を見合わせて黙り込む。しかしすぐに沙織は、茶番の設定を思い出した。


「ああ……、そう言えば部外者には、そんな事になっていましたね」

「部外者って……。俺、今現在、盛大に巻き込まれているんですけど……。とにかくなるべく早く、友之さんとよりを戻してくださいよ」

 その切実な訴えに対して、沙織は少々面白く無さそうに言い返した。


「それ、私じゃなくて、課長に言ってください。全面的に向こうの都合なんですから。私は黙って待ってるような、都合の良い女じゃありません」

「本当に友之さん、何をやってるんだよ……」

 再びがっくりと項垂れた玲二だったが、沙織はそれには構わず、海を見ながらソフトクリームを食べ続けた。すると少しして、声がかけられる。


「質問しても良いですか?」

「構いませんけど?」

「友之さんと結婚する気、ありますか?」

「…………」

 その問いに、沙織は眉間に軽く縦皺を作りながら玲二に向き直った。それを見た彼が、慌てて質問を変える。


「すみません、質問を変えます。関本さんは、結婚願望ってありますか?」

「あるか無いかと言われたら、無いんじゃないでしょうか? 考えるだけで面倒です」

「そんな面倒くさがらずに、考えてみるだけでも」

「名前が変わったら免許証に保険証に年金手帳に預金通帳に各種カード、その他諸々の登録変更をしないといけなくなります」

「まさかの事務手続きとは……。そうじゃなくて! メンタル的な事で、何か結婚したくない理由があるんですか?」

 盛大に顔を引き攣らせた玲二が、何とか気を取り直しながら重ねて尋ねたが、ここで沙織が逆に問いを発した。


「結婚するにあたって必須な事って、玲二さんは何だと思いますか?」

「え? ええと……。それはやはり、お互いに対する愛情とか、しっかりした生活基盤とか、共通の価値観とかではないですか?」

 唐突な問いかけにもかかわらず、真剣に考え込んでから答えた玲二に、沙織が軽く頭を下げる。


「実に模範的な回答を、ありがとうございます」

「恐縮です」

「今挙げられた物は、私も全くその通りだと思いますが、決定的に足りないものがあります」

「何でしょう?」

「勢いと錯覚です」

 真顔でそう断言された玲二は、疑わしそうに問い返した。

「結婚するのに、そんな物が必要なんですか?」

 しかし沙織は、それに平然と答える。


「『あの人がいないと生きていけない』とか、『世界は私達の為にある』とか、『この人ならさっさと死なれても遺産で生涯安泰』とか、『稼ぎが無くても既婚者の体面を保てればよい』とかだと、さすがに極端だとは思いますが、ある程度馬鹿になるか打算的にならないと、結婚ってできないと思います。それからの人生が、大きく変わるわけですし。家族と過ごした時間以上の年月を、相手と過ごす事になるわけですよ?」

 そこまで聞いた玲二は、何とも言い難い顔になった。


「最後に口にした内容に関しては、確かにそうかもしれませんが……。何だか恋愛観と結婚観が、妙な方向に歪んでいませんか?」

「育った環境が、ちょっと特殊だったもので。ラブラブバカップルだった両親が、ある出来事で破局、泥沼離婚した後、離婚訴訟専門の弁護士である母の元で育ちました。この事は、以前課長にも話してあります」

「……納得しました。すみません、変な事をお聞きしまして」

 そう言って、自分に対して深々と頭を下げた玲二を見て、沙織は思わず笑ってしまった。


「そこで即座に素直に謝るところに、育ちの良さが出ていますよね。何だかんだ言いながら、柏木さんの無茶ぶりに付き合ってますし」

「清人さんに関しては『この人に逆らったら駄目だ』という、子供の頃からの刷り込みが大きいですが」

 思わず玲二も苦笑で応じると、同様の表情で沙織が続ける。


「それを差し引いても、良い家庭環境で育ったんだろうなと思いますよ? この前、柏木さんのお宅にお邪魔した時に、玲子さん達を観察しながら、色々とお話をさせて貰いましたし」

「そうなんですか? それな関本さんから見たうちの両親に対する感想を、是非聞かせて貰いたいんですが」

「強いて言うなら『良い意味のカカア天下』ですね。あと絢子さん達は『切磋琢磨ライバル関係』で、真由美さん達は『溺愛甘やかしタイプ』です」

 そう評した沙織に、玲二は心底感心した表情になった。


「関本さん……、本当にシビアですね」

「間違っていますか?」

「いえ、概ねその通りです。でも母も叔母さん達も、普段対外的には夫唱婦随を装っていますので、初対面でそこまで見破る人はそうそういませんから、少し驚きました」

「そうですか? 結構分かり易いと思いますが」

 事も無げにそう言ってから、「このソフト久しぶりだけど、やっぱり美味しいわ」と満足げに食べていた沙織に向かって、玲二が慎重に問いかけた。


「先程関本さんは『良い家庭環境』云々と口にしていましたし、結婚とか夫婦関係そのものを、忌避しているわけでは無いんですよね?」

 その問いかけに、沙織が彼に顔を向けて、軽く頷きながら答える。


「それはそうですよ。夫婦と言っても、色々な形があると思いますし」

「それならちょっと規格外な関本さんでも、『友之さんがいないと生きていけない』と錯覚してくれたら勢いで結婚してくれるし、『友之さんが責任を持って養ってくれるなら良い』と納得したら、打算的に結婚してくれるって事ですよね!?」

 鬼気迫る勢いで詰め寄られながら、そんな念押しをされた沙織は、半ば呆れて呟いた。


「『規格外』って何ですか……。それに凄いですね、そのひたすら前向きな解釈っぷり」

「そうですよね!?」

「まあ……、そうなんじゃないですか?」

「よし、言質取った!」

 そこで嬉々として沙織から離れ、手すりの向こうに広がる東京湾に向き直った玲二は、大声で叫んだ。


「友之さん、頑張れ! 可能性は0じゃないぞ! 当たって砕けろ!」

「はいはい、頑張ってくれると良いですね~」

 何事かと周囲の観光客達から驚きの視線を向けられる中、沙織は(やっぱり課長の身内や親戚関係って、個性的な人が多いわ)と冷静に玲二を評しつつ、他人事のように呟きながらイチゴソフトクリームを完食した。



「……今日はこんな感じでした」

 広い邸宅の夫婦用のリビングで寛いでいた時にかかってきた電話の内容を、ハンズフリー仕様にして夫婦で聞いた後、弟の愚痴に無言で頭を抱えた真澄を横目で見ながら、清人は端的に返した。


「写真も確認したが、随分楽しんで来たようだな」

「今の話のどこがですか! というか友之さんが関本さんに、さっさと土下座でも何でもして、詫びを入れれば済むだけの話じゃないんですか?」

「今の話でも分かったと思うが、相手は結構変な方向に拗れた女だぞ? 迂闊にそんな事をしたら感激されるどころか、『軽々しく土下座できるなんて、よほど軽い頭しか持ち合わせていないんですね』と、切り捨てられるのが関の山じゃないのか?」

「もう本当に、勘弁してくださいよ……」

 義弟の訴えを切り捨てた清人だったが、妻から若干咎める視線を向けられている事に気付いた為、一応宥めてみた。


「そうは言っても、彼女の事を真由美さんが気に入ってるんだ。友之がぐだぐだしてる間に横から変なのにかっさらわれないように、ちゃんと間男もどきをしていろよ? 後で纏めて、礼はするから」

「人聞き悪すぎますよ!! 間男じゃなくて、当て馬もどきですよね!? お袋達にも『略奪愛は鉄板設定よね!』って、完璧に面白がられていて、頻繁に彼女との進展具合を聞かれているんですが!?」

 落ち着くどころか逆に声を荒げ、玲二が訴えてきた情景が容易に想像できた清人は、本気で同情した。


「頑張れ。無事に片付いたら、いい女を紹介する」

「それは全力で回避させてください。清人さんからの紹介なんて怖すぎます。それでは失礼します」

 しかし玲二は清人が申し出た直後に口調をいつものそれに戻し、即座に通話を終わらせた。それに清人が憮然としながらテーブルに置いていたスマホを取り上げると、向かい側のソファーに座っていた真澄が、軽く睨んでくる。


「可哀想だから、あまり玲二を虐めないで頂戴」

「紹介云々は、本当に親切心からだったんだがな」

「ところで肝心の友之の方は、今どうなっているの?」

 苦笑しながらの清人の弁解を、真澄はあっさりと無視して話題を変えたが、彼は特に気を悪くした風情は見せずにそれに答えた。


「まさに今日寺崎邸で、妹達に金を渡して、相続放棄申述書に署名捺印させたそうだ。勿論、放棄理由は『相続財産が少ない』では無くて、『生活に余裕があるから』の項目を選択しているがな」

 そう言って含み笑いを漏らした夫に、真澄が確認を入れる。


「そうなると、その奥さんは今でも、相当の評価額の不動産を相続できると、信じ込んでいるのね?」

「ああ。そうでなければ欲の皮を突っ張らせて、金をかき集めないさ。全く迂闊な事だが、目先の欲情に駆られて若い男と駆け落ちする位の、頭も身持ちも悪い女だから無理もないな」

 そんな容赦の無い事を口にして再び笑い出した夫を見て、真澄は小さく溜め息を吐いた。


「本当に少しだけ、その奥さんに同情するわね。本来ならリバースモーゲージを設定している家と土地を銀行に渡す事になっても、幾らかは現金が手元に残る筈なのに、自分名義の多額の借金を背負う事になって」

「それでも最悪、残った現金と資産を全て手放した上で、自己破産すれば良いからな。暫くカードが作れなくて新たな借金もできなくて、景気の良い事を言って借金をしまくった筈だから、元々希薄な親戚付き合いと交友関係が、今回確実に壊滅するだけだ。真人間になって出直せば良い」

「正論だけど、辛辣ね……。ところで、妹さんに渡ったお金はどうなるの? その奥さんが、『放棄して貰う為に渡した』と主張したら、そちらに取り立てがいくのじゃない?」

 そんな素朴な疑問を口にした真澄に、清人が薄笑いで答える。


「妹達に現金が渡った、公式な記録は無い」

「どうして? だってそれなりの金額でしょうから、振り込みでしょう? 偽名を使っても、金融機関のホストコンピューターに記録は残るし、店内でもATMでも画像は残るわよ?」

「自宅で現金を手渡ししているし、妹達の意向で全て少額ずつに分けて、匿名で五十数カ所の奨学金団体や篤志団体に寄付する予定だ」

「口座に入れずに、現金で。しかも第三者が居ない場所での受け渡し……。迂闊すぎるわ。そんな不自然極まりない事を、良く疑わせずに誘導できたわね」

 騙し騙された双方に半ば呆れながら、真澄が正直な感想を述べると、清人が笑いながら続けた。


「司法書士が作成して説明済みの正確な資産状況の文書や申請書類には、漏れなく未亡人の署名捺印がされているしな。あの女が『もっと多くの資産があった筈だ』と訴えても、どうにもならんさ。現に何年も前に、妹達に亡父の財産は相続済みだ。詐欺だと言うなら、そう説明された事実と、友之や妹達の手に現金が渡った事を立証する必要がある」

「計画を聞いてはいたけど、正直どこかで頓挫すると思っていたのよ。友之もその司法書士も、良くここまで誤魔化し通せたわね……。因みに、その寄付する手段はどうするの? 口座振替とか振り込みとかも、記録が残るわよね?」

「念には念を入れて、友之の勤務時間内に俺が変装して、送金場所と時間帯を変えながら、匿名で少しずつ進める。監視カメラに画像は残るが、予め探す対象者と振込先が確定されなければ、金の動きを追うのは無理だろうな」

「それが終わったら、無事終了なの?」

「裁判所での手続きが終了して、不動産や通帳等の名義変更が済んだら終了だな。だからそれほど長い時間はかからないが、もう少しだけ必要だ」

 それを聞いた真澄が、しみじみとした口調で呟く。


「友之が本当に沙織さんに愛想を尽かされる前に、何とかなれば良いわね」

「何とかなるだろう。それにさっきの玲二の話で、あの女の攻略法が分かった」

 それを聞いた真澄は、思わず興味を引かれて尋ねた。


「沙織さんの攻略法って何?」

「友之が如何に優良物件かを、幾ら力説しても駄目だ。あいつはそんな事、職場で知り抜いているからな。だから友之は一見問題が無さそうに見えても、実は結構女々しくて面倒くさくて困った駄目な奴だとアピールして、『仕方がないから引き取ってあげる』と思わせれば良い」

 清人がきっぱりと断言した内容を聞いて、真澄が思わず目頭を押さえて呻く。


「友之が不憫過ぎて、泣けてくるわ……」

「男を甘やかすな。取り敢えずさっき届いた玲二とあの女のツーショット画像を、友之に転送してやる」

「ちょっと清人! 必要以上に友之を虐めるのは、止めて頂戴!」

 早速スマホを操作し始めた清人を、真澄は慌てて叱りつけた。しかし時既に遅く、清人が顔を上げて淡々と告げる。


「たった今、送信した」

「友之……」

 微塵も容赦のない夫の台詞に、真澄は従弟を益々不憫に思いながら、がっくりと肩を落とした。


「清人さん……。あなたは本当に昔から性格が悪いし、男には容赦ないですよね……。それ位、分かってはいましたが……」

 そして清人から送信されてきた、一応楽しげな沙織と玲二のツーショットを目にした友之は、真澄の想像通りしっかり精神的ダメージを受けていた。


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