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(3)千客万来

 その二人の懸念通り、沙織は友之に更なる迷惑をかけていた。


「おい、関本。大丈夫か? 着いたぞ? 部屋まで行けるか?」

 一応、聞き出した住所に建つマンション前で、停めて貰った友之が彼女に声をかけたが、沙織はブツブツと呟いてから再び泣き出した。


「へや……、かえっても、だれもいないぃ……。じょにぃぃ~!」

「やっぱり駄目だな……。すみません、ここで降ります。お会計を」

「分かりました」

 当初は彼女をここで降ろして、自分はこのまま乗って帰ろうと考えていた彼は、予定を変更して会計を済ませ、彼女を半ば引きずり出すようにしてタクシーから降りた。そして未だにふらついている彼女の腕を取り、肩を支えながら、マンションの入り口に向かって歩き出す。


「ほら、関本。しっかり歩けよ?」

「……あるいてます」

「うん、歩いているがな? もう少し自主的に歩いてくれると、俺はもの凄く嬉しいんだが」

 溜め息を吐いてそのまま進み、彼女にエントランスの奥に続くドアを解除して貰い、エレベーターで三階まで移動する。そしてエレベーターホールから至近距離のドアの前で、沙織が立ち止まった。


「……とうちゃく」

 彼女がそう呟いた為、友之は安堵して彼女の身体から手を離した。

「ここか。よし、後は大丈夫だな? それなら俺はこれで失礼するから」

「かちょー、おちゃをどーぞ」

「はぁ?」

「ごめいわくかけて、そのままかえしたら、おんながすたります」

 声をかけて踵を返そうとした友之だったが、その袖を沙織がしっかり掴んだ。そして大真面目に言われた内容に、彼が微妙に顔を引き攣らせる。


「……できればこのまま帰して貰った方が、俺的には嬉しいんだが」

 控え目に辞退した友之だったが、それを聞いた沙織はたちまち涙ぐんだ。


「だめ……。やっぱりわたしのつくるもの……、おちゃですらダメなんだぁぁ――っ!!」

「分かった、一杯だけご馳走になるから! こんな所で喚くな!」

「それではどうぞ」

 いきなり大声を上げた為、彼が慌てて宥めながら申し出を受けると、途端に沙織は真顔になって玄関のドアを開けた。それを見た友之が、本気で溜め息を吐きながら額を押さえる。


「関本は中途半端に酔っていると、余計に厄介だな」

「とりあつかい、ちゅーいですね」

「……自分で言うな」

「じゃああがって、しょうめんのリビングでおまちください」

「ああ」

 もう余計な事は何も言わず、さっさと茶を飲んで帰ろうと心に決めた友之は、素直に玄関から上がり込んで奥に進んだが、先程から感じていた違和感が更に増大してきた為、首を傾げた。


(エントランスに入った時から思ったが、このマンションは単身者向けの賃貸じゃないよな? どう考えても、ファミリータイプの分譲マンション。正確な間取りは分からないが、関本は実家を離れて一人暮らしをしている筈だが……。どうしてこんな広い所に、一人で住んでいるんだ?)

 そして何気なくカーテンが開け放ってあった、ベランダに面した掃き出し窓に目を向けた彼は、ガラス越しに見えた物に少々驚いた。


「え? あれはまさか……」

「かちょー、りょくちゃとこうちゃとコーヒーだと、どれがいいですかー?」

 そこでオープンカウンター越しに、背後から沙織が間延びした声をかけてきた為、友之は窓の一か所を指さしながら振り返って尋ねる。 


「そんな事よりひょっとしたら、あれが例のジョニーとやらか?」

「……はい?」

 そこで不思議そうに友之の指し示す方に視線を向けた沙織は、一気に酔いが醒めたように目を見開いて叫んだ。


「うぇえぇぇっ!! ジョニー! 来てくれたのっ!! うわぁぁ――ん、会いたかったぁぁっ!!」

 その剣幕に、友之が目を丸くして驚いていると、そんな彼の前をもの凄い勢いで沙織が横切り、掃き出し窓に取り付いたと思ったら、慌ただしくロックを外して窓を開け放った。


「なぁ~ん」

「ジョニー様、お久しぶりですぅぅっ!! さあさあ、ずずいっとお入りになって下さいませ! 今すぐに、お食事を準備いたしますので! 少々お待ち下さい!」

 とんでもなくハイテンションな沙織とは対照的に、その細身の猫はゆったりとした動作で室内に足を踏み入れ、どうやらここに来る時は定位置になっているらしい、すこしへたり気味のクッションに落ち着いた。彼がそこに落ち付くのを確認した沙織は再びキッチンにすっ飛んでいき、それを見送った友之は、思わず彼に声をかける。


「……凄い歓待ぶりだな。いつもこうなのか?」

「にゅあ~~ん」

 ちょっと困り顔っぽく鳴き返された友之は、思わず一人で笑ってしまったが、そこで深皿に何かを入れて戻って来た沙織が、その皿を猫に向かって差し出した。


「さあ、ジョニー様! 今日は豪勢に人工添加物不使用の高級マグロ缶です! どうぞ!」

「なうっ!」

 その皿の中身を凝視したジョニーは、一声短く叫ぶと、満足そうに食べ始める。そして一心不乱に食べ続けるジョニーを満面の笑みで見守りながら、沙織がどこからか真新しいブラシを持って来て、彼に声をかけた。


「ご満足頂けましたか、ジョニー様」

「にゃ~ん」

「それではお食事がお済みになりましたら、是非とも毛繕いをさせて下さいませ! 新品のこのブラシを、是非お試し頂きたく」

「うにゃっ!」

「ご了解頂き、ありがとうございますっ!!」

 その如何にも「やらせてやるぞ」的な、背筋をピンと伸ばしての上から目線的な掛け声に、沙織は畏まってブラシを手にしたまま平伏し、先程から彼女達の一部始終を動画で撮っていた友之は、必死に笑いを堪えた。 


「面白過ぎるが……、時間も時間だし、そろそろ帰るか」

 普段の職場での彼女とは、別人かと疑いそうな有様を見せられ、このままもう少し観察していたかったのは山々だったが、友之は翌日の事も考えて撮影に使っていたスマホをしまい込み、腰を上げた。


「関本、それじゃあ俺は帰るから。茶はもう良いぞ」

「あ、すみません! おかまいもしませんで!」

 漸くジョニーから自分に視線を向けて立ち上がった沙織に、友之は苦笑する事しかできなかった。


「……うん、実に清々しい笑顔だな。何もコメントできない」

「夜道ですからお気をつけて!」

「ああ、また明日」

 そして玄関まで見送りに出た沙織に挨拶し、歩き出した友之だったが、すぐに笑いが込み上げてきた。


(しかし……、いつもとは凄いギャップだったな。これで当面、笑えそうだ)

 エレベーターホールで上がって来るのを待つ間、スマホを取り出して先程撮ったばかりのデータを出そうとした友之だったが、丁度目の前の扉が開いた為、その動きを止めた。しかし一人の年配の男性が降りて来た他に、もう一人男性がエレバーターに乗り込んでおり、上層階行きであると察した友之が、再びスマホを操作し始める。


(隣は夜間は止まっているのか。階段を探すのも面倒だし、このまま待つか)

 そして今上がって行ったエレベーターを待つつもりで立っていた友之だったが、ふと数秒前にすれ違った男性について考え込んだ。


(そう言えばさっきの男性、どこかで顔を見た記憶があったような……)

 思わず振り返り、数歩歩いて左右に延びる廊下を見渡せる位置まで移動した友之だったが、彼はそこで困惑する事になった。


「おかしいな……、割とすぐに廊下を見たから、まだ歩いていると思ったが」

 どちらの方向にも歩いている男性の姿など皆無であり、既にどこかの部屋に入った事は確実と思われたが、足音が遠ざかった方向と時間的に、この場所から至近距離の沙織の部屋でしかありえず、友之の疑問は深まった。


「関本の部屋に入ったのなら、話は分かるが……。彼女の実家は名古屋だし、一人暮らしの筈だよな? 俺の気のせいで、他の部屋に入ったんだな」

 考え込んでしまったものの、わざわざ引き返して彼女に尋ねる程の事でもなく、更にその時上がって行ったエレバーターが戻って来て扉が開いた為、友之はすっきりしない気分のままそれに乗り込み、一階へと降りて行った。


「きゃあぁぁ~っ、やっぱりジョニー様の毛並みは違うわぁ~。とても野良猫とは思えない、この艶やかな毛並み! でも首輪もしてないし、本当に謎が多いイケ猫様ですよね~」

 その頃、上機嫌にブラッシングをしていた沙織の背後から、友之が目撃した人物が彼女に声をかけていた。

「え、えーと、沙織、こんばんは……」

 その声に振り返った沙織は、不思議そうに言葉を返す。


「あれ? 和洋さん。今日来るって言ってたっけ?」

「言ってなかったけど明後日から出張だから、その前に沙織の顔を見ておきたいなと思って」

「ああ、そう。別に構わないですけどね、和洋さんはここの家主だし。適当にお風呂に入って寝て下さいね。遅いから、私もジョニーのブラッシングが終わったら、もう寝るから」

「え、でもちょっと話を」

「もうすぐ十一時になるのよ」

「分かりました……。お風呂を入れてきます」

 ぴしゃりと、仕事の時と同様の冷徹さで沙織に言い切られた彼は、すごすごとリビングを出て行った。すると大きく伸びをしたジョニーが、一声満足げに鳴く。


「うな~ぅ」

「あ、ジョニー様、お帰りになるんですか?」

 そしてスタスタと窓に向かって歩き出した彼の先回りをして、沙織が窓を開ける。


「にゃうっ!」

「またのお越しを、お待ちしております!」

 ベランダからその手すりに飛び上がり、更に少し離れた場所に立っている大木の枝に飛び移った彼を、沙織は満面の笑みで見送ってから、何事も無かったかのように元通り窓を閉めて寝る支度を始めた。




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