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酸いも甘いも噛み分けて  作者: 篠原 皐月


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(26)予想外の精神修行

「沙織さん、お待たせ!」

「真由美さん、大丈夫です。まだ待ち合わせ時間前ですから。じゃあ早速、行きましょうか」

「ええ」

 改札から上機嫌に出て来た真由美を沙織は苦笑気味に出迎え、予め調べておいた店に向かって連れ立って歩き出した。


「そう言えば真由美さんは、どうしてそんなにメイドカフェに行きたいんですか?」

「非日常的な体験がしてみたいのと、オムライスにケチャップで『義則さんlove』って書いて貰って、それを私と一緒に写真に撮って貰って、主人に送りたいからよ」

 何気なく尋ねてみた事にそんな答えを返された沙織は、思わず足を止める。


「あの……、それ、自分でオムライスを作って、自分で書いて社長に出せば良いだけの話ではないんですか?」

「嫌だ、沙織さんったら! 私、そんな恥ずかしい事、できないわっ!!」

「……そうですか」

 力一杯背中を叩かれながら、いかにも照れくさそうに主張されて、沙織は思わず遠い目をしてしまった。


(年を重ねたバカップルって、ひょっとしたらこんな感じなのかしら? 一見、普通で常識的に見えるから、余計にタチが悪い気がしてきた……)

 そんな事を考えながら再び歩き出すと、真由美が益々機嫌良く声をかけてくる。


「あ、そうそう! 沙織さん、友之と付き合ってくれる事になったんですって!?」

「はぁ……、恐縮ですが……」

「私に遠慮しないで、友之にオムライスを作って出す時には『友之さんlove』って書いて構いませんからね!」

「……畏まりました」

 一体何を言われるかと一瞬身構えた沙織は、満面の笑みで言われた内容に激しく脱力した。


(どうしよう……、もう帰りたくなってきた……)

 しかし何とか気持ちを奮い立たせた沙織は、笑顔を保ちながら真由美を目的地へと誘導した。


「お帰りなさいませ、お嬢様!」

 雑居ビルの二階に位置するそこに足を踏み入れると、ワンピースにエプロン、それに揃いのカチューシャまで標準装備の二人組に明るく挨拶されて、沙織は精神的によろめいたが、真由美は全く動じずに負けず劣らずの笑顔を振り撒いた。


「ただいま。若いと思っていても、やっぱり年ね。ちょっと歩いただけで疲れちゃったわ」

「お嬢様、何を仰いますか。お嬢様はまだまだお若いですわ。肌のハリとツヤは、どう見ても二十代でいらっしゃいますもの」

「まあ、お上手ね」

「お嬢様、どうぞこちらに」

「はぁ……」

 ノリノリで片方の店員と会話する真由美に引き続き、沙織ももう一人に案内されて、テーブル席に落ち着いた。そしてメニューを渡されてから、簡単にシステムの説明を受けた二人だったが、早速真由美が声を上げる。


「それでは、ご注文がお決まりになりましたら」

「あ、オーダーはもう決まっているの! オムライスにしたいんだけど、それにメッセージを書いて貰えるのよね?」

 いきなり嬉々として言い出した真由美だったが、店員は嫌な顔をせず、即座に笑顔で応じる。


「はい。それでは《ぽっちゃりヒヨコのお散歩ランチ》で宜しいですね?」

「ええ、それでちょっと長いメッセージを書いて欲しいのだけど、大丈夫かしら?」

「お任せ下さい! 絞り出し口の大きさが小さい物も取り揃えておりますので、どんなご要望にもお応えします」

「良かったわ。じゃあ《義則さんlove》って書いて欲しいの。綺麗に書けたらチップをあげるわ。諭吉さんはお好きかしら?」

 そう言って微笑んだ真由美に、相手は嬉々として頷いた。


「もう大好きでございます! 義則さんとは、旦那様のお名前でいらっしゃいますね?」

「ええ、そうなのよ」

 そこで彼女は、力強く自分の胸を拳で叩きながら請け負った。


「お任せ下さい! 最高に熱くデコってみせますわっ! それではこちらのお嬢様も、同じ物でいらっしゃいますね? メッセージは何にいたしましょうか?」

 すっかり決め付けられてしまった沙織だったが、渡されたメニューを見終えた彼女は、冷静に言葉を返した。


「いえ、私は《そぞろ歩きの海岸パスタセット》でお願いします」

「ええ!? 一緒に《友之さんlove》って書いてくれないの!? 友之が可哀相だし、私一人じゃ恥ずかしいわ!」

 途端に涙目で真由美に訴えられてしまった沙織は、すぐに色々諦めて注文を訂正した。


「すみません。私も、ぽっちゃりヒヨコのお散歩ランチでお願いします……」

「畏まりました! それではメッセージは、先程お伺いした内容で宜しいですね?」

「……もう、どうにでもして」

 ボソッと沙織が自分にだけ聞こえるように呟くと、店員が真由美に笑顔で話しかけた。


「ご注文、承りました。お二人は親子でいらっしゃるんですか? 仲が宜しくて結構ですわね!」

「娘じゃなくて、もうすぐ息子の嫁になる人なのよ」

「まあ、そうでしたか!」

「いえ、あの、嫁って、真由美さん!?」

 先走るにも程がある事を言い出した真由美に、沙織は慌てて反論しようとしたが、全く話を聞いて貰えなかった。


「うふふっ! 写真を送ったら、義則さんも友之もきっと喜んでくれるわよ? あ、そうそう。ここで食べても、まだまだ時間はあるでしょう? この後、原宿と池袋に付き合って頂戴ね?」

「え、ええ……。お付き合いします」

「良かった、長年の夢が叶うわ! 今日は最高の日ね! それで、行きたい所なんだけど」

「…………」

 上機嫌に喋りまくる真由美に、口を挟む隙すら見付ける事ができず、沙織は黙って項垂れた。


(何だか周りから「あの姑だと大変だろうな」的な、同情の視線を集めている気がする……。我慢我慢。真由美さんが楽しんでくれているし、何よりじゃない)

 そんな沙織の忍耐の一日は、まだ始まったばかりだった。


「父さん、昼飯ができたが」

「……あ、ああ。今行く」

 昼食時になり、友之が手早く台所で炒飯とスープ、サラダを作ってからリビングにいた父親を呼びに行くと、義則はスマホを見ながら盛大な溜め息を吐いていた。

「どうかしたのか?」

 思わず心配になった友之が尋ねると、義則は息子に顔を向けながら、困ったように言い出す。


「その……、友之。真由美は結構、楽しんでいるらしい」

「それは良かったな。何よりじゃないか」

「そして関本さんに、結構迷惑をかけているらしい」

「……母さんは何をやってるんだ?」

 途端に眉間にしわを寄せた息子に、義則は先程真由美から送られてきた画像を見せた。それを目にした友之が、一瞬驚いてから呆れ顔になる。


「賭けても良いが、沙織は間違ってもこんなチョイスはしない」

 メッセージ付きのオムライスが乗ったプレートを両手で持ち、引き攣った笑顔で真由美と一緒に写真に収まっている沙織を見て友之が断言すると、義則は深い溜め息を吐いた。


「そうだろうな。後でお前から、彼女に詫びを入れておいてくれ」

「ああ。まずは食べようか」

「そうだな」

 それから男二人で微妙な空気のまま昼食を食べ終え、後片付けも済ませた友之がリビングで録画しておいた番組を見始めると、部屋に戻っていた筈の義則が顔を出した。


「友之……、ちょっと良いか?」

「今度は何?」

「今、画像を添付したメールが届いた」

「どんな?」

「これだが……」

「…………は?」

 なんとなく嫌な予感を覚えながら友之が問い返すと、義則は言葉少なに自分のスマホを差し出した。それに視線を向けた友之が、瞬時に固まる。


『前々からゴスロリってやってみたかったんだけど、家の中でも外でも着られないから諦めていたら、ここだとレンタルできて、着付けと写真撮影までしてくれるの。素敵でしょう? 私は正統派の黒のゴスロリだけど、やっぱり沙織さんは若いし、ピンクと白の甘ロリよね!』


 そんな文章に添付されていた画像は、黒を基調として白をアクセントに使用している、レースとフリルを多用したワンピース姿の真由美と、同様の仕様ながらピンクと白に埋もれている感の沙織を撮影した物であり、友之は無言で自分のシャツの胸ポケットから、自分のスマホを取り出した。息子のその動作に気が付かないまま、義則が自分のスマホを見下ろしながら苦々しい口調で言い出す。


「全く、真由美の奴……、悪乗りするにも程がある。関本さんが気の毒過ぎるぞ。相当恥ずかしいらしくて、顔が真っ赤なのが傍目にも分かるし……。おい、友之。何をしてる。聞いているのか?」

 何やら話している間、自分のスマホを操作していた息子に気が付いた義則は苦言を呈したが、それを聞いた友之は素直に謝ってきた。


「ああ、悪い。今、母さんにメールを打ってたんだ」

「そうか。確かに一言、注意をしておかないとな。これ以上彼女を振り回しては気の毒だし」

「いや、そうじゃなくて、沙織が一人で写っている全身とバストショットの写真があれば、どちらも俺に送って欲しいと連絡した。無ければ、ついでに撮って欲しいとも」

「あまり馬鹿な事を、真顔でほざくな!!」

 本気で息子を叱りつけた義則だったが、少ししてからリクエスト通りの画像が友之のスマホに送信されて来たのを見て、完全に呆れ顔になった。

 それから更に二時間後、自室に戻っていた友之だったが、義則がノックの後に部屋に入って来た。


「友之……」

「今度は何?」

「探検隊だそうだ」

 父親が疲れた表情で差し出したスマホを見た友之は、何やら得体の知れない物体を抱えた母達の姿を認めて、溜め息しか出なかった。


「……楽しそうだな。主に母さんが」

「そうだな……」

 そして親子で何とも言い難い顔を見合わせ、揃って深い溜め息を吐いたのだった。



「つ、疲れた……。身体的にもそうだけど、それ以上に精神的に……。もうご飯なんて良いから、さっさとお風呂に入って寝よう」

 一緒に夕飯を、と言う真由美の誘いを何とか固辞し、夕方帰宅した沙織は、リビングに入るなりソファーに転がって呻いた。そのまま何もする気が起きず暫くゴロゴロしていると、スマホが着信を知らせてきた為、取り上げて確認してみる。


「どうしてこのタイミングで電話……」

 ディスプレイに友之の名前が浮かび上がったそれを、沙織は一瞬げんなりと眺めてから、仕方なく応答する。

「はい、もしもし?」

「やあ、お疲れ。母さんは満足しきって帰って来たぞ。礼を兼ねて明日は気合いを入れるから、期待していろ」

 明るく友之に宣言されて、沙織は反射的に申し出た。


「本気でお付き合い自体を、撤回しても良いですか?」

「まあそう言わずに。明日は八時に迎えに行くから、早めに休んでおけ」

「……分かりました」

 笑って宥めてきた友之に取り敢えず頷き、沙織はさっさと通話を終わらせた。


「精神力の鍛錬と思えば、それなりに有意義な時間だったわね……。さすがに明日は、恥ずかしい真似はさせられないだろうし」

 そんな事を自分自身に言い聞かせていると、再び手の中のスマホが着信を知らせる。しかしディスプレイに浮かび上がった未登録の番号に、思わず首を傾げた。


「ええと……、これってどこの番号?」

 多少不審に思いながらも、沙織は慎重にその電話に出てみる。


「……もしもし?」

「その……、松原だが」

「……はい? 社長!? どうかされましたか?」

 名前と声ですぐに該当する人物を導き出した沙織が、動揺しながら問い返すと、義則はいかにも申し訳無さそうに言ってくる。


「ああ、いや……。先程妻が、上機嫌で帰宅してね。今日は君に、妻が大変お世話になった上、色々と申し訳なかった」

「いえ、先日は社長のお宅で色々お世話になりましたし、真由美さんに喜んで頂けたのなら何よりです」

「そう言って貰えると、気が楽だが……。妻と息子がこれからも色々と無茶ぶりをするだろうが、できれば呆れずに付き合って貰えるとありがたい」

 恐縮気味のその台詞を突っぱねる事などできず、沙織は何とか声を絞り出す。


「……ご希望に沿えるよう、鋭意努力します」

「宜しく頼むよ。それでは失礼する」

「はい、失礼します」

 そうして義則との通話を終わらせた沙織は、再びソファーに突っ伏した。


「つっ、疲れた……。どうしてわざわざ、社長が直々に電話をしてくるの。もう本当に勘弁して……」

 勤務先トップからの電話に緊張しないわけは無く、義則がせめて一言お詫びをと電話をかけた事は、意図せずに沙織の疲労感を倍増させる結果となった。


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