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酸いも甘いも噛み分けて  作者: 篠原 皐月


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(2)酒に飲まれた女

「それでは、無事契約成立を祝って、乾杯」

「乾杯」

 テーブル毎に壁で仕切ってある、落ち着いた雰囲気の小料理屋で待ち合わせた四人は、笑顔で通された席に落ち着いた。それからさほど時間を要さずに、お通しと友之が見繕った酒が運ばれてきた為、中心となって商談を進めた朝永の音頭で乾杯し、青い切り子のグラスを傾ける。

 そして一口飲んだ友之がこの間頑張ってきた部下達に、改めて労いの言葉をかけた。


「三人ともお疲れ様。無事、契約成立にこぎ着けて良かったな。今日は俺の奢りだから、好きなだけ飲んでくれ」

「はい、早速ご馳走になります。それでは取り敢えず、清月華の純米大吟醸を」

「関本! お前、少しは遠慮しろ!」

 早速店に揃えてある酒のリストを引き寄せつつ、店員の呼び出しボタンを押した沙織を、朝永がテーブルの向かい側から呆れ気味に窘める。そんな中、沙織の隣に座っている佐々木が、恐縮気味に向かい側に座る友之に頭を下げた。


「すみません、課長。大した働きをしていないのに、俺までお相伴に預かりまして……」

「気にするな。確かに表立って動いていたのは朝永と関本の二人だが、その下でデータの整理や書類の作成をしっかりやっていただろう?」

「はぁ、それはそうですが……」

「あと一年か二年したら、二人のように大きな仕事を任せる事になるから、今のうちにしっかり二人の仕事ぶりを見ておけ。契約は締結したが、これから実際に納品を済ませるまで、まだまだやる事はたくさんあるからな」

「はい。分かりました」

 そう友之に言い聞かされた佐々木は真顔で頷き、ありがたく思いながら飲み始めると、隣の沙織が手酌で飲みながら、上機嫌に上司を褒め称える。


「課長。相変わらず男前で太っ腹! タダ酒だと思うと、ただでさえ美味しい酒が、余計に美味しいですね!」

「だあぁぁっ、関本! お前、今日は飛ばし過ぎだ! それでもう何杯目だよ!? 女なんだからおとなしく、奢ってくれる課長に酌位しろ!」

 朝永がそう喚いた途端、沙織は彼に白い目を向けた。


「あ~、セクハラぁ~、男女差別ぅ~、いぃ~けないんだ~いけないんだぁ~」

「それは確かに悪かったし、失言だったのは認めるが!」

 ムキになって言い返そうとした朝永だったが、ここで沙織は隣の佐々木に向き直り、いきなり真顔で言い出した。


「佐々木君。『女の腐ったような』とか『男の癖に泣くな』とか『女の癖に生意気』とか口にする、頭が腐ったパワハラ野郎は、問答無用で蹴り倒すのよ? 高校の部活はサッカーで、FWだったよね?」

「はぁ……」

「よし、今日は後輩に一つ、良い指導をした」

 困惑顔で曖昧に頷いた佐々木を見て、沙織は満足そうに自画自賛して再び酒を飲み始めた。それを見た朝永が、頭を抱えながら友之に詫びを入れる。


「すみません、課長。こいつ今日、ちょっとノリが変で」

「ああ……、うん。大丈夫だ。気にしてないから。勿論、お酌なんかしなくても良いし」

「ですよね~。課長は新進気鋭の方ですもんね~」

「関本! お前、新進気鋭の意味、本当に分かってんのか!?」

 へラッと笑いながら言ってきた沙織を、朝永がすかさず叱りつける。その様子を横目で見ながら、佐々木は僅かにテーブル越しに身を乗り出し、友之に囁いた。


「課長。いつもクールと言うか……、感情が乏しいと周囲に誤解されがちな関本先輩にしては、確かにちょっと変ですね」

 それに小さく溜め息を吐いて、友之が答える。


「この仕事に関しては、これまでに色々あったしな……。ストレスが結構溜まっていたんだろう。きちんと帰れるか怪しかったら、今日は責任を持って俺が家まで送っていくから、佐々木は気にしないで飲んでくれ」

「本当にすみません、課長。今夜はご馳走になります」

 どうやらその危険性を当初から察知していたらしい友之が、これまで殆ど酒を口にしていない事実に気が付いた佐々木が、恐縮気味に頭を下げた。それに友之が笑って頷いた為、その好意を無にするのは却って失礼だと割り切り、佐々木も安心して飲み進める。


(それにしても……、関本は今日は本当にどうしたんだ? いつもは酒の席でも場を盛り下げたりはしないが、変に絡まれてもするりとかわして、冷静に飲み進めるタイプなのに)

 一人冷静に部下達の様子を観察しながら、控え目にグラスを口に運びつつ食べていた友之だったが、それから二時間経たないうちに、急激に事態が悪化した。 


「おい、関本!?」

「先輩、危ない!!」

 つい数分前まで、上機嫌に喋りつつ痛飲していた沙織だったが、急に黙り込んでグラスをテーブルに置いたと思ったら、いきなり前傾姿勢になった。

 咄嗟に佐々木が手を伸ばして沙織の肩を掴んだ為、彼女は目の前の皿やグラスに顔を突っ込まずに済み、その間に向かい側の朝永と友之が慌てて皿を寄せてスペースを空け、佐々木に声をかける。


「佐々木、取り敢えず、ちょっと寝かせておけ」

「……はい」

 そして朝永と佐々木は二人がかりで慎重に彼女の腕を取り、テーブルの上に軽く腕を重ねさせ、その上に沙織を頭を乗せて、テーブルに突っ伏させておいた。


「完璧に潰れたか……。やはり飲むペースが早かったな。途中で止めるべきだった」

 判断ミスだったと思いながら友之が悔やむ台詞を口にすると、朝永が半ば腹を立てながら手を伸ばし、沙織の頭を軽く小突く。


「全面的にこいつの責任ですから、課長が気にする事ではありませんよ。おい、関本! このうわばみ女が、少しは自制しろ!」

 その叱責に、沙織がピクリと反応した。


「……いですか?」

「え? 今何か言ったか?」

「うわばみ女って、鬱陶しいですか?」

「どうだろうな……」

 自分の腕に額を乗せて突っ伏したまま、何やらぼそぼそと言ってきた沙織に、朝永が困惑した表情になった。するとここで彼女が、そのままの体勢でいきなり泣き喚き始める。


「だっ、だから……、うちにジョニーが来てっ、くれなくなっちゃったんだぁぁ――っ!!」

「はぁ? ジョニーって誰の事」

「うわぁぁぁ――ん!! 私やっぱり、捨てられたぁぁ――っ!!」

「えぇ!?」

「関本!?」

「捨てられたって……、おい!?」

 いきなりとんでもない事を聞かされた男三人は驚愕したが、沙織の泣き声は止まなかった。そしてすぐに彼らは、沙織に問い質し始める。


「ちょっと待て関本! お前の口から男の話なんて、これまで聞いた事は皆無だったんだが!?」

「と言うか男の話以前に、普段プライベートの話も殆どしないし」

「それにジョニーって、どこの人ですか!?」

「どこって……、アメリカじゃないの?」

 俯いたままどことなく自信なさげに沙織が答えた為、尋ねた佐々木の顔が一気に強張った。


「どうして疑問系なんですか? まさか先輩、その人がどこに住んでるかも知らないなんて言いませんよね!?」

「知らないわよ……。時々ひょっこりうちに来て、ご飯食べてゴロゴロ寝て、どこかに帰っていくだけだし……」

 力無く沙織がそう続けたのを聞いて、友之と朝永は無言で険しい顔を見合わせたが、佐々木は怒りを露わにしながら腰を浮かせた。


「先輩、何てタチの悪い男に引っかかってるんですか! 普段の先輩は、どこも隙が無さそうなのに! そうだ警察、警察に行きましょう!」

 そんな後輩を、朝永が渋面になりながら宥める。


「落ち着け、佐々木。関本が実際に何らかの被害を受けていないと、警察も動かないだろう。どうやらこの話しぶりだと、関本は自分の意志でその男を部屋に入れているしな」

「そうだろうな。明らかな窃盗とか結婚詐欺が立証できるのなら、話は別だが」

 難しい顔で友之が口にした内容を聞いて、佐々木が慌てて沙織に尋ねた。


「先輩、そいつに巻き上げられた物とか無いんですか? それとも結婚費用に充てるとか言われて、大金を渡したりしていませんか?」

 その問いかけに、沙織は俯いたまま自問自答するように言い出す。


「やっぱり……、気の利いたアクセサリーとか、渡すべきだったのかなぁ……」

「はい?」

「だってそんなの、特に欲しいなんて素振りは見せなかったし……」

「渡さなくって正解ですから! 駄目ですよ、そんなブランド物の時計とかポンと贈ったりしたら! そういう一見気のない素振りが、奴らの常套手段なんですよ!?」

 佐々木が語気強く言い聞かせたが、沙織は構わず話を続けた。


「それに……、ジョニーは舌が肥えていたから、いつ来ても大丈夫なように、最近は高級品を常備してたのに……」

「俺の話、ちゃんと聞いてます!? 何いそいそと高級食材を用意して、黙って来るのを待ってるんですか!」

「それに……、色々勉強して頑張ったのに、大して気持ち良く無かったのかなぁ……。私の撫で方、そんなに下手だったとか……。やっぱりそれで、愛想を尽かされたのかも……」

 そこまで聞いた佐々木は、盛大に顔を引き攣らせた。


「先輩……、一体何の勉強をしていたと……」

「ブラシ使い」

「はい?」

「ジョニーは短毛種だから、豚毛のソフトタイプの一番良い奴を買ったのに……」

 てっきり店内で話題に出すには、きわどい内容なのかと思いきや、咄嗟に言われた内容が理解できなかった為、佐々木が困惑しながら問いかけた。


「あの……、短毛種って、何ですか?」

「だってジョニーは、アメショーだもん。アメショーは短毛種だし」

「『だもん』って……」

「アメショー?」

「要するに、猫……」

 沙織の話を聞いた男三人は、茫然と口の中で呟いてから、三者三様の反応を示した。


「ぶわははははっ!! 関本、お前っ! 男の話かと思えば、猫の事だったのかよ!」

「猫っ……、振られたって……」

「先輩、何事かと思いましたよ。別に良いじゃないですか。野良猫の一匹や二匹、来なくなった位で」

 朝永は腹を抱えて爆笑し、友之は口を押さえて必死に笑いを堪え、佐々木は心配して損したとでも言わんばかりに、呆れ果てた口調で応じた。それを聞いた沙織が勢いよく頭を上げ、目を血走らせながら彼に言い返す。


「何言ってんのよ! ジョニーはそんじょそこらの猫なんかじゃ、太刀打ち出来ない猫なのよ! ジョニー・ディップ並みにキリッとしてどことなく陰がある、苦み走った最高の近来稀に見るイケネコなんだから!!」

「イケネコっ……」

「駄目だ、こいつ」

 大真面目に主張する沙織を見て、友之は益々笑いの発作に襲われ、朝永は笑うのを通り越して盛大に溜め息を吐いた。そして佐々木が、何気無く友之を指さしながら沙織に尋ねる。


「じゃあ先輩、社内一のイケメンと言われている課長と比べたら、先輩はどっちが好みですか?」

「ジョニーに決まってるわ!」

 その即答っぷりに、思わず友之は笑いを収めて遠い目をしてしまった。


「そうか……、ジョニーはそんなにイケネコなんだ……」

「課長、微妙にプライドが傷付いてますか?」

「いや、猫と張り合おうとは思わない。次元が違い過ぎる」

「そうですよね……。佐々木。いらん質問をするな」

「すっ、すみません、課長!」

 慌てて佐々木が謝っている間に、沙織は再びテーブルに突っ伏し、声高に叫ぶ。


「ジョニ――! カ-ムバ――ック!!」

「もう黙れ! この酔っ払い!!」

「いった――い! 暴力反対ぃ――!」

 朝永が本気で彼女を小突き、益々収拾がつかなくなってきたところで、もう既に十分店に迷惑をかけていたのが分かっていた友之は、通りかかった店員を呼び止めた。


「お騒がせしてすみません。そろそろ引き上げますので、お勘定をお願いします」

「うわぁ……、ここまでダメダメな関本先輩、初めて見た……」

 そんな友之の向かい側で、朝永に延々と説教されている沙織を眺めながら、佐々木は彼女に対する尊敬の念が、一部崩壊しかかっているのを自覚していた。

 友之は会計を済ませながら店員にタクシーを呼んで貰い、すぐ目の前の通りにやって来たそれに、微妙にふらついている沙織を乗せてから、背後を振り返った。


「それじゃあ、お疲れ」

「すみません、課長。そいつをお願いします」

「ああ、大丈夫だ。俺は大して酔って無いからな。明日もあるし、二人とも気を付けて帰ってくれ」

「はい」

「失礼します」

 そして友之が乗り込んだタクシーが走り去るのを見送った二人だったが、佐々木が何やら不安そうに言い出す。


「大丈夫かな……」

「課長が付いてるし、大丈夫だろう。課長は紳士だしな」

「いえ、そういう意味では無くて……。先輩がこれ以上、課長に対して失礼な事を口にしたり、やらかしたりはしないかと……」

 それを聞いた朝永は、一瞬黙り込んでから、タクシーが走り去った方角に目をむけた。


「やっぱり、一緒に送っていくべきだったか?」

「もう手遅れです。俺達も帰りましょう」

「そうだな」

 若干の不安要素はあったものの、ここで悩んでいても仕方が無いと割り切った二人は、自宅に向かってゆっくりと歩き出した。





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