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酸いも甘いも噛み分けて  作者: 篠原 皐月


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(15)沙織の困惑と友之の躊躇

 大きなスーツケース持参で出勤した沙織は、当然職場内で注目の的となり、周囲から理由を尋ねられた。それに一応、大して心配する事は無いと説明しようとしたものの、友之があっさりと駅からの道のりでの出来事を暴露し、男所帯ゆえにいつもは沙織を女扱いしていないものの、心情的には娘や妹的な目で見ていた同僚達は、こぞって心配して彼女に詰め寄る。


「関本さん、本当に大丈夫かい?」

「それっていわゆる、ストーカーって奴じゃ」

「いえ、本当に大丈夫ですから! ほら、もうすぐ始業時間ですから、皆さん今日も一日、お仕事頑張りましょう!」

 取り囲む周囲を苦労して宥め、朝から精神的に疲労しながら仕事に取りかかった沙織だったが、昼前に更に状況が悪化する事になった。


「……関本、ちょっと来い」

「はい」

 少し前に席を立ち、どこかに行っていた友之が戻って来たと思ったら、自分の席の後ろを通り抜けざま声をかけてきた為、何事かと思いながら沙織は席を立った。その友之は険しい表情のまま自分の席に戻り、ギシッと椅子を軋ませながら乱暴に腰を下ろすと、自分の机の前に立った沙織に低い声で語り始めた。


「さっきお前に絡んだと言う男の職場に、電話してみた。こちらが迷惑している事を伝えて、あわよくばその男の上司から、注意して貰えないかと思ってな」

 それを聞いた沙織は、控え目に反論する。

「課長、幾ら何でも……。そんなプライベートな事に、職場の上司が口を挟むわけありませんよ」

「口を挟む以前の問題だった。その男は半年以上前に、そこを解雇されていた」

「は? 解雇? 退職では無くてですか?」

 それを聞いた沙織は思わず素っ頓狂な声を上げたが、先程から二人の会話に聞き耳を立てていた周囲の社員が、顔つきを険しくしながら立ち上がった。


「課長? それって……」

「今の話、どういう事ですか?」

「解雇なんて、穏やかではありませんね」

 そのまま集まって来た彼らの前で、友之が淡々と経過を説明する。


「最初、こちらの氏名を名乗って本人に繋いで欲しいと話したんだが、どうも様子がおかしくてな。結構待たされた挙げ句に『そのような名前の社員はおりません』とか言われたものだから、つい『こちらはその人物に多大な迷惑を被っているんです。下手に隠し立てするなら、然るべき法的手段を取らせて頂きます』と強く言ってみたんだ」

「課長……、何喧嘩売ってるんですか」

「明らかにプライベートなのに、職場の責任なんか問えるわけありませんよ」

 さすがに友之より年長の者達が口々に窘めたが、彼はそんな部下達に首を振りながら話を続けた。


「それは、重々承知の上だったんだが……。それで彼の元上司に電話が繋がって、一部始終を聞かされた。あいつは社内で二股をかけた上、経理担当の女に横領させて自分に貢がせていたらしい。それがバレて解雇と言うわけだ」

「はぁ? 何ですかそれは?」

「有り得ない……」

 沙織は勿論、周囲の者達は唖然としたが、友之は冷静に説明を続けた。


「因みに、どうしてそれが公になったかと言うと、その経理担当の女が、会社の資金管理口座からその男の口座に直接金を振り込んでいたのが、抜き打ち監査で露見したらしい。その話が社内に広がって、他に付き合っていた女が二股かけられていた事に気が付き、職場で乱闘騒ぎになったとか」

「どいつもこいつも……、頭悪過ぎですね」

 呆れ果てて無意識に感想を口にした沙織を軽く見上げながら、友之は話を締めくくった。


「その上司から『そいつには社として、横領額の返済を求めているところだ。しかし住んでいた部屋は家賃滞納の上退去して、行方が掴めない。退職後に奴が起こした面倒の責任など当社には無いし、寧ろ所在が分かっているなら教えて欲しい位だ』と怒鳴られた」

「……誠に申し訳ありません」

 思わず沙織が頭を下げると、友之が溜め息を吐いてから推論を述べる。


「お前が謝る筋合いでは無いが……、その男、お前にその金を払わせる腹積もりなんじゃないか?」

「どうして私が?」

「五日間でも付き合っていたからじゃないのか?」

「はぁ?」

 完全に当惑した沙織だったが、そんな彼女に彼は大真面目に言い聞かせた。


「関本。この際、常識は捨てろ。今話した通り、相手は非常識極まりない馬鹿だ。この半年の間に、今までに付き合った女に次々当たって、悉く肘鉄食らわされてお前の所に来たんじゃないのか? 佐々木が今日休みで良かったな。これを聞いたら、余計に大騒ぎしそうだ」

「…………」

 そこで沙織を含めた全員が振り返り、無言で佐々木の机を見やったが、ここで友之が予想外の事を言い出した。


「関本。お前の住んでいる所もバレている事だし、安全が確認できるまでは当面うちに泊まっていろ。さっきの電話のついでに両親にも電話で事情を説明して、了解を取った。それから帰りも絡まれない様に、父の車に同乗させて貰うからそのつもりで。因みに、今日の父の退社予定時間は七時だ。それに間に合う様に仕事に区切りを付けて、地下駐車場に向かうからそのつもりでいろ」

 流れる様に確定事項として告げられた内容に、沙織は慌てて反論しようとした。


「はい? いえ、あの……、課長のお宅と言うと、社長のお宅じゃ……」

「ああ。ホテルに連泊だと費用が馬鹿にならないだろうし、うちは客間もあるから心配要らない。朝は父の出勤時間と異なるから、俺と一緒に電車を使う事になるが。異存はないな?」

「ですが、あの課長」

「無いな?」

「……はい。お世話になります」

 有無を言わせない表情と口調で念押しされ、沙織は抵抗できずに頭を下げた。そんな彼女に、周囲から憐憫の視線が集まる。


「短期間とは言え、社長宅に居候……」

「しかも、社長の車に同乗って……」

「あの馬鹿野郎のせいで……」

「見かけても殴りに行くなよ? 取り敢えず、今日は仕事に集中しろ」

 頭を下げながら拳を震わせた沙織だったが、ここである事に気が付いて頭を上げながら友之に尋ねた。


「ですが課長。当面課長のお宅にご厄介になるにしても、ずっとそのままと言う訳にはいきませんよね?」

「ああ、だからうちに来て貰っている間に、対策を取る」

「対策……、因みにどのような?」

 訝し気に沙織が尋ねると、何故か友之は微妙に彼女から視線を逸らしながら、どこか嫌そうに告げる。


「正直に言えば、あまり借りを作りたくは無いんだが……。義理の従兄に頼む事にする」

「え? その『義理の従兄』さんは、警察の方なんですか?」

「いや、作家だ」

 端的に友之が答えた内容を聞いて、周囲は呆気に取られ、沙織は一同を代表して真顔で窘めた。


「……課長。作家さんに無茶ぶりは止めて下さい」

「確かに作家だが、荒事で遅れを取った事が無い位腕が立って、敵には微塵も容赦ないえげつない性格で、無駄に広くて脈絡が無さ過ぎる人脈を持っている、怖い位頭が切れるベストセラー作家だ」

「無駄に不安を煽るような情報を、ありがとうございます」

 大真面目に断言された沙織が、盛大に顔を引き攣らせながら答える。そんな彼女に端的に告げながら、友之は再び席を立って歩き出した。


「とにかく、早急に何とかする。皆は仕事をしていてくれ。またちょっと抜けるが、十分以内に戻る」

「はぁ……」

「分かりました」

 足早に部屋を出て行く彼を、部下達は呆然としながら見送ったが、その姿が見えなくなってから困惑顔を見合わせた。


「本当に、どうにかなるのか?」

「課長があそこまで言うんだから、大丈夫じゃないのか?」

「そうだな」


 そんな事を言いながら、友之の手腕を信用している同僚達は自分の席に戻って行ったが、沙織は釈然としない思いのまま、出入り口の方を見やった。


(手を打ってくれるのは助かるし嬉しいんだけど、なんか課長が凄く嫌そうな顔を……。頼む相手って、そんなに苦手な人なのかしら? 悪い事をしたわ)

 仕事ならまだしも、プライベートで迷惑をかける事になったと心底申し訳なく思った沙織は、せめて仕事はきちんと片付けようと、中断していた物に集中して取り組み始めた。

 

 一方の友之は、廊下を進んで突き当たりの、大きな窓がある所まで行くと、微妙に人目をはばかりながら電話をかけ始めた。


「清人さん? 友之です。今、時間は大丈夫ですか?」

「それは構わないが……。お前の方から、しかも平日のこの時間に電話とは、一体どうした?」

 義理の従兄に当たる柏木清人が、如何にも不思議そうに問い返してきた為、友之は密かに気合いを入れて会話を続けた。


「実は、緊急にお願いしたい事ができました」

 すると、途端に茶化すような声が返ってくる。


「ほぅ? それはそれは……。因みに女と男、どっち絡みだ?」

「部下の女性に纏わりついている男を、排除して欲しいんです」

「両方か。一応聞くが、それは部下兼、お前の女か?」

「……変な邪推は、止めて貰えませんか?」

 ただでさえ苛ついていた所に、ろくでもない事を言われて友之のこめかみに青筋が浮かんだが、相手の暴言は更に続いた。


「それで、纏わりついている男とやらは、お前より見た目が良いのか?」

「はぁ? 見た目も中身も、俺よりはるかに質が悪いですよ! あんた、俺に喧嘩売ってるんですか!?」

「そう怒るな。それなりに面白そうだな。話してみろ」

 どうやら興味は持ってくれたらしく、第一関門を突破した事で友之は何とか怒りを抑え込みながら、一連の出来事を説明した。


「なるほど。相当度し難い馬鹿らしいな」

「どうにかできそうですか?」

「度し難い馬鹿の相手は慣れているが、どこまでして欲しいかによるな。さすがに死体の始末は面倒だ」

 淡々ととんでもない内容を告げてきた清人に、友之は顔を引き攣らせながら言い返した。


「一応こちらは、真剣に相談しているんですが?」

「俺も真面目に、相談に乗っているつもりだが?」

「……失礼しました」

 怒りを内包した声で尋ねたが、それ以上に冷え切った声が返ってきた為、友之は肝を冷やしながら、反射的に頭を下げて謝った。


(相変わらず、どこまで本気で言っているのか分からない人だな)

 すると電話越しでも友之が神妙に頭を下げた気配が伝わったのか、清人がいつもの口調で、何やら考えながら提案してくる。


「そうだな……。それならその軽い野郎が、また彼女と遭遇したとしても、物理的に手も足も出ない状態にすれば良いか?」

「因みに、どの程度の怪我をさせるつもりですか?」

 思わず問い質した友之だったが、清人は如何にも心外そうに言い返した。


「怪我? 誰が手荒な真似なんかするか。俺は善良な一般市民だぞ? それは確かに向こうが暴れたら、取り押さえる為に擦り傷程度を付けるのは仕方ないがな。五体満足、入院治療無しで解放する事を約束する」

(誰が『善良な一般市民』だよ……)

 もの凄く胡散臭いものを感じたものの、特に他の対応策が浮かばなかった友之は、全面的に清人に任せてみようと腹を括った。


「因みに、どれ位で対応できそうですか?」

「そうだな……。必要な人員と物品を揃えて、きちんと詳細を詰めて、一週間強。長くても二週間というところか? その後で清算して、かかった経費をお前に請求する」

「それでは、その方法でお願いします」

「構わないが……、詳細を聞かないのか?」

 あっさりと依頼した友之に訝しげな声がかけられたが、彼はこれまでの付き合いで相手の性格を知り抜いていた為、冷静に答えた。


「この場面で清人さんが、素直に教えてくれるとは思えません。基本的に秘密主義ですし、事が全て終わったら教えてくれるつもりですよね?」

 そう断言すると、清人は楽しげに笑った。


「良く分かってるじゃないか。それじゃあその男の情報を、あるだけ渡せ。写真もあれば、なお良いな」

「分かりました。後からデータを送りますので、宜しくお願いします」

「ああ、任せろ」

 上機嫌に指示してくる相手に礼を言い、友之は通話を終わらせたが、この時点で早くも後悔し始めていた。

「……後が怖いが、仕方がないな」

 そう自分自身に言い聞かせながら、友之はスマホをしまって職場に戻った。


「関本、取り敢えず手は打ってみた。最長でも二週間で、何とかなりそうだ」

 再び沙織の背後まで歩いて行ってから友之が声をかけると、彼女は驚いて仕事の手を止め、身体を捻って友之を見上げてきた。


「本当ですか? あれをどうやって? 言って聞かせても、聞く耳持ちそうにありませんが」

「俺にも方法は分からないが……。まあ、五体満足入院治療無しで対応してくれるそうだから、十分平和的な解決方法の筈だ」

「自分でも信じていないような表情で言うのは、止めて頂きたいんですが……。何だか益々、不安になってきました」

 そう言って重い溜め息を吐いた彼女に、友之が言い聞かせる。


「気にしても仕方がない。話は終わりだ。退社時間を忘れるなよ?」

「はい、分かりました」

(うう……、社長の車で社長と課長と一緒に退社……。どうしてこんな、罰ゲームっぽい状況に陥る羽目に……)

 確かに詳細が分からない以上、気に病んでもどうしようもない為、沙織はすぐに気持ちを切り替え、仕事に没頭していった。



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