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酸いも甘いも噛み分けて  作者: 篠原 皐月


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(12)縁結びのラッキーアイテム

 怒り心頭に発した状態の上司に、逆らう事などできる筈も無く、沙織は手早く仕事に区切りを付けた後、友之に職場近くの居酒屋に連行された。

「それで?」

 諸々の注文を済ませて、向かい合って座った上司から、面白く無さそうにグラス片手に問われた為、沙織は神妙に口を開いた。


「木曽さんが《松原課長を密かに愛でる会》の会長ですから、松原課長を好きだったのはご存じかと思いましたが」

「それはまあ……、知ってはいたが? ここで長々と、その会の名前を口にするな」

 早くもうんざりしかけた友之に、沙織はさらりと付け加える。

「その木曽さんを、ずっと貴島課長が好きだったんです。それこそ、営業二課に居る頃から」

「……は? 最近の話じゃないのか?」

 思わず呆けた顔になった彼に、沙織が溜め息を吐きながらとどめを刺した。


「やっぱり、全く気が付いていなかったんですね……。当時の諸々の事情について、察して下さい」

「…………」

 すると友之は、視線を沙織から逸らしてあれこれと考えていたかと思ったら、片手で顔を覆いながらがっくりと項垂れた。そんな彼を少しだけ憐れむように見てから、沙織は先程由良から仕入れた情報を披露する。


「まあ、あれでどうにかできなかったら、どうしようもないヘタレでしたが、何とかなったみたいですよ? あのままの勢いで激励会会場に乱入して、プロポーズしたみたいですし」

 それを聞いた友之は、のろのろと顔を上げて疑わし気に尋ねた。


「本当か? 我に返った後の、貴島さんの八つ当たりが怖いんだが……」

「うまく纏まれば、そこら辺は大丈夫じゃないですか? 玉砕した場合は、八つ当たりは倍増かもしれませんが」

「おい!?」

 思わず声を荒げた友之だったが、沙織は小さく肩を竦めたのみで話を続けた。


「貴島課長が、よほど下手を打たなきゃ大丈夫でしょう。ですが……、あの二人を見て、ちょっと羨ましいかもって思いました」

「何が羨ましいって?」

「何年も変わらず、相手の事を好きって事です。良くそれだけのエネルギーがあるなと、本当に感心します」

 沙織が語った内容に、友之は意外そうな表情をしてから何気なく口にする。


「そういうものって、元々持っているものじゃなくて、恋愛をしていれば自然と湧いてくるものじゃないのか?」

「さすが、恋多き男は言う事が違う、……と言いたい所ですが、課長がこれまで付き合ってきた相手とさほど長続きしていなかった所を見ると、その類のエネルギーがあまり湧かない方ばかりと、お付き合いしていたんですね」

 何となく、どうでも良い人間ばかりと付き合ってきたのかと言われたように感じた友之は、少々気分を害しながら言い返した。


「喧嘩を売ってるのか? そういうお前はどうなんだ?」

 その切り返しに、沙織はそ知らぬ顔で答える。

「生憎とエネルギー皆無の、フリーズドライ女なもので。誰かからエネルギーを貰わないと、温かくなりませんから」

「堂々と開き直るな。それに今まではともかく、これからそういう恋愛をしたいとは思わないのか?」

「これからですか?」

「ああ」

 そこで沙織はテーブルにグラスを置いて真面目に考え込んだが、結果を出すまでそれ程時間はかからなかった。


「……面倒くさそうです」

 予想通りと言えば予想通りの反応に、友之は盛大に溜め息を吐いた。

「お前だったら、そう言うだろうとは思ったがな……。そんなに理想が高いのか?」

 何気なくそう尋ねると、軽く首を傾げた沙織が、あっさりと否定してくる。


「自分では、それほど理想が高いとは思っていませんよ? 現にこれまで付き合った男と比べたら、課長の方がはるかに仕事ができるイケメンですし」

「それは光栄だ。それなら俺と付き合ってみるか?」

「はぁあ?」

 何気なく叩いた軽口に、沙織があからさまに嫌そうな表情と声音で答えた為、友之は微妙にプライドを傷つけられた気分になった。


「例えで言ってみただけなのに、どうしてそんなにあからさまに、嫌そうな顔をするんだ」

 ムッとしながら問い質すと、沙織はここで微妙に話題を変える。

「前々から思っていたんですけど、課長って、何となくイメージが父に似ているんです」

 急に話題を変えられて戸惑ったものの、予想外の話の流れに、友之は思わず興味津々の顔付きになった。


「へえ? どんな所が?」

「頭が良くてバリバリ仕事ができるイケメンだって所がです」

「そうか……」

 断言されて悪い気はしなかった友之だったが、続く彼女の台詞で表情を変えた。


「だけど父って、救いようのない馬鹿でとんでもなく残念な男だったんですよね……。だから課長を恋愛対象にって、無理だと思います」

「おい、ちょっと待て!」

 そこで思わず声を荒げた友之だったが、沙織の話は容赦なく続いた。


「勿論、課長を救いようのない馬鹿で残念な男などとは思っていませんから、安心して下さい」

「そうじゃなくて! 普通は父親に似ていると、安心するものじゃないのか? 本当にお前の恋愛観は、どうなっているんだ!? 到底、納得できないんだが!?」

「人は十人十色です。私に関しては、こういう人間だと納得して下さい。あ、揚げ出し豆腐一つ追加でお願いします」

 友之の訴えを軽くスルーし、通りかかった店員に追加注文を頼む沙織の姿は、どこからどう見ても通常運転だった。


「……ただいま。急に食べて来るって連絡をして悪かった」

 沙織と別れて無事に自宅に戻って来た友之は、リビングで母親に出迎えられたが、幾分心配そうに尋ねられた。

「それは構わないけど……。本当にちゃんと食べて来たの? 何だか疲れているようだけど……。お茶でも飲む?」

「ああ、欲しいな」

「分かったわ。ちょっと待ってて」

 笑顔で台所に行こうとした真由美だったが、その背中に友之が声をかけた。


「あ、そうだ、母さん」

「何?」

「変な事を聞くようだけど、『頭が良くてバリバリ仕事ができるイケメン』と『救いようのない馬鹿でとんでもなく残念な男』って両立すると思う?」

「え?」

 振り向いて怪訝な顔を見せた母親に、友之は自分が口走った内容を頭の中で反芻して、真顔で謝った。


「……ごめん。何でもないから、気にしないでくれ」

「両立するんじゃない? 頭が良くても利口な人とは限らないし、仕事ができてもプライベートが穴だらけっていう人はいると思うし」

「そうか……」

 何気なく答えた真由美に駄目押しされた気分になりながら、友之は盛大に溜め息を吐いた。



 そんな事があってから、二十日ほど経過したある日。

 友之は定期的に不特定多数の女性社員から、些細な迷惑を受ける事態に陥っていた。


「おはようございます、松原課長!」

「……おはよう。申し訳ないけど、君は誰かな?」

 出社するなり、エントランスホールで待ち構えていた女性に元気よく挨拶され、友之が微妙に顔を引き攣らせながら応じると、彼女はそのままの勢いで叫ぶ。


「総務部三課の神楽橋綺羅です! 早速ですが、私、松原課長の事が好きです! 私と結婚して下さい!」

「いや……、気持ちは嬉しいんだが、君の事は全く知らないし、今のところ結婚する気も無いので……」

「そうですか、残念です。それでは今日の記念に、ハンカチを頂けませんか?」

 そんな事を期待に満ちた目で言われてしまった友之は、もうこれで何度目になるか分からない行為を繰り返した。


「……これで良ければ」

「ありがとうございます! 大事にしますね!」

 友之が差し出したハンカチを嬉々として受け取った彼女は、少し離れた所で固唾を飲んで見守っていたらしい友人達に走り寄った。


「やった! 松原課長のハンカチゲット!」

「良かったわね、綺羅」

「これできっと運が向いてくるって!」

 そんな風に盛り上がっている女性社員達を見ながら、続々と出勤してくる社員達が囁き合う。


「何か最近、流行ってるよな……。松原課長へのアタック玉砕が」

「俺、この前も見たが、全然松原課長に興味ないだろ、あの女達」

「でも、あのハンカチ、本当に霊験あらたからしいわよ?」

「お札かお守りかよ? 松原課長にしてみれば、迷惑この上ないだろうに」

「…………」

 そんなやり取りを耳にして友之が溜め息を吐いたところで、沙織がいつも通り挨拶してきた。


「課長、おはようございます」

「関本……、お前にはここ半月程の事について、少々物申したい事があるんだがな?」

 その内容を容易に察した沙織が、小さく溜め息を吐く。


「さっき、またハンカチを強請られていましたね……。朝からご苦労様です。でもこれは課長があの時、木曽さんにハンカチを渡した事がきっかけなんですよ? ですからある意味、自業自得ですから」

「あのな!? そもそもあれは、誰のせいだと思ってるんだ?」

「その直後、木曽さんが貴島さんと結婚を前提に付き合い出したので、社内で課長のハンカチが縁結びアイテムっぽくなったんじゃありませんか」

「そんな事、俺が知るか!」

 盛大に悪態を吐いた友之だったが、沙織はしみじみとした口調で話を続ける。


「それで、これまでお見合いに連戦連敗していた秘書課の塚田さんが、げん担ぎとして課長にプロポーズしてわざと振られて、貰ったハンカチを持参してお見合いに挑んだら、かなりの好条件の相手を捕まえちゃったんだから、その信憑性が一気に増しちゃったんですよね。本当に、偶然って怖いわ……」

「他人事みたいに言うな! 最初の二、三人は殊勝にも泣き真似位はしていたが、最近では笑顔で堂々とハンカチを要求されるんだぞ!?」

 一番腹に据えかねている事を口にすると、沙織は真顔で頷いた。


「基本フェミニストの課長が断れないのを良い事に、それはさすがに誉められた行為ではありませんね……。分かりました。せめてプロポーズして振られる時には目薬を使用するように、《愛でる会》経由で社内に徹底させましょう」

「そんな中途半端な気遣いなんか要るか!」

「あ、ハンカチで思い出しましたが」

 本気で腹を立てた友之に、沙織が何か言いかけた所で、新たな第三者の声が割り込んだ。


「松原」

 慌てて振り返った友之が、相手を認めて挨拶する。

「貴島さん? おはようございます」

「ああ。これを受け取れ」

「え? 何でしょうか?」

「ハンカチだ」

「……すみません、理由をお伺いして良いですか?」

 デパートの包装紙に包まれた薄い箱を差し出された友之が、本気で困惑して尋ねると、何故か貴島は微妙に彼から視線を逸らしながら、説明を始めた。


「その……、お前が構わないと言ったものの、あの時にハンカチを貰ってしまった事を明里が結構気にしていてな。だが洗って返すのも、お前の心遣いを無にする事になるから、新しいハンカチを買って渡そうと思ったらしい」

「そうでしたか。却って気を遣わせてしまって、申し訳ありませんでした」

「だが明里が、自分が買って渡したら俺が嫉妬しそうだから、できれば俺が選んでお前に渡してくれないかと言い出してな。だから受け取れ」

 どうやら照れているらしい貴島の顔を眺めて、どうやら明里と上手くいっているらしいと察した友之は、自然に笑顔になってその箱を受け取った。、


「……なるほど、そう言う事でしたか。それではありがたく頂きます」

「課長、私もハンカチを持って来たんです。貰って下さい」

「え? どうしてだ?」

 ごそごそと鞄の中を漁りながら言い出した沙織に、友之は勿論貴島も怪訝な顔で見やると、白いビニールの手提げ袋を取り出した彼女が、大真面目に言い出した。


「最近、社内の女性に、何枚もハンカチをせびられているじゃありませんか。気の毒だと思っていたら、元カレから貰ったハンカチの事を思い出したんです」

「貰った?」

「はい。彼が『貰ったけど趣味じゃないし、男物だけど良かったらやる』と言われて、タダなら良いかと思って貰ったものの、それきり忘れてしまい込んでいまして」

「…………」

 それを他人に渡すのはどうなんだと、男二人が微妙な顔をしていると、沙織はさっさと友之にそのビニール袋を押し付けた。


「今回の事で、思い出して良かったです。そういう訳ですので、有効活用して下さい。それでは先に行ってますので」

 そして軽く一礼して歩き去る彼女を見送りながら、貴島が呆れ気味に問いを発した。


「あれはお前の部下だよな?」

「……ええ」

「部下の教育位、きちんとしておけ。何なんだ、男からの貰い物を上司に押し付けるって」

「彼女に悪気はありませんから、……多分」

 一応沙織を庇った友之を見て、少々同情する眼差しになった貴島は、何事も無かった様に職場に向かって歩き出した。


「それじゃあ、渡したからな」

「はい、木曽さんに宜しくお伝え下さい」

「……ああ」

 最後は少々照れくさそうに返してきた貴島に、友之は密かに笑いを誘われながら、気を取り直して自分も職場へと向かった。


 その日、帰宅して夕飯を済ませてから自室に入った友之は、持ち帰った書類に目を通そうとして、鞄の中に入れて来た白いビニールの手提げ袋に気が付いた。そして苦笑しながらそれを取り出し、中身を確認する。


(以前の男からの貰い物か。関本らしいと言えばらしいが。え? これは……、PaulSmith?)

 しかし袋の中から出てきた、濃紺のペーパーバッグの表面にしっかり印字されているロゴを見て、友之は戸惑った。そして表裏を確認してから封を開け、中身を取り出してみたが、その結果、彼の困惑が一層深まる。


(このペーパーバッグを見ても純正品としか思えないし、正規のルートで購入された物って事だよな? 正確なところは分からないが、これだと一枚五百円とか千円では買えない物だと思うが……)

 ハンカチを手に真剣に考え込んでしまった友之だったが、ここで真由美が軽くノックをしてから部屋に入って来た。


「友之、洗濯物を持って来たから、片付けておいてね? それから、日中にアイロンをかけたハンカチを引き出しにしまっておいたんだけど、最近随分ハンカチの数が減っていない?」

 運んできた洗濯物をベッドに置きながら、不思議そうに彼女が尋ねてきた為、友之は笑って誤魔化してから、頼み事を口にした。


「ああ、ちょっとね。それから、白で安い物で良いから、ハンカチをまとめ買いしておいてくれると助かるな。最近消耗品になっているから」

「消耗品? ハンカチが?」

「取り敢えず、これも洗濯しておいてくれるかな」

「ええ、それは構わないけど……」

 差し出された新品のハンカチを、真由美は怪訝な顔をしながらも受け取り、それ以上は何も言わずに部屋を出て行った。


(取り敢えず、貰った物は消耗品扱いにはできないしな。この際、安物を準備しておこう。全く……、とことん無神経なのかと思いきや、偶にこういう事をしてくるから……)

 そして友之は空になったペーパーバックを見下ろし、次いで例の沙織の動画を見ながら、ひとしきり笑っていた。



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