(112)披露宴にむけてのあれこれ
友之と沙織の披露宴の打ち合わせに、関本家側の代表として出向いてきた豊を、松原家の面々は笑顔で出迎えた。
「一之瀬さん。本日はお休みのところご足労いただき、ありがとうございます」
「いえ、色々思うところがありましたが、無事に対外的な結婚披露宴を開催する運びとなり、こちらも安堵しております。この件に関しては私が実家の母から一任されておりますので、なんでも仰ってください」
「ありがとうございます。それでは真由美、詳細の説明を頼む」
「はい。それでは開催日時と会場からご説明します」
ソファーに豊と沙織が並び、その向かい側に真由美と義則が座る。その横に置かれた一人がけのソファーに座った友之が見守る中、真由美が話し始めた。そして一通り真由美が説明を終えると、渡された用紙を確認しながら豊が頷く。
「これまでお伺いした中で、特に再考の必要がある点はないと思います。現時点で確認しておかないといけない内容はこれくらいですね。期日が近くなれば、改めて詳細について詰める必要がある事柄が出てくるかと思いますが」
「そうですね。それにしても、お兄様はさすがに既婚者ですわね。段取りが一通り分かっていらっしゃるので、話がどんどん進んで助かります」
「私の結婚の時も実家の母は殆ど手を出さず、私と柚希で諸々を決めましたから。一度経験しているので、関本家側の親戚関係の取りまとめは、私の方で滞りなく進めておきます。あまり日程に余裕がありませんし」
「豊、お願いね」
「よろしくお願いします」
ここまで無言を保っていた沙織と友之が頭を下げると、豊は二人に目を向けながら真顔で忠告してくる。
「元々そのつもりだったから構わないが、当日揉めないように親父とお袋の席をどうするのか熟考しておけよ? 言うまでもないが、それがこの披露宴における最重要課題かつ最大の懸念だ」
「……それは重々分かっているから」
「肝に命じておきます」
(間違いなく、これが披露宴における最大の不安要素なのよね)
沙織と友之が揃って顔を強張らせていると、真由美が座ったまま僅かに身を乗り出して問いを発した。
「話は変わりますが、一之瀬さんに少しお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょうか?」
「針金製のハンガーと、プラスチック製ハンガーを捨てる場合の収集日をご存じですか?」
その問いかけに、豊は意表を衝かれながらも律儀に応じる。
「はい? ハンガーを捨てる時の収集日ですか?」
「はい。勿論、今現在一之瀬さんがお住まいの地域での収集日で構いません」
「はぁ……。それであれば、針金の物は金属ごみの日になりますので第2・第4木曜日で、プラスチック製は燃やすごみなので、毎週火・金ですね」
「それなら、クーラーボックスは?」
「一辺が30cm以下であれば燃やすごみで毎週火・金、30cm以上であれば粗大ごみで回収を依頼します」
「それでは、プラスチック製の食品トレイならどうですか?」
「汚れを落としたものは資源ごみなので、毎週月曜回収。汚れを落とせない物は燃やすごみで毎週火・金が収集日ですが……。あの……、それがどうかされましたか?」
さすがに訝しげな表情になった豊だったが、ここで義則が妻を制した。
「真由美、いい加減にしろ。一之瀬さん、いきなり変な事をお聞きして申し訳ありません。妻は最近息子の再教育と称して、ごみの分別と回収日のテストをしておりまして。世間一般の同年代の男性が、どの程度それらを把握しているのか確認したかったのです」
「本当にできる殿方というのは、こういう所で差がつくものだと感心いたしましたわ! さすがは沙織さんのお兄様ですね!」
義則は神妙に謝罪したが、その隣の真由美は笑顔で豊を褒め称えた。そこで事情が分かった豊は、苦笑いで応じる。
「はは……、恐縮です。ですが私の場合、母が仕事を持っていて忙しく、子供の頃からできることは自分でするをモットーに育てられましたので。兄弟全員、自然にごみ分別の仕方や回収日を覚えましたから」
「さすが女手一つで三人のお子さんを育てた方は、心構えが違いますね。子供の頃から自立心を育まれるなんて。因みに、他の家事とかもなさいますの?」
「私は一通りできますし、その時点で私と妻のどちらかの手が空いている方が、家事をこなすことにしております。二人でこなす場合もありますし」
「さすがですわ! それなら妊娠中の奥様がこれから出産育児中、一之瀬さんが十分サポートできるから心配要りませんわね! 育休も取得するおつもりでしょう?」
「はぁ……、それは勿論そのつもりですが……」
感心しきりの真由美と冷静にと会話していた豊だったが、ここでなぜか困惑顔になった。それに違和感を感じた沙織が、思わず口を挟む。
「豊、どうかしたの? 柚希さんのお母さんが実家から来てくれるから、それほど育休を取らなくて済むとか?」
「いや、そうじゃなくて、親父が育休を取る気満々なんだ」
「…………」
そこで室内に微妙な沈黙が漂い、沙織は少し考え込んでから怪訝な表情で確認を入れた。
「……ちょっと待って、どうしてそうなるのよ? 柚希さんのお腹の子供は、豊の子供だよね? 和洋さんの子供じゃないわよね?」
それを聞いた豊は、さすがに気分を害したように言い返した。
「真顔で馬鹿な事を口走るな。勿論、俺の子供に決まっている。今のは言い間違っただけだ。つまり、親父は初孫の育児を理由に、社長業務を部下に丸投げできることは丸投げ、他はリモートワークに切り替えを目論んで、着々と準備を進めているんだ」
苦々しげに告げられた内容を聞いた沙織は、呆れ返りながら問い返した。
「丸投げって……、仮にも代表取締役がそんなことで良いの? それにそんな事が可能なの?」
「可能かどうかと言われたら、可能だな。親父は独り暮らし歴が長い上に、『万が一お袋が家に立ち寄った時に綺麗に整っていないと、また愛想を尽かされる』との強迫観念から家事は完璧だし。少し前にお前が親父の所で世話になった時、急に出向いたのに埃一つ無かっただろう?」
「確かに無かったわね。料理も手の込んだ美味しいものが、山ほど出てきたわ」
「秘書の香川さんから聞いたんだが、社長室のパソコンには、既に離乳食ファイルが作ってあるそうだ」
「どれだけ先走ってるのよ……。初孫誕生に向けて、脳内麻薬が放出しまくりってことね」
沙織は父親の暴走ぶりに頭痛を覚え、豊は沈鬱な表情のまま話を続ける。
「もう社内では、実際の育休ではないが《社長育休シフト》運用に向けて、着々と準備が進んでいるんだ。それで親父が『お前は安心して現場を仕切っていろ!』と高笑いしていた。父親の俺の立場は……。万が一、産まれた子供が親父を見て『パパ』とか言い出したら、俺は失踪するぞ」
「豊、気を確かに。和洋さんに悪気があるわけじゃないんだからね?」
「それは一応、分かってはいるがな……」
豊が愚痴っぽく呟いて話を終わらせると、一連の話を聞いていた真由美が心底感心した声を上げた。
「やはり先進的な事業を己の才覚と身一つで興すような方であれば、色々と心構えが違いますのね! 私、一之瀬さんのお話を伺って、すっかり感動してしまいましたわ! 旧態依然の家で申し訳ありませんが、沙織さんをお迎えしたからには、これからどんどん良い方に家風を変えていく所存ですので、今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ『女手一つで育てたもので、色々と至らないところがあるかと思います。遠慮なくご指導ください』と母が申しておりました。改めて、よろしくお願いいたします」
「まぁ、そんな事を仰らなくても! 沙織さんはしっかりしておりますから、殊更私が教える事などありませんわ!」
神妙に頭を下げた豊に対し、真由美が満面の笑みで断言する。しかし沙織と友之は、先程から黙りこくっている義則を横目で見ながら気が気ではなかった。
(あぁ……、なんだかお義父さんが心なしか項垂れている気がする……)
(確かに豊さんもお義父さんも、家事は完璧みたいだからな。俺と父さんでは、勝負にもならないだろう……)
それぞれの家庭事情が異なるからには、家事云々の運営状況が異なるのは致し方ないものの、それから少しの間、沙織と友之は居心地の悪い思いをすることになった。
「あれ? 豊?」
無事に打ち合わせも終わり、玄関先で兄を送り出してから暫くして沙織が自室で寛いでいると、自身のスマホに電話がかかってきた。沙織はディスプレイに表示された名前を確認し、不思議に思いながら応答する。
「もしもし? さっき別れたばかりなのに、ここに何か忘れ物でもしたの? 気がつかなかったけど」
すると豊は、電話越しに淡々と告げてきた。
「違う。さっきはそちらのご両親がいたから、口には出さなかったがな。声が聞こえる範囲にご両親はいるか?」
「いないわよ。自分の部屋だし」
「じゃあ旦那に伝言しておいてくれ。あの女が披露宴に介入する可能性はゼロだし、未来永劫、お前達の周囲に現れる事はないとな」
「随分、単刀直入に言ってくれるわね」
思わず苛立たしげに応じると、豊が少々不機嫌そうに言葉を継いでくる。
「まさか『あの女』と言っただけではどの女のことか分からないとか、ふざけた事を言わないよな?」
そんな事を言われた沙織は、さすがに腹に据えかねて盛大に言い返した。
「友之さんが複数の女性と問題を起こしているような、人聞き悪い事を言わないでよ! それくらい当然分かるし、あの女が別件の傷害事件の執行猶予中に事件を起こしたから、収監されたままなのは知ってるもの。だから披露宴をぶち壊せる筈がないのは分かるけど、未来永劫あり得ないってどういうこと? まさかとは思うけど、物騒な話ではないでしょうね?」
「勿論、殺したりはしないから安心しろ。今だから言うが、沙織が怪我をさせられて一時意識不明になった時、親父がキレまくってな。俺が知らない間にある所に相当金を積んで、あの女の排除を依頼したんだ」
「ちょっと待って、豊。何よ、その『相当金を積んで』とか『排除』とかって。物騒な響きしかないんだけど!? 一体、どこに何を頼んだのよ!」
一気にきな臭くなってきた話に沙織が声を荒らげると、豊が若干声を低めながら説明してくる。
「CSCにおける、某優良顧客企業。そこの先代社長に気に入られた親父が気前良く開業資金を全額出して貰って、主だった顧客を紹介して貰って以降の付き合いのある、表向きは健全企業だ」
「『表向きは』って……、じゃあ実際のところは?」
「裏で色々ヤバい所に繋がっている、素人が下手に手を出したら色々な面で終わりな暗黒企業だな」
「豊!?」
なんて所にどんな依頼をしたのかと、一気に沙織の血の気が引いた。しかし豊は平然と妹を宥めにかかる。
「安心しろ。錯乱した親父の話を笑って聞き流した現社長が、親父を宥めて落ち着かせて帰宅させてから、以前から親父を介して面識があった俺に、確認の電話をしてきたんだ。『お父上がこう言っていたが、その女、本当にあと腐れなく綺麗さっぱり消した方が良いか?』とな。慌てて『親父が錯乱してお騒がせしました。こちらで対処しますので、お手を煩わせるつもりはありません』と平身低頭謝罪したぞ。そうでなければあの女、とっくに取り調べ中に警察署内で変死している」
「今の話のどこに、安心する要素があるのよ!?」
「その後、俺と柚希とであの女の過去から今に至るまでの、ありとあらゆる情報を集め終わった頃、その社長から再度電話があってな。『色々調べて、相当タチが悪い女だと分かった頃合いだと思うが、その女の処理を任せてみないか? 殺さずに、二度と妹さんの視界の範囲に入らないようにしてみせるぞ』と言われたので、正直俺の手に余ると考えていた所だったし、言い値で依頼料を支払った。どうやら向こうでも興味を持ったらしく、独自に調べたらしいな。その時にこちらのデータも全て向こうに渡したが」
「どうしてそんな怪しげな所に、怪しげな依頼をするのよ……」
二人揃って何を考えているのかと、沙織は頭痛がしてきたが、豊の話はまだ終わらなかった。
「そこは客を選ぶが、一旦依頼を受けたら完璧に依頼内容を遂行するからな。その筋では信用度は抜群だ。だから未来永劫、あの女がお前達に関わることはない。安心しろ」
「なんだかもう、言葉がないんだけど……」
「それに伴って、お前に断っておくことがある」
「……まさか、今までの話は前振りなの? 今度は何よ?」
激しく嫌な予感を覚えた沙織は慎重に問い返したが、兄の返事は思った通りろくでもなかった。
「実は披露宴会場が大栄センチュリーホテルだというのは、そちらのお義母さんから説明する前に知っていた。事情があって、さっきはそ知らぬふりしたがな」
「え? どうして?」
「あの襲撃事件のあらましと裏事情を知った社長夫妻が、お前達にいたく興味を持ったらしくてな。社長は披露宴会場の大栄センチュリーホテルにも相当顔が利くらしく、そこから情報を得ていたらしい。それで『是非妹さんの披露宴に招待して欲しい』と言われたんだ。それで親父が快諾して、既に披露宴招待客リストに入れている。以上だ、切るぞ」
「え? ちょっと豊!? その社長夫妻と私は、面識もないし関わりもないんだけど!? あ、もう切れてるし! 本人の意向丸無視で、何をやってるのよ馬鹿豊! 一体、どんな物騒な客を呼ぶつもりなのよ……」
慌てて反論しようとした沙織だったが、既に一方的に通話が切られた後であり、憤然として悪態を吐いてから項垂れた。すると軽いノックの音に続いて、友之が怪訝な顔で現れる。
「沙織? さっきから何やら声を荒らげていたみたいだが、どうかしたのか?」
「あ、ええと……、そんなに声が廊下に響き渡っていた?」
「はっきり内容が聞こえていたわけではないが……。どうかしたのか?」
不思議そうに友之に問われた沙織は、少々言いにくそうに告げた。
「その……、要するに、披露宴に私と直接関わりがないけど、和洋さんと豊の付き合いで出席をお願いする某社長夫婦がいるからって、豊が断りを入れてきたのよ」
「ああ、それならお互い様だ。こっちも親父の会社関係で呼ばなくてはいけない人間がいるからな」
「それから、その招待する社長さんのお陰で、あの女が未来永劫私達の前に現れることはないそうよ」
安堵しながら頷いた友之だったが、続く沙織の台詞を聞いて、瞬時に笑みを消して眉根を寄せる。
「……なんだそれは? あの女というのは、当然誰の事かは分かるが。どういう事だ?」
「私にも詳細は分からないから、知りたかったら豊に直接聞いて。またはその社長さんが披露宴に来たときに尋ねるとか」
「そんな怖いことができるか!?」
「そうよね……。じゃあ心の平穏のために、今の話は聞かなかったことにして。はい、これでこの話は無事終了」
「待て! そこで話を終わらせるな!」
「仕方がないでしょう!! 私だって、ここで話を強制終了させられたのよ!? 何をどうしろって言うのよ!」
友之は顔色を変えて迫ったが、当然沙織にも詳細が分かる筈もなく、得体のしれない不安を抱えながら披露宴の準備を進めていくこととなった。




