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酸いも甘いも噛み分けて  作者: 篠原 皐月


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105/128

(105)対決

「これだから素人さんは……。普通に画面から消去しただけで、安心しているんだからな。まあ、普通の人間に復元できる筈も無いから、通常であれば支障は無いだろうが。後ろ暗い事をしでかした割には、迂闊過ぎるな」

 目の前のローテーブルに些か乱暴に置かれたそれらを、友之は慎重に手に取った。それから目を通し始めた彼は、ある程度の予想はしていたものの、その徹底した調査ぶりに驚くのを通り越して感心してしまった。


「以前お聞きした、柚希さんを含めた監査課の方々のお仕事ですか?」

「ああ。良い仕事をしているだろう?」

「そうですね。さすがです」

 そして引き続き書類に目を落としている友之に向かって、豊が冷えきった声で淡々と続ける。


「例の女は、今回間違いなく起訴されるだろうが、裁判はどうなるんだろうな? これを出したら情状酌量が認められる可能性もあるが、犯罪行為により入手した物は証拠として採用されない。もとより正当な入手経路で得たとしても、あの女の利益になるような行為をするつもりは無いが」

「そうですね。裁判では使えませんね」

「裁判で使えなくても、色々使い道はあるがな。松原工業にとってはとんだスキャンダルだし、弁護士と司法書士は国家資格剥奪だけで済めば良いが。そうは思わないか?」

「…………」

 その問いかけに友之は顔を上げ、お互いに無表情のまま相手の反応を探るように睨み合った。しかし少ししてから、豊が軽く肩を竦めながら言い出す。


「まあ、俺も鬼ではないし、自分の行為をきちんと認識していた当事者達はともかく、無関係の大勢の社員に迷惑をかけたり、不利益を被らせるのは本意ではない。こちらの条件をお前が飲んでくれたら、これらは全てお蔵入りにしても良い」

「どんな条件でしょうか?」

「沙織ときっぱり別れて貰う。ついでに松原工業も退職させて、CSCうちに再就職させる」

「お断りします」

 即座に拒否した友之に、豊が不敵な笑みを見せた。


「即答か。良い度胸をしているな」

「豊さんが仰りたい内容は、ある程度予想が付いていましたので」

「それで堂々と乗り込んで来た事は誉めてやるが、生憎と手心を加えるつもりは無い」

 相手が本気であるのが明確に理解できた友之は、単なる弁明だけではまともに聞いても貰えないと判断して立ち上がった。そしてローテーブルを回り込み、豊に近付いてからスリッパを脱いで床に両手両膝を付き、彼に向かって深々と頭を下げる。


「全て、私の不徳の致すところです。豊さんには今回の事で大変ご心配をおかけした上、過去の事で大変不快な思いをさせて、誠に申し訳ありませんでした。ですが今後は間違っても沙織を危険な目には合わせませんし、誠心誠意」

「ガタガタうるせえぞ」

「……っ!」

「これまでにも長続きしないとは思っていたが、沙織の男を見る目と男運の無さには、今回ほとほと呆れたな」

 口上の途中で豊が立ち上がったと思ったら、友之の後頭部がいきなり上部から勢い良く押し付けられる。完全に不意を衝かれた友之は、自身が床に額を打ち付けた衝撃とその音に、一瞬思考が停止した。しかしすぐに豊の立ち位置から、彼の足で後頭部を踏みつけられていると察し、何とか気を取り直しながら言葉を返す。


「今回確かに、誉められない行為をした自覚はありますが」

「自覚はあっても、改める気は無いだろう?」

「豊さん。顔を見てお話ししたいので、足を退けて貰えませんか?」

「断る」

(話にならない。だが、まさか沙織の兄を殴り倒すわけにもいかないし、どうしたものか……)

 勿論友之には好き好んで踏まれたがる趣味など無く、やろうと思えば力ずくで足を退かして反撃は可能だったが、乱闘に及んだ場合にどう考えても状況が悪化するとしか思えない事態に、彼は本気で進退窮まった。しかしここで、何やらインターフォンの呼び出し音が聞こえたと思ったら、廊下から物音が伝わってきたが、それが徐々に大きくなってくる。


「沙織さん、どうして」

「マンションに入る方に便乗しました!」

 そして半ば揉めながら廊下を進んだ沙織と柚希は、殆ど一塊になって緊迫感張り詰めているリビングに乱入した。


「豊! 友之さんが来ているわよね!? 柚希さんに聞い……、はあぁ!?」

「豊! あなた一体、何をやってるの!」

 飛び込んできた二人は、土下座している友之の頭を豊が踏みつけているという予想外の光景を目の当たりにして激しく動揺したが、

当の豊はそのままの体勢で平然と応じた。


「何だ。騒々しいと思ったらお前か。今、こいつに引導を渡しているところだから、邪魔をするな。部外者のくせに、身内面されるのは噴飯ものだ。事実婚で良かったな。今回後腐れなく、綺麗さっぱり」

「ふざけないで! 部外者はそっちよ!」

「何だと?」

「沙織さん! 豊を刺激しないで!」

 沙織が怒鳴り返した途端、豊が不愉快そうに顔を歪め、柚希は焦りながら彼女を宥めようとした。しかし沙織は、そのままの勢いで続ける。


「さっき、友之との婚姻届を区役所に提出してきたの! 無事に受理して貰って、入籍済みなんだから! 隠し事とか女性問題とか、これはどう見ても夫婦間の問題よね!? 分かったら、単なる兄弟なんて部外者は引っ込んでて! 友之を足蹴にして、踏み付けして良いのは私だけよっ!!」

「へぇ? 『単なる兄弟』の『部外者』とは……、言ってくれるな」

「………………」

 柚希と床に頭を押し付けられたままの友之が、あまりの急展開に物も言えずに唖然としていると、豊はは眼光鋭く妹を睨み付けながら短く命令した。


「離婚届を出せ」

「ガタガタ五月蝿いわね! とにかく、その足を退けろって言ってるのよ!」

「沙織、お前……」

 取り付く島の無い兄の様子に、早々に痺れを切らした沙織が半ば体当たりして豊を押し退け、頭を上げた友之の前で座り込みながら勢い込んで尋ねた。


「大丈夫!? 怪我はしてない!?」

「ああ、踏まれただけだ」

「踏まれただけって……、豊! 本当に何してくれてるの!?」

 変なトラウマにでもなったらどうしてくれると、怒りの形相で振り仰いだ沙織だったが、対する豊は相変わらず冷えきった視線を向けるのみだった。


「お前の男を見る目の無さは、前々から分かっていたつもりだがな」

「悪かったわね! 否定はしないけど放っておいてよ!」

「沙織さん。友之さんが気の毒だから、少しは否定してあげて」

 思わず友之が不憫になった柚希が口を挟んだが、兄妹の舌戦は続いた。


「親父と同じで、ろくでもない事で躓くタイプだったとは、呆れ果てて言葉も無いぞ」

「さっきからベラベラ喋ってるじゃない!」

「さっき『夫婦間の問題』とか言ったか?」

「言ったわよ。それが何!?」

 憤然とした沙織が立ち上がりつつ言い返したが、豊は嘲笑ぎみに言葉を継いだ。


「それから『足蹴にして、踏み付けして良いのは私だけ』とかも言ったよな?」

「それがどうかした? 妻である私の権利よね? 当然じゃないの!」

「それなら、今後こいつがヘマをしでかしたら、お前が責任を持って足蹴にして踏みつけてやるんだよな?」

「え?」

 立ち上がるタイミングを逃し、未だに座り込んでいる友之を指差しながら豊が確認を入れてきた。それを聞いた沙織は反射的に友之を振り返ってから、今までの勢いを綺麗に消し去った顔で弁解する。


「ええと……、確かにそれはそうだけど、友之さんもそれほど頭は悪くないし、そうそう下手は打たないと思うけど……」

「夫婦は一蓮托生と言うし、こいつをしっかりお仕置きできない場合は、お前も纏めて制裁確定だな。その覚悟はあるんだな?」

「…………」

 薄笑いを浮かべながらの脅迫じみた台詞に、沙織の顔が強張ったが、豊は全く容赦なかった。


「有るのか無いのかはっきりしろ」

「有るわよ! 今後はしっかり友之さんのやることなすことに目を光らせておいて、もしヘマをしたら責任を持って私が制裁を下すから、安心して頂戴!」

 半ば自棄になりながら沙織が宣言すると、豊が如何にも面白く無さそうな顔で、二人を追い払うように片手を振りながら言い放った。


「分かった。それなら取り敢えずお前に任せるから、責任を持ってそいつを飼い慣らせ。きちんと躾られなかったら、今度こそ一蓮托生でお前も制裁対象だ。そいつを連れて帰って良いぞ」

「そうですか。それじゃあお邪魔様! さあ、友之さん、帰るわよ!」

「あ、ああ……。豊さん、柚希さん、お邪魔しました」

「いえ……、大してお構いもしませんで……」

 この間、口を挟む隙が無かった友之は事態を傍観するしか無かったが、半ば強引に手を引かれて腰を上げた。そして顔を引き攣らせた柚希に見送られ、二人は玄関を出て歩き出した。


「全くとんでもない……。下で待機してくれているお義父さんに、何て報告したら良いのやら……」

 沙織が項垂れながら愚痴っぽく呟いた内容を聞いて、友之は並んで歩きながら驚いた顔を向けた。


「父さんも来ているのか?」

「薫からの『豊がキレているらしい』という電話を聞いて、慌てて階段を踏み外しちゃったものだから、心配して送ってきてくれたのよ」

「踏み外したって、怪我は? 大丈夫か!?」

 慌てて問いかけた友之に、沙織は平然と答える。


「この通りピンピンしてるわよ。それで豊が横槍を入れてくるのを撥ね付ける為に、勝手に入籍しちゃってごめんなさい」

「それは構わないが……。沙織は良かったのか?」

「いつかは入籍するつもりだったから、構わないわ。それよりも、どうしたものかしら……」

「何か困った事でもあるのか?」

 思わず心配そうに尋ねた友之だったが、沙織は真顔のまま続けた。


「子供が生まれて大きくなった時、『結婚記念日はどうしてこの日になったの?』とか聞かれたら、どう説明したものかと思って。普通は入籍日を結婚記念日にすると思うけど、その理由を『伯父さんに踏みつけられたお父さんを救出する為に入籍した』とか、正直に言えないじゃない」

「……ああ、そうか。確かにそうだな。子供か」

 沙織の話を聞いて、友之は一瞬呆けた顔になってから、クスクスと笑いだした。しかしその反応を見た沙織は、ムッとした顔になって文句を付ける。


「あのね、笑い事じゃ無いんだけど!? それにお義父さんとお義母さんに、どう説明すれば良いのよ!」

「それは沙織の早とちりと、心配性が過ぎただけだと謝るさ」

「納得できない! 昔と今のヘマしたのを豊に掴まれて、蛇に睨まれた蛙状態だったくせに!!」

「うん、哀れな蛙を救出してくれた奥様には、海より深く感謝してる。これからは何でも言う通りにするから、ご指導よろしく。俺が何かやらかしたら、遠慮なく踏みつけて良いから」

「するかぁぁっ!! もう本当に、こんな騒ぎはこれっきりにしてよ!?」

 本気で叱りつけてくる沙織を満面の笑顔で宥めながら、友之は義則が車で待機している駐車場に向かった。


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