詐欺師の孝は孤児院で幼い兄妹に出会い、リストラされて逃げた父親を詐欺まがいのやり方で超優良企業に再就職させ、兄妹の離散した家族を取り戻す。「幸せは片想い」
詐欺師の孝
「申し訳ありません。こちらの間違えです。お手数ですが請求書は破棄して下さい。」
何か不景気になりやがったなと思い、今月3回目の間違い電話を数えた。ただ大手会社の経理に飲み屋の請求書を送っただけの商売である。
1社で1万から2万円の請求金額である。実際には飲んでも何もしてない空請求である。それを毎月20社に請求すると、大抵は何ごともなく月末に機械的に送金してくれる。請求社リストはもう300社を数え、それを忘れた頃合を見計らって1年に1回、会社の規模からして経理でも誰の何の為の接待かも気にも留めない金額を毎月20社に請求している。
毎月の収入30万円を確保することが出来る簡単な詐欺である。
景気も悪くなってどこの会社でも細かい接待費などのチェックが厳しくなっているようだ。少し工夫するかな。
こんな詐欺紛いな商売を生活の一部にはしているが、詐欺は詐欺でも振り込め詐欺や俺々詐欺と私がしている商売は違うと変なところで臆病なのである。
バレても間違えましたと誤っていれば事を大きくするほどの詐欺ではない。犯罪の性格が極めて犯罪らしくない詐欺を生業にしている。
怪しい商売はこれにとどまらない。近隣のいわゆる山の手の高級住宅街を相手に介護ではない潜りの介護らしいビジネスも手掛けている。簡単に言えば何でも屋である。
犬の散歩、買い物、食事や洗濯、庭の手入れなどである。もちろん1人ではこなせない商売で労働者は主に時間を持て余したパート主婦で、全くの素人なところが妙に親切でお得意さんから喜ばれている。もちろん時給などの見入りはそれなりによい。
これを仲間と手分けしてやっている。儲けは折半であるが、かなりおいしい収入源になっている。
他にも金融ブローカーや司法書士紛いの申請手続きの代行も頼まれてすることがあるが、通信費や交通費を考えると余り喜ばれる商売ではないが、それはそれで使い道を考えている。
世間体にはアウトローを気取った気楽な商売で、多くを望まなければ、それはそれで気楽に生きているといえる。毎月貯蓄もできるのでもう1年位は食っていけるくらいの金額は蓄えていることになる。
ここだけは堅実な生活なのである。
今月も1人で生きていく分には十分な稼ぎになった。
別に贅沢などする訳でもない。ごく一般的なワンルームマンションに住み、食事を済ます決まった店が何店かある程度である。仕事柄巷の小さなスナックの常連客ではあるが、そこは情報の収集場所と自分では理解している。
趣味としてはパチンコと競馬が好きだが、掛金は精々多くても1万円を超えることはなく、熱くならない程度でバクチをしているせいか収支は良いほうである。しかし熱くならない代わりにそうした泡銭を当てにしていないところが自分の堅実な長所でもあるようだ。
麻雀は出来るがやらない。勝つまで終わらない性格のギャンブラー相手では長い時間を費やすだけで空しく感じることが多いからである。
ギャンブルなど所詮は胴元が必ず勝つ仕組みになっていないと成り立たない商売で、特に雀荘に関して言えば仲間内で金銭を取り合う場所を提供するだけの商売だが、勝っても負けても少なからずそこにその場の感情のしこりが残り、自分は好きではない。
何回か誘われてキャバクラにも行ったが楽しくは無かった。客の方から気を使って話題を提供し、飲みもしないお酒をキャバクラ嬢が言うがままに注文する。
キャバクラ嬢に言いたい。もっと仕事をしろ!と。そんな堅実な理由から嫌いである。
今月も支払いを済ませるため、徒歩圏内にある事務所に足を運ばせた。向かった先は、私が「親爺」と一寸だけ頼りにしている不動産屋である。
ちょっとした街中の情報が集中するとこで、親爺は堅気ではなさそうであるが、そっちの者でも何でもない。ただ古くからそっちの道の情報に長け、一応の信頼らしきものも認められ、何人かの若い者もそれなりに食わしているので、立派と言えば立派と言うしかない。
その若い者も私の介護もどきのビジネスの肉体労働者として時には大いに役立ったりもする。年恰好は自分の父親位にはなるだろう。詳しいことは知らないし、聞くこともない。
「親爺、これ今月分。またよろしく。」
いつもの挨拶のように5万円を入れた封筒を親父が腰かける椅子の前に備えた机の上に置き、そこから見下ろせるソファーに腰を下ろした。
「孝ちゃん。いつもご苦労様だね。」
と親爺は笑顔を私に向けた。
もう何年も私はそれをみかじめ料的な要素で支払っている。何の見返りも期待することもなく、毎月当然の月謝だという気持ちで支払っているだけである。
親爺にとっては微々たる金額だが、約束を交わした訳でも何でもないのに毎月私から支払い続けている。そんなことがありがたく思い、私の事を可愛く思うのかもしれない。
何かの見返りに支払うというビジネス的な支払い方法は、片方では当然のことだと受け止める。払う方に恩着せがましい理屈があり、貰う方にもどうせ儲けさせるという皮肉が生まれ、こういった支払い方法の効果は多くが期待出来ないことをこれまでの経験から知っている。
親爺に支払う月謝は回り廻ってそれなりの利子を付けて手元に戻って来る。お金とはそういう不思議な持ち回りのような気がする。
多くを望まなければの条件が付きそうではあるが。
普段と何ら変わらぬ世間話を親爺と済ませて、もう1つの月謝を収めるため、30分程、電車に乗るはめになる。これも私の毎月の行事になっている。金額はこれも5万円で支払先は施設である。
ここで私の素性を簡単に説明して先を急ぐことにする。実は私は孤児である。
小学校2年からこの施設に預けられ中学校を卒業した。決まりきった理由で両親の離婚が原因である。離婚の理由は生活の金銭的なことであるのは確かであるが、その頃の幼い自分に理解できる筈もなかった。
しばらくは母親と暮らしていたが、その後、この施設で暮らすことになり、中学校を卒業して1人で生きなければならない選択を余儀なくされた。それでも何とか定時制高校だけは自力で卒業することができた。
もう私のお祖母さん位に老けてしまった施設の先生が唯1人私に親身にしてくれたことが支えになっていた。
定時制高校時代のバイト生活が今に生きている。新聞配達やビル清掃、日雇いの肉体労働が私の主な生活の収入源だったが、その中でもビル清掃時代に役立った経験が今でも生かされている。
土日祝日の会社の休日のビル清掃で、たまたま引出しにある切手、収入印紙を見つけて、それを抜いては金券ショップで売却し小銭が浮いていた。抜く切手、収入印紙も分からない程度の種類、枚数、金額を気付かれない頻度で稼いでいた。
半年も続いただろうか、その内年恰好の同じバイト仲間にその秘密を知られた事で直ぐにバイトを辞めた。秘密を知ったバイト仲間の行為は立派な万引きになって周囲に知らされる結果になってしまった。
程度を考えもせず欲の動くままの無謀な方法に走ったのである。
私は周囲が知る以前に危険を察し区切りを付けてバイトを辞め、バイト代も当然に受取った。その後の結末を後で知ったのである。そういう経験が空請求ビジネスに生きて、そのからくりを誰にも気付かされずにいる。
定時制高校を卒業しても天涯孤独の1人身では身元さえ保証できる術がなくまともな職にも付けず、ただ食べる、寝る、着ることを優先した野良犬のような生活観が私に多くの知恵を与えてくれ、今にいる。
そんな過去が私にもあり、施設の先生を毎月訪ねて月謝を支払っている。この行為はもしかしたら、恩返しという行為とは別の感情から生まれてきているのかもしれない。
幼い兄妹
「孝ちゃん。今月もありがとう。」
といつもと変わりない私の様子を知って安心したように先生は労った。
「ああ、いいよ。」
庭を見渡しながら私はそう答えた。
今日は土曜日か。庭の様子が知らせている。施設に預けた子供を迎えに来たり会いに来たりと庭が忙しく働いている。
それぞれにそれぞれの理由がある。それでも親は子供を忘れず、子供も親を待っている。預けられている子供の数はそんなにも多くはない。
施設の土曜日は忙しく過ぎて静かになって行く。そして日曜日がやってきて子供たちが帰ってくる。とても名残り惜しそうにして。
「親が忘れないで来てくれる子供はそれでも幸せよね。孝ちゃんに比べれば。」
先生はそう思い出したように呟いた。
施設が静けさを取り戻すように殺風景になった。
見渡すと2人の子供が目に入った。男の子と女の子である。2人は兄妹のようである。まだまだ小さいが庭の忙しさから目を背けるように隅の方で肩を寄り添って砂いじりをして遊んでいる。遊んでいる訳ではないだろう、寂しいのに違いないがそれを伝えるべき人が側に現れないでいる。
先生に聞いた。
「先生。あそこで遊んでいる2人は何か訳ありなの。親は迎えに来ていないね。」
「3ヶ月前に母親とここに来たんだけど、それから母親は来ないの。」
自分と同じである。先生も2人に自分を重ね合わせているようだ。表情に少し陰ができている。
いろいろな事情をそれぞれの家庭が抱えている。今だから言えることだけど、私なんかこうして生きている。それだけでも幸せと言えば言えるだろうが、それさえも許さない暗い事件が世の中に絶えない。
2人のことが少し気になったがそのまま施設を後にした。
やはり2人が気になって考え続けてしまった。自分のことのように。でも親でもあるまいしどうにもなるまいと自分に言聞かせ、毎日の日課をこなし、また1週間が過ぎ土曜日になった。
やはり私は電車に乗り施設を目指していた。今日も母親は来ないだろうなあと少し暗い顔になってしまっている。
施設に着くともう忙しさは終わってしまい、2人の子供だけが庭で肩を寄せていた。
私は思わず子供たちを目指し、そしてまた思わず声を掛けてしまっていた。
「旨いものでも食べに行くかい。」
「叔父ちゃん、だれ。」お兄ちゃんが顔を上げて尋ねた。私も答えた。
「誰でもないよ。叔父ちゃんも小さい頃この施設でお世話になったことがあるだけさ。」
兄妹はお互い顔を見合わせてもじもじしている。そこに施設の先生が輪の中に入り込んだ。
先生は私が施設に来たときから私の行動を目で追っていた。
「とし君もゆりちゃんも行ってらっしゃい。」
心配する兄妹を励ますよう先生は提案してあげた。兄妹は安心したように小さく頷き腰を上げて笑顔を私に向けてくれた。
「孝ちゃん。お願いね。」
先生は嬉しそうにそうお願いした。私は照れくさそうに答えた。
「あいよ。」
3人は無言で施設を後にした。
兄妹は私の後ろを追うように少し距離を置いてついてくる。施設の辺りは兄妹との時間を持て余してしまうぐらい殺風景すぎている。
取り合えず自分の庭場で時間を過ごすのが賢明だと思い、電車に乗ることにした。
「ちょっと電車に乗って行こうか。叔父ちゃんが知っているお店があるから。その間に何が食べたいか考えておいておくれ。」
3人は電車に乗って並んで座った。兄妹はお行儀よく会話もなくおとなしく座っている。私も話しかけることもせずに車窓の景色に目を遊ばせて駅に着くのを静かに待っていた。
「次の駅で降りるよ。」
私は普段通りの口調で兄妹に教えた。
私の言葉に兄妹は急かされたが降りる準備には時間がかからなかった。兄妹は準備する手荷物など持たずただ座席を立つだけの作業しかできなかった。
電車が着くまでのちょっとした時間を3人は持て余してしまった。
電車を降りて私の庭場に足を入れて私の気が少し緩み明るい声で兄妹に聞いた。
「お腹が空いただろ。何が食べたい。何でもいいから言ってごらん。」
「ファミレス行きたい。」
私の言葉に吊られて妹が答え兄もそれに賛成した。
「それじゃファミレスに行こうか。よーし、何でもあるからな。」
そう言って私は新しくオープンしたばかりのファミリーレストランに向かって足を進め兄妹は私を追った。
まだ時間が早い所為かファミレスは空いていた。3人は6人がけのボックス席に案内された。店員の一通りの説明が終わると、兄妹はそれぞれメニューを手にして楽しそうに選んでいた。
「お肉でも何でも好きなものを注文していいよ。お兄ちゃんは男だからお肉を食べれば。せっかく来たんだから遠慮なんかしちゃダメだよ。」
私は兄妹に選択の余裕を与えて上げた。私の言葉を理解したのか妹が注文のブザーを押して店員を呼んだ。
慣れた動作だった。
兄妹はドリンクバーとそれぞれセットを注文した。私はビールとおつまみを注文し、それに唐揚げとポテトフライを子供たちに追加してあげた。
注文し終えると兄妹は席を立ってドリンクバーに向かいジュースを入れて席に戻って座りなおした。兄弟は互いに顔を向けてジュースのストローを口に運んで笑顔を見せていた。
その笑顔は私の不安を消していってくれた。
料理が運ばれそれなりの時間を過ごした。
会話では兄妹の家庭の事情の話題を避け、何が好きとかごくありふれた簡単な会話を楽しんだ。
兄の名前はとしなりで小学校4年生、妹はゆりで小学校2年生。私が知る情報はそれだけで十分な気がした。
親爺登場
一通りのメニューをたいらげ、最後のデザートを兄妹が食べている最中に私を呼ぶ聞き慣れた声がした。
「孝ちゃん、珍しいね。子供連れかい。」
声の主は親爺であった。面倒くさい人に会ってしまった。私も親爺に聞いた。
「こんちは。親爺も良く来るのかい。」
「たまにな。それより孝ちゃん、仕事を頼まれてくれないかい。」
親爺は3人の様子を注意深く見守りながら言った。
「それじゃ、明日にでも事務所に寄るから。その時で。」
親爺との会話を早く中断したい私はそう言ったが親爺はやっぱり引き下がらなかった。
「直ぐ済むから食べ終わったら一緒に出よう。」
親爺は言い3人を急かした。兄妹はキョトンとした表情でいる。
親爺と3人はファミレスを出て親爺の事務所に向かった。10分も歩けば到着する距離に事務所はある。
2人が並んで歩く後を兄妹も並んでついて来る。歩きながら親爺と少ない会話を交わし、親爺も事情を呑み込んだ。
親爺は私と同じ境遇に置かれた兄妹を自分のことのように同情してしまい、事務所に着くまでにその情が行き過ぎて兄妹に約束してしまっていた。
「お爺ちゃんが、明日ディズニーランドに連れって行ってあげるからな。」
と言っては妻を呼んであれこれ明日の支度を急かせた。兄妹の返答も待たず勝手に約束してしまった。
こういう性格が人から愛されるのだ。困った年寄りである。
ところで仕事って何だろう。
「頼みたい仕事って。」
私が聞くと親爺は説明した。
「何、簡単なことだよ。会社の設立登記さ。報酬は10万円で折半。いつものことよ。」
親爺に頼まれ何度も経験している。大して手間の掛かる仕事ではない。普通は司法書士に依頼するのだが手間がかかるし、手数料も高いのでこういった依頼が多い。私もこの仕事のついでにその会社の銀行口座を開設し、それを空請求ビジネスの振込先として有用している。
「明日はディズニーランドだから兄妹はここに泊めたら。内のやつがいるから心配いらないって。」
親爺は提案したがもう決定している。
「ディズニーランドなんて行ったことあんのか。心配だな。」
私は不安だった。
「バカヤロー、何度も行っているよ。それよか一寸2人で飲もうか。」
親爺は誘って聞かなかった。私は施設の先生に連絡を入れて事情を説明し、先生は了承してくれた。
ママの登場
行きつけのスナックのカウンター席に座りママが水割りを用意してくれた。客はまだ2人だけである。
「意地らしいね、あの兄妹は。孝ちゃんと同じだろ。孝ちゃんは言わないけど皆は分っているよ。ママだって。」
そんなこと俺だって知っているよと心で呟いた。自分だけが知っていて、周りが目暗なんてことは世の中にそうはない。皆知っていて言わないだけだから。それが大人のルールってやつかな。
「ちょっと何よ。兄妹って誰のこと。」
ママも会話の中に割り込み、親爺は親爺が知る全てをママに教えていた。
全ても何もないだろう、今さっきのことだけしか知らないんだからと私は親爺とママの会話に背を向けた。
「孝ちゃん。事情は聞いてないの。」
とママは聞いたが親爺が遮った。
「そんなこと子供に聞けるか。で、本当はどうなんだ。」
結局は私に2人の興味が集中した。私は話し始めた。
「兄妹の事情なんか聞かなくても想像はつく。父親がリストラになるか、事業に失敗する。経済的に家庭が崩れ夫婦喧嘩が続き離婚話に発展する。大体が子供は母親が引取るが生活出来ない。そして犠牲になった子供が悲しむ。こんなところだが、間違いではないだろう。」
「成程ね、良く分るよ。子供は何にも悪くないのになあ。」
と親爺が感心するとママが話を少し進めるように呟いた。商売柄ママは聞き上手である。
「母親は子供を離さないわね。でも経済的な理由ならそのことも何か矛盾してるわよね。」
私は説明した。
「収入が少なくなったら少ないなりの暮らしをすればいいだけなのだが、それなのに家を売らなきゃとか難しく考えて、誰が悪い、私は悪くないになってしまう。現実に沿った考え方から外れて今しか見えなくなる。子供は私がいなければと一方的な考えばかりが子供を苦しめる。親がいなくても子供は育つだろ。」
ママが感心したように私に言った。
「孝ちゃん。今日はいつもと違うわね。私なんかお金は大事だけれどそれだけじゃ寂しい気もするわ。貧乏人の言い訳みたいだけど。」
「まあ。親は子供の幸せを考えるけど、子供は親の幸せを願うものだよ。子供の幸せを考えるなら親がしなくてはならないことは、親同士か仲良くなることだよ。それだけでも子供は十分幸せなんだから。そこからいろいろ出来る事から考えていけばいいんだと思うんだ。」
私は自分もあの頃薄っすら感じていたことを兄妹を見てそう言葉にした。
「孝ちゃんも苦労してるからね。言葉が重いよね。社長も何とか言いなさいよ。」
ママはそう言って親爺に話を振った。親爺は言った。
「今さっきの事だからまだ慌てる必要もないさ。明日ディズニーランドに行くから。」
「あんたが言い出しっぺのくせに。困った社長さんよね、孝ちゃん。」
ママが言うとドアが開いた。ママが客の接待で忙しく動き回った。何となく話も知りきれトンボのようになり、普段と変わらず時間を潰して店を出た。
「親爺、子供たちを頼むよ。」
私はお願いし、親爺も頷き2人は分かれて帰った。
ディズニーランド
翌日、心配になり9時過ぎにマンションを出て親爺の事務所に顔を出した。
「ついさっき子供たち連れて張り切って出かけたよ。心配いらないよ、あの子たちが確りしているからさ。」
私は奥さんの言葉を確認すると何処で時間を潰すかなと考え、浅草に馬券を買いに出かけた。競馬新聞を片手に喫茶店に入り、そこで予想を決め、一服休んでから場外馬券売場に馬券を買うために列を見た。空いている列を探した。
見回すと親爺が列に並んでいるのが見え、自分の目を疑った。慌てて親爺の場所まで走って手を捕まえて言葉を放った。
「こんなところで何してんだよ。子供たちは。」
親爺は何の悪びれた様子もなく答えた。
「だからディズニーランドだよ。確りしているから子供たちで大丈夫さ。それより予想を教えろよ。自信のレースは。」
「そうじゃなく、子供たちは」
私は声を大きくし親爺を問い詰めた。
「だから浅草花やしきディズニーランドで遊んでいるから大丈夫だって言っているだろう」
親爺も声を張らせて嘘じゃねえだろうと言いたげに訴えた。
親爺はディズニーランドを遊園地としか理解できていない。間違ってはいないが。普通は違うだろうと呆れてしまったが、何となく可愛げもあるかなと感じた。
浅草花やしき遊園地は歴史も古く知名度もかなりなものがある。ほっとする点は一目で見渡せそうなこれでも遊園地かという位の広さしか持っていない。
私と親爺はそれぞれ馬券を購入してから花やしきディズニーランドに子供たちを探しに足を運んだ。
兄妹の楽しそうな笑顔と行動に目が惹かれる。洋服も新しいしバックも背負っている。奥さんが用意してくれたのだろう。
親爺と一緒に花やしきに入り、テーブル付きの椅子を確保してから兄妹を呼んだ。4人でアイスや焼きそばを食べながら4人は楽しい笑顔になっていた。
そして私は乗り物の回数券を足してあげていい頃を見計らって帰ることにした。ちなみに親爺の携帯ラジオは馬券のはずれを知らせた。
4人は親爺の事務所に立ち寄り、またファミリーレストランに寄ってから施設に帰ることにした。
子供たちは奥さんにすっかり慣れてしまっているようで、私たちにも警戒を全く感じさせていない。ファミレスでは好きなように注文をし、食べながら笑い話しもいくつかした。
その場で親爺は子供たちに約束した。今度はディズニーランドに連れて行ってあげると。
パパさんの登場
2人を施設に送り先生に挨拶すると兄妹は私の腰の辺りに縋りついて、お兄ちゃんがお礼を言ってくれた。
「叔父ちゃん、ありがとう。」
私も聞いた。
「楽しかったかい。」
2人は同時に同じ言葉を放った。
「うん。」
「また来てくれる。」
妹が私にせがんだ。私は約束してあげた。
「また来るよ。お爺ちゃんと一緒に。それじゃあね。」
私は後ろを振り向きながら手を振って施設を後にした。手から離れたものの寂しさを体が感じてしまっている。やっぱりよせばよかったかもと一方で後悔もしていた。
お礼も兼ねて親爺の事務所に寄り、奥さんも加わって3人で子供たちの話題で時間が過ぎていた。
そんな中で私の携帯電話が鳴った。急を知らせる電話だった。
「孝ちゃん、あの子たちがいないのよ。他の子供の向かえで忙しくしている間に何処かに行っちゃったみたいなのよ。警察にはもう言ったけど。」
電話の主は施設の先生だった。私は瞬間言葉を失い、言葉が飛んで行動に走った。
「今からそっちへ行く。」
親爺が心配そうに短く聞いた。子供たちのことだと勘が働いている。
「何があった。」
「施設からいなくなったという連絡だ。」
私はそれだけ答えると施設に急いだ。
「何!」
親爺がそう叫び私を追うようにして2人はタクシーで施設まで飛ばした。
タクシーが目的場所に近づくと、施設の前で先生と兄妹が待っている姿を私らの目が確認すると2人はほっと溜息を漏らした。タクシーを降りるやいなや2人は先を急ぐかのように同時に同じ言葉を発した。
「どうしたんだ。」
兄妹に気遣い先生が少し離れて私に事情を簡単に説明してくれた。
「父親を見かけて2人で追いかけたらしいの。でも見失って仕方なく今さっき帰ってきたとこなのよ。」
それを聞いて私は兄妹を見た。2人からは先程の明るい笑顔が完全に消えている。
先生の話を横で聞いて理解した親爺はもう父親の影を探している。
今さっき帰って来たというなら、父親も帰りを見届けている筈である。父親は近くで様子を見ているに違いない。
親爺の行動を私は瞬時に理解し、きっと親爺は父親を探すだろう。家業ガラそういう匂いには人よりも数倍敏感な年寄りなのである。
「心配しないでも直ぐにお父さんは見つかるよ。」
私はそれを確信して兄妹に告げてあげた。
間もなく親爺からの携帯が鳴り私は移動しなければならなくなった。
「先生、ちょっと行ってくるから。直ぐに戻るから待っていて。」
先生は理解し兄妹を宥め始めていた。兄妹もそう信じ期待と不安を体で表現していた。
親爺は近くの公園に私を呼びつけ、私は公園に2人を見つけた。
やはり父親だった。私は感情を抑えられないでいる。既に親爺から説教の2つや3つは言われている筈である。
それでも私は怒鳴った。
「どうして逃げるんだ。子供たちが余計に悲しむだろ。お前、馬鹿か。」
憤る私に親爺の言葉が2人の仲を取り持ってくれた。
「後でゆっくり話そうぜ。俺も言いたい事があるが、今は子供たちがこいつを待っている。そっちを急ごう。おい、子供たちを確り抱きしめてやれよ。今度離したら承知しやしねえぞ、分ったか。」
親爺の言葉はいつになくドスが効いている。親爺も怒っていることは言葉で分る。
3人は施設に歩き立ち止まった。そして兄妹が同時に同じ言葉を放って走り出した。
「パパ!」
3人は抱きつくようにして父親は何度も頭を垂れた。
「ゴメンよ。ゴメンな。」
「さっき何で行っちゃったんだよ。」
お兄ちゃんはそう怒ったがまた抱きついていた。妹は父親に確り抱かれている。
「ゴメンよ。」
父親はただ泣きながら謝るだけで言葉にならない。
暫くそういう時間を与え、私と親爺がその父親を預かるということで先生に話し、先生から兄妹に言ってもらうことにした。
「もう心配いらないから。叔父ちゃんがついているから。」
私は兄妹に約束した。
「お爺ちゃんもいるからな。」
親爺も私に張り合って子供たちへのつまらない主張だけは忘れなかった。
4人の会合
3人は施設を後にしてタクシーを拾い、いつものスナックに向かった。タクシーは少しの平静さを取り戻させる時間を揺れながら3人に与えてくれた。
スナックに着き店に入った。カウンター席を3人は陣取り親爺を挟んで2人が座った。ママは3人を見るとボックス席を代ってカウンターの中に入り動こうとしなかった。
この人が父親かとママも無言で参加した。4人の沈黙はやはり聞き上手のママが開いてくれた。
「人それぞれ事情があるんだから詳しくは聞かないけど。そういう事情なの。」
ママがあやすように尋ねると父親は小さく頷き、また沈黙が始まった。
沈黙は私の一言から破られ、私と父親が交互に口を開いた。親爺は腕組みをし、ママはカウンターに手を置き2人の会話に口を挟まず黙って聞いている。
「何で逃げたんだ。」
「子供に会う資格なんてないから。」
「それなら会いに来るな。父親に捨てられたと思うだろ。どんな気持ちでずーと待っていたと思ってんだ。子供の気持ちを考えろ。逃げるなんて最低だ。」
「それでも会いたくて。」
「会いたいだけか。一緒には暮らさないのか。」
「暮らしたいけど無理なんです。」
「自分のことで精一杯か。それは違うだろう、自分より子供が先だろう。」
「すみません。」
「手から離れて困るのは子供と違う。一番困るのはお前さんだよ。だから掴んだら離しちゃダメなんだ。それだけはどんなことがあってもダメだ。」
「・・・・。」
「一人の男が乞食になっていく。だんだん荷物が増える。荷物の中は多くが新聞紙だった。半年もすると立派な乞食になっていた。私は京葉線の東京駅構内でその乞食を見ていた。乞食にも理由はある。自分は悪くないと。それでも自分だけ生きようと努力している。」
父親はすっかり項垂れてしまっている。親爺が話しに無理やり割り込んだ。
「成る程ねえ。」
親爺はそう言って大きく頷き、ママが4人の空気を変えた。
「元に戻りたいんでしょ。」
ママの言葉に親爺が続いた。
「元に戻らないと子供はどうするんだ。こいつより子供を考えれば戻るしかないだろう。なあ、孝ちゃんよ。協力するしかないだろう。」
私は黙ったままでいる。ママが父親に聞いた。
「ねえ、元は何さんなの。」
「銀行員です。」
父親は短く答えた。大手銀行員の元エリートであった。
私が父親に1つ問題を与えた。答えてみろと。
「石炭を石油に変える方法を解いてみな。」
父親は頭で考え始め途中まで回答してみせた。
「ダイヤモンドと同じでどれもC(炭素)とCだから。熱とか圧力とか外部の相当な力が必要になります。参考書を見れば分ると思います。」
父親が答えると親爺が首を捻って私に聞いた。何なんだ孝ちゃんはと言いたげに。
「そんな難しい問題が何だってんだ。どうでもいいだろうそんな事。」
「簡単な話さ。石炭を売って石油を買うだけさ。」私が正解を教えた。
すると親爺が弾けるように笑った。
「成る程ねえ。それじゃ炭(C)も混ぜて膨らして売ろうぜ。売ったら中(金)を抜くか。買う奴を探さないとな。それに石油も売ったらもっと儲かるな。」
親爺の馬鹿話が終わると今度はママが聞いた。
「孝ちゃん、だから何なのよ。」
私がまた難しい話をしなければならなくなった。
「これが基本だと思うんだ。銀行がダメになって、消費者金融は儲かっている。理由はね、貸した金を消費者金融は回収する。この解答のような方法を使ってね。でも銀行は回収する方法を知らない。競売とかの損する方法の回収しか選択しない。担保があれば自分は悪くないと思っている。銀行の儲けなどには全く関心がない。だから銀行マンは銀行を辞めると唯の人になってしまう。俺はそう思っている。」
「確かにね。」
ママが言ってくれて、私はさらに余計なことを話し始めた。
「銀行だけじゃない。役人もそうだ。消費税なんて上げることより先にすることは消費税を回収することだと思う。税金の中で消費税だけは金持ちも貧乏人も平等だ。物を買えば必ず収める税金だから。でもその支払いは看板を背負っている企業しか納めない。多くの企業がブローカーのように消費税を猫ババしている。ようするに役人は足りないから増やすとしか考えない。払う方法や儲ける方法ではなく使う方法しか知らない。増税や利子を払はせることなんて関係ない。それが普通の役人や銀行員だ。」
ママが言い訳した。
「その通りよね。うちも消費税取りたいけどそんな計算しないから。」
我慢できずに親爺が話しを止めた。
「孝ちゃんも今日は言うねえ。難しいけど。孝ちゃんもうその辺で勘弁してやれよ。でもパパさんよ、元銀行のお前さんには意味が分るんだろ。」
「良く分りました。」
父親は下を向いてまた黙り込んでしまった。
親爺がいきなり解決策を提案した。
「孝ちゃんよ。何か分るんだよな、俺にも。でも手から離してもまた掴まえる方法を子供のために考えてあげようぜ。全部元通りって訳にはなるめえがよ。なあ、俺と孝ちゃんで出来ることはしようぜ、詐欺でも何でも構わねえし、贅沢はしていらんねえってえの。そういう仕事が俺らの得意分野じゃねえか。」
ママも親爺の意見を後押しした。
「そうよ、孝ちゃん。しょうがないわよね。」
「パパさんよ、どうせろくな寝ぐらじゃないだろう。それは俺が探すよ、今日からな。でも飽く迄も子供のためだからな。」
親爺が急かした。私は1度だけ頷きそっぽを向いたまま黙った。親爺の親切は父親にあれこれ説明を始め、明日から事務所で相談する手筈になってしまっていた。
「じゃあ、パパさんを借りてくぜ。ママ、後はよろしく。」
と親爺が言ってスナックに私を残した。
私はいつものように静かにゆっくり飲み始めた。暫くしてママが聞いて私と交互に口を開いた。
「孝ちゃんも苦労したんでしょう。ねえ、教えてよ。」
「俺も木の股から生まれた訳じゃないよ。過去なら普通に持ち合わせているけど、そんなの話しても意味なんてないよ。」
「どうしてなの。」
「手品と同じで種が分かれば意味を失くすだけだから。」
「いつも可笑しい言い訳するわねえ。でも孝ちゃんは家庭を持たないの。もういい年でしょう。」
「俺には知らないことだから。自信ないな。」
「興味もないの。」
「幸せって知らないから。だからそれを比べる不幸も知らない。」
「また難しくするんだから。ところであのパパさんのことはどう。」
「バカじゃないからそれなりに何とかなるだろう。」
私もスナックを出た。
子供たちお帰り作戦
翌日、親爺の事務所に寄り、早速3人で作戦会議を始めた。子供に幸せを取り戻させるためパパさんが頑張る作戦を開始した。
子供の幸せを取り戻す日は今度の土曜日に決まった。この日を私は譲らない。ちゃんとしてからとか、今度とかは私は信じていない。お化けと今度は出たことはない。出来る事から直して、直せる事を直す作業だけである。他に理由は必要ない。親爺も納得した。
先ず自宅取戻し作戦である。子供の帰る場所を戻さなければならない。こうなった原因はパパさんの家出にあった。自宅はローン残債が残ったマンションである。おそらく残された家族は請求書や催促の電話、督促状から差押さえなどが重荷になり家を出て今に至ったと想像できる。
子供が施設に来たのは3ヶ月前である。パパさんの奥さんから連絡が入ったのは昨日になる。想像するとパパさんの奥さんは家を出て直ぐに子供を施設に預け自立を考えたのであろうが、それが無理だと分かりパパさんに子供を託した。
と考えなければこの話が前に進まないと3人は暗黙に理解した。
子供たちお帰り作戦は、パパさんが自宅に帰り借入金の延滞交渉をする事。
借金は返さなければならないのがルールである。返せないからと返さないと言うから揉めるのである。返せなくても返すと言うことが肝心であって、そして返すと言うことと返すことができることは、お金があれば同じ意味になるが、そうでなければ正反対の行為になる。それでも嘘ではない。
それと役所に行って相談をすること。将来的にも仕事が無く収入がないと正直に事情を話すことである。格好をつけると話がおかしくなる。ここでも同じように返すけど返せない作戦で、健康保険料やら税金を支払える程度に分割してもらう。支払える金額は毎月5000円程度で構わない筈である。返すけど5000円しか返せないということになる。
私はパパさんに呼吸を教えた。
パパさんの役割にはパパさんの奥さんにもこの作戦に参加させなければならない。1人でも欠けたらこの作戦は無意味になってしまう。
当然これらはパパさんの仕事である。期日は金曜日迄となる。
パパさんは今あるお金で何とかしなければならない。これだけは誰にも頼ってはいけないし、誰も助けてはくれない。
「子どもを家に連れ帰っても不憫に思うなよ。それが当たり前だから。それが子供の仕事だから。家族4人が共同作業しなければこの作戦に成功はない。失くした幸せは4人で取戻さなければ幸せは戻らない。本当の幸せはそこにしか無いんじゃないかと自分は思う。」
私はパパさんに言聞かせパパさんは理解した。
次に再就職のためのパパさんの履歴書工作も重要な課題である。
パパさんの履歴にはこの3年間の空白がある。この空白の部分を工作しなければならない。求職先は必ず前職を問い合わせる。
これをクリアできる融通の効く会社を親爺に探してもらう。会社なら何でもって訳にもいかない。大企業は無理に決まっているが、銀行から転職したと思わせる企業でなければならない。そうでなければ銀行リストラの匂いが履歴書から消えない。
コンサル会社なら親爺にも知り合いが多い。出来ればPFI事業などを受ける役人の天下り企業が好ましい。
親爺が手をあげて私に質問した。では親爺君。
「PFIって、何だ。」
頭文字については説明を省き、親爺にも分かるように私はこう具体的に説明した。
例えば学校給食は自治体のサービス事業の1つで、全て公務員なので人件費の総額がびっくりする金額である。しかしその人件費は給食を作る仕事しか持たない。
今ではどこの地域でも給食センターが老朽化しているが、税収の不足で建替に悩まされている。このサービスを民間に委託する方法である。
自治体では新しいサービスを提供でき、民間にとっては土地は自治体の所有なので設備費が削減できる。
さらに老人給食など学校給食以外の民間ならではのサービスも提供できる。自治体が民間に支払う委託料はびっくりするような公務員の人件費になる。つまり自治体の有休不動産を民間に活用させてそのサービスを自治体が納税者に提供する事業のことである。
親爺は腕を組みながら何度も首を縦に振ったが、どこまで理解してくれたか多くの疑問譜が付く。
そういう事業をコンサルする会社を親爺は探さなくてはならない。残るのは仕事探しだけである。私は今出来るしなくてはならない3つの作業と役割分担を与えた。
パパさんが感心したように私に言った。
「孝さんっていろいろ良く知っていますね。」
親爺が加えて言った。
「高卒だけど頭が良いよ。教科書とは違うけどな。」
私も言葉を返した。
「定時制高校卒業だけど、自分で稼いで卒業までしたんだぜ。勉強の本気度が人よりも違うよ。お金のことは誰よりも身に染みているよ。」
それぞれの役割のため3人はそれぞれ別の行動を開始した。
就職活動
金曜日が来て3人が親爺の事務所に集まった。
パパさんは約束通り子供が帰る家を手に戻したことを報告した。私も親爺も褒めはしなかったが顔が緩んでいる。明日は両親で迎えに行くことができる。子供たちは大喜びだろう。
私が施設の先生に連絡を入れると3人はスナックに立ち寄りカウンターに私を挟んで3人は座り、ママも輪の中に立った。
ママが挨拶した。
「いらっしゃい、3人ともにこやかね。察しはつくけど。パパさん、明日迎えに行くの。当りでしょ。」
3人はそうだとママにもそれぞれが報告してあげた。状況を理解したママが聞いた。
「あなたたち2人は明日どうするの。」
親爺は悩んだ様子でいたが、親爺の期待を裏切って私があっさり答えた。
「他人が邪魔をするシーンじゃないさ。」
親爺も吹っ切れた様子になり、ママが続けて聞いた。
「他は進んでいるの。」
私はポケットに手を入れて新聞の切取りをカウンターに広げた。
求人広告の切抜きである。履歴書の送付期限は今月10日必着である。A4用紙2枚のレポートの提出が必要である。
求人企業は大手貨物会社であった。
私が口を開いた。
「この企業に挑戦する。人材の募集がパパさんに向いている。」
この企業は民社化などで新規採用を実施しなかった時期があり、その時に不足したパパさんの年代の人材を求めている。超優良企業である。
「僕なんかに出来ますか。」
パパさんがびっくりして聞いた。
「挑戦しなければ分からないよ。かなりのキャリアが応募するだろう。先ず書類審査に通らなければならない。」
そう言って親爺を見て、親爺が答えた。
「履歴書工作は2,3当りを付けているさ。心配はいらねえよ。」
それを聞いて私は安心した。時間が少なかった所為だ。今度はパパさんを見た。
「ありがとうございます。レポートを書けばいいんですね。」
「そうだけど。2枚だぞ。それより少なくても多くてもダメだ。」
私はパパさんに注意したが、ママがパパさんの代弁をしてくれた。
「どうして。少ないのは分かるけど、多いなら問題ないんじゃないかしら。」
私が教えてあげた。
「募集要項にA4用紙2枚と態々書いてある。2枚以外は見てくれないだろう。2枚で纏めることを審査はまず見る筈だ。レポートの課題はモーダルシフトしかない。」
ママがパパさんに確認した。
「パパさん分かった。モーなんとかも知っているの。」
私は右横のパパさんを見て説明してあげた。
モーダルシフトは、鉄道輸送とトラック輸送の連携である。輸送時間はトラックが速く鉄道輸送は後退している。しかしトッラクのスピード規制はトラック輸送の利点を奪い鉄道輸送に有利に働いているのである。
モーダルシフトは区間輸送を鉄道貨物が担い、そこからの地域輸送をトラック輸送に委譲するシステムである。パパさんは理解した。その点心配はない。
「孝ちゃんは何でも詳しいのね。」
ママは感心している。
「勉強の本気度が違うのよ。孝ちゃんはよ。」
親爺が言ってママに説明を加えた。
ママは代弁するように言葉を続けた。
「それはそれとして。それまでどうするの。パパさんの暮らしとか。」
私を見て親爺が代って口を開いた。私と同じ答えに決まっている。
「パパさんも、それにパパさんの奥さんも何かしら仕事があるんだからそれを続けて食い繋ぐしかないな。パパさん。」
そのあと、私が助けた。
「再就職の結果が分かるまでは俺の仕事を手伝って、あとはその時その時考えて行こう。その時にはパパさんのやる気も本物になるさ。」
「それにしても親切過ぎない。孝ちゃんらしくない感じ。」
ママが誘導するように言って親爺に目配せした。
親爺はママの意図を察し、言葉を繋いだ。
「いくら子供のためと言っても、この前の話といい何か思い悩むようだよな。」
ママが訴えるように聞いた。親爺も睨むように私を見ている。
「孝ちゃんに何がそうしているのか教えなさいよ。」
いつものように私ははぐらかすように答えた。
「俺のような子供を知りたくないし、見たくもないからさ。」
ママも親爺もその答えを許さなかった。
「それじゃ分からないじゃないよ。もっと分かり易く教えて頂戴。」
ママも親爺も無言で私を見ている。仕様がなく私は独り言のように話し始めた。
「一人で待っていたんだ。施設でずーっと。でも誰も来てくれはしなかった。」
そう言って水割りを口に含み、煙草に火を点けた。誰も一言も発せないでいる。私は静かに続けた。
「子供は育つ。親なんていなくても。中学まではどの子も平等に国が育ててくれる。捨て犬だって小さければ誰かが拾ってくれる。子供にはそういうものがどの子にも備わっている。何も知ることができない代わりに。でも大きくなるとそれも違ってしまう。」
ママが私の水割りを替えてくれた。氷が混ざる音が透き通って聞こえる。続けて話した。
「誰だって、犬だって木の股から生まれた訳ではない。俺はただ待っていたけど誰も来てはくれなかった。ただ待っていたけど俺も子供のまま待つことを年月は許してくれない。大きくなると知りたくもないことを知ってしまう。成長して智恵が発達するのに合わせて周りの人と比べてしまう。諦めや絶望という言葉の意味を知ってしまう。やがて人とは違う孤独を意識し悲しみが恨みに移り、そして長い月日がそれを過去のものに変えてしまった。それでも待っていた。体はそれを覚えているが感情は忘れてしまった。」
私は水割りを一口飲んだ。
「これが俺の手品の種だよ。ただそれだけのことさ。」
ママの目は涙で零れている。親爺は顔を上に向けて動こうとしない。パパさんは必死で隠しているが泣き声は止まない。
パパさんはもう知っているが私は念を押した。
「だからもう離しちゃダメだ。どんなことがあっても。」
強くなるパパさん
施設の先生からパパとママが迎えに来たと連絡が入った。親爺にもその知らせを伝えた。子供の様子は分かりきっている。3人の作戦は成功した。残るのは完全勝利だけである。月曜からまた作戦会議が始まった。パパさんの履歴書は親爺の手柄で人並みな工作が施せた。後は連絡が来ることを祈るだけである。
私は介護紛い事業を少し手広くするため準備に取りかかっていた。それをパパさんが手伝うことになった。
営業エリアの区役所に住民サービス用の会議室を借りておいた。パート社員の応募面接の場所である。面接官は私とパパさん、それに手伝いとして親爺から送られた女性の3人である。
新聞一面の広告が信用を感じさせ想像通りの応募と区役所からも依頼があった。区役所では扱えない介護紛いの相談が連日ある。あれがないこれがないやら、これしてあれしてなどの相談である。
それを委託して欲しいとの依頼である。私の事業は安定している。新聞一面の広告費は十分な効果を産み出した。
事務所用に借りたオフィスは電話で賑やかである。
「総務の山田さん、電話だよ。」
私は電話をパパさんに回した。パパさんは状況を把握していない。私は同じ言葉を繰り返した。
「山田さん、早く代って」
パパさんは電話を受取った。
「ハイ、総務の山田です。・・・・・・・。」
何とかパパさんは対応してくれた。私は状況を教えてあげなくてはならない。
「パパさんは今日から、総務の山田と営業の佐々木、それに技術の鈴木の担当を宜しく、本名は必要ないから。」
パパさんは目を丸くしている。まだ分かっていないパパさんに私は親切に教えてあげた。
「3人で社員20人位いる会社の芝居をするの。電話の向こうからは分かんないから何の問題もない。」
パパさんはようやく理解した。親爺が送り込んだ助人はその点流石である。
3人は仕事に取りかかった。パパさんに造園業と犬の散歩をさせた。パパさんはこの仕事でほぼ丸一日費やしてしまった。
私はその理由を知っているが、パパさんにわざと尋ねた。
「今日はお疲れさま。どうだった。」
パパさんは一生懸命頑張りましたとでも言いたげに答えた。
「大変でしたよ。犬の糞の処理も何回もするし、庭木は上手く切れないし。」
私は笑ってコツを教えてあげた。
「俺らはプロじゃないの。犬の糞などほっといて30分位時間を潰すだけ。庭木なんて邪魔そうなのをチョキチョキ切っていればいいんだよ。お客は知っていて半端な仕事を頼んでいるんだから。」
パパさんは言った。
「それも僕には難しいな。」
私はどうしようもないパパさんに説教を垂れた。
「いいかい。一生懸命だとか頑張ったとかは自分に言っている言い訳なんだ。そういう言葉は人に言えばいいんだ。一生懸命やりますとか絶対に頑張りますとか。するしないは別の話なんだよ。」
私はその先を続けた。
「犬の散歩は一回3000円、庭の手入れは1万円だぞ。経費を入れたら散歩は1000円、庭は3000円の仕事で済まさないと商売にならなくなる。犬なんて繋いで吠えさせといて庭を弄ってれば終わりだよ。」
さらに続けた。
「要するに趣味とか芝居の範囲で仕事をするの。それでも喜ばれるの。買い物や夕飯の支度、掃除なんて、主婦はついでにやるがそれでも素人の親切があるのさ。分かった。」
説教が終わり、私は新たな依頼の仕事の準備をした。犬猫の捜索依頼である。報酬は実費に成功報酬である。
私はパソコンで写真付きのビラを作成した。パパが不安そうに私に聞いた。
「迷子の犬猫を探すのって大変だと思いますけど。難しいですよ、きっと。」
私の説教がまた始まった。
「そんなの無理に決まってんだろう。探さないよ。ただビラを50枚コピーして200枚、300枚と思わせるように目立つ場所に貼るだけ。駅にも頼んで1週間貼らして貰い上り下りの電車の3駅ぐらい貼る。ビラにも謝礼差上げますと依頼者が喜ぶような文句を入れるが金額は書かないの。それで捜索進行中と普通に思うだろ。1週間経ってダメでしたと報告してもビラ200枚分の経費と人権費で美味しい商売になる。犬なんて初めから探さないよ。」
パパさんは目を丸くして聞いている。
完全勝利
こんな商売で忙しい中、パパさんに面接日を伝える連絡が入った。いつもの3人はいつもの4人になっていた。ママが苦労を労うようにパパさんに言葉を送った。
「凄いじゃない、面接なんて。一流企業なんでしょ、採用されるといいわね。パパさんには孝ちゃんの仕事は難しすぎると思うわ。」
私は脹れて言い返してやった。
「難しくなんかないよ。」
でもママは譲らなかった。
「だって詐欺だけど詐欺じゃない仕事でしょ。やだけどやじゃないってどっちなのよ。て感じよね。」
私はちょっと説明を加えた。
「規則を守る人のためにあるのが規則であって、守らない人には守らない人用の規則が守ってくれる。そんなの世の中に一杯あるだろ。悪い人にはそれなりのルールが守ってくれるけど、全部ではないから悪いことはしちゃダメなんだ。」
ママは苛立った。
「だから悪い事も良い事もしないで何するの。それとも何もしなければ満足なの。」
私はママを宥めるように言聞かせた。
「だから、ばれなければルールなんてどうでもいいの。俺の仕事はばれない仕事。ルールも方便なだけ。」
私は親爺を見て助けを求めた。親爺が笑って言った。
「そういう事。まともにやって勝てるなら良いけどな。」
ママが話題を変えた。まだ怒っている。
「ねえ。面接はどうしたらいいのよ。孝ちゃんの変な頭はこういうことには役立つのは確かみたいだから。」
私はパパを見てから水割りを一口飲んで作戦を述べた。
「親爺の仕事で書類選考は何とか通過した。面接ではレポートで書いた事から具体的に何をしたいか、そのために前の会社で何をして何のスキルを身に付けたかを訴えなければならない。」
パパさんが方法を聞いた。
「前の会社っていっても何も知りませんよ。」
私は呆れた。
「だから何回も言っているだろ。絶対ばれないんだからばれないように創って話す。でもばれたら終わりだから。その点は抜け目なくしなければならない。採用されれば後で何を言われようがパパさんの勝ちだ。」
パパさんは頷き、皆に促され店を後にした。
「あの人ちょっと強くなったみたいね。」
ママが言って、さっきから言いたそうに親爺が話した。
「実はなあ。俺がお膳立てした会社に奴さんのことでその会社から連絡があってな、社長が対応してくれたんだけど、社長が言うにはその会社に知人が結構いるらしいんだ。社長は任せろと言ってくれている。」
どうだとばかりに親爺は私を見てまた口を開いた。
「だけど最後の最後でドジを踏みそうで、奴さんには言わなかったんだ。自慢したかったけどよ。立派に我慢したぜ。」
私は親爺に確認した。
「確かその社長さんは天下りの役人だったよね。だったら奴さんは完全勝利にプレミアムのスーパーリーチが掛かったな。確変確定だ!」
零れた涙
どうやらどうにか作戦を遂行させた。暫くしてママが言った。
「もう子供たちに会わなくていいの。」
私が親爺を見てママに教えてあげた。
「親爺には約束があるよ。」
「ディズニーランドだよ。花やしきじゃねえよ。」
親爺が自慢した。
「何よ。本当に変わった人たちね。でも孝ちゃんに聞いていい。」
私がママを見て短く言った。
「何を。」
ママが話し出した。
「孝ちゃんも幸せになったらどうなのよ。知らないからって幸せになっちゃダメって決まりはないでしょ。たまにはもっと普通でいたらどう。」
親爺も同じように私に言った。
「その辺に意地があるっていうか線が引いてあるっていうかな。ちょっと遠すぎるなって感じだが。何とか方法はないのか。」
「そんなのないよ。」
私が答えてそっぽを向くとママが声を大きくした。
「ないことなんてないじゃない。あるでしょ。」
「もうよそう、この話題は。」
私は言ったがママは止めなかった。
「孝ちゃんは幸せに強すぎるわよ。もっと弱くなりなさいよ。幸せになりなさいよ。」
親爺は黙って聞いている。ママが言ってしまった。
「考えることないでしょ。会いに行きなさいよ。お母さんに。」
私は黙って聞いていた。
「子供たちを助けたのは孝ちゃんの子供の頃の気持ちじゃないでしょ。孝ちゃんの大人の気持ちでしょ。もう許してあげなよ、お願いだからさぁ。」
ママは泣いていた。
私は施設を訪れた。もうあの兄妹はいない。
いつものように先生に月謝を渡し、施設を見渡しながら時間を忘れていた。するとそっと先生がメモ書きを私の手に握らせてくれた。
私は手を開きメモ書きに目をやった。そのメモには母の居場所が記されていた。
私は記憶を探していた。ずーっと一人で待っていた子供の頃を。
先生の優しい声に私の涙が静かに零れた。涙を止める方法を私は捨てた。
「孝ちゃん。もう楽におなりなさい。」