6 それもいいかもな
「進学するのか?」
「いや。」
「本気で、就職するつもりなのか?」
「ああ。」
「俺より、頭、いいくせに?」
「関係ないだろ。」
二階堂家の和室は、玄関から入ってすぐ隣の部屋になる。鍵もないふすまで仕切られたその狭い部屋の入口で、岳は、渉に話しかけている。
渉は、壁に身体をもたれかけ、岳の声を聞き流しながら、学校からくる宿題を含めた大量のプリント類を整理していた。
その渉を見下ろしながら、岳は続けた。
「埜々下は、公務員試験を受けるって言ってたぞ。」
「そうか。」
「公務員試験は、受けないのか?」
「受けない。」
「父さんに遠慮してるんだろ。同じ公務員で、お前の頭だったら、すぐに父さんを抜いちゃいそうだから。」
「関係ない。」
「お前が、本気で進学しないって聞いて、母さんが、えらくホッとしてた。」
「そうか。」
渉は、岳の言う事に、全く動じず、短い言葉を返すだけだ。
岳を無視してるわけではないが、話に乗っているわけでもない。
「母さんは、お前とお前の母親に、ずっと引け目を感じてたからな。俺が大学に行くのに、お前が高卒で就職なんて、お袋にとっては、さぞ胸のすく話なんだろうよ。」
自分の母親ではあったが、岳にとって、母親は、決して、尊敬すべき存在ではなかった。
「…。」
「あいつらが、お前に、色々プレッシャーをかけてたんだろう? でも、あんな奴等のために、進学をあきらめることはないんだぜ。ほおっておけよ。」
「いや、感謝してる。」
渉は、感情をあらわす事も無く、淡々と答える。
「嘘をつくなよ。」
岳は、少し苛立った口調で言った。
けれども、渉は、そんな岳の様子を気にする素振りも見せず、大量のプリントを分け終えた。
岳は、渉を見下ろしながら、聞く。
「就職したら、こっちから通うのか?」
渉は、はじめて、岳の顔を、仰ぎ見た。
「働いて、敷金貯めたら、出ていく。」
とたんに、岳が笑顔をみせた。
「敷金貯まるまでは、ここから通うつもりなのか。」
岳は、嬉しそうに言った。
「そうなるな。」
「だったら、俺と同居しようぜ。」
渉は、怪訝げに首を軽く傾げる。
「おまえだって、こんな家からは、一刻も早く出たいだろう? お前が、父さんと母さんの劣等感の象徴だったから、立場が一転してからの、あいつらの態度には、俺が我慢できないんだ。俺は、この家から出るつもりだ。」
「…。」
「今、模擬テストでDがついてる大学に、合格することができたら、一人暮らししてもいいって、親と約束してるんだ。お前も一緒に来いよ。こんなとこよりいいだろ?」
「…。」
「なあ、そうしろよ。」
渉は、しばらくだまっていたが、やがて
「それも、いいかもな。」
と、つぶやくように言った。