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メッセージ  作者: K
5/30

5 ぶつけました

担任の片桐から、今日の面談を頼まれた時、片桐が躊躇したのが、この榛名渉の面談だった。

「彼は、特殊な生徒です。」

真面目な片桐から見せてもらった個人ファイルには、いくつかの情報が、几帳面に書き込まれていた。

「彼の家族は、彼が2年生の時に、家族旅行の交通事故で、亡くなっています。」

「交通事故?」

「ご両親と当時中3だった妹が亡くなり、生き残ったのは、彼だけです。」

「彼だけですか。」

恭平は、いつも一人で窓の外を見ている榛名渉の姿を思い浮かべた。

寡黙すぎるほど寡黙で、クラスの誰ともつるんでいる様子は見えなかった。

「彼の怪我は、数か月で治りましたが、心の傷が深く、1年間休学し、3年になって復学しました。彼は、1年、2年とも、1組の進学クラスだったので、当時の彼の友達は、皆、大学に進学しています。留年した彼は、3年になって、誰ともつるまず、いつも一人でいますね。しかも、あれだけ優秀だったのに、本人の希望で、6組の就職クラスに入りました。」

ファイルを見ると、3年になってはじめてのテストは238人中198番という、希望しなくても6組決定の成績だったが、中間テストでの学年順位は32番だ。つまり、特進クラスのレベルなのだ。おまけに、そのあとに行われた3年になって初めての模試では、学年で16番と、試験の度に、どんどん成績があがっている。

「もともとの能力が高いんでしょうね。やる気も見せないのに、成績が、簡単に上昇する子です。就職させるには惜しいので、話をしてみたいのですが…。」

片桐は、しばらく逡巡し、やがて、あきらめたようにファイルを恭平に渡した。

「まあ、彼については、また、私からも話をしてみます。今日は、榊先生におまかせします。」

恭平は、素直にファイルを受け取った。

家族を失うという不幸を背負い、1年留年し、そして、成績優秀でありながら、6組を希望した、孤独な天才肌の生徒。

単純に、興味がわいた。

話をしてみたいと思った。

「わかりました。とりあえず、本人の希望を、聞いておきます。」

そう、答えて、更にファイルを見ると、現住所のところに、1組の二階堂の自宅と書いてある。

「これは?」

片桐が書き込んだらしいメモだった。

「今、彼は、1組の二階堂岳の家に居候しています。彼の母親の妹が、二階堂岳の母親になるので、彼等は従妹同士になります。」

「二階堂とは、仲がいいのですか?」

「年齢は一つ下ですけど、学年が一緒になりますからね。二階堂がクラブをやめてからは、登下校は、一緒にしているようです。」

「そうですか…。」

そう言えば、学校で、榛名渉が笑っているところを、恭平は、見たことがなかった。


その榛名渉が、時間通りに、理科準備室に入ってきた。

恭平は、渉に、模擬テストの成績表を広げてみせる。

志望大学は、空欄だった。

「この成績で、本気で、就職希望なのか?」

「はい…。」

机に視線をおいたまま、渉は、少し、面倒くさそうに答えた。

片桐のメモには、入学時の順位も記入されている。

高校入学時の順位は、校内で1位だった。

「お前の頭なら、高校も、もっといいとこ行けただろう?」

渉は、恭平をチラリと見て、面白くもなさそうに答える。

「私立受験のときは、風邪をひいたので。」

「熱でも出したか?」

「そんなとこです。」

低いが、ややハスキーで、甘さも感じさせる独特の声だった。

授業以外で、長く声を聞くのははじめてだった。

精悍に見える顔は、高校生にしては少し大人っぽい。

男らしく見えるのは、太くはないが、キリリと跳ね上がったその眉による。

しかし、その目は、目の前の恭平を見ようとしない。

視線は、常に机に向かい、会話も、どこか他人事のようだった。

「どうして、就職希望なんだ?」

渉は、おそらく何度も聞かれたであろうその質問に、

「大学に行きたくなくなったからです。」

と、答えた。

「どうして?」

しつこいなという、気持ちが、顔に出ているが、とりあえず、素直に返答する。

「前は、大学に行く事自体が目標だったんで、大学で何かをしたいわけではなかったから…。」

「4年の間に、やりたい事を見つけようとは思わないのか?」

「思いません。」

「お前の成績なら、優秀な人材に囲まれて、より高いレベルの職業に就くこともできるかもしれないんだぞ。そんな可能性が、目の前に広がっているのに、選択肢を狭めるのは、もったいないと思うが…。」

「今の僕には、大学は、就職のためのただの通過点だとしか思えなくて、その通過点を通ることが面倒です。」

「面倒なのか?」

「はい…。」

「家庭の事情で、諦めているわけじゃないのか? お前くらいの成績なら、奨学金で、かなり負担も軽減できるはずだ。バイトと併用すれば、何とかなるはずだ。」

家族を亡くして居候という立場には、誰もが、複雑な心境を想像する。

「それも、ないとは言えませんが、借金を背負ってまで行きたいとは、今は思えません。」

大人びた雰囲気はあるが、まだ10代の子どもなのだ。

家族を一度に失ったというトラウマが、彼の人生感を大きく変えることになったとしても、それは、驚くに値しない。

ただ、成績があるということは、高校生の身分では、単純に、選択肢が広がることを意味する。

「もし、この職業に就きたいという、強い希望があるんじゃないなら、公務員試験を受けてみるのはどうだ?」

成績次第で、上に行ける可能性のある職場の方が、あとあと、渉の能力を活かせる可能性が高くなると恭平は思う。

「公務員…?」

しかし、渉は、小さく首を傾げるようにして言った。

「それは、やめておきます。」

「どうして?」

「…。」

黙り込んだ渉には、理由がありそうだが、答える気はないらしい。

「まあ、いい。」

恭平は、小さな吐息をついた。

身長は、恭平より低いが、怪我をして、静養していた身体のわりには、細身だが、筋肉質に見える。

「中学校の時は、何かスポーツをしていたのか?」

「?」

渉は、怪訝げに恭平をチラリと見て、

「水泳をしていました。」

と、物憂げに答えた。

「高校ではしなかったんだな。」

「はい。」

恵まれた頭脳を持ち、恵まれた身体を持ち…、家族が生きていた頃には、どれだけ光った人生を歩んでいたのかと、恭平は想像する。

事故がなければ、きっと、彼には、約束されたような未来が待っていたんだろう。

もし、家族が生きていたら、彼のこの決断を一体、どう思うんだろう。

けれども、一教師として、生徒の事情には、必要以上には踏み込めない。

今の渉がどんな複雑な背景を持ち、どんなことで悩んでいるのか、渉自身が、求めない限り、自分は、手を貸すこともできないのだ。

「時間はまだある。結論は、もう少し先でもいいだろう。ただ、仕事に就きたいなら、どんな仕事がいいのか、もう少し話し合おう。俺も、この学校から、過去の生徒達が、どんな仕事についているのか調べてみる。お前も、気になる職種がはっきりしたら、早めに伝えてくれ。一緒に検討しよう。」

「はい。」

恭平は、立ち上がり、

「次の面談までには、もう少し具体的に考えとけよ。」

と、すれ違いざまに、何気なく、渉の肩をポンと叩いた。

軽く叩いたつもりだった。

しかし、その瞬間、渉の顔が激しく歪んだのだ。

「榛名?」

けれども、名前を呼んだ時には、渉は、既に立ち上がっていた。

「肩をどうかしたか?」

榛名は、何事もなかったかのようなポーカーフェイスで、

「ぶつけました。」

と、端的に答えながら、恭平から受け取った試験結果を鞄の中に入れる。

「どこで?」

「家です。」

「大丈夫か?」

「はい。」

とりつく島もなく、渉は、さっさと、鞄をつかむと、恭平に一礼し、

「失礼します。」

と、そのまま立ち去った。

恭平の顔を、ほとんど見ることはなかった。



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