12 見てたんだよ
今回の事件は、二階堂岳が、自分がふざけて押したせいで、榛名渉に怪我をさせたと、素直に告白し、謝ったことで、大きな問題にはならなかった。
渉が、二階堂家の居候になっていることも大きかった。
更に、岳は、渉の面倒をよく見ているようだった。
着替えを手伝ったり、鞄を持ってやったり、下校時は、クラスまで迎えにきていた。
「俺のせいだから…。」
岳は、何度もこの台詞を口にする。
渉は、されるがままだったが、嫌がっているようには見えなかった。
けれど、心配しすぎる岳に、
「大丈夫だから。」
と何度も、断りを入れていた。
その様子を、遠くから見る恭平は、少し安心もしていた。
渉が何かを抱えていることはわかっていたが、恭平が、色んな意味で、立ち入ることのできない領域なのだということも自覚していた。
渉自身が、シャットアウトしている。
渉が許さない限り、そこから先に踏み込むことが不可能だろう。
けれども、渉は、一人じゃない。
ちゃんと、心配して、世話をしてくれる奴がいる。
家族を失った現実は変わらないが、渉にとっては、これからの方が大事なんだ。
自分の殻に閉じこもり、差し伸べられる手を拒否してばかりでは、先に進めない。
まず、人と触れ合い、頼ったり甘えたりすることが、今の渉にとっては大事なんだと恭平は思っていた。
更に、席替えをして、里村凛が、思い通りに渉の隣の席についた。
操作をしたわけではなかったが、希望を優先する形で、自然にそうなったのだから、面白い。
渉の6組での態度は相変わらずだったが、凛は、渉の声を聞くために、やたら、積極的に、声をかけ、右手が使えない渉の世話を何かと焼きたがった。
「ああ。」とか「ありがとう。」とか、そんな短い言葉を返してもらって、その声に感動している凛の様子がおかしかった。
岳以外の他人と関わりを持ちたがらない渉にとって、小学生のような風貌で、近所のおばさんのようなお節介を焼く凛を、どう扱ったらいいのか、わからなかったようだ。
あしらうことも出来ず、仕方なく受け入れた感じで、凛からされるがままになっているのも、まあ、いい傾向だと、恭平は思っていた。
そんな時だった。
消防士志望の埜々下佑人が、思い詰めたように理科準備室に入ってきたのだ。
凛からの情報だと、牧嶋梨花とは、未だ、いい雰囲気で、つきあっているらしい。
昼休みや放課後に、一緒に勉強している姿は、微笑ましい。
しかし、埜々下の今日の様子は、少しおかしかった。
思いつめたような表情で、言いにくそうに、頭を掻いている。
「どうした?」
埜々下は、落ち着かない様子で、恭平が一人でいることを確認する。
「俺、こういうの、苦手だし…。」
「ん?」
「チクるようで、嫌なんだけど…。」
「?」
いい奴だが、勉強は嫌いだ。
順序だてて話すことも苦手な、この好男子が、言いたくない何かを話そうとしている。
「片桐先生に話すより、榊先生の方が言いやすい気がするんで…。」
「うん。」
恭平は、下手に促さず、埜々下の言葉を待った。
待ってくれていると埜々下は、わかったらしい。
はあと、盛大な溜息をついて、決心したように、口を開いた。
「梨花とも、話したんだけど、言った方がいいと思うんだ。」
「うん。」
「俺さ、見てたんだよ。」
「見てた?」
「うん。あの、榛名が二階堂に階段からつき落とされたとこ…。」
「あの場にいたのか?」
「あの場っつーか、上の階の踊り場んとこいたんだよ。」
「上の階?」
「座り込んでたから、二階堂から見えなかったかもしれないけど、丁度、尻が痛くなって、姿勢を変えようとした時に、二階堂が榛名を突き落とすとこ、見ちゃったんだよ。」
「…。」
「あのあとさ、二階堂が、すごい勢いで、榛名んとこ行って、俺が悪かった、ごめんって、泣きそうな勢いで謝ってたじゃん。」
「俺は、その場にはいなかったが。」
埜々下は、もう一度、頭を激しく掻いた。
「ふざけて、榛名を突き落としたって、謝ってたんだけど…。」
よほど、言いにくいことらしい。
更に、もう一度、激しく頭を掻いて、埜々下は、あきらめたように言った。
「でもさ、違うんだよ。」
「違う?」
「あいつ、わざと榛名をつき落したんだ。」
「わざと?」
「ふざけてて、押したんじゃないよ。突き落とそうと思って押したんだ。」
「え?」
「会話は、聞こえなかったけど、榛名を突き落とした時、二人はふざけてなんかいなかった。
榛名の顔は見えなかったけど、あれは、絶対、わざとだ。」
恭平は、背中がぞくりとするのを感じた。
更に、埜々下は、
「それに、俺、見たんだ。」
と、たたみかけた。もう、一気に言ってしまおうと思ったらしい。
「何を?」
「突き落としたあと、一瞬だったけど、落ちた榛名を見て、二階堂、笑ったんだ。」
「笑った?」
「何か、変な笑いだった。」
「…。」
「俺には、さっぱりわかんないよ。二階堂のこと。」
埜々下は、単純な男だ。理解しがたい行動を説明したくても、自分にないパターンを、どう解釈していいのかわからない。
「すごい嫌な奴じゃないかって、思ったけど、あのあと、本当に泣きそうだったのは、演技とも思えなかったし…。本気で心配してたし、今も、榛名の面倒は一生懸命みてるし…。一瞬だったし、俺の勘違いかって思ってもみたんだけど…。」
「いや…、ありがとう。よく言ってくれた。」
渉には、違和感は感じていた。
肩を触った時の反応といい、内に入り込むことを極度に嫌がる態度といい…。
何かあるとわかっても、それが何なのかわからない。
埜々下の告白は、恭平に、心のどこかで納得させるものがあった。
何かがあるというだけの確信に過ぎなかったが。
「俺、ホントに嫌だったんだからな。」
埜々下が、言い訳するように言う。
「わかってる。」
恭平は、渉や岳に比べると、ずっと単純でわかりやすい埜々下に笑いかけた。
埜々下には、、わざと従妹を突き落とした上で、笑った岳のことも、突き落とされて何も言わない渉のことも、全く理解できないのに違いない。
けれども、これが、伝えなければならない大事なことだという事は気づいている。
すぐ言わなかったのは、理解できない自分、チクりたくない自分という、埜々下の性格ならではの葛藤があったせいだ。
「3階の踊り場で何してたんだ?」
恭平が聞くと、
「聞かれると思った。」
と、埜々下は、再び大きな溜息をつき、観念したように言った。
「メールしてた。」
このことも、すぐに言えなかった原因の一つだろう。
学校に、携帯を持ってくることは、禁止だったからだ。
「わかった。」
就職のかかったこの時期に、携帯の使用を告げた勇気もいったろう。
携帯が見つかったら、内申の規則違反の項目に、必ず記載されることは、入学当時から何度も教師に脅されている。
だからと言って、携帯を皆が持ってこないわけじゃない。
持ってきても、見つからなければいいのだ。
生徒は、教師から見つからないように隠し、教師は、できるだけ、見ないように努力してる。
誰も、好き好んで、生徒の内申を落としたくはないのだ。
けれども、はっきりした状態で、目の前で見つかった時は別だ。
生徒の失態を、教師は、仕方なく受け入れ、没収し、規則通りの対処をしなければならない。
今回の場合は、自己申告だが、埜々下が考えている以上に、これは深刻な問題だと、恭平は思っている。
おそらく、毎日、一緒に勉強しているという梨花や凛との待ち合わせについて、連絡でもしていたのだろう。携帯のことなど、この際、どうでもいい。
恭平は、小柄な埜々下の肩に手を置き、
「このことは、口外しないで、俺に預けてくれ。」
と、頼みこんだ。
「梨花には、言っちまったよ。多分、凛にも伝わってる。」
「ん…。」
まあ、そうだろうなと思いつつ
「そこまでで止めといてくれ。それから、それとなくでいいから、榛名の様子を見ていてくれないか?」
と、重ねて頼むと、
「了解。」
と、準備室に入って、初めて笑顔を見せた。
携帯について、お咎めなしだと気づいてホッとした笑顔でもあったが、心に収めていたことを吐き出せた安心感もあるのだろう。
埜々下は、重い荷物を、やっと降ろしたような、入った時より、少し楽そうな顔をして、準備室を出ていった。




