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透澄の翅衣  作者: 森陰 五十鈴
第三章 揺らぐ黒
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4. 森の闇は深く

 基本的に肥沃と言えない土壌で、時折見える森も小さなものばかりであるキャメロン領だが、国を分かつ森は深かった。賊の残党を追って入ってみればそこは暗闇の迷路。深緑を前に茂る森はあんなに明るかった月の光を遮り、奥へと手招きしているようだった。賊の姿や来た道どころか隣を走るユーノの姿すら見失いそうで、湧き上がる不安を堪えながら突き進む。森は最後までソフィアたちに味方せず、そしてついに、対象の姿も見えなくなった。

「……見失ったな」

 足を止めて呟いてソフィアは肩を落とした。もう闇と木々しか見えない。目印も見えず、これ以上の追跡は不可能だ。

「戻ろう」

 もうどうしようもない。できることは戻ってシリルたちに城壁の穴や賊がこの森に逃げたことを報告することくらいだ。

 と思ったのに。

「馬鹿か」

 しぶしぶ踵を返してきた道を戻ろうとしたソフィアを、ばっさりとユーノは切り捨てた。さすがにショックを受けて身体が固まる。

「夜に慣れない森の中を動き回っても迷うだけだ。どうせお嬢様には碌な知識もないんだろう」

 最後に付け加えられた余計な言葉は、立ち直るのには十分だった。

「山中や森での訓練は受けているのは知っているだろう!」

 騎士はこの国の防衛の要だ。いついかなる場所でも生き残れるよう、騎士学校時代は様々な場所で訓練させられた。山や森、人一人通れるのがやっとの谷間の道。もちろん戦いばかりでなくて、自然のただなかに在っての道の見つけ方や食事の仕方など、サバイバルのようなことも教え込まれた。だから、自分はそこらの令嬢とは違う。そう主張したのだけど。

「管理された訓練場と手つかずの自然は違う。加えて夜だ。迷いたくなければ大人しく従え」

 そう言われて言い返せるだけの自信はさすがに持ち合わせてはいなかった。なにせ本当に訓練の中でしかしたことがなかったので、結局ユーノに従わざるを得なかった。

 ユーノは周囲から枝木を集めると火を点けて、小さな焚き火を作った。そして食べるものを探してくる、と言って森の奥に消えていく。迷わないのかと尋ねたところ、自分は森に慣れていると返ってきた。ついていっても足手纏いになるだけなので、追加の薪となる枝木を集めながらユーノの帰りを待つ。

 闇の中、することも見つからずぼうっとしていると、どうしようもない事ばかりが頭に浮かんでくる。こんなところで何をしているんだろう、と思った。何か少しでもできることを、と思って賊を追って森に入ったが、見失った上に帰れないなど。騎士たちは――それこそ、イザベルやギルバートやヴィクターは、さぞかし心配しているだろう。

 情けなくて仕方がなかった。人の役に立ちたいと願い頑張ってきたつもりだが、肝心なところで足手纏いになるのだ。ソフィアは自分が甘やかされて生きてきたことを自覚していた。だから騎士になって、厳しい訓練に耐えて、その甘えを直したつもりだが、まだまだだということを思い知った。これでは所詮お嬢様と馬鹿にされても仕方がない。

 反省している間に、どれほど時が経ったのか。ユーノはなかなか戻ってこなかった。焚き火しかない闇の中に座り込んでいると、世界にたった一人取り残されたような気がして、涙が出てきた。

 がさり、と背後で音がした。獣かと思い剣を取って背後を振り返ると、そこに兎を抱えたユーノが立っていた。愛らしい生き物は、すでに血抜きがされているのだろう、後ろ足を持たれて逆さ吊りにされたまま、ピクリとも動かなかった。

「……どうした?」

 剣を抜こうと腰に手を添えたソフィアを訝しんで目を細めた。その姿に安堵して、彼に剣を向けようとしたことに気づき、慌てて手を離す。

「いや……」

 力なく座り込むと、目端に溜まった涙をこっそりとぬぐった。

「少し驚いただけだ」

 ソフィアの涙に気付かなかったのか否か、ユーノは言及しては来ず、兎を地面に下ろして焚き火の傍に座り込んだ。

「捌くのを手伝え」

 そうして皮を剥ぎ始める。ソフィアはその傍らに寄って、ナイフを準備して待機した。

 二人は黙々と兎を解体していった。ユーノが大きく部位を切り離し、ソフィアが食べやすいように肉を削ぎ落す。やったことはあっても慣れない作業なのでソフィアの手際は悪く、早々に終えてしまったユーノはその辺りから拾った枝から串を作り始めた。

 自分の作業の遅さにため息が出る。

 ユーノの作った串に肉を刺し、火で炙る。残った部位はユーノが離れたところに放ってきた。焼き上がった肉を食べて空腹感が消えると、焚き火に背を向けて膝を抱える。

 その間、ずっと無言だった。

 火が小さい所為で、闇の縁は意外に近い。暖かなオレンジの明かりの照らす範囲はソフィアたちに与えられた場所だったが、その狭い範囲も今に闇に飲み込まれるような気がした。人の営みのない暗がりというのは、どうも不安感を煽る。

「頼りになるな、お前は」

 暗闇と静けさに堪えかねて吐き出したのは弱音だった。剣がなんだ、成績がなんだ。いざというときに一人でも生き残ることができなければ、ただの役立たずでしかない。人の役に立つどころか、自分を救うことすらままならない。

「下らないな。贅沢な悩みだ」

 唾棄したユーノに、ソフィアは首を傾げた。

「贅沢……だろうか?」

「生きていくうえで仕方なく身に着けた技能を羨むのは、その必要がない人間だけだ」

「あ……」

 それは、裏を返せば、相手が持てなかったものをたくさん持っているということで。その上まだ何か欲するのだから、贅沢と言って然るべきなのだろう。

「そうか……そうだな」

 確かにソフィアはこれまで獣を捌いたり、串を作ったりということに縁がなかった。座っていれば料理が出てきて、それを食べるためのナイフやフォークはいつも用意されていた。食材も自分で手に入れて料理して食べるなんて普通のことを羨むのは、それをしたことがない人間だけだ。

 贅沢という言葉は、非難の言葉である。お前に俺たちの気持ちはわからない、と。そしてその通りであると思った。

 気持ちが萎みかけたソフィアに、さらに追い打ちが掛かる。

「それを後ろめたく思うのもな」

 今度こそ閉口した。見抜かれている。

 再び沈黙が訪れる。その沈黙がまた、耐えられなかった。

「以前、アボット領に難民が流れてきたことがあったんだ。彼らは隣の領から来たんだが、圧政に耐えかねて逃げてきたというんだ。聞けばそれはもう壮絶な扱いを受けていてな、私も家族も憤ったものだったよ」

 その難民たちは、アボットで手厚く保護することとなった。一時的にでも住める場所を確保し、仕事を手配し、その一方で隣の領の実態も調査した。そして問題ありだと判ると、領主を糾弾した。

 紆余曲折を得た結果、圧政を強いていた領主は任を解かれ、新しい領主が赴任することで圧政はなくなった。故郷に戻れるようになった住民たちは、笑顔で感謝を述べて去っていった。今は穏やかに暮らしているらしい。

 彼らが故郷に帰る前、代表者が挨拶をしにアボットの家を訪れたことがある。彼は、玄関先に集まったソフィアの両親と兄、そしてソフィア自身にも丁寧に礼を述べた。その嬉しそうな顔に良かったと思った一方で、ふと疑問も湧いた。

 自分は、果たして彼らに感謝されるようなことをしたのだろうか、と。

 住まいの確保や仕事の斡旋をしたのは、父の仕事を学び始めた兄と補佐に回った執事だった。隣の領の調査や領主を訴え出たのは、父だった。領主としての教育は受けておらず、社交界デビューもまだだったソフィアがしたことと言えば、父や兄に伴って彼らを訪問し、使用人が持たせた土産を渡し、心配を口にするだけだった。

 それはなんだか自己満足のようで。

「それまで私は侯爵の娘としての責務を果たそうと思っていたんだが、そのときから考えが変わったんだ。ただ政略のために結婚して主人を支えるのではなく、直接自分の手で人々を助けたいと思うようになった。だから、騎士になった」

 当然ながら、周囲には反対された。そういうことは騎士の家系でもない貴族の娘のすることではないし、女の身では限界があることを諭された。仮に男であったとしても、騎士になっただけでは望みが叶えられるわけではないことも言い聞かせられた。それでも諦めなかったのは、自分に助けを求めてきた人に、自己満足染みた救いではなく真に報いることができる行いをしたいと思ったからだ。

 色々な手段があっただろう。文官になって政治に加わるも良し、病院や孤児院などで奉仕するという手もあった。その中から騎士という厳しい道を選んだのは、貴族特有の贅に囲まれて育ってしまった故の甘えを絶つためでもあった。

「まずは自分で立つことから。そう決めて頑張ってきたつもりだったんだけどな……」

 実際、騎士としての訓練は、きついの一言では済まない辛さだった。自らが育ってきた世界とは違う厳しい世界。それでも耐えて耐えて、ようやく自信を持つことができた。

 そう思ったのに、結果がこれだ。

「お前が居なければ、私は……」

 きっと森の中で彷徨っていただろう。

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