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第四話:ジャミネの誤算

 地獄の最下層氷結地獄(コキュートス)と魔界を隔てる不可視の障壁は、たとえ魔王であっても破壊することはできない強固なものだ。それは神代に築かれたものであり、現代を生きるものが干渉することをけして許さない。

 地獄とは神の法に背いた罪人の魂を捕らえ、半永久的に罪を償わせるために用意された魂の牢獄である。罪を犯したものの魂は、人と魔物の区別なくこの地獄に集められる。地獄には罪に汚れた魂とそれらを苛む鬼、そして地獄の裁判官である閻魔一族が住まうという。

 そんな地獄と魔界を繋ぐ唯一つの門がある。それは死せる魂の通用門であり、人の世にあっては悔恨の門と呼ばれ、魔物の世にあっては解魂の門と称される漆黒の扉の前に、一体の名もなき魔物が到達したのは五分ほど前のこと。

 彼は到着するなり門を力いっぱい叩き、こうのたまった。


「門を開けよ! さもなくば、地獄の歴史始まって以来の災厄が訪れることになろう!」


 “魂の創世”と題された彫刻――作者不詳、一説によると邪神――が刻まれた門上には櫓があり、そこに立つ鬼は、生誕一周年記念パレードで遠くから見た覚えのある顔を見てたいそう驚いた。しかし鬼は、闇にも光にも属さぬ地獄の番兵である。ましてや大罪を犯したものを預かる地獄の門を守護する鬼ともなれば、その階級はけして低くない。闇の眷属の王に対して礼節をもって接することはあっても、要求を鵜呑みにするようでは地獄の門番は務まらないのだ。


「恐れながら、地獄の門が生きているものを迎えるために開くことはありませぬ」


 鬼が、門の上の櫓から身を乗り出して大声で応じると、それを見上げた名もなき魔物の眉間に深い皺が刻まれた。


「そんなことは承知の上だ。しかし、俺はここを通って邪神殿に行かねばならない。開かぬというなら……」


 名もなき魔物は生まれて初めて他者を脅した。白い吐息に尋常ならざる魔力の波動が籠る。そのようなことをせずとも、闇の眷属であれば誰もが魔王の行く道を阻むことはなかった。

 ジャミネとその部下たちは例外中の例外だ。闇の眷属の未来のため、という大義の下、彼らは魔王を相手にしても牙を剥く。幸い、その牙の持ち主たちは、まだ名もなき魔物の背中から遥か遠くで作戦を展開中だが、残された時間はそう長くはない。

 闇の眷属が地上へ至るには、邪神殿を利用するしかない。自分が魔界の邪神殿を避けてこの地を目指したことは、すぐに優秀な副官の知るところとなろう。

 無表情を貫く鬼を前に名もなき魔物は焦っていたが、解魂の門を前にして「力づくでは通れぬ」と悟っていた。櫓からこちらを見下ろす鬼の背後――迫りくる強大な気配を感じ取っていたのだ。


「鬼よ。俺は邪神殿に用があるだけなのだ。地獄に迷惑はかけぬ故、黙ってここを通せ」


「しかし魔王どの。邪神殿なら魔界にいくらでもありましょう」


 元魔王もさることながら、鬼も譲らなかった。


「魔界のそれは――」


 ある理由があって利用できない。魔界にある邪神殿はすでにジャミネの手が回っている可能性が高い。ジャミネの手駒といえばジャミネチルドレンだ。狂信的といってよいほどジャミネを崇拝しており、彼女の課す度を越した訓練を生き延びた、闇の軍団内部からも恐れられている化け物ども。彼らはジャミネの命令とあらば、戦ってでも魔王の地上行きを阻止しようとするに違いない。

 地上を目指す名もなき魔物は万難を力によって退けると誓ってはいたが、無用な戦いは避けたかった。


「鬼よ、俺は――」


 魔王は言いかけて、口をつぐんだ。巨大な気配はすでに、解魂の門のすぐ裏に到達していたのだ。


「ねえ。なんで地上に行きたいの?」

「!?」


 名もなき魔物が邪神殿を求めている理由を訊ねた声は、門番の口から発せられたものではなかった。少年とも少女とも取れる、要するに幼い子供の様な声が解放の門の向こうから届けられた。


「閻魔様!」


 声の主は門の向こうにいるのか姿は見えないが、それを主のものと認識した鬼がその場で膝を突き、頭を垂れた。


「閻魔……」


 鬼の所作で、現れた気配の正体は名もなき魔物にも知れた。

 地獄は魔界より古くから在り続ける。そこは光の眷属と闇の眷属の区別なく、罪を犯したものが死後永遠の責苦を味わう場所であり、いくつもの階層に分かれている。生前の罪に応じて行き先が決まるとされているが、その内情を生きているものが知る術はない。名もなき魔物にしても、書籍やジャミネによる教示以外の知識を持っていない。当然、地獄を治める閻魔という存在とまみえるのはこれが初めてだった。


「初めまして。魔王……じゃないんだっけ? 今は名もなき魔物……? なんか、呼びにくっ!」


 閻魔の声は、その向こうの様子を全くうかがわせない鉄扉を挟んでいても明瞭に耳に届けられた。さらに、神の如き威圧を放つものの言葉に、名もなき魔物は虚を突かれた。

 魔王を辞めると口にしたのは魔王城でのただ一度のみだ。閻魔はどうやってそれを知った?


「密偵なんて使ってないよー。“閻魔の耳は地獄耳”ってやつさ」


 内心の危惧を見透かしたように、否、完全に見透かして、姿なき声の主は愉快そうに言葉を続けた。

 闇の眷属が得意とする魔法の中に、相手の魔力とシンクロすることで思考を読み、心を操るものがあるが、名もなき魔物は魔力が働いた気配を感じることができなかった。


「俺の考えが……わかるのか」


 名もなき魔物は、側頭部の巻角に手を触れていた。口調こそ童のようであっても、門の向こうから伝わってくる威圧はこれまで相対してきた存在の全てを凌駕していた。知らないうちに、何らかの干渉を受けているかもしれぬ。


「さてね~」


 警戒を深める魔王とは対称的に、閻魔はケラケラと笑った。


「それより質問に答えてよ。返答次第では、君を地上へ出してあげちゃうよ?」


「閻魔様!?」


 閻魔の言葉にまず反応を示したのは、門番の鬼であった。彼は立ち上がり、櫓の向こう側に身を乗り出して声を張り上げる。


「地獄の門を通すのですか?」


「うん。魔物ちゃんは今どき珍しい無垢(ピュア)な魂をもっているからね☆」


「ピュア……まさか、閻魔様!? ダメです! 前例がありません!」


「うるさいなぁ」


 さらに喚く鬼をゆるく一喝すると、閻魔の注意は再び名もなき魔物に向けられる。


「ほら、魔物ちゃん。なんで地上に行きたいのか、教えてよ」


「……」


「うんうん」


 応えてもいないのに、内心の「俺はただ――」という呟きに相槌が返ってくる。名もなき魔物は逡巡した。得体のしれない――未だ姿さえ見せない閻魔の質問に、どう答えるべきか。

 そもそも閻魔は、こちらの考えを見通す力を有していながら、何故意図を尋ねるのか。

 閻魔の前で嘘を吐くと、舌を抜かれるそうですわ。

 ジャミネの顔と言葉が、名もなき魔物の頭をよぎった。







「……魔候の一柱として、解魂の門の開門を正式に要求いたしますわ」

 

 名もなき魔物から遅れること二時間。迷彩服に身を包んだジャミネとその部下一行は、解魂の門前に集結していた。


「なにいってんのジャミネちゃん。地獄の開門要求なんて、それ自体が正式な話じゃないよ☆」


 櫓門の上に鬼の姿はなく、魔界の貴族に応対しているのは閻魔自身だった。朱塗りの横木に左肘を立てて頬杖を付き、右手の杓をぶらぶらと退屈そうに動かしている。櫓の両端で焚かれていたかがり火は消え、閻魔の表情を伺うことはできなかった。


「我らの主――魔王様の足跡はここで途絶えています」


「ふぅん。それで?」


「恐れながら閻魔様。私は、魔王様が地獄の邪神殿を通じて地上へ向かわれた――と考えております」


 閻魔の前では、いかなるウソも謀も無意味。ジャミネは膝を折り、頭を垂れたままで正直な見解を述べ、さらに言葉を続ける。


「魔王様は、愚昧なる光の勇者に対する闇の眷属の切り札。一時の感情に流されての妄動を捨て置くわけには参りません。そも、地獄は本来生けるものに不干渉であるはず。我々は厳重に抗議し――!!」


 ジャミネの語気が強まったのを合図にしたかのように、圧倒的な威圧が降り注いだ。闇の軍団にその名を轟かすジャミネをしてすら口を噤ませるほどのプレッシャーだった。尋常ではないレベルまで練磨されてはいても、百戦どころかこれが初陣のジャミネチルドレンたちなどひとたまりもない。彼らのほとんどが腰を抜かして尻餅を付き、その場からどうにか遠ざかろうともがいた。


「よく言うよ。魔界の邪神殿の魔法陣を全部壊しちゃったくせに」


 轟轟と旋毛風を巻き起こし、さながら吹き荒れるブリザードのような威圧はそのままに、能天気な閻魔の声がジャミネの作戦を批判した。閻魔はさらに遮杓を動かしてジャミネを指した。


「君のおかげで、闇の軍団は地上と魔界の往来がほぼ不可能になった。魔法陣が残っていれば、すぐに魔物ちゃんを追えたんじゃないの」


「そ、それは――」


 魔王さえ拿捕できれば――そればかりを優先し、先走りすぎたことは否めない。言葉に詰まったジャミネに閻魔がたたみかける。


「君の行いは、しっかりと記録したからね。君の魂が地獄(ここ)に来るのを楽しみにしているよ☆」


 閻魔は横木から身を離した。暗がりにその姿が溶けるように消えていく。


「僕は、たしかに名もなき魔物ちゃんを地上に送ってやったよ。神の法に背くようなマネはもちろんしていない」


「魔物ちゃん……? 魔王様のことですの!?」

 

 威圧が解かれた。ジャミネは立ち上がり、闇に向かって声を張り上げた。

 もはや閻魔の姿は見えない。声だけが、ジャミネ達の上から、いや、地の底から響くように這い上がってくる。


「僕は、魔物ちゃんの純粋な願いに心打たれたから助けてあげたのさ。君たちが地上に出られなくなったからって、知ったことじゃないよ~だ☆」


「ぐっ。貴様ァッ!!」


 ジャミネは一跳びで櫓の高さまで跳んだ。闇の奥へ目を凝らすが、そこにはもう閻魔の気配すら感じられなかった。


「くっ……」


 ジャミネはギリギリと奥歯を鳴らし、閻魔が消え去った闇を見つめていた。閻魔は間違いなく言った。「名もなき魔物を地上へ送った」と。硬い、どうしようもなく分厚い岩盤の向こうへ、闇の眷属の希望は去ってしまった。

 雪原を冷たい風が撫でていく。巻き上がった氷の結晶は、美しくもなんともない。魔界にはそれを輝かせる光が届かないからだ。

 雪原の終わりには岩肌が剝き出しの山がそびえ、その向こうには闇の眷属が住まう魔界が広がっている。魔王を追い、自分たちが駆け抜けてきたのは、花はおろか草木も育たず、どこまでも荒涼とした死の世界だ。

 光の眷属を打ち倒し、闇に光をもたらす魔王は、もうこの世界にはいない。

 ジャミネは歯噛みするのを止め、俯いて唇を引き結んだ。

 静けさを取り戻した雪原に、ジャミネチルドレンたちが恐る恐る戻ってきた。


「ジャミネ様……」


 彼らの中から伍長が進み出た。

 平素であれば敵前逃亡も同然の彼らが許可なく発言などしようものなら首が飛んでいたかもしれない。しかし魔王を失い、それを追う手段を自ら潰す失態を犯した今、神代の昔から存在する閻魔に恐れをなした彼らを、振り返ったジャミネが言葉責めにすることはなかった。


「これからどうし――へぐぅッ!?」


 いつの間にやら手にした砂鉄入りの革袋が、伍長の頬を打ち抜いた。五メートルほど吹き飛んだ伍長は、さらに雪原にガリガリと顔面を擦りつけながら、都合十メートルほどで止まった。


「貴様ら……」

「ジャミネ様――?」

「――!!」


 尻を天頂に向けたままピクリとも動かない伍長をしばらく見ていたジャミネが、遠巻きにしていたジャミネチルドレンの一団を振り向いた。迷彩帽を目深にかぶっていたため、彼らにはジャミネの顔は下半分しか見えなかったが、彼女の唇が僅かに振るえ、やがてその口角が上がり、耳まで裂けていくのを見て取ったとき、全員が直立不動の体勢を取った。

 ジャミネは兵士の一団の正面に立ち、そしてゆっくりと隊列の前を往復する。


 一往復目。


 ジャミネは無言である。彼女のブーツが、凍てついた雪原を規則的に踏む音と、部隊の呼吸がシンクロしていく。


 二往復目。


 ジャミネは兵士たちが落ち着きを取り戻しつつあることに満足そうに頷きながら、魔物一体一体の顔を値踏みするように見る。


 三往復目。


 いつの間にか隊列に復帰した伍長の前で、ジャミネは歩みを止めた。


「魔王を拿捕する作戦は失敗に終わった。閻魔の協力も得られず、今すぐ魔王を追うことは不可能となった」


「ウーハー! サージェント! (残念であります! ジャミネ様!)」


 四十七名の兵士の一糸乱れぬ声が、地獄と魔界の境界をビリビリと震わせた。


「では貴様らに問おう。これで我々は八方塞がりか? このまま魔王は勇者と手を取り、我らは永遠に暗澹たる魔界で息を潜めて暮らすより他に道はないのか!?」


「う……うーはー? (いや、そう仰せられても……なあ?)」


 兵士たちは互いに顔を見合わせ、困惑を露わにした。

 ジャミネは、そんな部下たちを一喝した。


「馬鹿どもがあッ!!!!」


 大きく胸を逸らし、吸い込んだ息を一気に吐き出すかのように声を荒らげた。


「私は貴様らの真価を知っている! 一兵卒に過ぎない貴様らが、どれだけの進化を遂げてきたかを知っている!!」


 ジャミネは伍長の迷彩服の襟を掴み上げ、語気をさらに強めた。負けじと、兵士たちも声を張り上げた。


「ウーハー! サージェント! (光栄であります! ジャミネ様!)」


「貴様らの足は、何のための足だ!?」


 ジャミネが伍長を離したが、その足を蹴りつけた。


「ウーハー! サージェント! (敵を踏みしだき、蹂躙する足であります!)」


 伍長は僅かに顔を歪めただけで、魔候の一撃に耐えてみせた。

 ジャミネは続いて、伍長の右隣りに立っていた猿のような顔をした兵士の腕をねじり上げる。


「貴様らの腕は何のための腕だ!?」


「ウーハー! サージェント! (敵を打ち倒し、屈服させるための腕であります!)」


 今度は左のコウモリのような翼を持った魔物の胴に拳を叩きこんだ。


「貴様らの身体は、何のための身体だ!?」


「ウーハー! サージェント! (この身が続く限り戦い、死して闇の世界の礎となるための身体であります!)」


「では……」


 掛け合いが続くほど、兵士たちは高揚していくようだった。しかし、ジャミネはせっかくのリズムを自ら崩した。彼女は隊列に背を向け、地上と魔界を隔てる岩盤を見上げて口を開いた。


「貴様らの“手”は、何のための手だ?」

「う……うーはーばぶひィッ!? (手……でありますかぶひーっ!?)」


 特徴的な蹄の形をした自身の手を見て怪訝な顔をした豚顔の魔物が、ジャミネによって張り倒された。

 ジャミネは再び隊列の中央に向かい、両手を腰に当てて息を吸い込む。


「よく聞け、馬鹿野郎ども!」


 ジャミネは打ち抜いた右拳を突き上げ、岩盤を指差した。


「貴様らは鍛えた! 鍛え上げた! 我らの敵を打ち倒し、蹂躙し、ただ土に還るために! 全ては、我ら闇の眷属の未来のために!! 貴様らの手は、未来を掴みとるためにあるのだと!!」


 ジャミネは再び隊列に背を向けた。


「私は信じていた! 貴様らの覚悟はできていると! 信念に死ねる、真の戦士だと信じていたのだ――」


 ジャミネが言葉を切った。真っ黒な岩盤を見上げ、部隊に背を向けたままだった。


「だが貴様らは、閻魔の威圧だけで……戦意を失った」


 兵士たちが息をのんだ。なにか言おうと開きかけたリザードマンの口を、伍長が抑えた。彼は無言で頷き、一歩前に進み出た。

 敗走こそ免れたものの、戦意を失ったのは事実。責任は自分が取る――伍長の背中がそう語っていた。


「ジャミネ様――」


 恐る恐るではあった。しかし伍長は、確固たる信念をもってジャミネの肩に手を触れようとし――


「私も……」


 その肩が、声が震えていることに気がついた。伍長はもちろん、部隊の全員がこれまでとはまったく違った意味で硬直した。次の瞬間、伍長の視界からジャミネが消えた。


「私もまた……恐れてしまった」


 ジャミネは震える肩を自ら抱くように掴み、その場にしゃがみ込んでしまっていた。膝を折り、背中を丸めて蹲る姿は、数多の政敵を退け魔王に次ぐ地位まで上り詰めた魔候のそれではなくなっていた。


「閻魔は神代から在る、もっとも神に近い存在だが、神ではない。運命を操るほどの力は持ち合わせていないはずだ。それでも、私の想像を遥かに超えた化け物だった。

 私は思い知ったよ……。神の力の大きさというものを。

 私は縋っていただけ……神の名のもとに、滅ぶべきは我々ではないと、魔王生誕は終末の序曲ではなく、闇の眷属の全てを賭けた、戦いの狼煙なのだと思い込みたかっただけ……」


 ジャミネは膝を抱え、「もう、おしまいだ」と呟いて口を閉ざした。

 伍長はその場に立ち尽くしていた。

 誰も、何も言わない時間が空しく過ぎていく。真っ黒な岩盤が、彼らを黙って見下ろしていた。




 ジャミネは目を固く閉じ、目の端から流れる冷たい涙を拭おうともしなかった。運命に抗うために魔王を教育し、その先兵となる戦闘集団を育て上げることに心血を注いできた自分を呪った。光の勇者にはどうやっても勝てないのかもしれなかった。しかし死力を尽くした戦いの果てに滅ぶのと、戦いもせず敗北を突き付けられるのはまったく別だ。運命は、魔王は、最悪の形でジャミネを裏切った。

 裏切ったといえば、指揮官たる自分もそうだ。

 信念に死ねと命じておきながら、想像を超えた怪物を前にして足がすくんだ。閻魔の気配が消えるまで、その場を動くこともできなかった。

 抗せずして敗北を認めたのだ。

 背後に佇むだけだった部隊に動きが生じたのは、彼女の緊張の糸が切れてしまってから一時間ほど経過したときのことだった。

 最初にジャミネが耳にしたのは、羽ばたく音だった。

 翼を持つ魔物が部隊を離れたのだろう。去らば去れ。さらば。

 ジャミネにはもう、それを止める気はなかった。そのままにしておけば、皆黙って去るだろう。それどころかジャミネは、リンチに遭うことも覚悟していた。血の滲むようなではなく、本当に血反吐を出し尽くす訓練を強いてきたのだ。魔王の拿捕は失敗し、地上に出ることももはやできない。彼らの時間を奪い、死に場所さえ奪ってしまったのだ。

 唐突に爆発音が轟いた。

 部隊の誰かが、怒りに任せて暴れているのか。爆発の回数は徐々に増え、激しさを増していく。次々と羽ばたきや足音が遠ざかり、それに反して破壊の音は増えていった。乱闘が始まったのか? 暴れるくらいなら、私を殺せ――


「ジャミネ様」


 伍長の声に、ジャミネはわずかに身を固くした。


「見てください」


 肩に、そっと触れるものがあった。凍てついた血潮を宿す、同族の手だった。殺意や敵意は感じられなかった。


「……なにをしているの……?」


 振り返ったジャミネは、背後に伍長以外の誰もいないことを認めた。そして遥か上空で爆ぜる閃光に目を細めた。


「くらいやがれぇぇぇぇ!!」


 咆哮に驚き地上に目を戻すと、サイクロプスが燃える岩弾を投げている。錐もみ回転をするそれは一直線に空へ昇っていく。

 また爆発、そして歓声。

 もうもうと煙を放つ爆心地に向かって、翼をもつ魔物の一個小隊が、魔力をその身に纏わせて突っ込んでいく。次々と爆発が起こり、爆炎の中から黒焦げになった魔物たちが落下してくる。衛生兵が走り、怒号に近い声をかけながら治癒を施していた。


「みんな……なにを……」


「ジャミネ様ァ! 見ててください!」


「必ず! このクソったれをぶち抜いてやりますから!」


「行くぜ! おらああああ!!」


 ジャミネの視線に気づいた兵士たちが口々に叫ぶ。そして、岩盤の一点に向かって集中砲火を浴びせていた。


「我々は、信じています」


 伍長の右手に、かつて目にしたことのないほどの力が収束していく。闇の力の集合体暗黒物質(ダークマター)は槍の形に成形され、伍長はそれを担ぐようにして狙いを定めた。


「今も昔も、ジャミネ様を」


 ジャミネが応えようとしたとき、一際大きな爆発が岩盤を揺るがした。飛翔部隊の特攻が再開されたのだ。無数の破片をまき散らす爆心地をめがけ、闇の力の集合体は発射された。吸い込まれるように爆炎の中心に消えた数秒後、耳をつんざくほどの豪音が響き渡った。


「ばかな……」


 溶解した岩盤が真っ赤な雨を降らせ、高温の中で加速した電子の衝突は黒煙の中に七色の放電を起こす中、ジャミネは確かに見た。


 一筋の、日の光を。




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