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第三話:氷結地獄へ

 荒野を走ること三時間ほどで、名もなき魔物は足を止めた。彼は振り返り、どこまでも続く赤茶けた大地を見つめた。地平線の向こうについさっきまで暮らしていた魔王城はおろか、闇の眷属たちの本拠地である死の山も見えないほど遠くまで走って来たのだ。


 名もなき魔物は雄叫びを上げ、開放感(いやっほーぅ)を存分に味わっていた。


 魔王生誕。


 それを待ちわびていた闇の眷属たちはいざ知らず。名もなき魔物にとっては何の前触れもなく訪れた目覚めだった。


 あの日の記憶は、十年経った今でも少しも色あせない。


 彼が初めて耳にしたのは耳障りな悲鳴、そして初めて目にしたのはT字に組まれた楡木に括り付けられた人間の姿だった。脇腹を一突きにされ、流れ出た血は一糸まとわぬ彼の身体を汚していた。浮き出た肋骨の起伏に沿って流れ、滴るその先には無残に傷つけられた下半身が見えた。


 楡木は地面に突き立てられていたとはいえ、人一人括り付けていたのではすぐに倒れてしまう。それを支えていたのは男の家族らしかった。


 名もなき魔物が目を開けたことに歓喜し、あちこちから祝いの言葉が投げかけられる中、失血のためかすでに虚ろな目をしている男にすがり、「あなた、頑張って」「父ちゃん、死なないで」と、励まし、哀願する女子供の姿。

そしてその後に起こったこと。


 あれ以上のおぞましい光景を名もなき魔物は見たことがない。


 あれこそが黒く、穢れた魂を持つもの共の本性。光を失いそれを追い求め、神の定めに愚直に従いながらもけしてその恩寵を受けることがない悲しい生き物。

闇の眷属の王など、俺に務まる訳がない。


 なぜか十分に成長した姿で、母体からではなく魔法陣の中心に憐れな生贄の命と引き換えに現れた名もなき魔物はずっと自由を求めていた。それと同じくらい、出自の謎を知りたかった。闇の眷属どもはいくら訊ねてもそれに答えることはなかった。


 今、名もなき魔物は自由を手に入れた。


 出自の謎については、地上に出てからじっくりと調べよう。いかにして魔物は誕生したのか。生贄に捧げられた家族を調べれば何かわかるかもしれない。


「……あの追跡装置(ネックレス)にひっかかってくれるといいが」


 ジャミネがしたり顔で贈り付けてきた忌々しい魔道具はイルバッカの地に埋めておいてやった。今頃はそれを掘り起こして歯噛みしている頃だろう。


 名もなき魔物は鉄面皮の腹心が切歯扼腕する様を想像してほくそ笑んだが、すぐに表情を硬くした。


 執念深く、海千山千のジャミネのことだ。あらゆる手立てを尽くして自分を探し出し、城へ連れ戻そうとするだろう。


 名もなき魔物はこれから訪れるだろう困難を予感させる暗い空――の代わりに魔界の天頂を覆う岩盤を見上げた。


 分厚い。


 それは素手で鋼の板に穴を穿つ彼の力をもってしても、突き破って地上に出ることはできないほどに。


 したがって魔界に住まう闇の眷属が日の光を浴びて跳梁跋扈するためには、魔界に点在する「邪神殿」に設置された魔法陣を通る必要がある。どの邪神殿を使ってもいいが、まともに魔法陣が機能している場所は限られていると聞いていた。

名もなき魔物は直接神殿に出向いたことはない。故に行ったことのない場所には転移できない瞬間移動は役に立たず、たとえ既知の場所へ赴くためだとしても大きく力を消費してしまうためそう何度も使えるものではない。


 この自由を手放す気はない。


 邪魔立てするものは徹底的に排除すればいい。


 だが、生まれてこのかた魔王暮らし以外の何も知らない上、自分には闇の眷属以外味方もいない。そしてそれを裏切った今、味方すらいないのだ。自由を手に入れても、一体で孤独に生きるのは嫌だ。


 魔王は再び疾駆する。


 あっという間に荒野を過ぎ、断崖絶壁の縁へ至る。


 地上に仲間がいないのなら、作ればいい。


 待っていろ。勇者よ。


 地上を見上げたまま、名もなき魔物は口角を吊りあげる。


 貴様の最大の敵が、仲間になってやるぞ。


 名もなき魔物は眼下に広がる雪原を見下ろし、白い息を吐いた。







「どうしたサノバビッチ! その鼻は飾りか!? 崇敬する魔王様の匂いだ。百万キロ先にいらしてもわかるだろう!? 貴様、魔王様を崇拝する気持ちがたりないんじゃぁないのか!?」


 狼男の鼻の下にナイフのように研ぎ澄まされた爪を突きつけ、ジャミネが毒づいた。


「れ、レンジャー!(ぐあっ! ちょっと切れた!)……ぐぶぶ」


 傷口から侵入した毒は狼男の呼吸器に深刻なダメージを与えた。彼は口から泡を吹いて崩れ落ち、乾いた大地に幾ばくかの水分を与えると動かなくなった。周囲から「ウルフマンがやられたッ!?」「衛生兵(メディーコ)!」などと叫ぶ声が上がり、狼男の身体はジャミネを先頭にした鏃の陣形の後方へと運ばれていった。


 草木の生えない赤茶色の大地に在っては目立ちすぎる迷彩服の集団を率いるジャミネに、上空から黒い影が急接近した。


「ジャミネ様! 各小隊(チーム)“作業”完了しましたッ! 全隊、魔王様との接触はありません!」


 黒い羽毛に覆われた翼を操って滑空してきた兵士がジャミネの前方三メートルほどの地点に着地するのと同時に敬礼し、報告した。


 ジャミネは頷きを返し、邪悪としか表現できない笑みを浮かべる。


 ふふふ。魔王様、上手くだましたおつもりでしょう。甚だ僭越ながら、無駄でございます。


 耳まで裂けるほど口角を吊りあげたジャミネは、部隊を次のように分けていた。

まず総勢四十七名の恐るべき子供たち(ジャミネチルドレン)を三体一組のチーム十三組とジャミネを含めた九名の二つに分けた。


 各チームは点在する邪神殿へ走り、名もなき魔物――彼らにとっては魔王がそれを利用する前に破壊するように命令された。


 魔界に現存する邪神殿の数は二十五だが、そのうち地上へ至る転移魔法陣が機能しているのはわずかに十四。


 追跡装置を看破されていることは、ジャミネの予想の範囲内だった。彼女は城を出立すると同時に小隊を魔法陣の破壊に向かわせ、鼻が利き、足の速いものを集めた部隊を率いて一心に追跡装置を目指した。


 いかに魔王といえども瞬間移動を日に何度も使えない。


 ジャミネの前から姿を消すのに一回、できるだけ離れた位置に追跡装置を放置する。魔王は邪神殿に直接赴いたことはないのでそこからは自身の足で移動するはず。走る速度だけなら鍛え上げられた精鋭である恐るべき子供たち(ジャミネチルドレン)は魔王に引けを取らない。兵士たちには魔王とかち合ってしまった場合、たとえ殺されても魔法陣を破壊するように厳命してあった。


 そして今、十三の小隊は魔王とかち合うことなく作業を終えた。


 魔法陣が機能している邪神殿はあと一つ。


 部隊を配した邪神殿で遭遇しなかったということは、去り際の魔王の言葉はジャミネの聞き違いでも彼の冗談でもない。


「仲間に入れてもらうのだ」


 あのガキ。


 一転してジャミネの表情が険しくなった。


 言うに事を欠いて神に愛された反則(チート)野郎の仲間になる?


 そんなことが許されてなるものか。


 ジャミネは闇の眷属として生まれ、物心つく前から厳しく躾けられてきた。いかに光の眷属をいびり、蔑み、不幸をもたらすか。ありとあらゆる手段を叩きこまれ、貪欲にそれを吸収してきた。しかし、闇の眷属は最終的に光の勇者に倒される運命だという。魔物のエリートであるジャミネの父は、上層部の中でもほんの一握りしか知らない事実を一人前になった娘に告げた。


 魔王の誕生は闇の眷属たちにとって導きの光などではなかった。


 その生誕をもって人間との争いを激化させ、勇者の魔界侵攻のきっかけとなる。荒れ狂う海を走る船を導く灯台ではなく、岩礁へ誘い込むセイレーンの歌声のごとき滅びの象徴だったのだ。


 神の定めなどクソくらえ。


 ジャミネは幼い頃に誓ったのだ。


 魔王を最強無比の存在に仕上げ、どんな手を使ってでも光の勇者を滅ぼすのだ、と。


「全員、聞け!」


 ザッ!


 ジャミネの号令に反応し、休めの姿勢だった兵士たちが一斉に直立不動の姿勢を取った。


「諸君の迅速な作戦行動によって、魔王が使える魔法陣はあと一つとなった! 我々はこれより目標を“氷結地獄(コキュートス)”の邪神殿に定め、急行する! 魔王と戦ってでもこれを連れ戻すのだ! 死ぬ覚悟のないものは今すぐ回れ右をしろ!」


「「「ウーハー! サージェント!! (全員、意気軒昂であります! ジャミネ様!!)」」」


 兵士たち――先ほど猛毒に倒れたはずのウルフマンまでも――が一斉に応えた。ジャミネは後ろ手に手を組んで魔物たちの絶叫を受け止める。


「まったく貴様らは本物のクソ(自主規制)だな! だが、貴様らに本当にできるのか? 魔王の爪に切り刻まれ、どんな魔物よりも恐ろしい闇の力に侵されながら、本物の汚物になっても目標に食らいつき、引きずり倒すと誓えるか!?」


「「「「ガンホー! ガンホー!! (やってやるぜ! 俺たちは本物の(自主規制だ)!!)」」」」

「よろしい! 総員戦闘態勢! 耳当て、マフラーは二重に装備せよ! 目標、魔王!! 征け(ムーブ)! 走れ《ムーブ》!! 食らいつけェッ(ムーーーブ)!!」

「「「「「ィィィィイッハ――――!!!!」」」」」


 灰色の兵士たちはジャミネを先頭に、矢のごとく走り去った。





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