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Happy‐birthday,my baby.

作者: 笹丘かもめ

洋介は4ヶ月ほど前から新聞を取るようになった。ニュースもよく見る。

そしてそれらを隅々まで眺めてから、ほんの一時、安堵するのだった。









夕刻。

洋介の部屋で、ハルは彼の顔を見上げながら、疑り深げに訊いた。

「ねぇ洋介、洋介が好きなのはハルだけ?」

洋介はごく自然に、そつなく答えた。

「当たり前じゃんか」


「じゃ、洋介はハルでひとりじめ♪」

彼女はそう言って、洋介に抱きついた。

「やめろよ、くすぐったい」

彼は軽く笑って、彼女の頭を撫ぜる。



「・・・そういえばね、この間変な夢を見たの」

「どんな?」

彼女は少し困惑したように眉根を寄せ、口を開いた。

「女の人の声で、『あと2週間ね』って聞こえるの」

「それだけ?」

彼は首をかしげた。

「うん・・・・・・なんだかその声が、ハルと似てた気がして」



 ・・・そんなやつ知らない



「気味悪い夢だな」

彼は顔をしかめて、彼女から目をそらした。

「そうかな・・・でも、あの声聞いたらユカのこと思い出しちゃった」

彼女は少し下を向いて、困ったような顔のまま続けた。

「私、悪いことしちゃったもんね・・・・洋介とユカ、付き合ってたこと知ってるよ」



   あんな勝手な女 付き合ってられるか



彼はいやな顔をした。

「悪いことなんかないさ、ユカとは付き合って後悔したよ」

「?」

彼女は首をかしげる。

「あいつ俺の言うことも聞かないで、なんでも自分で決めようとするんだよ」

まったく、と吐き捨てるように言って彼は肩をすくめた。

「確かにねぇ・・ユカはなんて言うのか・・・しっかりしすぎてたよね」

「かわいげが無ぇんだよな」

「アハハ、言えてる」














一週間後の真夜中。

テーブルの上の携帯が鳴ったので、彼は起き上がってそれを手に取った。

画面を一瞥する。ハルかららしい。

「・・・何だ? こんな夜中に」

彼は鳴り続ける携帯の通話ボタンを押し、耳に押し当てた。


彼女が小さく嗚咽するのが聞こえた。

「・・・・洋介・・」

一呼吸おいて、彼女は泣き出した。



「おい、どうしたんだよ、一体?」

彼女は嗚咽交じりの震える声で話し出した。

「また夢を見たの」

「夢って・・・・・・ああ、あの『声が聞こえる』っていう夢か?」

「うん・・・実は・・先週話した後も、何回も同じ夢を見て・・・・・その度に日にちが近くなってきて・・・声も、なんだかどんどん近くなってきてて」

「なら、今日見た夢では1週間だったのか?」

彼女の電話越しの声は、末尾が消え入るほど小さかった。

「うん」

彼は携帯を耳に当てたまま、彼のほか誰もいるはずがない室内を見回した。



 ・・・闇がわだかまる部屋の隅に誰かいないか

       たとえば あいつのような



「ねぇ洋介・・・・今ユカがどこにいるか知ってる?」

彼はため息をつきながら言った。

「知るわけないじゃんか、あいつ俺に振られてどっか行ったんだから」

番号もアドレスも変えたみたいだから繋がらないし、と彼は続ける。

「うん・・・そうだよね」


数秒の沈黙。


「・・・・うん、こんな夜遅くに電話してゴメンね。じゃあ」

「ああ、じゃぁな」




彼は電話が切れてしまってからも、十秒近く携帯電話を耳に押し当てたままでいた。

通信が切れたことを示す〔ツー、ツー、ツー〕という音が聞こえているようないないような気持ちで、ある一つのことを思い出していた。






   ・・・・あと、一週間ね



















その日。

彼は朝から出かけていた。

彼女に夢のことを忘れて楽しんでもらうために、また自分もそのことを忘れるために、一日遊び続けた。

家についたころには零時を回っていた。















翌々日の夜更け。

彼は玄関に立つそれを見て戦慄した。

「・・・・・・・ユカ」

「久しぶりね、洋介」

彼女はそう言ってぎこちなく靴を脱ぐと、当たり前のようにあがりこんだ。

その腹部は大きく膨れ上がり、臨月の様相を呈している。



    クソ執念深い女だな




そう思うと同時に、一瞬感じた恐怖はすぐに別の感情に入れ替わった。

「・・・・・何の用なんだよ」

彼は彼女をキッとばかりに睨みつけると、台所の包丁をつかんだ。

「あら、私を殺しといて『何の用だ』とは失礼じゃないの」

彼女は微笑んだ。



    死人なら死人らしく寝てりゃいいだろうが



彼は、彼女の喉元に包丁の切っ先と突きつけた。

「お前の望みは何だ!?  ハルと別れろってか!?」

「そんなに怖い顔しないでよ、洋介」

彼女はあくまで冷静に微笑む。




      つくづく気に障る


    俺に相談もせず

    「自分の赤ちゃんだから産む」なんて言い出して

      何様のつもりだよ

       俺はお前の子供の父親になんかなりたくない


    


「ごめんね、おととい来られなくて・・・」

彼女は腹部をなでた。

「・・予定日よりちょっと遅れるなんて、よくあることでしょ?」





    降ろせないだと!?

       冗談言うな、こっちは降ろしてもらわないと困るんだよ




彼は蒼ざめて、彼女の腹部を見た。

もし、ユカの胎内に宿ったものが成長し続けていたとしたら・・・

もうすぐ、それが生まれる。

「ふふっ、あなたに殺されたときには26週・・・・・一昨日で40週よ」

・・・彼女の体内で、何かが蠢いた。







      ・・・・・・ふざけるな



ふざけるなふざけるなふざけるなお前は四ヶ月前死んだはずだそれなのに何故ここにいるんだお前は胎の中の子供と一緒に死んだはずだ殺したはずだ俺には子供なんて必要ない子供なんて生まれていないなら人間じゃない殺してもいいはずだろうがそれを何故ためらうんだ

法律だと?

そんなバカみたいな法律があってたまるかよ俺はただその子供を降ろせと言っただけだ何故俺の言った通りにしないんだ

それとも何か、動物虐待が禁止されるのと同じで生まれてない子供を殺すことまで禁止されるようになったのか

くだらないくだらないくだらないくだらない

今度こそ殺してやる

子供と一緒に





死ね












・・・彼は絶叫して、ユカの大きく膨らんだ腹部に包丁を突き立てた。




ブシャアッ、と濡れた音を立てて、腹部が裂けた。

飛び散ったのは


羊水でも血液でも胎児でもなかった






強烈な腐敗臭。

彼は目を見開き、すさまじい悲鳴を上げた。

「うわあああああアあああぁあアアアぁアアァアアぁ!!!!!!!!!!!」







べしゃ、ペシャッ・・・

ユカはにっこりと微笑んで、自分の腹部からこぼれ落ちる白い蛆の塊を手ですくい取り、ゆっくりと頬擦りした。

「ふふ・・・コンニチハ、私の赤ちゃん」


床一面を覆いつくしたそれらは、ざわりざわりと不規則に蠢いている。

彼女の指の間からぽろぽろと数匹がこぼれ落ち、床の群れに加わった。


洋介は喉の奥に引っかかったようなかすれた悲鳴を上げ、その蛆の群れから離れようと必死で後退った。





彼女は裂けた腹から蛆虫を滴らせながら、洋介の方に向けて腕を広げた。

それに呼応するように、床の蛆の群れが洋介の方を向いた。

「この子たちは腐肉を食べて大きくなる・・・アハハッ、洋介みたいな腐った男も大好物なの」


彼の肺は大きく息を吸い込んだ。

しかしそれを叫び声として吐き出すことはなかった。


彼の断末魔は、口に殺到した蛆の大群に押しつぶされ、喉から出ることはなかった。

彼の体も見る見るうちに、米粒のような白い粒に覆われる。


「子供は二人で育てなきゃね、ねぇ、洋介・・・・・・?」

彼女はそう言うと、静かに隣に倒れ付した。

蒼ざめた顔の口元は少しつりあがり、笑っていたように見えたが、じきそれも床の蛆に埋もれて見えなくなった。


部屋には、たださわさわと小さなものが動き回るノイズだけが響いていた。

















翌朝。

ハルは洋介の携帯からメールが入っているのを見つけた。


そこには一文だけ、こう書いてあった。


〔ハル、殺人犯と付き合うのはおすすめしないよ〕














ハルはすぐに洋介の家に向かった。

アパートの前にはパトカーが一台来ていた。

異臭騒ぎらしい。同じアパートの住人も、何人か集まっている。


警察官が一人、インターホンを数度押したが、中からの答えはなかった。

大家らしき中年の男性が合鍵を持って現れた。


ハルはポケットの中の合鍵を握り締めた。

洋介からもらった、大事な合鍵だった。





警察官が部屋のドアを開ける。




中から黒雲のようなものがうなりを上げて飛び出した




そばで見ていた女性が悲鳴を上げた。

ドアを開けた警察官も、腕を振り回して黒雲を振り払っている。

「うわぁ、ハエだ」

野次馬たちも気持ち悪そうに小走りで遠ざかった。




途方もない数のハエたちは、少しの間周辺を飛び回った後、どこへともなく消えていった。




洋介の家の中には、男性の白骨が一体分、何かに食い散らかされたように飛び散っていた。

ただその白骨に寄り添うように、女性の白骨、新生児のものらしい未熟な白骨も、同じように点々と転がっていた。

それらの骨には肉片どころか腱のかけらさえ残っておらず、まるで標本のようだったという。















彼女は洋介の交際相手ということで事情聴取を受けた。

黒蝿が一匹、その格子のついた窓から入ってきて、まるで入るところを間違えたとでもいうように、すぐに出て行った。


残されたハルが不幸になったという話は聞かない。

それと同時に、幸せになったという話も聞かない。




ハルの消息は、事情聴取を受けたその日を境に、ぱったりと途切れているのだから。

妊娠24週を過ぎると胎児は人間として扱われます。

生まれてなくても。


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― 新着の感想 ―
[一言] じゅうぶん気持ち悪い話でした。
2007/09/20 19:02 テルテル坊主テル
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