鬼の棲む家
ハロウィーンがテーマのSSです。児童虐待、ショタ的要素が少し入りますので、苦手な方はご注意を(露骨な描写はありません)。
「ホントに鈍臭い子だよ!」
「いいから、早く学校行きな!給食費?そんなのうちにあるわけないだろう!」
「なんなのその目は。なんか文句あんの?!まったく嫌な目をするよ、この子は。いったい誰に似たんだろうねぇ」
物心ついた頃から、うちは修羅の棲家だった。
本当の父親の顔は覚えていない。
死んだのか、生きているのかすらわからない。
気付いた時にはもういなかった。
母親はいつもイライラしていて、ことあるごとに僕に怒鳴り散らし当たり散らした。
幼稚園では、僕の腕や背中に痣や擦り傷があって問題になったことが何度かあったけど、外面の良い母にみんな騙されてしまう。
母は器量だけは良くて、おかげでいつも複数の恋人がいた。
今思えば、当時はお妾さんってのをやってたんだと思う。
働くそぶりもなくいつも着飾っては遊びに出歩いていたから。
見栄っ張りな彼女は常に高価なバッグやアクセサリーを身に付け、そのくせうちにはほとんどお金を入れないから僕は食うにも困ることがあった。
不憫に思った幼稚園の先生が、ごはんを食べさせてくれたこともある。
それでも下手すると一日一食しかありつけないこともあり、僕はガリガリに痩せていた。
僕が小学校に上がって間もなく、母が再婚した。
これで平穏な普通の生活が始まるのかとちょっとだけ期待したけど、それは大きな間違いだった。
母と再婚した男、僕の義父はどうしようもない人間だったのだ。
「うるせぇっ!俺が何しようがおまえに関係ねえだろうがっ」
「なに言ってんのよ、そのお金どうするつもりなの!」
「これから飲みに行くんだよ」
「飲みにって、あんたうちは火の車なのよ!家賃だって先月から払ってないんだから!」
「そんなの、おまえが何とかしろよ」
「何とかって、あんたがまともに働かないからどうにもならないんじゃないよ!」
「そこをやりくりするのが主婦の務めだろうが!このできそこないの売女がっ」
「なんだって?!あんたあたしのことそんな風に思ってたのっ」
「へっ、俺が何も知らねえとでも思ってんのかっ。おまえが俺のいない間に若い男を引っ張り込んでんの、ちゃ~んと知ってんだよ!」
「適当なこと言ってんじゃないよっ。このろくでなしがっ」
「なんだとっ」
ガシャーンとガラスが割れる音がする。
義父と母の罵りあいは日ごとにエスカレートしていき、そのうち物が飛び交うようになった。
最初の半年はそれでも、まだましだったと思う。
日雇だったかもしれないけど、義父もまだ仕事に行く日があった。
けれどそのうちだんだん働かなくなり、家でブラブラすることが多くなった。
そのため、母はまた夜の仕事に行かなくてはならなくなったのだ。
義父は家にいるときはいつも酔っ払っていて、そのせいかふらふらと足元がおぼつかない。
母はそんな義父に物を投げつけ、一度大きな怪我を負わせたことがある。
その恨みか、素面の時に義父は僕に手を上げるようになった。
「おまえさえいなけりゃねぇ」
母がそう呟くようになったのは、義父と再婚して数年ほど経ったころだった。
僕はまだ小学四年生だったけれど、親に対する期待など一切持たなくなっていた。
それでもどこかで、いつか母が変わってくれるのではないかと思っていたと思う。
ほんの微かな、一縷の望みとでも言おうか。
本当は僕のことを愛してくれているんだと、どこかで思っていたかった。
「おまえさえいなけりゃ、あたしはまだまだいけるんだよ。言い寄ってくる男だってごまんといる。三十路には見えないって言われるんだよ。まだまだ二十代の娘には負けないよ。だけどね、おまえがいると男が嫌がるのさ。女の子だったらまだしも、男の子なんてねって。なんでおまえは女の子じゃなかったんだろうね」
母は、今の生活から逃げ出したかったのだろう。
けれども、僕という存在がそれを邪魔していた。
なぜ僕は生れてきたのだろう。
せめて女の子だったら、そうしたら母と一緒に幸せになれたの?
目の前でさめざめと泣く母の姿は、確かにきれいだった。
うちはテレビも映らなくなっていたけど、昔見た恋愛ドラマのヒロインよりも母のほうがきれいだと思った。
自分のせいで、母は幸せになれないのだろうか。
自分さえいなければ、母は人並みに幸せになれるのだろうか。
僕は悲しかった。
悲しくて、悲しくて、僕が生きている意味なんてあるんだろうかと考えるようになった。
そうして月日が過ぎ、ある日のこと義父が亡くなった。
酔っ払った父は階段から足を踏み外してマンションの踊り場で死んでいた。
警察は事故として処理した。
父の死後半月も経たないうちに、新しい男が家にやって来た。
男は、いつも派手な色のシャツを着ていて、香水の臭いがぷんぷんした。
少しの間、母も幸せそうにしていた。
ひょっとしたら、今度こそうまくいくのかもしれない。
そう思った。
僕は小学校6年生になっていた。
もうじき中学に上がる。
地元の中学には制服があって、それをあつらえるのにお金がかかるというので母が困った顔をした。
「チッ、誰だよ、制服なんてもん考えた奴は。いい迷惑だよ!制服だけじゃない、他にもなんだかんだと中学に上がるとやたらと金がかかる。おまえ一人育てるのにえらい出費だよ!」
母が憎々しげに僕を見る。
母の笑った顔を見たことがほとんどないように思う。
笑っていてもそれは僕に向けられたものではなく、よその男に向けられたものなのだ。
新しい父は、僕には無関心だった。
手をあげられたりすることはなかったけど、僕の存在を一切無視している、そんな感じだった。
十月も終わりに近づき、日が暮れると気温が下がりかなり肌寒くなった。
冬になっても、僕には温かいマフラーもコートもなかったから、いつも薄いシャツを重ね着していた。
高学年になって成長期が来て、一気に身長やら何やら増えたけど、母はそんな僕に新しい服を買ってくれることはなかった。
担任の先生が一度やってきて母に話をしたけど、それで何か変わるわけではなかった。
不憫に思った近所の人や学校の先生が、僕に新しい服やら何やらくれたおかげでなんとかこうしていられる。
でも、そろそろそれも限界かもしれない。
これ以上寒くなったら、さすがにジャンパーか何か必要だろう。
秋風吹く中、僕は帰りたくもない家路を歩く。
♪This is Halloween, This is Halloween...♪
通りは、カラフルな衣装を着た人たちで溢れている。
ここ数週間、どこに行ってもこのハロウィーンってお祭りでにぎわっている。
僕にはまるで縁がないけれど、商店街のケーキ屋さんとかお花屋さんとか、かぼちゃのデコレーションなんかあったりしてキラキラしているんだ。
ミイラ男みたいな格好した人や、顔や体中に血がこびりついたような仮装をしている女子高生たちが、練り歩いている。
中には外国人もいる。
今日がその、ハロウィーンっていうお祭りの日なのかな。
そのうちの一人となぜか目が合った。
というより、向こうがじぃっと僕を見つめていたので、その視線に気付いてしまったのだ。
その人は、外国人だろうか。
真っ白な肌に瞳の色は紫色をしている。
スラリとした上背に、腰まである銀髪。
白とグレーが混じった着物姿のその鬼は、装いとは裏腹に顔立ちは日本人っぽくない。
中性的で、映画に出てきそうな美形だった。
頭に角が二本あるところを見ると、鬼の仮装をしているようだ。
外国人っぽく見えるけど、うまく仮装してるだけで日本人なのかもしれない。
一瞬男か女かどっちだろうと思ったけど、口が動いた瞬間男だとわかった。
「やあ、君の名前は?」
その声は紛れもない男の声だった。
咄嗟に僕は、「ミチル」と答えていた。
見ず知らずの人に名前を聞かれて、どうして素直に答えてしまったのかはわからない。
「ミチル、君は鬼の棲む家に帰るのかい」
鬼の格好をした男にそう言われ、僕は固まってしまった。
鬼の棲む家。
本当にその通りだ。
あの家には、温もりがあったためしがない。
いつもいつも、嵐が吹き荒れているか氷のように冷え切っている。
僕はその中で一人、ひたすら嵐が過ぎゆくのを待つか、寒さに凍えながらじっと我慢するだけ。
でも、なぜ彼は僕の家の事を知っているのだろう。
よく見るとこの人の髪、かつらじゃないような気がする。
この異常なまでに白い肌も、すみれのような瞳の色も。
「私の名前はキョウだよ。君はこちら側の人間だ」
「こちら側?」
「そう。私と一緒に来るかい?」
「あなた・・・だれ?」
「私は鬼だよ」
「鬼?」
「そう。今日は私たちのお祭りだからね。こうして町に出て来たのさ」
そういう鬼の瞳が、一瞬金色に光ったように見えた。
僕はなんだか恐ろしくなって、その鬼から離れた。
「あの・・僕、帰らなきゃ・・・」
「帰る?あの鬼の棲む家に?」
そう言う鬼の言葉が胸に突き刺さったけど、振り切るようにして家に向かう。
マンションの階段を上がると、夕方の早い時間だというのに珍しく母と新しい父がいて、その会話が玄関ドアの隣にある窓から聞こえ漏れてくる。
店屋物でも取ったのか安ものの油の臭いがしている。
きっと、換気のために窓を開けてるのだろう。
そのせいで二人の会話が廊下に響いていた。
「だからよ、保険に入れちまえばいいだろうが」
「そんなこと言ったってあんた、そんなのうまくいきっこないわよ」
「旦那だってうまいことやったろ。あんな感じでやりゃいいんだよ」
「なっ、何言ってんの、あれは本当にたまたま足を踏み外したのよ、あたしがやったんじゃないわ」
「まあいい。それよりミチルだ。大丈夫だ、絶対にうまくいく。あそこは道幅が狭い割に車の往来が激しいんだ。一緒に買い物に行ってトラックが入ってきたらちょいと突き飛ばせばわかりゃしないって」
「だれかに見られたらどうするのよ」
「だから、俺の知り合いが目撃者になるっつってんだろうが」
「でも・・」
「おまえ、いつまでこんな暮らしするつもりだ?保険金が入れば、贅沢ができるぜ。あいつはもうすぐ中学に上がる、金がかかる一方だぜ。おまえも来年34だろう。もう一花咲かせたいと思わねえか」
気が付くと僕の両足はガタガタ震えていた。
それでもまだ、まだ一ミリくらいは希望を持っていた。
母がそんなことはできないと、泣いて父を説得してくれるんじゃないかって。
でも、奇跡は起きないんだ。
神様は僕には祝福をくれない。
「そう・・ね・・・あたしだってまだまだいけるわよね。まだ若いもの。エステに行って磨けばもっときれいになれる。良い服着て・・・良い暮らしがしたいわ」
ガタンッと、派手な音が鳴ったのは僕が尻もちを着いたからだった。
母たちの恐ろしい話を耳にして、僕はその場に倒れ込んでしまった。
その音に気付いてドアを開けたのは、父だ。
彼は、鬼の形相をしていた。
その後ろに立つ母も、今まで見たことないほど恐ろしい顔をしている。
鬼だ・・・
この人たちは鬼なんだ・・・
ガタガタと体が震える。
どうすればいいのだろう・・
僕はこのまま、消えてしまうんだろうか。
僕みたいな子はいないほうがいいの?
鬼の子供だから?
その時、一陣の風が吹いた。
木枯らしのようなその強い風は、父と母を直撃したらしい。
「ギャッ」
「ウワッ!」
二人が目を押さえてのたうち回っている。
何が起こったというのだろう。
茫然と尻もちを着いたままの僕のそばに、さっきの仮装した鬼が立っていた。
「ミチル、私と一緒においで」
「キョウ・・・」
「一刻も早く、ここから逃げ出した方がいい。ここは鬼の棲む家だよ」
鬼が白い手を差し伸べてくる。
引き込まれるようにその手を取ると、ふわりと抱きしめられた。
着物の臭いだろうか、甘く優しい香りが鼻腔を擽る。
思わずその広い胸に顔を埋めると、よしよしするように鬼が僕の後頭を撫でてきた。
「もう大丈夫、これからは私がおまえを守るからね。ミチル。もう誰にもおまえを傷つけさせたりはしないよ」
「キョウ・・・」
こんな風に抱きしめられたのはいつ以来だろう。
いつから、母は僕を抱きしめなくなったのだろう。
いや、僕をまともに見ることすらなくなったのは、いつからだろう。
強く抱きしめられ欲しかった言葉をかけられて、僕の胸は感動で熱くなっていた。
涙が止まらない。
僕が欲しかったもの。
喉から手が出るほど望んでいたもの。
それは、こうして抱きしめてくれる優しい腕と、温かい言葉だったのだから。
その後、父と母がどうなったのかは知らない。
風の便りによると、息子が誘拐されたと騒いだ挙句、狂言ではないかと警察に疑われて逮捕されたとかされないとか。
でももう、僕には関係のないことだ。
僕はというと、あれからキョウと二人で暮らしている。
こちらの世界は、僕のいた世界とさほど違わない。
少し見た目の違う者たちが住んでいるけれど、みんないたって普通だ。
ここは、鬼から逃れてきた者たちが住む世界なんだそうだ。
キョウも遥か昔、鬼の棲家から逃れてきたらしい。
あまりに昔のことだからいつだったか、どういう状況だったかは思い出せないんだって。
僕もそのうち、嫌なことは忘れてキョウみたいになれるのかな。
「なれるさ。悲しい思い出はすべて捨て去ってしまえばいい」
「僕は誰にも愛されない子だったんだよ」
「そんなことはない。おまえを愛する資格のない者がおまえを縛り付けていただけだ」
「でも・・」
「私はおまえを愛しているよ。それでは不足かい?」
「ううん、そんなことない。僕もキョウを愛してる」
「じゃあ、キスしておくれ」
「うん」
キョウの紅い唇にそっと口付ける。
すると、グイッと引き寄せられ舌を絡め取られる。
そのまま激しい口づけを仕掛けられて、僕は息が上がりそうになってしまう。
そして何も考えられなくなるほど翻弄されるのだ。
不思議なことに、キョウとこうして抱き合うたびに、僕の肌はどんどん白くなり髪は銀色に染まっていくんだ。
あれからどれくらいの月日が経ったのかはわからないけど、僕の身長はずい分伸びでもうキョウに追い付きそうだ。
最近、頭の両側にこぶができ始めた。
それをキョウに言うと、こぶではなく角なんだそうだ。
僕も鬼になりつつあるってことなのかな?
♪ This is Halloween, this is Halloween...♪
懐かしいメロディーが流れてくる。
これは、そう、僕がキョウと出会った時に流れていた歌だ。
「今日はハロウィーンだな」
「ハロウィーン」
「久しぶりにまた、外に出てみるか」
「仮装するの?」
「ふ・・・私たちはこのままでいいのだよ」
キョウの白い手に引かれながら、僕はゆっくりと歩く。
ここは鬼の棲む家。
でも温かくて、愛しい人の棲む家。
僕たちはずっと一緒だね。