十六話 通津裏怨
再び、その姿を、動きを見せた黄巾党。
だが、曹皓達の懸念とは裏腹に意外にも大人しく、コレと言った動きも見せてはいない。
一般人ではなく、賊徒の集まりであれば、百人程の集団でも村邑を襲うのが普通なのだが、それすらも起きてはいないのだから不気味。
生活は狩りや採取によって行われている。
「それってさあ、単に黄色の布を頭に巻いてるだけなんじゃないのか?」と韓浩が口にした位だ。
当然、曹皓達にしても認識違いの可能性は既に頭に浮かんではいたのだが、油断が一番恐い。
一度、可能性を否定してしまうと、再度、可能性を浮上させるのは難しくなるからだ。
勿論、曹皓や曹操なら造作も無い事なのだが。
常に情報を収集している現場の者達にとってみれば新しく更新──上書きされている様な状態。
その中で、一度捨てた可能性を再度取り上げるのは中々に難しい事だと言わざるを得ない。
それだけ、日々多くの事を見聞きし、判断し、情報収集に努めているのだから。
曹皓達にしても黄巾党にばかり人手は割けないし、気にするべき事は他にも有る。
だから、あまりにも範囲を絞り、狭めるという事は長期的には難しい事だったりする。
「──は?、并州と幽州に?」
「それから荊州と益州にもよ」
「…………マジか」
集められ、聞かされたのは新たな黄巾党の出現。
その報告を受け、各々に仕事中だったが、急ぐ仕事だけを終わらせ次第、集まる様に伝令を出した。
急ぐが、絶対にではない。
その事からも、ある程度は大丈夫だろうと韓浩達も思ってはいたが──予想外の話だった。
──否、新たな黄巾党の出現は予想の範疇だ。
だが、問題なのは、それが複数の場所で同時に。
これを偶然で片付けるには、意図的過ぎている。
明らかに、何かしらの意図を持った行動だろう。
そう判断したからの召集でもある。
「何処も規模は青州と同じ程度だね
以前の様な活発さや悪質さは今の所は見られない」
「……らしくねぇな」
「そうね、私達の知る黄巾党とは違い過ぎるわ
けれど、その共通性が有る以上、無視は出来無いわ
ええ、どんなに鬱陶しくてもね」
珍しく、真っ先に毒を吐く曹操。
その様子に皆が思わず曹皓を見た。
肩を竦め、言外に「何も出来無いからね」と示し、苦笑して見せる曹皓。
曹操の御機嫌は悪いらしい。
それを察し、刺激しない様に意識は統一される。
機嫌を直すのは曹皓の役目なのだから。
ただ、今直ぐには無理なので曹皓は話を続ける。
先ずは遣るべき事を遣ってしまわないと。
御機嫌直しにも専念出来無いのだから。
「今回の件で厄介なのは四ヶ所で同時にだった事
事前に示し合わせていなければ、先ず不可能だね
その日に何かしらの理由が有る訳でもないから」
「黄巾党にとっては特別な日とかは?」
「黄巾党の出現──蜂起から一年と経ってないから特別な日と言われてもね……
勿論、張角の広めていた太平道に関しても同じ
コレと言った理由は見当たらない
まあ、太平道の関係者も殆ど亡くなっているから、残された似たり寄ったりな情報の中では、だけど」
「あー……其方の調査も結局は駄目だったのか」
蜂起後も内部情報の少なかった黄巾党。
だから、母体──首魁の張角の広めていた太平道に的を絞って討伐後も調査は継続していたのだが。
成果という成果は得られなかった。
因みに、その担当は主に甘寧。
その為、もう一人、新たに不機嫌になる。
甘寧が悪いという訳ではないのだが。
こればっかりはどうしようもない。
何方の意味でもだ。
「何も理由が無い以上、明確な意図によるもの
だけど、重要なのは其処じゃない」
「同時に姿を見せる目的、か……」
其処まで言われれば韓浩でも直ぐに察しが付く。
「黄巾党は不滅だ!」「我等は此処に在る!」等と自己主張・存在表明という意味で行うのであれば、それらしい行動を伴うのか必然。
しかし、何もせず、山奥で自給自足の生活を送る。
それだけだと、何がしたいのか判らない。
そう遣って混乱させたり、警戒心を煽り、長期的な経済的・人員的な負荷を強いる。
或いは、心身の緊張感を与え続けて疲弊される。
「そんな狙いが有るのでは?」と。
考えられるが故に、考え過ぎてしまう。
そういった狙いかもしれない。
──と、疑えば切りが無い。
情報が少ないが故に、想像で補おうとする。
優れた思考力が有るが故の弊害だとも言える。
「……今回の四ヶ所は同時にしても、その前に青州だけ先じんたっていうの変だよな
どうせ遣るなら五ヶ所同時の方がいいんだしな」
「康栄にしては鋭いな」
「そう言う翔馬はどう思うんだ?」
「明らかな陽動──にしては態とらしい──けど、その裏を掻いて、やっぱり陽動とか?」
「それを言い出せば切りが無いな」
「私でも判るぞ?」
「ぐぬっ……」
韓浩に訊かれて答えれば、曹仁と馬超から容赦無く鋭い指摘をされ、何も言えない馬洪。
此処に口を挟まない夏侯惇は懸命だと言える。
だが、此処で夏侯惇に振る訳にはいかない。
話が確実に脱線し、グダグダになりからだ。
だから、馬洪は静かに耐える。
後で馬超には仕返しをすると決めて。
「……なあ、何もしてないのに問答無用で攻撃して倒すのは論外にしても話を聞くのは駄目なのか?」
「んー……正直、あまり良いとは言えないかな」
「何でだ?」
「どの集団も人里から離れた山や森の奥に居る
その上、買い出しに出たりもしていない
もし、自分達が黄巾党だという認識が有るのなら、接触した時点で戦闘になる
黄巾党という意識は無くても、そう遣って社会から離れて引き籠っている様な状態だから、接触すれば敵意を向けられる可能性は高い」
「あー……人を避けてる連中だったら、見付かった時点で自暴自棄にもなるか……」
「実際、会話が出来れば楽なんだけどね
せめて、外部からの流入──増加している様なら、紛れ込んで情報収集も出来るんだけど……」
「外に出なければ、外から入りもしない、か……
そうなると、顔見知りだけになるから紛れ込むのは不可能だよな……」
「直ぐにバレるだろうね」
「…………地味に厄介だな」
「だから、そう言ってるよ」
「確かにな」
曹皓と韓浩の他愛無い遣り取り。
一言間違うと曹操や甘寧を刺激し兼ねないが。
二人の関係だから出来る匙加減。
そして、曹操達にしても気にし難い。
息が詰まる様に重苦しかった雰囲気が緩む。
韓浩に、そうしようとする意図は無い。
そこは然り気無く曹皓が誘導して出来た流れ。
頭では判っていても、場の空気感は心身に入る。
曹皓が意図した事だとしても、気付くのは事後。
だから、自然と気持ちや思考に、ゆとりが出来る。
そうする事で、違う視点や発想に繋がり易くなる。
精神的な緊張と緩和も、使い方次第なのだから。
「……玲生様、黄巾党らしき集団が出現したのは、何れも曹家・馬家・孫家と無関係の地ですよね?
各々を治めている者達は気付いているのですか?」
「情報を流して接触させてみようって事?」
「はい、その反応を見て判断するのも手では?」
「それは俺達も考えたんだけど……」
「裏付けが出来無い情報で動く連中ではないわ
黄巾の乱の影響で無駄に用心深くなっているから」
そう曹操に言われ、納得する夏侯丹。
思い付きとしては悪くはなかったが詰めが甘い。
──が、それを口に出来る関係性や環境が大事。
新しい思考や発想というのは、様々な意見の中から生まれ出でてくるものなのだから。
その為の議論や意見交換に無駄な事は無い。
勿論、全く発言の無い事や、否定しかしない正論、効率・利害しか考えない経済論、文句しか言わない居る理由の判らない輩が多い事は無駄だろう。
何の為の話し合いなのか。
その根本が見失われているのだから。
そうは為らず、各々が考え、意見を口に出来る。
其処に有る信頼が、より良いものを生み出す。
その様に曹家が築き上げ、曹皓達が受け継ぐ。
長きに渡る継続が有ればこその環境だとも言える。
「けどさ、何もしない訳にもいかないよな?」
「ええ、翠の言う通りよ
何も問題を起こさないからと一度放置してしまえば警戒心は薄れ、致命的な隙を生むわ
でも、だからと言って強引な真似も出来無い……
だから、手詰まっているのよ」
「問題を起こさなくても、外に出て売買をしてれば潜り込む事も、切り崩す事も出来るんだけど……
その取っ掛かりが無い状況だからね……」
そう、珍しく二人揃って愚痴る。
それだけ、現状では何も出来無いという事。
何かをしなくては為らないが、それが困難。
もどかしい、という表現では生温いと言える。
そんな二人の姿に、韓浩達も頭を悩ます。
「………………あの、華琳様、宜しいですか?」
「何かしら、春蘭」
「はい、連中は自給自足なのですよね?
ですが、農業等はしてはいない訳ですよね?」
「ええ、そうよ」
「では、孰れ、山や森の恩恵も無くなるのでは?」
「それはそうでしょう………………玲生?」
「……うん、それなら遣れるかもしれない」
「春蘭、良い事を言ってくれたわ、有難う」
「はい!」
二人が何を思い付いたのか。
全ては判らずとも、仕掛ける事は判る。
そうとなれば、何時でも行動出来る様に備える。
それが韓浩達の今遣るべき事なのだから。
「……玲生って何気にエグい事遣るよな……」
「そう?、俺の遣る事なんて可愛いものだよ」
そう言う曹皓に、「いや、一体誰と比べてだよ」と思わず言いたくなる韓浩だが──飲み込む。
世の中、迂闊に口にしてはならない事が有る。
それを二人と共に歩み始めてから嫌という程知り、経験し、理解してきたのだから。
夏侯惇の一言から思い付き、実行された事。
それは、実に単純。
各々の集団の居る周囲の山や森の山菜や木の実等を先に採取して、数を減らした。
全てを取り尽くすのではなく、不自然には思わない程度に調整し、自然に少ないと思う様に。
そして、それは山や森の動物達にも影響し、生きる為には移住しなくてはならなくなる。
その結果、狩猟も難しくなる。
そう遣って意図的に食糧不足に陥らせる。
すると、彼等は問われ、決断しなくてはならない。
外とは関わらず、そのまま餓死するか。
生きる為に外に出て、何かしらの行動を取るか。
その選択を迫られる事になる。
当然、外に出て襲撃や略奪を行えば、即討伐。
外に出ても、真面目に働いて稼ぐのなら問題無し。
では、餓死する事を選んだ場合には?
外との関わりを断ち切っている者達だ。
仮に、死を選んだとしても、誰も悲しみはしない。
関わり・繋がりが無いから、行方不明でもない。
何しろ、素性を辿れない者達ばかりなのだから。
まあ、曹皓達にとっては少し困る結果ではあるが。
ある意味では、それで片付くのなら手間が省ける。
討伐となれば、それなりに経費も掛かるのだから。
無駄な出費をしなくて済むというのは意味が有る。
尤も、「一体何だったのか……」とはなるが。
その程度の靄々ならば仕方が無い。
不満は不満、不消化だが、許容範囲内だと思える。
「──で?、どうなんだよ?、効果有りそうか?」
「んー……正直、まだ五分五分かな~」
「……珍しいな」
「黄巾の乱の時の様な事が有るからね
もし、彼等が操られたりしているのなら、餓死する可能性自体を考えもしないかもしれない」
「そうなると……見殺しか?」
言外に、「熟、糞な奴だな」と言いた気な韓浩。
黄巾の乱の時にも、張角達──真の黒幕に対しての怒りと苛立ちを懐いていたが、今も変わらず。
曹皓達に限らず、韓浩達にとっても本当の意味では黄巾の乱は、まだ終わってはいない。
だから、きっちり決着させる。
そう、強い決意を皆が持っている。
それは黄巾党の深奥に触れた兵までもがだ。
だから、否応無しに韓浩達も気合いが入る。
「まだか?」と、空回りしない方が難しい位にだ。
それには曹皓達も苦笑するしかない。
悪い事ではないのだが。
それでも随分と自重出来る様になったのは成長だと感じてもいる。
……まあ、手綱を離すには不安が拭えないが。
「全てを見殺しに──いや、生け贄にする可能性は否定は出来無いけど、そう高くはないかな
此処で何もさせずに死なせる意味が判らないから」
「まあ、確かになぁ……」
頭の後ろで手を組み、空を見上げる韓浩。
「何が遣りたいんだかなぁ……」と。
愚痴る様な表情を見せる。
その様子を視界の端に捉えながら、「ただ……」と続け掛けた言葉を曹皓は飲み込んだ。
韓浩が相手だからこそ、つい、言ってしまう。
二人の関係が有るが故の気の緩みというか……隙。
曹操は勿論、他の誰とも違う。
基本的には良い事なのだが、時として厄介な事に。
まあ、口止めすれば良いだけなのだけれど。
嘘や隠し事が下手だし、それが悪影響を生むのが、韓浩や夏侯惇の様な性格等の特徴でもある。
だから、今は余計な不安要素は潰す事が重要。
それが些細な事だとしてもだ。
仕込みは終わり、後は結果待ち。
だからと言って、何もしないという訳ではない。
極秘裏に皇帝には黄巾党の再起の可能性は報告。
当然だが、朝廷に、ではない。
だから、中央の宮廷雀達は何も知らない。
知らせた所で何も出来無いし、役にも立たない。
寧ろ、責任を負わせ、処分してしまう方が良い。
そう、皇帝にも思われているとは考えもしない。
ある意味、平和な思考をしているのだから。
今は黄巾党が、どう動くのか。
それ次第、という状況となっている。
「……数が増えた?」
「はい、新たな集団が青州に四ヶ所、并州・荊州に三ヶ所、幽州・益州に二ヶ所、出現しました」
自身の執務室での仕事中、現れた隠密の報告に筆を止めて──静かに置く曹操。
片手間に聞く話ではないと直ぐに判る。
「詳細は判る?」
「はい、現状では何処も五十人以下です
最も少ない集団で二十です」
「……各州の総数は?」
「御察しの通りです
各州の最初の集団と合わせ、丁度二百になります」
それを聞き、曹操は胸中で舌打ちをする。
その状況は予想していた可能性の一つなのだが。
曹皓との予想では、この先の展開が最も厄介。
まだ、最初の五つの集団が選択もしていない。
その状況で、新たな黄巾党の出現は波乱の予感。
先の黄巾党の脅威と勢いを彷彿とさせる。
──とは言え、何も備えていない訳ではない。
そうなる可能性を予想しているのだから、それへの対処策は有る。
ただ、直ぐには動けない。
当初からの最大の問題点である、何もしない相手に武力行使という訳にはいかないからだ。
「全てを監視する必要は無いわ
各州の最初の集団と、最小の集団
その二つからだけは監視を外さない様にして頂戴」
「畏まりました」
曹操の指示を聞き、隠密は姿を消す。
自分以外、誰も居なくなった部屋の中。
曹操は静かに背凭れに身体を預け、天井を仰ぐ。
「……玲生の言っていた様に見ているわね……」
それは曹皓との話しの中で出ていた可能性。
もし、何もしないだけの、見た目だけが黄巾という意味不明な集団を存在させる理由が有るのなら。
それは、餌を撒いて、相手の様子を窺う為。
その可能性も有り得るだろう、と。
その兆候を見極める為にも、曹皓は仕掛けた。
集団自体の判断か、別意思による操作か。
それによって、意味が大きく変わるのだから。
結果から言えば、やはり、真の黒幕の影が有る。
しかし、その意図は判然としない。
何がしないのか、さっぱり見えて来ない。
だから、余計に苛々する。
──が、苛々していても仕方が無い。
その辺りは上手く適当に発散し、減らしている。
解決するまでは完全には無くなりはしないのだが。
それは仕方が無い事だ。
姿勢を直し、曹操は卓上の小さな鈴を鳴らす。
控えている侍女を呼ぶ為に。
そして、遣るべき事を遣る。
何も出来無いから、何もしない、は違う。
有効な手は打てなくても、遣れる事は有る。
それを遣らない理由は無いのだから。
「……なぁー、玲生
彼奴等、何がしたいんだ?」
「それが判れば苦労はしないよ」
「だよなぁ……」
曹皓の視察に護衛として同行している韓浩が青空を見上げながら愚痴る様にボヤく。
そうなるのも無理も無かった。
曹皓の仕掛けに対し、最初の集団は生き残った。
だが、襲撃した訳でも、働いた訳でもない。
新たに出現した集団の内、曹操が監視を外した所が各州の最初の集団に合流した。
食糧等の物資を持ち込む形で。
それにより、彼等は一人の餓死者を出す事は無く、外に向かうという事もしなかった。
その物資は略奪されたりした物ではない。
当然だが、何処かで被害が有れば直ぐに判る。
何も判らないのだから、被害は無いのだろう。
ただ、それらの出所は以前として不明のまま。
今、確認されている彼等も素性は判ってはいない。
何もかも、判らない状況が続いている。
「最初に青州で確認されてから二ヶ月だったか?」
「正確には七十日だね」
「若干の違いか……まあ、それはそれとしてだ
その間、それらしい動きは無し
此方の目を引くにしても長過ぎないか?」
「だけど、見ていなかった所には動きが有ったね」
「あー……だったら、完全に目を離すとかは?」
「潜られたら追えなくなるから無理だね」
「……マジで面倒臭ぇな……」
曹操の指示で、目を離すと動きが有った。
だが、目を離さなかったから合流したのが判った。
目を離していれば見失っていた可能性は高い。
そう考えれば、目を離すというのは難しい。
それを理解すれば、韓浩の吐露する気持ちは納得。
まあ、言っても何も変わらないのだが。
その吐いた分、少しは気持ちがスッキリはする。
「けどさ、どうするんだ?
明らかに増加はしてるんだよな?」
「小規模だけど第三・第四と出現してるね
ただ、不思議なのは放置していても市井に潜り込む様な動きは見せてない事かな」
「……?、良い事なんじゃないのか?」
「目先の状況だけで見ればね
でも、先を見て考えると、紛れ込まないって怖いと地味に思わない?」
「………………堂々としてるって事か……」
曹皓に言われ、想像してみた韓浩。
その頭の中では、次第に数を増しながらも、以前の様な脅威とは為らなかった黄巾党が再び世の中に、その姿を現した時の情景が思い浮かんだ。
その先の流れを想像し──顔を顰めてしまう。
当初の黄巾党は、“打倒、漢王朝”を掲げていた。
それに真っ先に呼応したのは農民等の一般人。
賊徒が流入・併合される様に為ったのは後の事。
官軍と衝突し、勝ってしまった事で国賊とされて、討伐対象となってから。
その結果、同じ敵を持つ賊徒に目を付けられた。
まあ、その賊徒も結果としては利用されたのだが。
元々の黄巾党というのは、真っ当だったと言える。
だから、もしも、今回の集団が前回以上に何もせず表舞台に姿を現したとすれば、人々は注目する。
その上で討伐──攻撃対象にされたとなると。
官吏への反感が再燃する可能性は高い。
自分達を苦しめた黄巾党ではあるのだが。
その後、国や政治の在り方が大きく変わったという訳ではないのだから。
曹皓達が関わる領地以外は、苦しい状況は悪化し、寧ろ、以前よりも民の不平・不満は高まっていると言っても間違いではない。
つまり、火が点き易いのだ。
業火と言えば、ある意味では正しいのだが。
それは無関係な民をも脅かす禍火でもある。
「黄巾党って歴史に残る悪例なんじゃないか?」
「過去の戦史や戦例と比べても異質だからね
正直、真似されると厄介でしたかないと思うよ」
「……アレって真似出来るのか?」
「ソレは深淵部分だから無理
真似される可能性が有るのは蜂起に至るまでの方で信仰を利用して反政意の強い声明を上げれば信者が同調し易いというのを実証した訳だからね
時間を掛ければ、かなり成功率が高い遣り方だし、その前に潰すというのも意外と難しい
勿論、その内容次第では潰せるんだけど……」
「太平道みたいな無害なのは無理、か……」
「だから、黄巾党の、黄巾の乱の詳細な資料は世に知られる事が無い様に厳重に管理されるよ
それこそ、禁書扱いされる位にね」
「何か、今回はそういう話が絡むよなぁ……」
「そうだね」
韓浩の言葉に曹皓は苦笑する。
奇妙というべきか、運命というべきか。
確かに、韓浩の言う通り、禁書が絡んでいる。
だからと言って、それが手掛かりになる訳でもなく似ているというだけなのだが。
こういう時、こういう事は重なるものだと思う。
嬉しくはない事だが。
そんな話を二人がした数日後。
それまで捕捉出来ていた集団が全て姿を消した。
順に、ではなく、一斉に。
その一報を受けた曹操は即座に関係各所へと伝令を走らせ、警戒を促した。
表向きには日常通りだが、緊張状態を強いられては長期化すると心身共に疲弊してしまう。
その為、事実を知るのは一部に限られた。
「……どうなると思う?」
「正直、判らないね
直ぐに動いてくれると助かるんだけど……」
「これまでの事を考えると、根比べが濃厚ね」
そう言って──二人揃って溜め息を吐く。
その姿が、今の状況を物語っている。
それを側で見ている韓浩達の表情も憂鬱そうだ。
如何に優れた才能や実力を有していたとしてもだ。
それを活かす事が出来る状況でなければ無意味。
試合や勝負であれば、相手の長所や得意を潰して、力を発揮させないというのも一つの遣り方。
そういう意味では、相手の今の一手一手は効果的。
曹皓達でさえ、ジリ貧状態を強いられている。
──が、当然ながら、遣られっ放しではない。
今は後手後手に回らざるを得ない状況ではあるが、必ず相手が表舞台に上がる時が来る。
その時を今は、じっと堪えながら待つ。
全てを爆発させ、打付ける瞬間を思い描いて。
曹操は一息付くと、夏侯淵を見る。
「それで?、何かしらの痕跡は有ったかしら?」
「いいえ、残念ながら……
見事なまでに何も有りませんでした」
「そう……どう思う?」
「監視していた隠密衆からの話だと氣を使っている様子は無かったんだよね?」
「ええ、氣の量にしても一般人並みだったそうよ」
「そうだとしたら、移動した痕跡は残る筈……
でも、秋蘭が調査して痕跡が見付けられないのなら移動はしていないと考えた方が自然だけど……
アレは使ってみたんだよね?」
「はい……ですが、無反応でした」
「──となると、結界で隠れてもいないのか……」
今回の調査に際し、曹皓は夏侯淵に結界が有るなら砕く、或いは穴を開ける事が出来る道具を渡した。
それは使い捨ての消耗品なのだが。
使用しても空振りなら、そのまま残る。
使用するとは言っても、結界に触れさえしなければ効果は発動しない、という仕様となっている。
先の黄巾党との戦いでは結界を使われた。
その経験から曹皓が準備していたのは当然の事。
同じ手は二度は通じない。
「…………向こう側かな……」
「……生きた人間が行けるの?」
「生きたままで行ったとは限らないからね」
「……そう言えば、そんな相手だったわね」
曹操が心底嫌そうな表情をして溜め息を吐く。
人の命を、何とも思っていない。
命を弄び、使い捨て、狂わせ、破滅させる。
それを楽しむ訳でも、観察したりする訳でもなく、ただ単純に目的の手段としている。
それだけの、吐き気がする様な思考の相手。
その思考に触れようとする事自体が禁忌であるかの様に思えるのだから。
高潔な曹操としては到底、容認し難い。
相容れない、という話ではない。
存在させる事すら許す事が出来無い。
そういう相手なのだから。
勿論、それは曹皓や韓浩達にしても同じなのだが。
今の曹操は特に過敏に反応している。
その為、他の皆よりも悪感情が目立ち易い。
我慢にも限界は有るのだから。
「次に現れた時には死人の軍団、という事?」
「そのままだったらね」
そう曹皓が言えば、訊いた曹操も、聞いていた皆も思い出したらしく、顔を顰めた。
考えたくはないが、また異形と戦うのだと。
強さ云々ではなく、単純に不快。
勿論、楽しい戦いなど無いが。
賊徒の討伐の様に、はっきりとした社会的な害悪を排除するのとは少し意味合いが異なる。
元は賊徒の異形も居るかもしれないが。
巻き込まれた一般人も少なくはない。
例えそれが反乱軍として蜂起した者であっても。
せめて、最後まで自らの意思の本に戦うべきだ。
そう考えるからこそ、異形化は外道の所業。
絶対に赦せはしない。
「今朝、各地に向けての使者が洛陽を発ったって」
『──っ!』
「……って事は、遂に動いたのか?」
「ええ、此方等でも確認したわ」
曹皓の言葉に皆が反応する。
それを代表する様に韓浩が訊けば曹操が肯定する。
──が、その表情は渋い。
本来であれば、「漸くか!」と気合いが入る所。
だが、その曹操の様子を見て、皆は自重する。
単純な状況ではないと察したから。
そんな皆の反応を見ながら、曹操は胸中で溜め息を吐きながら、苛立ちを細切れにする様に愚痴る。
曹皓に打付けてもいいが、甘え過ぎる気は無い。
負けず嫌いで、負けん気の強さは随一なのだから。
まあ、それはそれとして。
それは想定内の展開ではあるのだが。
素直に喜べないのは最も面倒な展開である為。
勿論、まだ先の先まで確定した訳ではないのだが。
あまり、考えたくはないとも思っている。
ただ、説明しない訳にはいかない。
どんなに言いたくはなくても。
それが自身の務めなのだから。
曹皓に代わりに話して貰うというのも、妻としての曹操の矜持が──否、自尊心が許さない。
「并州・幽州・荊州・益州で黄巾党が確認されたわ
この一報を受けて朝廷は、黄巾党の再起と認識
各地で各々が対処する方針で令を出したわ」
「一応は、予定通りって訳か」
「そうなるわね」
事前の根回し──陛下への報告と進言により、令は各地で自主的に対処する様にして貰っている。
これには後々を見据えた篩落としが含まれる。
曹皓達以外は基本的に邪魔でしかないのだが。
繋がりが無い、或いは薄くても、優秀な者は居る。
その選別を、この機に遣ってしまおう。
そんな先々を見据えた狙いが裏には有る。
因みに、その話を聞いた皇帝は今直ぐにでも二人に国と地位を譲りたいと思ったのは仕方が無い事。
知っているからこそ、対峙したくはない。
そう思うのは当然だと言えるのだから。
「ただ、状況は芳しくはないわね
再起──再び世の中に姿を現した黄巾党は、以前と同様に人々を襲い、官吏・官軍と衝突
令が発せられたとは言え、パッと見は地方の問題よ
朝廷が率先して力を入れたりはしないわ」
「私達が手を入れていなくてもね」と。
言外に曹操が語れば、その状況を想像し──納得。
皇帝を除けば、中央で政治に関わる連中というのは殆どが自己利益や保身の事しか考えていない。
力を入れるのも、他者の足を引っ張ったり、失態や失言を只管に探して執拗に突っつくばかり。
本当の意味で政治に力を入れる事はしていない。
何故なら、連中にとっての政治というのは、自分が他者より上の地位に居る為だけの手段。
民の事など、本気で考えてはいないのだから。
そんな風に韓浩達も考えている中、首を傾げながら眉間に皺を寄せる馬超の姿が有った。
「……?、なあ、その四州でだけなのか?
最初に目撃された青州は?」
「青州では、まだ確認されていないわ」
「……それって滅茶苦茶怪しいんじゃないのか?」
「これでもかと言う位に怪しいわよ
ただ、そういう意味では冀州と司隷には姿を現していないというのも気になる所ね」
「それもそうか……
司隷は兎も角としても冀州は黄巾党の蜂起が最初に有った場所だもんな
其処で何も無いって事は考え難いか……」
「青州では、孰れ動くでしょう
翠の言った様に司隷も孰れは巻き込まれる筈よ
問題は冀州での動きが全く無いという事ね」
「成る程なぁ……確かに怪し過ぎるよな」
馬超と曹操の会話を聞き、韓浩が感想を呟く。
何気無い事だが、その一言が皆の思考を方向付け、共有し易い状況を作り出す。
それが意図的にではなく、無意識だから自然で。
他の皆からしても疑う事無く、流れに入り易い。
あらゆる事に一々抗うのは疲れるものだから。
「けどさ、青州と冀州は隣同士なんだから何方かで黄巾党が動いたら、連動しそうだよな?」
「するだろね、しない理由が無いから
そうなったら各地の黄巾党が司隷に向かうと思うよ
前回とは違って、今回は司隷──洛陽と朝廷だけに狙いを定めた動きを見せるだろうから」
「──って事は狙いは皇帝の首級か?」
「それは結果──戦いの終わらせ方になるかな
今の政治を正しく理解しているなら、皇帝ではなく宮廷内の官吏達こそが最たる害悪だと判るしね」
「それが判らない連中なら?」
「普通なら有り得る事だけどね」
「あー……黒幕が居て、操ってるんだったな」
つい、普通に考えてしまい勝ちだが、状況は違う。
“普通の”というのも可笑しな話だが。
普通の反乱というのは基本的には治める者に対して起こされる場合が多い。
その為、狙うのは王や皇帝、小規模だと長になる。
しかし、今回は裏に何者かが存在している。
その目的は定かではないが。
先の戦いでは、本気で皇帝を狙っていれば、今頃は皇帝は亡くなっていた可能性が高い。
何しろ、曹皓達は地方領主に過ぎないのだから。
如何に親戚ではあっても、越権行為はしない。
つまり、皇帝を狙われていれば敗けていた。
それを曹皓達自身が誰よりも理解している。
だからこそ、それは無いと言い切る事も出来る。
「今、姿を現した黄巾党は全て新顔よ
以前に目撃されていた者は一人も居なかったわ」
「変身するんだから顔を変えてる可能性は?」
「無いとは言えないけど、今確認されているのは、まだ普通の人間みたいだからね
弄られた可能性は無いに等しいかな
勿論、可能・不可能で言えば可能なんだけど……
それって遣ったら絶対に痕跡が残るから」
「そうなのか?」
「仮面を被るのと、顔自体を作り変えるの
何方が自然に見えると思う?」
「………………作り変えると、そうなるのか」
曹皓に言われて想像してみた韓浩。
仮面を被る様に変装しただけなら、普段通り。
しかし、顔を作り変えるとなると、口の大きさとか表情の動き方、目蓋の動き、視界の変化等々。
パッと想像しただけでも色々と違いが思い浮かぶ。
そして、その何れもが生活に関わり、違和感を生み支障となる事が容易に想像出来る。
だから、曹皓の言う様に痕跡は残る筈だ。
それが見られないのなら、その可能性は低い。
また、もし仮に黒幕によって何かしらの方法により顔等を作り変えられているとすれば気付かない様に意識を無くしたり、精神を狂わされている可能性が高くなるだろう。
それも見れば判る痕跡だと言える。
そう言った様子が無いのなら、となる。
「──って事は、今暴れてる連中は……」
「単に唆された不平不満を抱えた一般人だね」
「…………胸糞悪ぃな……」
「今更でしょう?」
「それもそうか」
毒吐く曹操と韓浩に曹皓は苦笑。
ただまあ、口にはしないだけで皆、同じ気持ち。
黄巾党に対して同情したりはしないのだが、彼等を裏で操っている真の黒幕に対しては怒りしかない。
「よくも無関係な人々の人生を狂わせたな!」等と言うつもりは一切無い。
事の次第、そう到るまでの経緯はどうあれ、各々が自らの意思で考え、決断し、行動したのだ。
その責任は本人のものでしかない。
詐欺行為は犯罪だ。
だが、騙された者には自らの欲望に負けた、という自責が有る事を忘れてはならない。
どんなに良い話でも「そんな事が有る筈が無い」と疑い、自制心を働かせれば被害に遭う事は無い。
甘い言葉に、誘いに乗るのは、己が欲が故に。
それは誰が決めた訳でもなく、自分自身である。
名前等を悪用される事とは似て非なるもの。
犯罪としては“詐欺”と一括りにされれのだが。
その実態・本質の違いから分けて然るべきだろう。
ただまあ、その判断基準を考えるのも人である。
面倒臭い事を避け、曖昧にしたり、大雑把にする。
そんな事も十分に考えられる事なのだから。
やはり、自らが考えなくてはならないという事。
誰かが助けてくれるとは限らないのだから。
先ずは、自分自身で自衛しなくてはならない。
その為には、自らを律するしかないと言える。
だから、今、黄巾党として暴れてる者達は害悪。
自ら、道を踏み外した者達。
ノリや勢いで遣る事ではない。
だから、遣る以上は命懸け。
それに対して同情などはしない。
本気で駆逐する。
覚悟が無いのなら尚更に悪質。
そんな愚か者共を野放しにしておく事こそ害悪。
それを、死を以て示す事が、施政者の負う責任。
「抗うなら覚悟を持って命を懸けろ」と。
口先の文句ではなく、命を以て示せ。
そうでなければ、本気は伝わりはしない。
そうでなければ、変わるものも変えられはしない。
時代が、社会が動く時、其処には必ず、犠牲となる誰かの命が散っているのだから。
「……で?、俺達はどうするんだ?
まさか、このまま見学で終わるのを待つのか?」
「今、俺達に出来る事は無いよ
越権行為だからね」
「けれど、本隊を叩けるのは私達だけよ
だから、今は向こうが動くのを待つしかないわ
尤も、それまでの間に、ちょっかいを出されれば、その都度叩きはするのだけれど」
「もう暫くは動く事は無い、か……」
「現状の感じなら官軍の方が優勢だろうしね
今、一番の懸念は涼州の事かな
并州と益州から向かう一団が出るかもしれないから一応は警戒して貰ってはいるんだけど……」
「現実問題、涼州とは連携が取り辛いのよね」
「あー……まあ、こればっかりはなぁ……」
そう言って頬を掻く馬超。
飛び地というのは、どうしようもない。
自分達にも、どうにも出来無いのだから。
だから、悪い予感が当たらない事を祈るしかない。
四州で再起した黄巾党との戦いが始まって半月。
新たに現れた複数の団体が先の部隊に合流。
増強され、優勢だった官軍は一転、劣勢に。
拮抗していた状況だった複数の戦局が敗北。
曹皓達の予想通り、司隷へと向かう動きを見せる。
その裏で、青州と冀州に新たに出現した。
曹嵩達や孫堅達は自領の防衛をしながらも、司隷に向かう黄巾党を討伐する為に動く。
これには皇帝からの許可状が出されている。
全ての者にではなく、先の戦いで功が有った者に。
当然ながら曹皓達にも有るのだが。
曹皓達は本隊を討つ為、司隷の防衛には不参加。
こればっかりは仕方の無い事である。
「──っしゃあっ!、漸く戦れるなっ!!」
左手に右拳を打付けながら殺る気を見せた韓浩。
溜まりに溜まった鬱憤。
それを解放し、打付ける時が来た事を喜ぶ。
そして、それは長い黄巾党との決着が間近であると物語ってもいる。
出陣を控える中、曹操が静かに空を見上げる。
雨が降りそうな気配はしない、よく晴れた青空。
しかし、これから流れる血と命と涙。
それを思えば、まだ見ぬ敵への憤怒と嫌悪感が胸の奥で激しく燃え上がろうとするのが判る。
間も無く決戦が始まる。