十五話 封興謎未
真名を授かった事で、少しだけだが、曹丕の世界は変化していった。
韓羽・曹忠を始め、親い者達との真名の交換。
言葉や文字にすれば僅かな出来事なのだが。
其処に付随する感情の揺れ動きは特別。
勿論、誰彼構わず、という事はしないのだが。
嬉しさや喜びを溢れさせる曹丕の姿には、曹皓達も自然と顔を綻ばせていた。
ただ、それは今だけの事でもある。
数を経験し、成長すれば、特別ではあっても大きく感情が揺れ動くという事は無くなるもの。
まあ、それは真名の交換に限らず、どんな事にでも言える事でもあるのだが。
あらゆる全てに対し、常に初めての様に心を動かすというのは、成長する上では難しい事である。
経験し、学習し、成長する。
それは感情面にも言える事。
良い事も、悪い事も、人は積み重なれば慣れる。
その良し悪しは個々の価値観や視点に因り異なる。
だから、一概には明確な答えは示せない。
それ故に、人は“初心”を大切にするのだろう。
「ねぇ~、獅琅くん」
「何、紫苑ちゃん?」
「あの、獅琅様……」
「どうしたの、愛紗ちゃん?」
これといった用事は無いのだが。
曹忠も韓羽も曹丕の真名を口にし。
それに応える曹丕が二人の真名を口にする。
その遣り取りだけで、幸せそうにする幼女達。
その様子は端から見れば微笑ましいものだ。
ただ、無邪気に真名を交換した事の嬉しさや喜びで遣っている事ではないとも気付く。
曹忠と韓羽は意中の相手の真名を口に出来る自身の特別さを感じながら、自身の真名を口にして貰える歓喜に心身を浸らせている。
到底、四歳の子供の反応とは思えない。
未成熟だが、それは確かに女としての一面。
母親達は兎も角、父親達は曹丕に申し訳無く思う。
一方の曹丕は子供らしい。
真名を授かり、本の少しだけ、小さな一歩だけど、両親達に──大人に近付いた。
その事を、素直に嬉しく思っている。
──が、それが無意識に恋愛感情から意識を背け、本能的に気付かない様にして自衛している。
そんな風にも思えてしまう。
曹丕が聡明であるが故に生じる疑問として。
実際には、男女の、雌雄の、生物的な違いが故に、そうなるのは仕方が無い事でもある。
雌は血種を残す為、強い雄を求める。
雄は血種を残す為、勝ち抜く強さを求める。
その違いが、今の曹丕達の差にも通じている。
韓羽達は曹丕を自身の伴侶として見定めているが、当の曹丕自身は己が強さを求めている。
だから、まだ生存競争にまで意識が向かない。
そう考えると、きちんと自身の責任を果たす覚悟を無意識にでも持っている曹丕は誠実だと言える。
好きだから、愛しているから。
それだけで妻子を幸せに出来るのなら、守れるなら誰も苦労や後悔はしないし、世界は平和だろう。
しかし、実際には弱い者は強い者の庇護無くしては生き残れないのが、弱肉強食。
それは自然界に限らず、人の社会でも同じ事。
だから、両親達の背中を見て、追い掛けようとする曹丕の在り方というのは、間違い無く本物の証。
そんな曹丕を見初めている韓羽達も同様に。
つい、期待してしまうのは仕方が無い事だろう。
その実例を見知っていればこそ、尚更にだ。
「──青州に?」
「はい」
そう聞き返した曹操に、隠密は肯定で応える。
その一言に側に居る曹皓も意識を切り替える。
──が、此処は曹皓の執務室。
偶々、其処に曹操が居ただけ。
ゆっくり曹皓の仕事が終わるのを御茶を飲みながら待っていたのだが、そうもいかなくなった。
隠密が告げたのは青州に黄巾党が現れた事。
途切れた手掛かりを探っていた訳ではない。
通常任務の情報収集中に知る事になった。
その為、監視を張り付かせ、こうして報告に。
第一報の速さが如何に重要かを理解していればこそ判断に迷う事は無い。
そういう風に指導されているのだから。
「現状の規模は?」
「我々が確認したのは百名程の一団です」
「………残党と言えば残党の範囲内ね…」
そう言いながら曹操は曹皓に視線を向ける。
通常、隠密との遣り取りは曹操が行う。
だが、事が事だけに曹操は曹皓にも参加を求める。
それを見越してか、丁度、曹皓も残っていた仕事を片付け終わり、曹操の座る長椅子の方に移動。
曹操の隣──隠密が話し易い様に正面に座る。
「その一団を黄巾党と考える理由は例の黄巾?」
「はい、以前の物と同じ様に見えました」
「それ以外の服装等はバラバラ?」
「はい、賊徒等と大差の無い格好や身形です」
「…という事は、現状では一般人は居ない?」
「私が此方等に向かう為に離れた時点ではですが、それらしい者は確認してはいません」
それを聞き、曹皓は一旦質問を止める。
同様に曹操も、現時点での情報を纏め、考える。
黄巾党の残党である可能性。
黄巾党の残党が新しく人を集めている可能性。
黄巾党の残党は無関係で、単に賊徒が黄巾党の真似をしようとしているだけの可能性。
黄巾党という名を、姿を、利用しようとする何者かによる偽装工作である可能性。
考えれば切りが無い。
可能性の取捨選択をしようにも情報が少ない。
──が、それは隠密の責任ではない。
寧ろ、この第一報こそが重要なのだから。
其処から先は曹皓達が考え、判断し、指示する事。
隠密に求めるべき事ではない。
二人は視線を交え、見えない合意に到る。
「別任務の班からも人を回す様に手配しておくわ
引き続き監視と報告を御願いね」
「畏まりました」
現時点では、これ以上の情報は無いと判断。
だから、その一団からは目を離さない様に指示。
それを受け、隠密は退室する。
直ぐに人を呼び、主要な面子に召集を掛ける。
そして皆が集まるまでの間に、ある程度の疑問点を二人で出し合い、潰しておく。
余計な手間と時間を省く為にも。
「何れ位、残党の可能性が有ると思う?」
「んー…正直、殆ど無いかな
勿論、此方の掌握している場所じゃないから絶対に無いとは言い切れないけど…
何しろ、その場所が青州だからね」
「そうね、兌州と徐州は私達が、南は曹家と孫家が治めているから青州に残党が入るのなら北から」
「でも、其方には、しっかりと網が張ってある」
「ええ、擦り抜けられたとは思わないわ」
勿論、前例が有る以上、絶対に無い訳ではない。
しかし、その辺りも強化・対策した上での事。
全く何も感じさせずに、というのは考え難い。
それだけの努力を隠密達は新たに積み重ねた。
それ故に、二人からの信頼も確かだ。
話を戻して。
それを抜きにしても、残党である可能性は低い。
そう二人は考えている。
今も残党が生き残れているとすれば、それは黄巾党だった事を隠しているから。
だから、自ら再び黄巾党に戻る事は考え難い。
また、残党が再起を図るにしても青州は無い。
──と言うより、青州では難しい。
曹操が言った様に残党が青州に入る事が出来るのは北から──冀州からの陸路か、海路でになる。
しかし、冀州は黄巾の乱の中心地だった為、全域の事後処理が徹底的に行われている。
逃げ延び、青州で潜伏していた?
──否、それは至難だろう。
賊徒も同然の黄巾党が、百人以下だったとしても、何の悪行も働かずに今まで潜伏する事は不可能。
何者かが意図的に匿ったり、援助したりしていない限りは疾うに賊徒として情報を掴んでいる筈だ。
可能性が無いとは言えないが、そこまでして残党を生き延びさせる価値は無い。
捨て駒なら、先の戦いで使い切っている筈。
だから、利用価値が有るとは思えない。
真の黒幕以外の可能性も有り得なくはない。
だが、それだけの事が出来る者が、自分達以外には存在しているとは考え難い。
それが出来るのなら、間違い無く今、自分達の前に立ち塞がる存在となっている筈なのだから。
そうではない以上、新しい可能性も無いに等しい。
「そうなると、本命の可能性が高いわね」
「確実に一荒れするだろうなぁ…」
探していた黒幕と、遂に相対する事が出来る。
不謹慎だが、それに対しての期待感が有る。
しかし、その一方では事後処理等を考えてしまうと両手を上げて歓迎するという事は躊躇われる。
その黒幕が責任を持って後始末をしてくれるのなら何も気にしないし、考えもしないのだが。
それは勝者が押し付けられる負債。
だから、誰かが遣ってくれるのなら、喜んで譲る。
「どうぞ、どうぞ」と笑顔で。
何なら、熨斗を付けて。
そう思う程、事後というのは面倒なものである。
二人が軽く現実逃避する様にイチャイチャする間に韓浩達が集まり、説明をする。
全員が揃うまでの間、イチャイチャしていた二人に韓浩が呆れながら、「何してんだよ?」と聞けば、曹操が「見ての通りよ」と気にもせず返す。
その二人の様子に夏侯惇が羨ましそうにする。
韓浩が「…マジかぁ…」と天を仰ぎ──諦めた。
何が有ったのかは、言わぬ聞かぬが情けである。
「──という事なのよ」
「……此処に来て、ですか……」
「まあ、結局は黒幕が残ってたんだから、何処かで動いてくるとは思ってたんだし、今更だろ?」
「そう言われれば、そうなんだけど…
今になって、また動き出す理由や目的って何?」
「…は?、漢王朝の打倒じゃないのか?」
「いや、それなら張三兄弟を使い捨てる様な真似は遣らないだろ?
折角、彼処まで上手く使ってたんだしな」
「あー…確かになぁ………」
曹操の説明に渋い顔をする曹仁達。
一方で、馬超は前向きに考えた意見を口にする。
直ぐに馬洪が疑問点を指摘し、脱線を防ぐ。
意識してではないが、これも経験から来るもの。
手間が省ける事に曹操達は馬洪を密かに誉める。
口に出す事は決してしないのだが。
「抑、その正体も目的も不明のままなんだよな?」
「ええ、盗まれた後、唯一行方が判らなかった例の太平要術の書も、涼花の一族が禁書に指定する程の危険性が有る内容ではなかったわ」
「じゃあ、アレは偽物だったのか?」
「元々、どんな物だったのか判らないでしょう?
だから、真偽を確かめる事は不可能に近いわ」
「比較する対象が無かったら比較は出来無いか…
けど、それを張角が持っていたのも事実だろ?
その辺から何か取っ掛かりは得られないのか?」
「何を探す為の取っ掛かりを?」
「あー……根本的な問題かぁ…」
思ったまま質問する韓浩に答えていた曹操。
だが、堂々巡りをしそうな所で曹皓が一言。
それで韓浩は最大の問題点に気付く。
今、曹皓が指摘した通り、手掛かりも取っ掛かりも全ては、ある程度、目標が定まっていればこそ。
先の話で言えば、黄巾党の首魁・張角達の存在だ。
それを知る為、探る為、到る為の痕跡。
それが手掛かり・取っ掛かりだった。
しかし、現状では、真の黒幕が存在する。
それが判っているだけ。
その存在を定め、繋がる情報等が何も無い。
だから、手掛かり等も探しようが無い。
判別する為の基準や目安が無いのだから。
「まあ、確証の無い可能性なら有るんだけどね」
「──え?、マジで?」
「ちょっと、玲生?」
「こうなったら話はしておくべきだと思うよ?」
「………判ったわ」
曹皓の発言に驚く韓浩達。
だが、曹操だけは曹皓の発言に不満を露にする。
そんな二人の遣り取りを見ていれば判る。
曹操としては確証の無い情報──憶測だけの仮説を韓浩達には聞かせたくはないのだろう。
それだけ思い込みというのは恐いものだ。
けれど、そうも言っては居られない状況だと曹皓は判断したから、それを口にした。
しかも、曹操との事前の話し合いは無しで。
今、この場の話の流れと、韓浩達の様子を見て。
「話しておく方が良い」と判断したから。
それを理解したから曹操も納得した。
渋々だったが。
「張角の持っていた太平要術の書
アレが本物だと仮定をした時、禁書とされた理由が書かれた内容ではなかったとしたら?」
「………?、どういう意味だ?」
「……書に使われている紙、或いは、書いた人物、または存在する事自体が指定の理由、ですか?」
曹皓の言葉に韓浩達は首を捻る。
その中で、夏侯淵が自分の考えを口にする。
それに曹皓と曹操は小さく頷いて見せる。
「世界には人の想像を超える現実というのは多い
それを黄巾党との戦いでは目の当たりにした筈」
「……あの気色悪い奴か」
「氣の作用だけでは説明が出来無い領域
それが存在するという事を俺達は見せ付けられた
勿論、そう簡単に理解も再現も出来無いけど…
少なくとも、そういった可能性を確証が無いからと排除するべきではない事だけは判った」
「確認しようにも、あまりにも危険だから玲生でも許可は出来無いけれど…
所謂、霊魂の類いに関わるだと考えて頂戴」
「…………要は幽霊って事だろ?」
「あー……まあ、その認識でもいいかな」
韓浩からの「難しい事は判らないからな?」という言外の抗議に曹皓は苦笑。
深くは判らなくても支障は無いと考え、妥協。
説明しようとしていた部分を大幅に省く。
知りたい者には別途、説明すればいい。
因みに、夏侯惇が韓浩の袖を握っている事には皆が気付いているが、誰も指摘はしない。
話を脱線させ、場を混乱させる訳にはいかない。
だから我慢はしているが──良いネタを得た。
そう思っている面子も多い。
「意外だな」「可愛い所も有るな」とも思う。
夏侯惇が知れば大暴れするだろうが。
皆が堪えている内に曹皓は話を進める。
口を滑らしそうな面子も少なくはないが故に。
「もし、太平要術の書が、何かしらの霊魂を封じた書物の形を模した器だったとしたら…
其処に在った存在が、真の黒幕の可能性が高い」
それは仮説だとしても突拍子も無い話だ。
普通なら、誰も信じはしないだろう。
だが、この場に置いては違う。
そう話すのは曹皓であり。
曹操が話す事に反対をした内容だ。
確証の無い仮説だったとしても、信じるに足る。
二人との信頼関係が有ればこそ。
そんな中で韓浩が不意に小首を傾げた。
「………ん?、いや、それって可笑しくないか?」
「何処が気になるの?」
「だってさ、禁書として涼花ん家の倉の奥に隠して有ったんだろ?
それを盗み出した、盗み出させた奴が真の黒幕って当初は考えてたんだよな?」
「ええ、今でもそうよ」
「いや、だったら無理だろ?」
「それがね、そうでもないんだ」
「…マジで?」
「太平要術の書に封印されていた存在が、誰かへと干渉する事で、自分を盗ませる」
「──あっ!」
「それなら、真の黒幕は同じ、という事なのよ」
つい、自分達の常識や感覚で考えてしまう。
しかし、相手は、その範疇の外に居る存在。
想像し難いが故に仕方が無いのだが。
単純に考えていては決して見えない事である。
その難しさが、説明し難さであり、厄介な所。
理解が出来無ければ、人は納得もし難いのだから。
「ただね、それも可能性の一つでしかないんだ」
「そうなのですか?」
「仮に、その手口だったとするわ
その場合、最も可能性の高い傀儡は?」
「…………涼花、ですか」
「ええ、そうなるわ」
曹操の問いに皆が考え込み、甘寧が答えを出す。
そして、「マジか…」と驚き──「…ん?」と直ぐ引っ掛かりを覚える。
「貴方達が考えている通り、もしそうだった場合、操られていた涼花が何故、解放されているのか
それが一番大きな疑問になるわ」
甘寧が言った様に、最も近くに居て操られ易いのは韓遂となるのだが。
曹操の言った様に、韓遂が操られていたのであれば韓遂が解放されている事は不自然だ。
少なくとも、盗み出された禁書を運んだと思われる夏侯惇に接触した行商人は始末された。
だから、韓遂が生きている事は矛盾する。
当然だが、今も韓遂が操られている可能性は無い。
その可能性に思い至ったのなら、この二人が絶対に放置はしない。
……まあ、泳がせるかもしれないが。
それでも逃げられる様な間抜けな事には為らない。
だから、今の涼花を疑いはしない。
──が、だからこそ、その矛盾が引っ掛かる。
「涼花じゃないなら、他の奴って事だよな?」
「“気が合う”っていうのと同じだと思う
その封印されていた存在と波長が合う者を操って、盗み出されたと考えれば説明は出来る」
「涼花達は勿論だけれど、倉の周辺に住む者達にも行方不明者は居ないわ
つまり、それなりに離れた場所に居た者が対象よ
そして、極めて稀有な存在だとも言えるわね」
「…そっか…珍しくないなら周辺から出るもんな」
「ですが、それと黄巾党──張角達と、どう繋がるのでしょうか?
張角自身が操られ、盗み出したのでしょうか?」
「いや、張角が太平要術の書を手にするまでには、数人を経ている可能性が高いと思う
最初に張角が操られていたのなら、もっと動き方が大きくなっていただろうから
それに波長が合う者を操るにしても、有効な範囲は然程大きくはないと思う」
「そうなのか?」
「仮に、張角の居た冀州までが範囲内だとしたら、漢王朝の領地は大半が対象に入るわ
その場合、もっと早い段階で動き出せる筈よ」
「……その封印が最近になって弱まったのでは?」
「隼人さんの言う様に、その可能性も有るね
ただ、その封印が、どんな物なのかも判らないし、涼花が禁書に触れた訳でもないから……」
「偶然、というのは考え難い、ですか……」
「今になって……」と言うには漠然とし過ぎる。
曹皓の言う様に封印自体が、どういった物なのかが判らない以上、経年劣化の有無も不確か。
抑、現時点で最も氣の扱いに長けた曹皓でも封印を施す方法というのは思い付かない。
それは霊魂という存在を理解はしていないのだから当然の事なのだが。
少なくとも、件の封印とは、その領域の技術。
曹皓にさえ見えない高みの業だと言える。
その為、下手に繋げて考えるのは危険。
そう曹皓達は判断したから、可能性は潰さない。
それと同様に無理に絞り込む事もしない。
広く、柔軟に、可能性を模索する姿勢を取る。
自ら可能性を消去する事が何よりも危うい為に。
「それから一つ、気になる事を張角が言ったわ」
「ん?、何か可笑しな事、言ってたか?」
「わ、私に聞くな!」
「……あの時、変異する直前、張角は私達の前にも自分の邪魔をした存在が示唆する事を呟いたわ
勿論、それは張角の意思というよりは、封印された存在の方の意思──感情や思考でしょう
そして、封印されているのだから、当然の事
誰かの手によって、封印された事になるわ」
「あー……そういう意味か」
「ただ、それにしては気になるのよ」
「……と仰有いますと?」
「田静達の関与の可能性よ」
『────っっっっ!!!!!!!!』
思い掛けない曹操の一言に韓浩達は驚く。
そして、反射的に曹皓を見た。
──が、当の曹皓は肩を竦めて苦笑。
「知ってたら話してるよ」と言外に示す。
それにより、視線は曹操へと戻る。
「気付いたのは、張角達との戦いの時よ
あの時、不意に全てが繋がっている様に思えたの」
「……華琳様にしては随分と感覚的ですね」
「秋蘭の言いたい事も判るわ
私自身、自分の感覚を疑いはしたもの
ただ、あまりにも綺麗に繋がった
だから、その可能性は排除出来無いのよ」
「……その可能性って?」
「“空白の三年”の間に、玲生の父親となる男性と出逢い、この一件に繋がる何かに関わった」
「………………え?、それだけ?」
「他に少しでも情報が有るのなら言いなさい」
「失言でした!」
思わず本音を口にした韓浩を曹操が睨んだ。
言外に「だから最初から可能性の話だと言っているでしょうがっ!!」と怒りを露にして。
それに対して韓浩が立ち上がり、頭を下げた。
土下座をしなかったのは見え難いから。
その判断が出来る程度には聡く、冷静。
「だったら、そんな失言をするなよ」と。
そう言いたくもなるのだが。
先程の一言は他の皆にも共通する思いでもある。
だから、誰も韓浩を責めたりはしない。
寧ろ、その尊い自己犠牲には感謝している。
まあ、そういう所が韓浩のらしさ。
曹皓達が評価している部分でもある。
だから、妻の機嫌を直しつつ、話を戻す曹皓。
韓浩を助ける、という意味も含めて。
「これは俺には気付けなかった事だね
華琳だから気付けた事だと言える」
「華琳様だから、ですか?」
「母さんは俺が一人で旅をする事には反対だった
だけど、それは心配する親心からだけじゃなくて、其処には何かしらの意図が有った
気付くと、そう考えないと不自然な事が多いんだ」
「勿論、それが何かは今も判ってはいないわ
ただ、太平要術の書の件とは無関係ではないわ」
「……そう言い切れるのが凄ぇな」
「あら?、言っていなかったかしら?」
「何を?」
「玲生が昔、御義母様から太平要術の書に関して、その名前を聞いていた、という話よ」
「…………初耳なんだけど?」
驚きながら呟いた韓浩。
その反応を見て、曹操は他の皆を見る。
「貴方達は?」と視線で訊ねれば、揃って首を横に振って「聞いていません」と示す。
曹操が曹皓と顔を見合せ──韓浩達に謝る。
二人して完全に忘れていた事を。
まあ、誰も責めも文句も言いはしない。
改めて話を聞けば、曹皓自身も情報としては大して価値が有る様には思ってはいなかったと判る。
何より、彼女に関しては謎が多過ぎる。
孫静として生きていた頃の話は色々と孫堅達を通し聞いて知ってはいるのだが。
それでも、曹皓や曹操からしても不思議に思う。
その知識や発想の一端は更に謎の深い父親の方にも有るのかもしれない。
そう思っていたりもするが、それでもだ。
説明が難しい事も多々有る。
彼女の遺した知識や技術等には助けられているし、支えられてもいるのだけれど。
孫堅達や劉懿達でさえ、深くは考えていない。
「まあ、そういう人だから」と。
それで納得してしまっていたからだ。
「ただまあ、母さんが太平要術の書に関わっていた可能性が有るとすれば、その三年の間だとは思う
それ以前から何かを知っていたのなら、もっと早く動きが有っても可笑しくはないだろうしね」
「備えない、というのは考え難いでしょう?」
「それもそうだよなぁ……」
「結局は、其処を知らないとって訳かぁ……」
二人の話に納得する韓浩。
根本的で、最重要な部分を気にする馬超。
それは口には出さないだけで曹皓達も同じ。
だが、それが本当に難しいからの現状だとも判る。
「………………なあ、ふと気になったんだけどさ」
「何かしら、翠?」
「太平要術の書が、封印の器だとして、田静様達が関わってたら涼花と面識が有るんじゃないのか?」
「「──あっ!!」」
「それは確認済みよ、面識は無いわ」
「多分だけど、直接は関わっていないと思うよ
もし、直接関わっていたなら、張角達を操っていて俺達や、曹家・孫家に執拗に攻撃する筈だから」
「あー……まあ、そうだよなぁ……」
「考えられるのは、玲生の父親が封印を施した者の血縁者──子孫か、その技術や使命を継承していた役目を負う者に連なる者という事でしょうね」
「でも、その辺りの技術を母さんが知らない事や、遺してくれてはいない事も謎なんだけどね」
「………つまり、結局は判らないのか…」
「そういう事だね」
曹皓の一言で改めて思う。
こんなに影響力と謎の多い両親を持つとか、自分の事だとしかたら考えられない、と。