表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真・恋姫†無双 星巴伝  作者: 桜惡夢
二章  天命継志
33/38

十ニ話 災散滓死


西の空が燃える様に赤く染まり、山並みの影の奥に燃え尽きてしまいそうな赤橙色の陽が沈む中。

張角達の偽者──身代わり達が混ざり合った異形を倒した曹晧達は退避させていた部隊と合流。

被害状況等を確認した後、直ぐに鉅鹿へと向かって移動を開始した。


それと同時に、念の為、曹嵩達への伝令も出す。

だが、それは援軍要請を求めてという事ではなく、曹嵩達に「不用意に近付かない様に」と警告をする意味でのものである。

孫堅夫妻ならば兎も角、曹嵩達には荷が重い。

況してや、如何に精強だろうと、曹晧達が鍛え上げ同行を認めた精鋭中の精鋭達ですら戦力外だった。

そんな相手に数を当てるなど愚策でしかない。

また、喰われても(・・・・・)困るだけ。

冷静に考えれば、既に人手(・・)は足りている。

だから、曹嵩達には自分達の仕事を全うして貰う。

悪戯に被害を拡大する訳にはいかないのだから。


後方に付く兵士達の事を考え、全力ではないけれど名の知れた駿馬を軽く上回る速さでの疾走。

その最中で、不意に曹操が眉根を顰める。



「………ねぇ、玲生…コレ(・・)って…」


「うん、向こうは開き直ったみたいだね」



そう移動しながら話す曹操と曹晧。

二人の話を聞きながら、側に居る韓浩達は、二人が張角達の氣を捉えたのだろうと察した。

正確な探知範囲を把握はしていなくても、探知する対象範囲を絞れば距離を延ばせる事は可能であると知っているからこそ、其処に疑問は無い。


──が、それはそれ、これはこれ。

二人の話を聞く限りでも、張角達の動きに付いては疑問を懐かずにはいられない。

そんな皆の心の声を曹操が代弁する。



「まあ、バレてしまっては隠れている意味は無いのでしょうけど…潔さ過ぎない?

そのまま隠れて移動すれば、私達から逃げ切る事も可能だった筈でしょう?」


「そうだね、でも、そうはしなかった…

つまり、逃げる気は無いって事じゃない?」


「…此処に来て?、流石に可笑しくない?」


「可笑しいね、少なくとも、張角達自身の考えかを疑うだけの理由にはなると思うよ」


「やはり、真の黒幕(・・・・)が居るのかしら…」


「これまでは、それらしい痕跡は皆無だけど…

抑として、張角達の隠遁術が異常な程に高いからね

それ自体が、どうしても繋がらない(・・・・・)



そう曹晧が言う様に、氣を扱う曹操達からすると、張角達の隠遁術は不自然(・・・)に過ぎる。

──が、単純に考えれば、自分達よりも上なだけ。

そう結論着ける事も出来てしまう。


ただ、そうなると自ら動かない理由が判らない。

勿論、隠遁術に特化している場合も考えられるが、可能性としては低いだろうと思っている。

──否、知っている(・・・・・)


氣の技術は細分化すれば軽く百を超える。

だが、大きく分ければ、たったの二つ。

それが、内功と外功。

内功は自身の内側で氣を用いる技術。

身体強化等が該当する。

外功は氣を自身の外側に放出して用いる技術。

治癒等が該当する。


その中で、氣を用いる隠遁術は複合型(・・・)になる。

内功で自らの気配や存在感を消し、外功で探索等の氣の技術から外れる、或いは、潜り抜ける。


もし仮に、内功か外功の何方等かしか出来無いなら曹晧達に発見する事が出来無い訳が無い。

曹操直属の隠密にもである。

しかし、実際には、ずっと見付けられなかった。

つまり、それだけの技量が有るという証拠。

それにも関わらず、攻勢に出ないのは不可解。

曹晧達の様に個ではなく、全──繋がりを重んじ、きちんとした統治体制を構築しようとするのなら、可笑しくはないのだが。


張角達──黄巾党は武力蜂起という手段を選んだ。

初動が武力行使である以上、目的──漢王朝の打倒という大義を成し遂げなければ、次には移れない。

だから、矢面に立たない事など有り得ない。


それらの疑問に対する解となる可能性。

それが、張角達をも操っている存在が居る事。


ただ、そうなると、この黄巾党という災火(・・)を拡げ、何をしようと目論んでいたのか。

それが曹晧達にも見えては来ない。

その上、あの異形化である。

疑問に疑問が重なり、謎に謎が絡み、意味不明。


しかし、繋がりそうもないバラバラだった欠片が、此処に来て組み合わさり、填まり始めてもいる。

其処に意図を感じない訳が無いのだが。

火中に飛び込む以外に選択肢が無いのも事実。

だからこそ、可能性は一層高まっている。






「……随分とまあ、静かなものね」



そう呟きながら曹操は月明かりの下、眼下に見える山中に築かれた砦を睨む。

周囲に被害が及びそうな村邑は無い。

だが、ざっと見ただけでも三万は内部に人が居る。

人以外(・・・)の反応を含めれば四万近い数。

それだけの命を喰らう(・・・)となると。

楽勝とは行かないだろう事が予想される。

まあ、負けるつもりなど微塵も無いのだが。


曹操達が居るのは山頂に近い崖の上。

其処に一旦足を止め、調査と休息。

調査には曹晧と曹仁・夏侯丹が出ている。


そして、この場に居るのは曹操達だけ。

道中で兵士達とは分かれている。

二百の兵士達は五十、百五十の二部隊に再編成。

二段構えの防壁役として配置されている。

其処まで行かせるつもりはないが、念には念を。

万が一の時に備えて置かない理由は無いのだから。



「華琳様、どうぞ!」


「有難う、春蘭」



夏侯惇から淹れたての御茶を受け取る。

既に陽は沈み、夜の帳が下りている。

氣を扱う曹操達にとっては夜の冷え込みなど大して気にもならない。

だが、こうして身体の内側から温めておく事により動きに支障を出さない様にする準備も大事。

そういった些細な違いが戦場では生死を分ける様な大きな差となる事も珍しくはないのだから。


──とは言え、普通であれば、敵の拠点を目の前に堂々と火を起こし、暖を取る様な事はしない。

遣るにしても、細心の注意を払った上でだ。


しかし、曹操の背後では、はっきりと見える大きな焚き火が有り、夜食(・・)が準備されている。

「腹が減っては戦は出来ぬ」が田静(はは)の教え。

そして、それは曹家に根付く基本思想でもある。


「御腹が一杯なら、争いなんてしないでしょ?」と明るく朗らかな声が曹操にも聴こえる気がする。

それ程に食というのは人の──生ける者の根幹。

それを蔑ろにしたり、軽んじる真似は有り得ない。

自身も料理好きであり、農業等の大切さと大変さを身を以て知っていればこそ、尚更に。

だから、手抜きなどはしない。


──が、それでも時と場所と状況は選ぶ。

それが出来無い様な愚者ではないのだから。



「……これだけ堂々と遣ってても無反応って事は、正面な奴は居ないって事なんだろうな…」


「まあ、存在を隠さず、此方等に気付いても無反応という時点で普通ではないわよ」


「それもそうか」



御茶を片手に曹操の隣に歩いて来て、同じ様に砦を見下ろす馬超が呟く。

曹晧達が探知し、隠すつもりが無いと判ってから、曹晧達も気配は隠さずに接近した。

相手の反応を見るという意味でも。


その結果、全く動く様子は無かった。

曹操達が居る場所に着いてからも何も変わらず。

曹晧達の調査は、その当たりの確認の為のもの。

だから、一定以上は近付かない様にもしている。

それでも曹晧達は意図的に気配を隠したりしてみて反応を窺っているが──全く動かない。

高所から見ている曹操の方でも反応は確認出来ず。


そんな状態なのだから、正面ではない(・・・・・・)と判る。


料理が出来上がる頃、三人が戻って来る。

そして、食事をしながら最終確認。



「…考えたくはないけれど、彼処に居るのは全てが生け贄──いいえ、素材(・・)という事ね」


「そう見て間違いは無いだろうね

多分、張角達とは直に接触するのは難しいかな」


「その前に、という訳ね…

何処まで命を弄べば気が済むのかしらっ…」



その憤怒──激情に任せれば、鉄製の杯で有っても簡単に粉々になりそうな程の曹操の様子に他の者も自分の感情の昂りを感じずには居られない。

勿論、それに呑まれず、流されず、御すのだが。


その激情は破壊衝動に直結し易い。

だから、無性に何かを壊したくなる。

俗に言う、八つ当たりである。


尤も、それを打付けられる相手は目の前に在る。

だからこそ、今は(・・)我慢も出来る訳だが。

客観的に見たなら、とんでもなく殺意に満ち溢れた食事中という事で、先ず近寄りはしないだろう。

誰かに見せる様な一面ではないのだが。



「……なあ、玲生、それだったら、動かれない内に此処から攻撃するっていうのは?」


「んー…多分、無駄だと思うよ

攻撃だと判断したら、直ぐに遣るだろうしね

康栄が黒幕の立場だったとして、「今から遠距離で攻撃しますから、じっとしてて」って言われたら、大人しく、じっとしてる?」


「してる訳が無い」


「そういう事だよ」


「そういう事か…」



二人の話を聞き、「それはそうでしょう」と思う。

だが、数名は韓浩と同じ事を考えてもいた。

「もしかしたら…」と思うのも仕方が無い。

それが遠距離からの攻撃の利点なのだから。


同時に「結局は此方等から踏み込むしかない」と。

そう言外に二人の会話から汲み取る。



「でもさぁ、そうなると中は罠だらけだよなぁ…

危ないとかじゃなくて面倒臭そうだよなぁ…」


「愚痴りたくなる翠の気持ちも判るわ

ただ、其処まで手間取りはしないでしょうね」


「…え?、マジで?、何で?」


「単純な理由よ

私達が囮に使われた身代わりと黄巾党本隊と戦って此処に来るまで四半日も経っては居ないでしょ?」


「移動の速さを何よりも重視した訳だしな」


「此処に着いてから──正確には、それより前から砦には全く動きは無かったわ

つまり、砦の中に罠が仕掛けられているとしても、それらは元々有った物が必然的に多くなり、新たには仕掛けられた物は少ないでしょう

まあ、物理的には(・・・・・)なのだけれど」



落ちを着ける様に、最後に一言呟く曹操。

ある意味では、それこそが核心とも言える。


曹晧達にとっては物理的な罠なら何とでも出来る。

だが、そうではない罠となると…面倒な事に。

自分達自身が影響を直接は受ける事は無いにしても先の一戦で見た事が脳裏には焼き付いている。

その可能性が否定は出来無い以上、警戒して当然。


ただ、問題が一つ。

目の前の砦の中に居る者達は、見た目には(・・・・・)黄巾党。

しかし、自我を奪われている、或いは操られているという状態なのだとしたら、偽装(・・)の可能性が残る。

曹晧達が懸念しているのは、其処だったりする。


その為の曹晧達の調査だった訳だが。

判った事は、少なくとも助けられない(・・・・・・)という事。

曹晧にさえ、彼等を元に戻す術は無かった。

結果は、それが判っただけなのだから。



「……なぁ、何で黄巾党って男ばっかなんだ?」


「…は?、急にどうしたんだ?」


「いや、よくよく考えるとさ、太平道って老若男女関係無く広まってるんだよな?

だったら、黄巾党の構成員も老若男女が混ざってる方が自然なんじゃないのか?

でも、実際には俺達が戦った黄巾党は男だけだ

年齢的には老若は有っても、子供(・・)は居なかった

それって何か可笑しくないか?」


「………確かに、そう言われてみると…」



不意に口にした韓浩の言葉に、馬超が納得する。

同様に、その違和感を他の皆も認識する。

そして、自然と顔を曹晧達へと向けた。


二人は顔を見合わせ、曹晧は肩を竦め、それを見て曹操は小さく溜め息を吐く。

その遣り取りから、二人が疾うに気付いていた事を察し、同時に意図的に伏せていた事も判る。

つまり、そういう事(・・・・・)なのだと。

曹晧達にしても、どうする事も出来無い事であり、どういった方法によるものなのかも判らない。

ただ、それが事実としては存在している。

もどかしいが、何も出来無いから伏せた。


それを理解すれば、文句を言う事も出来無い。


まあ、曹晧達からすれば、「もう少しで終わるかもしれないんだから、今気付かなくても…」と愚痴を溢したくもなる所だが。

それが韓浩の良さでは有るので潰す真似はしない。

貴重で、得難い素質(もの)なのだから。



「…私達も明確な答えは得てはいないわ

ただ、女子供が残されても、男手が大幅に減っては影響が出ない訳が無い

そう為った時、何処に皺寄せ(・・・)が行くと思う?」


「それは………治安?」


「兵数という意味では、大きく消耗したでしょうね

ただ、黄巾党には既存の賊徒が合流しているわ

それを潰すのだから、治安は寧ろ改善するわよ」


「あー…確かにそうだよなぁ…」



曹操の質問に、しっかりと考えて答えた韓浩だが、あっさりと切り返されてしまう。

その返しに抗うだけの手数は続けられない。


代わって、少し自信を覗かせたのは馬超だった。



「だったら、農業とかの生産力だろ?

黄巾党に参加した一般人は農民とかが多いんだしな

其処が減る訳だから当然、働き手も不足する」


「そうね、生産力は大きく落ちる事になるわ」


「おっし!」


「──でも、農業なら女子供にも出来るわよ

生産力は落ちても、消費する人数も減るのだから、其処は施政者の腕次第で補える範疇ね」


「…………結局は違うのかぁ…」



正解したと思った馬超が一転して肩を落とす。

正確には、馬超の考えは間違いではない。

戦争によって生じる最も数字に出易いのは生産力の低下である事は事実だと言える。


ただ、曹操が言った様に、農業という事に限れば、女子供でも出来無い事ではない。

最低限、自分達が食べる分を生産し、自給自足する程度なら不可能ではないのだから。

そういう意味では、まだ何とかなる事だと言える。

勿論、地域や国という規模で、数字として見れば、生産力が落ちるのは正しい事だ。

だから、曹操も不正解だとは言っていない。


一々全てを言わなくても気付いて欲しい所だが。

馬洪が気付いているので曹操も余計な事は言わず、任せる事にする。

夫婦間の御互いへの影響力の大きさは、曹操自身が誰よりも知っているし、理解しているのだから。


──という惚気は後回しにして。



「最も影響が出るのは出生率──新生児の数よ」


「…子供?」


「──あっ、そうか、男手が減ると女性が働くし、働かないと生活が出来無い

だから、妊娠したり、子育てが難しくなる!」



曹操の言葉に思わず呟いたのは首を傾げる曹仁。

逆に意外と早く察したのが馬洪。

丁度、慰めていた馬超に話していた事から繋がったという流れも有るが、皆からは感心される。

それが馬超も嬉しくて、機嫌も直る。



「それだけではなくて、単純に父親不足(・・・・)になるわ

女としての立場で言えば、()を蒔くだけ蒔いて後は放置だなんて赦せないでしょう?」


「極刑です」


切り落とし(・・・・・)ましょう」



曹操の言葉に夏侯淵と甘寧が即座に答える。

普段から冷静な二人が、冷徹に言うから男性陣には心当たりが無くても薄ら寒くなってしまう。


尚、夏侯惇と馬超が反応しなかったのは、二人からしてみると、夫以外の相手とは子供を成そうなんて微塵も思わないし、襲おうとした場合は実力行使で返り討ちにするだけだから。


夏侯淵と甘寧は自身ではなく、自分達以外の女性の立場になって考えて、という事。

その瞬間的な思考の違いが、反応に出ただけ。

だから、其処に良し悪しも正否も無い。


因みに、曹操は曹晧の子供を自分以外の女が産む事なんて絶対に許しはしない。

まあ、抑として曹晧が自分以外の女に惹かれるとも思わないし、他の女に気が向く様な油断はしない。

常に自分に夢中にさせる。

その為の努力や手間隙を曹操は決して惜しまない。

何もしないで勝ち取れる程、恋愛という生存競争は甘くはないのだから。



「子供を成す必要が有るとしても平民で一夫多妻は責任を背負えない以上、政策としても不認可

そうなると、可能なのは一部の特権階級の者達か、財力・影響力の有る者達に限られてくる

だけど、その場合には継承問題(・・・・)が生じる事になる」


「あー……まあ、そうだよなぁ…

責任を負うって事は、その権利も認める訳だから、そういう問題は出てくるか…」


「だからと言って、子供を作っただけだと、子供が無事に育つ保証は無いし、それだと無意味よね?

そうなると、子供の、引いては母親となる女性達の面倒も見る事が不可欠の前提条件になるわ

だけど、そうすると避けられないのが御家騒動

勿論、最初から継承権の有無を明言しておく事で、避けられない訳ではないけれど…」


「それは飽く迄も家族内に限った話だからね

御家騒動になる場合、その傍には利益享受を狙った第三者が絡んでる事が多いから…

生前は何とかなっても、死後の事まではねぇ…」



曹晧が「どんなに優秀な人でも、流石に其処までは面倒を見れないよね?」と苦笑を以て言外に示す。

それは男に限らず、女性にも言える事。

そして、自分達にも無関係な話ではない。


まあ、死ぬ頃には孫か曾孫が当主だろうから。

実際には、そんな御家騒動には関わりはしない筈。

自分達が生きている内は、そんな真似はさせない。

死んだ後の事にまでは責任を負えないが。



「何にしても、元より討伐対象だった賊徒を除けば黄巾党に参加しているのは不平・不満を抱えた民よ

私達には直接は関わりの無い地域から出ていても、その地域が荒れて困る事は有り得るわ

特に、中心地となった冀州・青州ではね」


「………では、それが黒幕の狙いだったと?」


「そう言い切れたら楽なんだけどねぇ…」


「これも、私達の憶測に過ぎない事よ」



曹仁の問いに曹晧達は苦笑を浮かべる。

結局、話は振り出しに戻る。


だが、この黄巾党という一石が投じられた事により生じた波紋は広く、大きく、連なる波となった。

その影響が出ているのは間違い無く事実。

だから、曹晧達も話すに話せなかった。

それを理解出来るから、韓浩達も何も言えない。


徐州を獲たり、邪魔な官吏を排除出来た利は有る。

しかし、それと差し引きしても損をする位の影響が漢王朝全体に波及している事も確か。

それを考えると、黒幕に辿り着けないまま終わると後々の憂いを残す事になる。

だからこそ、何かしらの手掛かりを掴みたい。

そう思う二人の意思を、改めて韓浩達は感じる。




食事と話し合いを含めた休憩を終え、曹晧達は砦に向かって一気に駆け下りる。

斜面だろうが、大岩や谷が有ろうが、木々が生えていようが関係無い。

只、最短距離を真っ直ぐに。

射放たれた矢の如く、振り返りもしない。



「────っ!、来るわよっ!!」



その最中、曹操が声を上げる。


その前方──斜め前を行く曹晧は既に抜刀。

──否、初太刀(・・・)を終えていた。


曹操達の視線の先──進行方向に有った砦の外壁が一振りの下に斬り崩された。

その為、誰も減速する必要は無い。

無言のまま「一気に行く」と示す曹晧の背中。

その強さに呆れながらも、韓浩達の士気は高まる。

此処まで来て臆する者など、居ないのだから。


──が、相手も大人しくはしていない。

それを報せたのが、曹操の声だったのだから。


砦の中から飛来──否、投擲(・・)された塊。

それを空中に有る内に夏侯淵が撃墜する。



「冬哉兄さん!、秋蘭!」


「「御意っ!!」」



曹操の意図を汲み、夏侯淵と夏侯丹は足を止める。

そのまま、更に砦から飛んでくる塊──身を縮めて丸まっていた異形を夏侯淵が撃墜し、地上に落ちて動き出そうとした所を夏侯丹が仕留める。


その場を二人に任せ他は前進。

だが、それだけで敵の攻撃が緩む様な事は無い。

進路上に──否、広範囲に渡って地面が盛り上がり地中から腕が幾つも突き出してくる。

感知出来てはいない事と、経験から、それが死体を用いた異形である事は直ぐに判った。



「翔馬兄さん!、翠!」


「「応っ!!」」



演出に拘った為か、或いは単純に埋没していた事の弊害と言うべきなのか。

まだ完全には姿を現せず、動きも鈍い。

数が数である為、夏侯丹達の事を考えても馬洪達を残して掃討を任せる事に。


二人は背中合わせに立って構え、他は足を止めず、そのまま砦の中へと飛び込んだ。


着地するのと同時に背中合わせに構える曹晧達。

六方向を警戒するが……何も起きない。

──否、直ぐに違和感に気付いた。


その場で曹晧は地面を踏み抜く様にして氣を放つ。

すると、地面が蜘蛛の巣の様に罅割れ──空中へと亀裂は拡がり、景色が(・・・)砕け散る。


砕けた景色が光りながら消えてゆく中に。

変化中の異形達と本来の景色(・・・・・)が姿を現す。



「──っ、遣ってくれるわ…」



そう呟き口元に笑みを浮かべる曹操。

だが、胸中では少しばかり冷や汗を掻いている。


砦に飛び込む直前までは、確かに感知していた筈の砦内の生命反応を着地した瞬間に見失った(・・・・)

それは曹操だけではなく、曹晧達も同じ。

一早く気付き、動いたのが曹晧だったというだけで対処方法としては全員が可能だった。

ただ、本の少しでも遅れていたなら、それは致命的だったかもしれない。

何しろ、異形達に取り囲まれているのだから。


──が、曹操が脅威と感じたのは其処ではない。

本の僅かだったとは言え、自身は勿論、曹晧でさえ感知出来無かった変化。

知覚不可能な強制隔離(・・・・)

使われ方が違っていれば、下手をすれば同士討ちも起きていたからもしれない。

その可能性に思い到った為である。


──とは言え、それは一瞬の事でしかない。

何より、“たられば”の話。

実際には、こうして全員無事。

実に頼りになる最愛の夫だと改めて惚れ直す。


──とまあ、そんな惚気思考が出来る程度には余裕だったりはするのだが。

肝心の張角達の気配が見当たらない。



「…今の一瞬で逃げられた?」


「いや、多分、動いてない(・・・・・)よ」


「どういう事だ?」


「さっきのを自分達に(・・・・)遣ったら?」


「──っ、そういう事(・・・・・)ね…」



曹晧の一言で曹操は直ぐに理解した。

先程のは自分達を惑わせる為のものではない。

アレは此方等の目を隠し(・・・・)、同時に自分達も隠れる。

逃げた様に見せ掛ける為の引っ掛け(陽動)

だから、態と此方等に存在を見せ付けていた。

少しでも思考誘導をし易くする為に。


そして、理解した。

どうして張角達を見付けられなかったのかを。

あんな隠れ方をされていては見付けられない。

それこそ、直ぐ側(間近)でもない限りは。



「“策士、策に溺れる”って事か」


「探索は俺が引き受けるよ」


「了解、各自四方を担当、指揮は私が執るわ」



目を閉じ探索に集中する曹晧と背中合わせになって指揮をする曹操を中心に韓浩達は持ち場に着く。

そして、目の前で変化を終えた異形達に向かう。

経験していればこそ、対処は難しくはない。

韓浩達も、夏侯丹達・馬洪達も心配は要らない。


だからこそ、可笑しい。


そう、曹操は感じていた。



(これだけ用心深く、用意周到にしていた張角達の奥の手が隠れるだけ?

…いいえ、そんな筈は無いわ

でも、そうだとすると、この状況の狙いは何?)



上手く嵌められたとは言え、手口は判った。

その上で、あの遣り方では移動は難しい。

逃げるのなら解除するしかないが、解除した瞬間に此方等は捕捉し、確実に仕留める。

それが判らない張角達ではないだろう。

だから、根比べになる可能性が高い。


普通に(・・・)考えれば。

曹晧が専念する以上、発見は時間の問題。

そう、曹操は確信している。


だからこそ、それで終わりとは思ってはいない。

少なからず、一手か二手は何か用意している筈。

そうでなければ自分達を呼び寄せる理由が無い。


そう考えた時、曹嵩()達の事が脳裏を過る。

自分達を餌に使った陽動策。

しかし、その可能性は直ぐに否定する。


もし仮に、それを遣ったとして、張角達に一体何の利が有るというのか。

自分達からの憎悪を買い、破滅を確定させるだけ。

利など有りはしない。

寧ろ、このまま漢王朝から遠く離れた見知らぬ地に逃げてしまった方が生き長らえる可能性が高い。

自分達も、其処まで追い掛けはしないのだから。

しかし、誰かに手を出せば……である。

それが判らない程、愚かだとは思わない。

だから、陽動策の可能性は無い。

そう、曹操は判断した。


──が、それ故に相手の狙いが判り難くなる。

諸々の他の可能性も含め、此処で自分達と戦う事に張角達の立場での利が見出だせない。


はっきりと言ってしまえば、黄巾党は終わりだ。

打倒・漢王朝を掲げて蜂起し、その流れは有った。


──曹晧達が居なければ。


曹家・孫家・馬家という三大勢力も、曹晧達の旅が繋げ、紡ぎ、結んだ関係が有ればこその活躍。

個々のままでは、活躍はしていても、此処までには飛躍してはいなかっただろう。

その中心に、曹晧達が居る。

曹晧達が居てこそ、成立しているのだと。


それは曹操自身も感じている事。

自惚れている訳ではない。

ただ、惚気たくはなる。

曹操自身が出逢い──再会により、救われた。

母・劉懿も不治とされた病から解放された。

旅をし、経験を積み、出逢いを重ね、結われた。


その起点には、曹晧の旅が有る。

それが無ければ──今の自分達は無かった。



(………いいえ、違う、そうではない(・・・・・・)わ…

これは田静(御義母様)が遺してくれた道標(・・)…)



不意に、そう思い到った曹操。

今、漸く、細い道が僅かに見えた気がする。


振り返ってみれば、一つ一つの疑問が繋がる。

曹晧は母の死後も旅を続けるつもりだった。

それを止め、卞哲夫妻の養子となる様に促した。

その結果、曹晧は才能と共に市井に紛れた(・・・)

単独で有れば確実に悪目立ち(・・・・)していただろう。

その可能性を潰し、多くの者の目から、意識から、曹晧という存在を隠した(・・・)

それは決して偶然などではない。

間違い無く、何かしらの意図が有っての事。


自身も母親となった身だからこそ、曹操は判る。

それは、単純な子を思う母としての愛情や心配から遣った事ではない。

寧ろ、それだけなら、曹晧を曹家に託す。

曹操自身が田静の立場であれば、そうする。

自身の死後、我が子の成長と幸せを考えたなら。

その一択。

他に考える余地など無い。


だから(・・・)、其処には何か(・・)が有る。

そう彼女に判断をさせた、明確な理由が。



(……玲生に力を蓄えさせ、時を待つ為?…

…いいえ、それなら曹家()に託しても同じよね…

寧ろ、私や春蘭達や兄さん達にとっては、より長い時間を成長に使えるから…

………康栄と出会わせる為?…

……………それは流石に考え過ぎよね…)



曹操から見ても、韓浩の存在は大きい。

だが、曹晧にとって必要不可欠かと訊かれたなら、その答えは否である。

極論を言えば、韓浩の代わり(・・・)は他にも居る。

──いや、そう成れた(・・・・・)可能性の者は居る。

そう言った方が正しいだろう。

つまり、韓浩でなければならない理由は無い。


そうだとすると、やはり、曹晧の存在の秘匿。

それが一番の目的の様には思えるが……どうしても曹操は腑に落ちない。

中途半端に見え始めたが故に、もどかしい。



(まあ、こんな事を考えている状況ではないのは、判ってはいるのだけれど…

こういう性分だから仕方が無いわよね…)



そう考えながら自分自身に苦笑してしまう。

だからと言って、簡単には止められない事であり、どうしても直したいとも思わないのだが。

まあ、だからこそ、仕方が無いとも言える。


──とは言え、少しは絞れた気がする。

孫静が死に、田静として曹嵩達と出逢うまで。

その三年足らずの空白(・・)の期間。

足跡が全く辿れない、その間にこそ。

自分達が求める答えが隠されている。

──否、それを知らなければならない。

そんな気がしてならない。


勿論、先ずは目の前の事を片付けてからだが。

それに関しては心配はしていない。

四人共、特に問題も無く戦えている。

露払いを受け持ってくれた四人の方も順調。

気になるとすれば──曹晧の探索の進捗具合。

曹晧の探索終了が先か、異形の掃討が先か。

曹操から見ても判断が難しいといった様子。

だから、そんな考え事も出来る訳なのだが。


曹操は曹晧が時間が掛かっている事が気になる。

正確には、其処に違和感を覚える。

これまで、微塵も尻尾を掴ませなかったのだから、曹晧でも手古摺る事は何も可笑しくはない。

──が、張角達は遠くに逃げてはいない筈。

動けるにしても、蝸牛が這う程度が精々。

普通に歩く様な事をすれば、直ぐに見付かる。

だから、曹晧も探索に専念し、逃がさない様に──



(────っ、まさか、違う(・・)っ!?)



曹操の思考が警戒を促すのと同時だった。


露払いに残っていた四人が掃討し終えて合流。

韓浩達に合わせる様に戦闘に参加した。


その直後、砦を覆う様に黒塵の暴風(・・・・・)が渦巻いた。



「──退避っ!!」



その一瞬早く、曹操が声を上げ、八人が反応。

曹晧達の元に集い、防御姿勢を取った。


──が、「だから、どうした?」と言わんばかりに渦巻いた黒風は曹晧達を握り潰す様に収縮した。






「………?、無事…なのか?」


「一応はね」



視界が黒く塗り潰される様になった直後。

身構えていたが、何も起きなかった事に目蓋を開け状況を確認しようとした韓浩。

その呟きに答えたのは曹晧だった。


韓浩を始め、全員が曹晧の声に振り向けば、曹操を抱き締めた状態の曹晧が居た。

一瞬遅れて、曹操が顔を赤くする。

「死んでも離れないわよっ!!」と。

自らの愛を全身で表現する様に、曹晧に抱き着いた状態だったから。

だから、そのまま曹晧の胸に顔を埋める。

羞恥心から来る熱が冷めるのを待つ様に。


その様子に八人は安堵。

──が、夏侯淵は直ぐに気付く。

探索をしていた筈の曹晧が防御(・・)に回った事に。

それを夏侯淵の視線から曹晧は察した。



「華琳が気付いてくれた御陰でね

そうじゃなかったら、間に合わなかった(・・・・・・・・)



そう言いながら曹晧が視線を向けた先に。

夏侯淵を含めた全員の視線が向かう。


曹晧の作った氣の防御壁。

硝子の様に透明な、その向こう側にて渦巻いていた黒風が弱まり、繭が解ける様に消えてゆく。

そして、視界に映る。

先程まで自分達が居た場所とは違う何処か(・・・)


見上げれば、夜の筈の空は赤暗く染まっていて。

見回せば、荒野の様に草木は一つも生えておらず。

砦は勿論、周囲の山々の痕跡、地形の面影も無い。

生命の息吹き、息遣いが全く感じられない異界(・・)

まるで、地獄の様な景色が。



「………何だよ、コレは…夢でも見てんのか?」


「…いや、その前に何処だって話じゃない?」


「そんな事より敵は何処に消えたっ?!」


「「──あっ、確かにっ!!」」



思考が追い付かず、少々ズレた疑問を口にしていた韓浩と馬洪だったが、夏侯惇の一言で気付く。

そして、それは他の者にしても同じだった。

予期せぬ状況の変化に、戦闘中だった事を一瞬とは言え忘れてしまっていた。

「まさか、春蘭に気付かされるとは…」と。

そうは思っていても誰も口にはしない。

これ以上、話が逸れてしまってはいけないから。

決して、不満だからといった理由からではない。



「どうやら、引き摺り込まれた(・・・・・・・・)みたいね」



そんな中、冷静な曹操の声が響く。

その声に振り向き──直ぐに視線を追った。


普段の韓浩であれば、「おっ、復活したか?」とか言って揶揄いもするのだが。

流石に今は空気を読む。

悪巫山戯(そんな事)を遣っている場合ではないのだから。


そして、視界に映った情景に息を飲む。



「…エェェイ…シブトイィィ…忌々シヤァァ…」


「…忌々シイィィ…何故死ナヌゥゥ…己ェェ…」


「…己ェェ…未ダ(・・)邪魔ヲスルカァァ…」



宙に浮かぶ──否、逆さに立っている(・・・・・・・・)男三人。

自分達は下──足下に向かって重力を感じている。

それなのに、男達は逆に重力が働いている。

髪や衣服が正常(・・)な事から、そう判る。


尤も、この違い自体が正常とは言えないのだが。

今は、そんな事は些細な話である。


敵意と殺意と悪意と害意に満ちた視線。

言葉からしても、誰なのか、訊くまでもない。

この男達が、張角達。

黄巾党の首魁である三兄弟だと判る。


──が、気になったのは三人目の一言。

それはつまり、以前にも(・・・・)邪魔をされた事が有る。

そう解釈する事が出来る。



「ああ、隠れる事で自分達を探させて、その場へと足止めしておいて、一掃しようとしていたのね…

まさか、あの程度の罠が通じると思っていたの?

だったら、御免なさいね

私達には役不足(・・・)だったわ」



曹操は情報を引き出す為に挑発的な言動をする。


しかし、張角達には聞こえていないのか無反応。


「……どう遣って殺そうかしらね…」と。

無視された曹操は恥ずかしさも有り、静かに激怒。

それでも、即座に攻撃はしていないだけ自制中。

ただ、そう長くは続かないと自他共に判っている。



「形式上、一応、訊くけど…投降する気は?」



そう、曹晧が訊くが、此方等にも無反応。


それには曹操も眉根を顰める。

先程までの考察からすると、曹晧になら何かしらの反応を示しても可笑しくはないのだから。

それが無反応となると、自身の考察は見当違いに。

しかし、曹操は間違ってはいないと感じている。

その根拠は無いが……まあ、言わば“女の勘”。

だから、此処で仕掛けるか否かで逡巡する。


それが、どういう結果に繋がるのかは判らない。

だが、この場に置いては時間切れ(・・・・)という事らしい。


張角達を覆う様に、消えた筈の黒風が渦巻く。

そして、小さく球形を成しながら圧縮。

三人分の体積よりも小さくなり────大爆発(・・・)


曹晧の防御壁の内側に曹操・曹仁が重ねる様にして氣の防御壁を三重展開。

更に、大外になった自身の防御壁が砕けると判ると曹晧は内側に二重に新たに展開。

都合、五重の防御壁を以て凌ぎ切った。


それだけの威力である。

当然、地形や風景は一変している。

例え、此処が人為的に造られた異界だとしても。

無傷・無影響という事は無いのだから。



「…………自爆した?」


「……え?、これで終わり?」


「そんな訳が無いでしょう、上よ」



跡形も無く消え去った──と思った韓浩と馬洪に、曹操は上空を睨み付けながら忌々しそうに言う。

その言葉に、その視線に。

見上げてみれば──其処には何か(・・)が居る。


今までに見てきた異形化した者達とは違う。

身長は七尺程のスラリとした細身で、手足が長く、輪郭線だけを見れば常人と大して変わらない。

まあ、当然だが、人とは異なる。

全身が灰黒色の皮膚……かは判らないが、身体。

パッと見には全裸。

衣服は纏わず、男女の特徴が見当たらない。

まるで人影(・・)が実体化した。

そう表現するのが近いのかもしれない。

実際の所は判らないが。


その存在を呼称するのであれば──“黒邪”。

“黒い姿をした邪悪な影”という事で。


張角達と同様に、曹晧達とは真逆に立つ黒邪。

──が、唐突に落下(・・)する。


曹晧達が身構えた瞬間に、空中で跳躍(・・・・・)

一瞬で、曹晧達の間合いに入った。



「──っしゃあぉらああっ!!」



そんな黒邪を迎撃したのは馬超。

愛槍を下から搗ち上げる様に振り抜く。


動体視力・反射神経に天賦の当て勘(・・・)

初見だろうが、彼女の命中精度は抜群。

曹晧達の予想を裏切らぬ正確さで黒邪を捉えた。



「────んナアッ!?」


「──翠っ!?」



──筈だったが、黒邪の身体は槍へと絡み付く様にグニャリと変化。

しかも、そのまま槍を伝い這い、蛇の様に馬超へと迫ってゆく。

直ぐ隣に居た馬洪も声を上げるが、反応は出来ず。

身構えた瞬間だった故の、致命的な遅れ。


──が、馬超の服を誰かが引っ張った。

馬超は即座に槍を手放し、自らも強引に飛び退く。


馬超が居た場所に黒邪が到達した時には、その場を中心にして見る様に全員が散開していた。



「──あ、危なかったぁぁ…」


「まだ気を抜くには早いわよ」



馬超の服を引っ張り、連れて逃げたのは曹操。

誰もが不意を突かれた、あの一瞬で反応出来たのは皮肉と言うべきなのか、羞恥心から唯一人、思考を切り替えていた曹操だったから。

だから、身構え方にも差が生じた。

それ故に、誰よりも早く反応が出来た。


まあ、そんな説明は今は必要無い。

問題は目の前の黒邪の方だ。


地面に着地──落下した黒邪は人の身体の動きとは明らかに異なる、全身が蠢く様にして立ち上がる。

絡め取った馬超の槍を手に。

しかも、只単に持っているだけではない。

一目見ただけで判る。

判ってしまう。

使い方(・・・)を心得ている立ち方(・・・)

この場に居る全員が、武の高みを知るからこそ。

迂闊には動けなくなる。



「…っ、……厄介ね…」



黒邪から視線を切れず、意識も逸らせない。

全員が略等距離に居るが故に、何処に仕掛けるかも予想がし難い。

加えて、頭の形はしていても眼や耳は無い。

つまり、視線等による予測も立てられない。

散開し、包囲した事が裏目に出た格好だ。


勿論、誰かが仕掛け、其処から連動・連携する事は曹晧達にとっては難しい事ではない。


ただ、黒邪の実力が未知数。

これまでの異形とは違い、技量(・・)の有る強者(・・)

削り(・・)が通用する様には思えない。

それ故に、曹晧でさえ動き難くなっている。


それが判るから、曹操は忌々しそうに呟いた。


──が、こういう時に本領を発揮する者も居る。



「──っはっ、先手必勝おおぉーーーっ!!」



焦れて賭けに出るよりも先に、思い切る(・・・・)

愛剣・犀角を手に突撃するのは韓浩。

それに負けず劣らず遅れずに仕掛けるのが夏侯惇。

声を出さずとも、視線を交えずとも。

「「先陣(ここ)()達の出番だっ!!」」と。

“曹家の対剣”は迷う事無く動く。


それに合わせ、各々が動き始める。

曹晧も曹操も、思わず口元に笑みが浮かぶ。

導き、積み重ね、磨き上げてきた。

その輝きを、目の当たりに出来ているのだから。

こんなにも嬉しく、高揚する事は滅多に無い。


──が、だからこそ、二人だけは自制心を働かせ、誰よりも冷静で居る様に努める。

流れに乗り、舞うのは皆に任せればいい。

指揮は曹操()が。

考察は曹晧()が。

自らが担うべき役割を自覚し、徹する。


黒邪に斬り掛かる韓浩。

それを槍で打ち受け、払い逸らす。

その捌き方には「上手ぇなっ、こん畜生っ!」と、韓浩は内心で舌打ちする。


だが、槍は一本。

韓浩の攻撃に対応したが故に、夏侯惇には無防備。

がら空きの胴に向かって振り抜かれた横薙ぎの一閃だったが、グニャリと斬れずに歪む。

「──チィッ!」と舌打ちする夏侯惇。


しかし、それは無駄ではない。

二人に続くのは八人中、最速を誇る甘寧。

黒邪に反応する間を与えず──槍を(・・)撃つ。

黒邪自身が如何に攻撃を受け流そうとも、持つ槍は黒邪にとっては異物(・・)である。

同じ様に、受け流す事は出来無い。

そう、甘寧は考え──見事的中。

弾き上げられた槍を持ち続けられず、手放す。



「──っしゃあっ!、返して貰うぜっ!」



それを落下するよりも早く掴み取る馬超。

そのまま黒邪に向かって突撃し──曹仁と挟撃。

一方からの攻撃は受け流せても、真逆から挟み撃ちにすれば、どうなるのか。

その検証も兼ねた槍同士による一撃。


何処までも柔軟であるなら、挟まれたまま伸びる。

伸縮に、或いは変形に限界が有るのなら体積自体は変わらない筈。

また、衝撃を緩和・吸収するのだとしても、それは無制限なのか。

そういった事を、この一撃で見極める。


結果から言えば、二人の攻撃──槍の柄に挟まれた黒邪の胴は薄っぺらくはなったが、千切れるまではいかなかった。

だが、効き目は有った。

黒邪が悲鳴の様な奇声──怪音を響かせた。


──とは言え、目に見えて効いたとは思えない。

事実、黒邪は直ぐに反撃した。

挟まれた胴の上下が膨らみ、その圧で挟み込む槍の柄を弾き飛ばした。


それに二人は逆らわず──その力を利用して回転。

身体を捻り、後ろ回し蹴りで黒邪の頭部を狙う。

再度の挟撃。

しかも、人型であるなら、胴よりも効果が高そうな頭を二人の踵が容赦無く襲った。


その一撃の効果は明らかだった。

胴の時よりも大きな怪音が響いた。

加えて、身体中に()が開いた。

赤黒い中に金の瞳孔。

それが彼方等此方等に現れ──二人を睨んだ。

二人の足を掴もうと伸ばされた両腕にも眼は有り、馬超が「気色悪っ!!」と思わず叫んぶのも当然。

如何に異形が元は人間だろうが、こう為った以上は人間という認識では見はしないのだから。


因みにだが、普通であれば、馬超も他者の容姿等に関しては何も言わない。

勿論、身仕度が整っていなかったり、無礼な格好に関しては注意・指摘はするのだが。

個人の観点による美醜──好みの問題に関しては、滅多に口にする様な事はしない。

自分の伴侶の事を惚気たりはしてもだ。


曹仁と馬超が離れ、空振る黒邪の両腕。

上がっている所に、馬洪と夏侯丹が入れ替わる様に肉薄して剣を振り抜く。

胴を両断しようとする挟撃。

僅かなズレも無く、刃は確かに重なり合う。

──直線上には存在していた。



「「────っっ!!??」」



しかし、薄皮一枚という厚さになりながらも黒邪の胴を切断する事は出来無かった。

その為、二人は動きを強制的に止められてしまう。

其処は黒邪の間合い。

振り上げられていた両腕が二人に向かう。

──が、その腕を夏侯淵の放った矢が穿つ。

それによって逸れ、即座に二人は離脱。

全員が距離を取り、曹晧と曹操の両側に別れる形で固まって仕切り直す。



「…秋蘭、アレは狙ったの?」


「いいえ、偶々です」


「そう…」



曹操の視線は夏侯淵の矢が貫いた両腕の眼に。

夏侯淵としては単に二人を援護する攻撃だったが、放った矢は初めて黒邪を傷付けていた。

射抜かれた眼は矢を抜いても閉じない(・・・・)

赤黒い、血の様な、涙の様な。

しかし、液体とは違う、ソレは罅割れ(・・・)

細かい事は解らない。

だが、眼を潰せば、確実に効果が有る。

その眼を開かせ、潰す。

それが黒邪を倒す方法である事だけは判った。


遣り方さえ判れば、難しい事ではなくなる。

勿論、警戒は必要だが、攻めない理由は無い。


先手を取ったのは曹晧側の韓浩・夏侯惇。

挟撃ではなく、縦列による接近。

二人が左右に分かれた影から曹仁が槍の一突き。

当然、眼を閉じた黒邪の胴体はグニャリと曲がって攻撃を無効化する。

しかし、その瞬間、黒邪は動きを制限される。

その隙を狙って、韓浩達による挟撃。

怪音が響き、眼が開いた所を接近してきた甘寧達と隙間を縫う様にして夏侯淵の正確無比な狙撃により多数の眼を一気に潰す。

だからと言って、欲張って足を止めはしない。

奥の手(・・・)が有るかもしれない。

そう考えれば、一撃離脱になるのは必然の事。

まあ、一撃とは言っても、行動として、である。

今の攻撃だけで数十の眼を潰したのだから。


そして、韓浩達が離脱した所に曹晧と曹操が肉薄。

皆によって潰された眼が有る両腕と両脚。

それを点と点を結ぶ様に。

各々の一振りで斬り断つ(・・・・)


絶叫とも思える、更に大きな怪音を響かせる黒邪。

そして、斬り離された両腕脚は他の異形と同じ様に灰塵と化して、その場で消失。

再生(・・)はしなかった。


ベヂャッと倒れ込む様に地面に突っ伏す黒邪。

前後が定かではない為、それは飽く迄も客観視した曹晧達の感覚的な比喩にはなるのだが。


曹晧達も即座に離脱。

だが、皆の追撃は視線で制止する。

可笑しい(・・・・)と感じた為に。


その直感が正しかった事は直ぐに判った。

突っ伏したまま、黒邪は人型を保つ事を止めた様にドロリと溶ける様に崩れ、地面に拡がった(・・・・・)


それは先程までの人型の体積とは不等。

最初に張角達を包み込み圧縮していたとは言えども流石に「一体、どんな原理なのよ…」と思わず口に出して言ってしまった曹操。

その気持ちは曹晧達にも判る。

考えない様に、気にしない様にしているだけで。

ツッコミ所は満載なのだから。


そんな事には御構い無しの黒邪は、宛ら水面の様に伸び拡がって──メゴッ!、と地面を食んだ(・・・)

平面だった黒邪の表面が歪に起伏した。

それには曹晧達も驚く。

まさか、生物以外を取り込むという可能性は曹晧も考えてはいなかったからだ。

異形化も、飽く迄も、生物としての範疇(・・・・・・・・)だと。

そう考えていたが故に。


だから、曹晧達は即応する。

黒邪を包囲する様に散開し──地面を砕く(・・・・・)

直下の面積・体積の分は仕方が無い。

だが、それ以上の捕食(・・)は許容出来無い。

──否、させてはいけない(・・・・・・・・)と感じた。

其処で、張り付く黒邪ごと、地面を掘り返す(・・・・)


地面を砕き、切り離す様に空中に放り上げた。

すると、曹晧達の視界の中で、黒邪は地面を丸呑みにして──再び圧縮(・・)

失った両腕・両脚を再生させた。


だが、既に戦い方は見えた。

眼を開かせ、潰し、切断して消失させ、其処からは再生させない様に地面にも落とさない。

空中戦(・・・)で削り切る。


──とは言え、最初に黒邪が見せた空中跳躍。

アレを遣られれば包囲網を脱出されてしまう。

だからこそ、両腕・両脚を真っ先に潰す。

仮に、残った身体を変形させるなり、どうにかして逃げ出せたとしても──数の上で上回れる。

先回りし、再び空中に打ち上げる程度は容易い。

それが出来る程度の高みには有るのだから。






「…なぁ…最後、何か遣ろうとしてたよな?」


「あー……康栄にもそう見えた?」


「やっぱ、そうだよなぁ…」


「まあ、容赦無く、それも許さなかったけどね」


「不憫って言えば不憫だよなぁ…」


「敵だけどね~…」



パチパチッと、音を立てる焚き火の番をする韓浩と馬洪が話しながら見詰める先には曹晧達の姿が。


隔離されていた異界が壊れ、現世へと戻った。

見覚えの有る砦、その中庭の中央には乾燥し終えた木材の様に成り果てた張角達の姿が有った。

一目見て死んでいると判った。

死者を愚弄する趣味は無いが、慣例は慣例。

張角達の首級を取り、その場で身体は火葬。

念の為に砦と周辺の調査も行い──最終報告中。



「…どう思う?」


「ん~……正直、何とも言えないかなぁ…」


「そうよねぇ…」



曹操と曹晧が悩むのは、曹晧の手に持つ物が原因。

探していた“太平要術の書”である。

──が、その記された内容を確かめてみて、二人は眉根を顰めるしかなかった。

それは確かに張角の懐に入っていた物なのだが。

その内容は陳腐としか言えなかった。


ああいや、それでは正しくはない。

二人にとっては(・・・・・・・)、その程度の価値。

そういう意味では、という事。


意見を聞きたいと見せられた夏侯淵達からすると、二人よりかは驚く内容だと言えた。

ただ、「それでは、これで天下を獲れるのか?」と問われれば……正直、悩んでしまう。

その“天下”の意味や価値、或いは程度(・・)によれば、可能と言えるのかもしれないのだが。

黄巾党という大渦(・・)を生み出せるかは微妙。

況してや、あの異形化には繋がりはしない。

──が、無関係とも言い切れない。

其処に書かれている内容を張角達が実践した。

その結果として、何か(・・)に繋がった。

その可能性は否定し切れない為に。



「………取り敢えず、現時点では此処まで(・・・・)ね」


「そうだね、これ以上は手掛かりも無し…

上手く口封じ(・・・)されたかな…」


「御願い言わないで頂戴…腹が立つから…」



現状では八つ当たりする先も無し。

自身の遣り場の無い苛立ちを曹操は夜空に放つ。

そうでもしなければ、こんな終わり方に自分自身を納得させられなかったから。

だから、その罵詈雑言に関しては誰も語らない。

──と言うか、全員が同じ様な思いではあったし、曹操に倣って思い思いに鬱憤を吐き出した。


唯一の傍観者だった曹晧は「墓場行きだよね~」と苦笑する事しか出来無かった。




ただ、張角達の死亡により、黄巾党の猛威は一気に衰退していった。

その事実を以て、朝廷は“黄巾の乱”を平定したと公表する事を決めた。


まだ残党が、各地に小さな火種として燻るが。

それは各地の諸侯、官吏の仕事の範疇。

曹晧達が気にする様な事ではない。


これにより、一先ずは一連の事件の決着を見た。

勿論、残された謎や疑問は、そのままなのだが。

それに関しては追及も調査も至難。


漸く、曹晧の両親に繋がる手掛かりを得たと思えば詰んでしまい、振り出しに戻ってしまった。

子供達と遊ぶ、田静が考案し残した遊具“双六(すごろく)”で同じ様に振り出し(・・・・)に戻された曹操。

子供達の前では気合いと意地で堪え切って見せたが終わった後、彼女が一人何処かに消えていた事には決して触れては為らない。

曹晧でさえ、その時ばかりは近付けなかった。

…まあ、帰って来た後の曹操は激しかったのだが。

それは関係の無い事。


そんなこんなで、日々の経過と共に、記憶は薄れ、人々は黄巾党という脅威と恐怖を過去にしてゆく。

進み続ける時の流れに飲み込まれてゆく様に。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ