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真・恋姫†無双 星巴伝  作者: 桜惡夢
一章 雷覇霆依
2/36

一話 縁絲交刃


 時は流れ、建寧・熹平の元号を経て、光和二年。

その間も日々、人の世は変わり続けていた。


桓帝の死で田舎貴族から皇帝と成った劉宏。

しかし、十二歳という子供で、非才の身。

政治的な実権は母・竇太后と祖父になる竇武が握り国を動かそうとした。

けれど、桓帝の代から外戚は力を失い、宦官が力を強めていた為、簡単には実現しなかった。

特に、大宦官であり外戚でもある曹騰に睨まれれば皇太后でさえ、黙るしかない。

勿論、他の宦官達も同様だと言えるが。

──所がだ、その曹騰は建寧元年に官職を辞して、家族の居る沛に隠居してしまう。

しっかりと準備していた曹騰に抜かりは無かった為反対出来る者は居なかった。


曹騰からすれば、さっさと面倒な宮中から離れて、家族と過ごしたいだけだったのだが。

それを“絶好機”と考える者は少なくなかった。

曹騰という最大の“抑止力”を失った宮中は、箍が外れた様に動き出した。

情勢は宦官優位とは言え、外戚との差は僅か。

其処で竇武は自身の権威を確実にする為に、陳蕃等

“清流派”と共に宦官の排除を謀った。

けれども、その動きは察知されて失敗し、陳蕃達は始末され、竇武は暗殺されてしまう。

また、翌、建寧二年には、宦官の曹節の主導により清流派の李膺等を始めとする高官が処刑された。

これが二度目の“党錮の禁”である。

尚、曹姓ではあるが、曹騰等の曹家とは無関係。

姓が同じだけの、全くの赤の他人である。


竇太后は自分達の身に余る野心を恥じ、悔いた。

兎に角、我が子である皇帝・劉宏が傀儡となる事を回避する為に手を講じる。

そして──思い付いたのが、娘が嫁いだ縁を頼り、曹騰に復帰を打診する事だった。

しかも、竇太后自らが出向いての懇願である。

皇太后という立場に有る彼女が頭を下げての。

普通の者であれば、二つ返事で応じる事だろう。

だが、稀代の怪翁・曹騰は渋い顔を見せた。

ただ、即座に追い返されないだけ増しだと竇太后は内心で安堵している位だった。

それ程に曹騰という存在の影響力は絶大だった。


曹騰が渋い顔をする理由としては大きく三つ有る。

一つ目は「自分達の失態の尻拭いをさせる気か?」という叱責して遣りたい程に腹立たしい事。

無知──と言うには十二歳というのは微妙だろう。

少なくとも、自分の置かれた立場程度は理解出来る程度には思考力を持っている年齢なのだから。

つまり“傀儡にされる事を是とした皇帝”を支える気にはなれないというのが本音だ。


二つ目は自身が復帰しても一時凌ぎでしかない事。

曹騰は年齢の割りには壮健だが、高齢なのは確か。

最早、何時、亡き妻の下に召されても可笑しくない事を自覚しているのだ。

今更復帰しても問題の先延ばしにしかならない。

その“時間稼ぎ”が、遣る価値が有るのなら。

曹騰とて、最後の大仕事として引き受けよう。

しかし、その価値を見出だす事が出来無い。


そして──三つ目は孫や曾孫、子供達の未来の為。

前述の二つは否定だが、これが悩んでいる理由。

特に、曾孫の曹操の為には自分が動くべきだろう。

だが、此処で自分が動いてしまえば、曹操の立場は誰もが無視出来無くなる。

曹騰(自分)の直系の曾孫で、皇帝の実姉の長女。

政治的“利用価値”は計り知れない。

可愛い曾孫を、自分の手で地獄に突き落とす。

そんな真似は到底出来る訳が無い。

──のだが、今のままでも無関係とは行かない。

劉宏が廃して別の者を皇帝に担ぎ上げれば無関係に近い状態も有り得無くもないが、先ず無い事だ。

現状での廃位は敵対勢力に付け入る隙を与えるのも同然であり、当の宦官側からすれば劉宏という傀儡()を得られた以上、不要な事だからだ。


そういった事情を加味した上で、条件付きで曹騰は復帰する事を承諾した。

その条件は大きく三つ。

一つ目は自らの任期の限定。

曹騰には長々と宮中の下らない権力闘争に付き合う気は毛頭無い。

だから曹騰が示したのは僅か五年間だけだった。


二つ目は立場上は皇帝の補佐役──劉宏の教育係りという役職という形であり、極力政治介入はしない方向での復帰、という事。

勿論、全く影響力が無い訳ではないのだが。

圧倒的優位となった宦官を抑えるよりも劉宏自身を傀儡から脱却させる方が建設的だと考えたから。

逆に言えば、五年間で芽が出なければ所詮は皇帝の器ではなかったという事。

傀儡にされても仕方無い事だろう。


三つ目は引き受ける事への報酬に関して。

沛の県令である孫の曹嵩を沛国郡の太守に任命し、現太守である息子の曹真を豫州の州牧にする事。

そして、その世襲権と任命権を皇帝印を捺した書で確約する旨を記す事。

これは曹家にとっての縁地を護る為なのだが。

大多数は地位と要職の保証だと見るだろう。

それを彼是言う輩は居るだろうが、構わない。

言わせて置けばいいだけなのだから。


こうして、曹騰の復帰は決まり、二週間後には彼の姿は洛陽の曹家が所有する屋敷に有った。

竇太后により報された曹騰の復帰。

我が物顔の宦官達は勿論、外戚や地方豪族出身者は嫌でも大人しく為らざるを得無かった。

──とは言え、一度手に入れた立場を自ら捨て去る馬鹿な真似は遣りはしない。

曹騰の任期の間は大人しくし、その後再び自分達が政権を握る為の画策を始める宦官達。

曹騰の任期の間に力を蓄えて、孰れ来る宦官達との権力闘争に勝とうと備え始める外戚勢力。

竇太后は自らを悔い改め、必要最小限に留める。


その、ある意味では中心である皇帝・劉宏。

敬愛している姉・劉懿が尊敬している曹騰に対して実祖父の竇武以上の敬意を持ち彼の教えを学んだ。

その様子は正に祖父と孫の様だと竇太后は語る。

劉宏に「御父上」と呼ばれる程だったのだから。

また、曹騰に会いに来た姉・劉懿と義兄・曹嵩に、その愛娘の曹操と会った際には年相応の表情を見せ曹操を妹、或いは娘の様に可愛がった。


そういった中、避けて通れないのが正室選び。

面倒な話だが、劉宏自身が桓帝に世継ぎとなる男子が居なかった事で現状に至っている。

そして、自分には幸いにも曹騰という()が在って、傀儡にはされずに済んだ。

だが、それは自分の代までだ。

次の皇帝の代に曹騰の代わりは居ない。

また、姉や姪の曹操を思えば必要不可欠な事。

十六歳に成る年には、そういった事も見えていた。


劉宏は相手選びに可能な限り、家柄を排除した。

外戚となっても孤立してしまえば何も出来無い。

曹騰が去った後、自分は二十歳を迎える。

何時までも師父()に甘えては居られない。

そんな折り、偶々目にした一人の町娘が居た。

一目惚れだったと劉宏は曹騰に照れながら語った。

美しく整った顔立ちが評判の娘だった。

だが、劉宏が惹かれたのは娘の純朴さと逞しさ。

如何に洛陽が皇帝(自分)の住む帝都であり、栄えていても貧富の差は確かに存在している。

それが理想を懐く様には簡単には改善出来無い事も劉宏は理解出来る様に成っていた。

だからこそ、その娘に惹かれた。

決して裕福とは言えない環境の中、屈託無い笑顔を浮かべ、朝露の様な汗を額に飾り働く姿に。

劉宏は“人の生きようとする強さ”を感じた。

また、歳下だが一つしか違わなかった事も大きい。

劉宏は曹騰と祖母・竇太后に相談し、彼女を迎える事を正式に決めた。


曹騰は本人の意志が全てだと考え、容認した。

ただ、劉宏は凡才であり、名君には至れない。

そう確信していたからこそ、“その位が丁度良い”

という考えも有ったりはしたが。

「どうでもよいわ」というのが本音だったりする。

何を言っても、熱が冷めぬ内は無駄と知るが故に。


竇太后は渋い顔を見せはしたが、我が子の熱量には抗えず、認める形となった。

ただ、確かに劉宏の言う事も理解は出来た。

「…成る程、良い娘ですね」と密かに視察した際に彼女が曹騰に漏らしたのだから。

決して、その娘自身を嫌ってはいない。

しかし、竇太后は身を以て知っている。

地位や権力は人を変えてしまうという事を。

その娘が“変わらない”保証など無いという事を。

そしてそれは、生まれ育った環境が違う程に顕著に出易いという事を。

夢の様に華やかな世界が現実だと理解した瞬間から人は執着し、醜く歪み始めるという事を。


こうして、その娘──町の肉屋の娘だった何吹は、一転して皇后の座へと成る事になった。

最初は戸惑いもしたが、劉宏の熱意と愛情を支えに相応しく成ろうと懸命に努力し、出逢った翌年には無事に婚礼の儀式を迎える事と為った。

更に翌年、何皇后は劉宏の第一子となる長男・劉辯を無事に出産した。

曹騰の教えを糧に、妻子の存在を光として。

劉宏は“より良い国を”目指して励んでいた。


だがしかし、翌年末を以て曹騰が任期を終えた。

曹騰が家族の居る沛の地へと去ってしまった事で、「時は来たぞっ!」と言わんばかりに動き出す者に劉宏は頭を痛める事となった。

けれど、曾ての幼かった傀儡(皇帝)ではない。

皇帝として毅然とした態度で対峙する。

それによって、皮肉にも劉宏は理解してしまった。

海千山千の権力に執着する宮中に巣食う亡者共には自分は無力な皇帝であるという事。

そして何よりも、自分には理想を実現と成せる力は無いのだという事を。


追い打ちを掛ける様に変わったのが妻の何皇后。

兄である何進を要職に就け、宮中に招き入れた。

勿論、何皇后が主導した訳ではない。

彼女は後ろ楯の居ない自分の立場と、息子・劉辯の事を考えて、兄の助言を信じただけ。

妹が皇后となると判った時から、その身に余る程に大きな野心を裡に燃やしながら準備を押し進めていた何進の策謀だったのだから。

本性を隠し、虎視眈々と機会を窺いながら、何進は劉宏に近付き、信頼を得て行った。

決して、自らは地位や権力を望む素振りは見せず、飽く迄も義兄という立場でのみ接する事で。

劉宏の警戒心の隙間を潜り抜けて侵入したのだ。


何進の宮中への参入で宮中の勢力図が変化した事は言うまでも無い事だろう。

十常侍を筆頭とする宦官達は、皇帝という後ろ楯を持った何進を筆頭とする外戚派に押される。

勿論、何進達も簡単には主導を握れはしなかった。

劉宏に救いが有ったとすれば、結果的に何進により外戚と宦官の権力闘争は均衡し、水面下は兎も角、表面上は緊張状態から静かに為っていた事だろう。


それを見て、劉宏は曹騰に洛陽への帰還を願う。

宮中へではなく、洛陽の屋敷に滞在して欲しいと。

姪の曹操が十歳になる事も有り、「見聞を広める為私塾に通わせては如何だろうか?」という形で。

劉宏としては政治的な助力を宛にしてではなくて、単純に皇帝という重責から解放される瞬間が欲しい事からの“師父()への甘え”だったりする。


一方、その話に曹騰は悩んでいた。

洛陽の、宮中の情報は曹家の隠密により曹騰の耳に入って来ていた。

話自体は可笑しくはないが、警戒をするのは宮中(魔窟)で生き抜いてきたが故の必然。

しかし、最終的には洛陽行きを決める事になる。


その要因は他でもない、曹操自身の希望による。

実は、曹騰が退任し、洛陽から沛に移る前年から、劉懿が体調を崩し始めた。

翌年には一時危ない状態に為ったら事も有った。

それに加えて、両親の子供は自分一人という事実。

普通なら側室を迎えて世継ぎを成せば済む話だが、母・劉懿の立場を考えると簡単に側室を迎える事は現実的ではなく、抑、曹嵩に迎える気も無い。

それは男女、夫婦としては純愛を貫く美談だ。

しかし、曹家の跡継ぎである曹嵩の立場的には色々問題が有る事は否めない。

そんな状況で、“曹家の麒麟児”と称される姫君が大人しくしている筈も無く。

敬愛する両親の為、病床の母親の心労を無くす為、女の身でも曹家を背負えると示す為に。

まだ十歳に為らない少女は洛陽行きを望んだ。


両親も、祖父母も、曾祖父の曹騰も、説得した後、曹騰と共に曹操は洛陽へと向かい旅立って行った。

不安が無い訳ではなかったが、心奥へと呑み込み、しっかりと前を向いて自らの意志で踏み出した。

後に、その名を歴史に刻む英雄の第一歩であった。


曹騰と曹操が洛陽に居を移してから、二年の月日が流れていった。

私塾に通う曹操だが、彼女自身の能力は問題無い。

その風評が眉唾物ではない事を遺憾無く示した。


面倒事を避ける意図も有り劉宏・竇太后は兎も角、何皇后・劉辯等との接触はしなかった曹騰。

御忍びで曹家の屋敷を訪れる劉宏は叔父として姪の曹操を本当に可愛がった。

その様子に含む事が無いのは端から見ても判った。


ただ、“見えない物”を見た気になり、邪推をして引っ掻き回す輩は少なからず存在しているものだ。

劉宏が曹操を寵愛している事を知って、色々と画策する動きを見せる者達が増え始めたのだ。

竇太后の証言も有り、何皇后は“叔父と姪”の事と納得してはいたのだが、何進は怪しんでいる。

──とは言え、下手に手を出せば自分の懐く野望が容易く破滅へと変わる事も理解していた。

故に、曹操に直接の害を為そうとする者は現れず、表向きには平穏に見えた。


だが、曹操に影響は確かに出ていた。

元々、曹操の通う私塾は洛陽でも最高峰の物。

その為、通える者は有力者の子女か、将来性を見て援助を受けている人物に限られている。

当然だか、同じ歳の子供など一人としていない。

一番歳の近い学友でさえ、八つも歳上だった。

そんな中で、最も優秀な成績を修め、次第に講師を凌ぎ始める曹操は完全に浮いてしまう。

浮いてしまうが、曹操の方が正しい上に、皇帝から可愛がられ、行ける伝説・曹騰の曾孫で、跡取り娘である彼女に対して嫌がらせの様な真似が出来る者など居る筈も無く。

腫れ物扱いされながらも美辞麗句を並べ立てられるという不快な状況が出来上がってしまった。


そして、それに輪を掛ける様に激増し続けるのが、彼女に対する“求愛”だったりする。

皇帝・劉宏の姪で、しかも実姉の一人娘。

その父親は曹騰の直系の孫であり、曹家の跡継ぎ。

そんな彼女の心を射止める事が出来れば、将来安泰という程度の話ではない。

国の、政治の中心に限り無く近付く事が出来る。

──等と考える馬鹿が勝手に盛り上がり群がる。

如何に女性が、ちやほやされるのが好きだろうとも下心が見え見えな相手ばかりでは嫌気が差す。

しかもだ、普段は曹騰等により護られている曹操と接触出来る機会は限られ、自ずと私塾に通う者達に絞られてきてしまうのが実情。

その上で、改めてだが、私塾の中で、曹操と年齢が一番近い者でも八歳上である。

如何に歳の差婚が珍しくなくても、好きでもない、自分に劣る歳下の少女に媚を売る馬鹿な男達に対し真っ当な恋愛感情を懐けるだろうか?。

その答えは当然ながら、否である。

もし、是と答える者が居るとすれば。

そういう好みか、ちやほやされれば満足な馬鹿(幸せ者)か、死ぬ程嫌でも享受するしかない非才の身か。

そういった者になるのだろう。


だが、曹操は全てに当て填まらなかった。

その為、洛陽に入って僅か半年程で、曹操は極度の人間不振へと陥ってしまった。

家族は問題無いが、父親の異母兄弟である伯父達、その息子である従兄弟達にでさえ警戒心を懐く。

曹騰や曹嵩達は曹操の状態を理解し、可能な限り、今まで通りに接しながらも迂闊には近付かない様に距離を取って彼女を刺激しない様に配慮していた。

彼女より年少の従弟達や、親族の男児でさえ滅多に近付かせない様に徹底して。

まだ少女である彼女の心を護ろうとしていた。


そんな中でも彼女が側に有る事を許すのが二歳上の再従姉である夏侯惇・夏侯淵の双子の姉妹。

それを見て、曹騰達は姉妹が十五歳になると同時に曹操の側近として付ける事を決定した。

当の姉妹も、初めて逢った瞬間から曹操に仕えたい気持ちを懐いていた事も有り、話は早かった。

ただ、その姉の方が礼儀作法等に難が有った事で、直ぐにではなく“十五歳に成ると”という期間設定が設けられていたりするのだが。

知らないのは当事者のみであり、頑張りながらも、時折文句や愚痴を溢していたりするのが現状。






そういった事が有り、曹操は日々鬱憤を溜め込む。

そんな中、彼女の逆鱗に触れた愚者が居た。

厳冬の如き感情の消えた冷徹な眼差しで見る曹操の目の前で土下座する男性──父・曹嵩である。

その様子を傍らで見ている曹騰は自らを石ころだと言い聞かせながら沈黙を貫いていた。

「……そう言えば、儂も昔は…」と亡き妻を怒らせ平伏して赦しを請うた日々を思い出していた。

血は争えない、という事である。

孫は自分に、曾孫は妻に、似ているのだから。


所で、何故、こんな状況に為っているのか。

それは昨夜の出来事へと遡る。

病床の妻を安心させる為にも曹嵩は四ヶ月に一度は曹操に直に会いに洛陽を訪れていた。

昨日の中天前には洛陽に入り、曹操・曹騰と一緒に昼食を楽しんだ曹嵩。

夜には仕事の付き合いから招待を受けた高官と共に洛陽でも三指に入る高級料理店で会食をした。

その席での事だった。

珍しく酔い過ぎてしまった曹嵩は持ち前の家族愛で惚気倒していたのだが、相手からの何気無い一言を切っ掛けに愛娘の曹操の結婚話へと脱線。

親馬鹿と愛情が暴走した結果──見合い話が決定。

それを、朝になって二日酔いで痛む頭で記憶の糸を頑張って手繰り寄せて思い出し──真っ青になって曹騰を巻き込んで、曹操に告げた末である。

曹操がキレるのも当然と言えば当然の事。

妻である劉懿、母である夏侯昭からも間違い無く、同じ様に責められる事だろうと確信している。

だが、兎に角、愛娘の機嫌が最悪な以上に、彼女が相手を殺し兼ねない怒気と殺気を放っている事が、今は何よりも問題だったりする。



「………決まってしまった物は仕方が無いのぉ…」


「…………っ……」



曾孫の方が可愛いが、自分に似た孫を見捨てる事も出来無い曹騰が重い口を開く。

頭では曾祖父の言葉が正しいと理解していながらも未成熟で、甘えも混じる曹操の精神は感情が強く、理性(思考)本能(気持ち)の葛藤に狭間で揺れ動く。

「他人事みたいにっ!」と曾祖父に噛み付きたいが出来無いのは彼女の自制心の強さの表れだ。


ただ、曹騰達からすれば、喚き散らしてくれた方が気楽だったりする。

寧ろ、そうしてくれた方が“手段を問わずに潰す”

事を躊躇わくて済むのだから。

こうして曹操が理性的な言動をしていると曹騰達も彼女の意思を潰す事になる為、迂闊に下手な真似は出来無くなってしまう。

結果的に言えば、曹操は自分で自分の首を絞める。



「…とは言え、飽く迄も“見合い”でしかない

見合い話自体は断れずとも、結果は別だからのぉ…

ただ、一度、見合い話が出た以上、次も考えられる

そういう意味では此度の内容というのは後々大きな意味を持つ事は間違い無いのぉ…」



曾孫を然り気無く宥める様な曹騰の発言。

しかし、その後に続くのは現実的な問題。

一時凌ぎをするだけならば見合いをして断れば済むという簡単な話である。

曹操が怒るのは、曹嵩が土下座するのは、その後に続く新たな見合い話が来る可能性が高いから。

そして、それらを断り続ける事が曹操にとっても、曹家にとっても、建設的ではないから。

一度も見合い話を受けなければ断り易い。

だが、一度でも受けてしまえば断り難い。

如何な大人物でも、単独では偉くも何とも無い。

集団・社会の中に有るからこそなのだから。


高が見合い話だが、曹操の場合には非常に重要。

相手側にとっては彼女の政治的な価値は勿論だが、曹家側からしても“例外”を作るのは面倒な事。

だからこそ、曹操が年相応に駄々を捏ねている方が力業だろうと話を片付け易いのだ。


そんな事は考えもしない程に、年不相応に大人びた曹操は曾祖父の言葉に冷静になり打開策を練る。

父の責任を幾ら追及しようとも結果は変わらない。

それなら、先ず遣るべきは打開策を考える事。

その子供らしくはない思考で曹操は思案する。



(……問題は後に続く輩の牽制、よね……

それさえ、どうにかしてしまえば良い訳だもの…)



問題点が決まった見合い話ではなく、後続の話だと曹操は定めると如何にして潰すかを考える。

勿論、家族に泣き付くという選択肢は彼女の中には微塵も浮かんではいなかった。

寧ろ、今回の件は自分自身の力を示す絶好の機会と捉えている位だったりする。

──と、其処で曹操は単純な方法に気付いた。



「…判りました、見合いの御話は御受けします」


「…っ………い、いいのか?」



蛙が頭を上げる様な格好で愛娘を見る曹嵩。

父親としての威厳も尊厳も微塵も見当たらないが、そんな事よりも愛娘の事が心配で仕方が無い。

自分の失態の所為で今以上に人間不信になっては、愛する妻にも申し訳が立たないのだから。


そんな曹嵩に対し、曹操は笑顔を浮かべた。

見る者によっては、悪寒を感じそうな笑みを。



「はい、勿論です、御父様

ですが、その見合いには一つだけ条件を出します」


「……見合いに、条件?」


「条件自体は単純です

私は自分に劣る男を伴侶にする気は有りません

ですから、“私と仕合い、勝ったなら”、私の伴侶──婿養子として迎えましょう」


「──っ!?、いやっ、幾ら何でも、それは──」


「────御父様?」


「──っ!!、わ、判った!

それで構わないのなら、そうしよう!」



曹操の発言に動揺し、反論しようとした曹嵩だが、有無を言わせぬ愛娘の笑顔の圧力に屈する。

元はと言えば、自身の失態から始まったのだから。

当事者となる愛娘が言う以上、尊重すべきだと。

簡単に言えば、“日和った”のだった。



「それから、この際ですから機会を平等に与えます

年齢は私より十歳上まで、下は問いません

家柄や身分・役職、経歴も一切不問です

その条件を満たす男性を資格保有者とします

その上で、先ず私の用意する筆記試験を受けて貰い私の設定する合格点を越えた者の内、上位者十名に仕合う権利を与えます

同率の場合には人数にも因りますが、総数が十五名以下であれば合格とします

筆記試験での不正行為は即失格であると共に実名を公開させて頂きます

その後、成績の下位者から順に私と仕合って頂き、私に最初に勝った者を伴侶と認めます

当然ですが、代行は一切認めません

最後に仕合は筆記試験から三日後と定めます

以上が、私の見合いの具体的な流れになります」



質問する隙も与えずに、一気に言い切った曹操。

「それはもう、見合いとは呼べないのぉ…」と口を滑らせてしまいそうになる曹騰は密かに苦笑。

曹嵩は愛娘の提案に唖然としながらも、その内容を反芻しながら記憶・理解してゆく。


この時、曹騰と曹嵩では認識のズレが有った。

曹嵩は、愛娘の賢さを当然ながら理解している為、「成る程、筆記試験で合格点に届かせない訳か」と多少の文句は出そうだが「その程度でしかない者に曹家を背負う事は出来無い」と言えば済む話。

その上手い切り抜け方に素直に感心していた。


一方の曹騰は曾孫の大胆不敵さに感嘆していた。

曹嵩の考える通りの異図は確かに有るだろう。

それさえ出来無い者には用は無いのだから。

「夫婦に大事なのは愛では有りませんかっ?!」等と宣う無能な馬鹿が出て来そうだが。

抑、当事者である曹操自身から「先ずは能力よ」と条件を示されている時点で無意味な話だ。

残念ながら、その程度では確かに曾孫は満足しないだろうと曹騰は理解していた。


その上で、曾孫の狡猾さを目の当たりにする。

曹嵩は勿論、洛陽の屋敷で働く一部の侍女達位しか知らない事だが、洛陽に来てからは知だけでなく、武に関しても力を入れている曹操。

曹騰の目から見て、曹操に勝てる者は武勇名の轟く歴戦の強者でない限り、厳しい。

仮に、武では勝機が有るとしても、年齢制限である

“二十二歳以下”という範疇で曹操の知謀を上回る人物というのは……先ず居ないだろう。

文武両道だとしても、曹操には敵わない。

つまり、曹操の言葉通りに洛陽に居る人物の大半は最初から失格の烙印を押されている様なもの。

参加して落ちれば、大恥を晒す事になる。

だが、こうして大々的に遣ってしまえば、今後暫く縁談は来なくなるだろうから。






曹操の見合い話は相手側が自慢していた事も有り、洛陽内に瞬く間に知れ渡った。

様々な勝手な憶測が飛び交い始める中、曹家からは正式に公布された情報が洛陽を震撼させた。

何しろ、曹操の伴侶──婿養子を“公募する”のも同然の内容だったのだから。

武家や商家の三男以下等は色めき立ったのは必然。

“逆・玉の輿”という有り得無い状況。

家を出て生きて行かなくてはならない彼等にとって人生逆転大勝利となる千載一遇の絶好機だからだ。


しかし、公布された筆記試験までは僅かに二週間。

普段から研いていない知力を簡単に身に付ける方法など都合良く存在しない。

曹操の噂を知る腕っぷしだけは自信が有った者達は浮かれた夢から覚め、残酷な現実を目の当たりにし肩を落として諦めていった。

逆に、違う私塾に通っていた者達や既に同じ私塾を卒業していた官吏達等は普段は握らない武器を手に俄仕込みだが、身体を鍛えていた。

また、二週間しかないにも関わらず洛陽に限らず、外部からも試験希望者が洛陽に訪れてもいた。

後日、馴染みの商人達から曹騰が聞いた話によれば大きな経済効果が有ったという事だった。






筆記試験当日、曹騰が用意した特設会場には次々と男達が入って行く姿が有った。

一人一人に渡される試験票としての“割り符”。

これは用意されている解答用竹簡に括り付けて提出形式となっており、その際に控えの割り符と交換、試験終了の半刻後の結果発表の際の確認用となる。

これは不正防止の為でもあるが、同時に誤魔化しは利かない事を認識させ、緊張感を持たせる為。

何気無い部分で心理的に揺さ振りを掛けている辺り曹操の厳しさが窺えると言える。


特設会場に並べられた簡易作りの長机に着いている参加者の数は凡そ五百人。

参加料等は存在しない為、ある程度学力に自信さえ有れば挑戦しているからこその人数だったりする。

そんな彼等の前に姿を現したのは事の発端を作った真剣な面持ちをした曹嵩だった。

参加者達が曹嵩に注目し、静まった所で口を開く。



「初めまして諸君、私は沛国郡の太守・曹巨高だ

本日の試験が如何なる物であるかは説明は不要だと思うので本題に入ろう

先ずは目の前に有る解答用の竹簡に割り符を括り、準備は出来ているか?

…………では、問題無い様なので続ける

これより問題の書かれた用紙が伏せて配布される

しかし、合図が有るまでは触る事は許されない

風が入るという事も無い屋内の為、飛ぶ事は無い

よって、故意に事故を装って問題を見ようとしたり見てしまった場合には即失格とする」



曹嵩の説明に話を聞いた瞬間に遣ろうと考えた者は思わず息を飲んで緊張を強めた。

思考を見透かされた様な錯覚に畏怖を懐く。


そんな参加者が緊張している中、曹嵩の言葉通りに問題用紙が配布されてゆく。

盆に裏返しにされて重ねられている為、置く瞬間に見えるという可能性は低いが、見ようとする馬鹿は流石に一人として居なかった。

始まる前に失格に為っては笑い者でしかないから。



「試験時間は半刻、開始の合図と共に問題を表にし解答を始めて貰う

問題は全部で二十問、一問五点で百点満点

合格点は六十五点、つまり正解数十三問以上となる

合格点を越える者が十名に満たない場合、合格点を越えた者だけを試験突破者とする

試験中、私語は勿論、声を上げる事は禁止する

途中、体調が悪くなった場合等は挙手する事

失格となるが、問題と解答用竹簡を裏返し速やかに退室する様に、無理は禁物だ

終了の合図と共に筆を置き、問題を裏にする事

その後は触れる事も、立つ事も、喋る事も禁ずる

表にしてあるままの場合、失格ではないが、採点後減点されてるので注意する様に

竹簡と問題を回収し終えた後、退室となる

最後に、見て判る通り、不正防止の為、会場内には監視員が並んでいる

監視員から退室を命じられた者は、静かに大人しく従って退室する様に

もし、騒いだり抵抗した場合には、最悪処刑される事も有るので心して置く様に」



大袈裟だと思いたい、笑いたい者は少なくない。

だが、曹嵩の表情や雰囲気から本当なのだと察して更に緊張は高まった。

何しろ、目の前の曹嵩は皇帝の義兄に当たる人物。

それが脅しではないのだと理解するには十分だ。


会場を見回し、曹嵩の用意していた砂時計を懐から取り出して傍らの卓上へと置いたと同時に叫んだ。



「それでは──始めっ!!」



曹嵩の一言で参加者達が一斉に問題を表にする音が波風の様に会場内に響いた。

次いで筆を取る音、息を飲む音が続いた。

寧ろ、反射的にでも声を出さなかったのは緊張感と集中力の御陰だったりする。

だが、そんな間抜けな形で失格に為らずに済んだが参加者の大半は絶句していた。

当然と言えば当然だろう。

第一問からして、並みの知力では解けなかった。

いや、解けない訳ではない。

ただ、半刻という試験時間内に二十問も解ける様な優しい問題ではなかった。


しかし、それは問題を作成した曹操からしてみれば当然だと言える事でもある。

それ位は出来無ければ彼女とは釣り合わない。

ただ、曹操とて自分が解答者だった場合、半刻では十五問が妥当な解答数だと考えての合格点の設定。

多少の期待値(遊び心)を加味しての事でもある。






軈て、曹嵩から終了の合図が掛かり、竹簡と問題が回収されて参加者達は特設会場から退室する。

その殆んどは既に不合格を確信しており、半刻後の結果発表には来る事は無い状態だった。


試験を終え、洛陽の街に散って行く参加者達。

会場近くの茶屋にも、それなりの人数が居た。

客に溶け込む様に寛いでいる曹騰が耳を傾ける。



「何だよアレっ!、あんなの判る訳無いだろっ!

糞っ!、巫山戯やがってっ!

女なんだから大人しく男に従ってろってっ!」


「お、おいっ、李寧っ、声がデカイってっ…」


「あ゛あ゛っ!?、知るかっ!

もう関係無ぇんだっ、構うかよっ!」


(ふむ……李寧、のぉ…………李蓬の三男か…

評判は悪くはなかったが……これが本性か…

では、一緒に居るのは張膺の次男の張俊だな…

友人は選んだ方が良いぞ?)



茶杯を傾けながら、冷静に評価をする曹騰。

こうして曹家関係者への通達は密かに決定される。


ただ、そう言いたくなるのも無理は無いとも思う。

問題の内容は知らないが、手抜きをする娘ではない事を曹騰は、よく知っている。

それでも、設定された合格点の事を考えれば決して無慈悲でも無理難題でもないのだろう。


逆に言えば、それだけ現状を憂い嘆くべきだ。

両親や祖父母、親族や師匠となる人物達。

そういった多くの大人達が正しく国を、民を支える臣ではない事の証。

私利私欲ばかり優先し、見栄や体裁を気にする。

そんな大人を見て育った子供達は、そういう大人が

“正しい姿”なのだと勘違いする。

その結果が、若年層の人間性と能力の低下だ。

自らを正すべき大人達が、それを理解していない。

嘆かわしいを通りこし、呆れてしまう程だ。


現役を退いた身とは言え、そんな現実を知ったなら世の行く末を嘆きたくなってしまうのは当然。

溜め息を吐き、口直しに甘味に手を伸ばす。



「んー…やっぱり、甘かったかー…

最初の筆記試験さえ突破出来てれば、勝てる自信は有ったんだけどなー…

見事な程に全く理解出来無かったかー…

……で、お前はどうだったんだ?」


「ん?、んー…まあ、正解してれば合格点には一応届いてると思うけど…どうかな~…」


「マジかっ!?、くぅーっ、やっぱり家柄か?

俺も商家に生まれてれば少しは違っただろなー…」


「あ、それは無理だね、別人じゃない限り無理」


「酷ぇなおいっ!?」


「家柄で突破出来る程度なら、皆合格してるよ」


「あー……まぁなー……」



他愛無い会話だが、不思議と気になった。

内容的に「ほぉ…大した自信よのぉ…」と思うのも間違いではないのだが。

全体的な参加者の年齢層から考えても、若い声。

先程の李寧達は共に二十歳だった筈。

それから考えても、この会話の主達は十五歳程度。

恐らくは参加者の中でも最年少になるだろう。

それだけでも興味を引かれるには十分だった。


ただ、丁度宅の侍女が用事を済ませて合流した為、顔を確かめる事は出来無かった。

しかし、その言葉が本物ならば、直ぐに判る。

そう考えて曹騰は茶屋を後にした。




その頃、回収された解答用竹簡を広げて採点をする曹操は心底呆れ果てていた。

自分で言うのも何だが、ある程度優れているという評判は広まってはいた筈。

その上で、この程度でしかないのに参加している。

その事実が身の程を弁える事の出来無い馬鹿共から一切の興味を失わせていた。

出来る事なら採点も投げ出したい程にだ。

勿論、自分が始めた以上、最後まで遣りはするが。

曹操の気分としては、そういう感じだった。


ただ、それは参加者だけの責任だけではない。

彼等の認識の甘さ、能力の低さは自己責任だが。

曹騰が憂い嘆く様に、曹操に劣った大人は自分達の風評を落とさない為に、曹操の優れている事は事実だとしても具体的には言わない。

つまり、そう遣って曖昧にする事で自分達の体裁を整え、評判を守っていたりする。

だから、曹操の具体的な優秀さは伝わらない。

それに因って今回の参加者数に為っていたりする事を曹操は知らなかったりする。


そんな状況で採点をしているが、百名を越えても尚一人の合格点突破者が居ない状況に苛立つ。

それ所か、現時点までの最高点が二十点。

半分以上が無点という始末。

曹操でなくても、あまりの不甲斐無さに腹が立って不機嫌になるのは仕方の無い事だと言える。



「…………あら?…………へぇ………………え?

………まさか…………そんな………嘘でしょっ?!」



思わず椅子から立ち上がって声を上げてしまう。

曹操の視線の先に有る竹簡の採点結果は──満点。

初めて見た全問解答者の竹簡に興味を持って始め、採点していけば一つ、また一つと正解数が増えて、気付けば全問正解の竹簡が目の前に有った。

“自分でも半刻では無理”と考えていた。

だからこそ、曹操は本気で驚いていた。


全て明確な正解の有る設問だったとは言え、簡単に解ける内容ではなかった。

単純に言葉を書けば済む問い掛けとは違う。

幅広い知識を持ち、深く理解し、見極める力が有る者でなければ一問とて解けない。

結婚する気など最初から無い為、難易度が高いのは仕方の無い事ではあるが。

逆に言えば、設定された合格点までは努力している者であれば手が届く様に意図して作って有った。

つまり、今回の曹操が用意した問題とは実質的には

“十三問・六十五点満点”だったという事。

そして、残りの七問・三十五点とは、文字通り曹操から男達への“挑戦状”だった。



「………………ふっ……ふふっ、あははははっ!」



驚愕という波が引き、寄せ返して来たのは歓喜。

自然と溢れ出してきた笑い声。

陰鬱だった気分が、憤慨していた感情が、嘘の様に晴れ渡っていった。


自分の嫌がらせとも言える挑戦を見事に乗り越え、尚且つ自分よりも優れている事を示して見せた。

そんな人物に興味を懐かない程、頑なではない。

寧ろ、洛陽に来てから初めて他人に興味を懐いた。

そして、そんな人物が自分の伴侶になる可能性が、現時点では半分は見えている。



「ふふっ、どんな人なのかしらね、貴男は…」



椅子に座り直し、竹簡の文字を指先でなぞる。

面白い物で、文字というのは書いた者の人柄や心を映し出す鏡の様な存在。

其処から見える情報を掬い上げて想像していくと、勝手な印象ではあるのだけれど、浮かび上がる姿。

そう遣って見知らぬ相手を知ろうとする事は意外と楽しくて、好きだったりする。


竹簡に書かれた文字は綺麗で読み易い。

しかし、神経質な印象は感じられない。

丁寧では有るけれど、気にし過ぎる事は無くて。

真っ直ぐだけれど強情ではなく、和を重んじ。

優しく柔らかくも、厳しさを内包していて。

けれど、胸の奥には小さな傷痕が隠れていて。

──早く貴男に逢いたい、そう思う。






筆記試験の結果が発表されてから、三日後。

突破者である四名が特設会場に姿を現していた。

ただ、その表情は異常に緊張していたりする。

そうなるのも当然と言えば当然なのだろう。

何しろ、仕合を皇帝が観覧しているのだから。

普通に考えて緊張しない方が可笑しいと言える。


その皇帝・劉宏だが、可愛い姪である曹操の大事と聞いて大人しく出来無かったのも確かなのだが。

単純に曹操の実力に興味を懐いてもいる。

しかし、それ以上に、宮中から堂々と外出する事が出来る理由である点が重要だったりする。

要は宮中から抜け出したかっただけだが。


そんな劉宏の傍らには一人の女性が座る。

劉宏と笑顔で会話をしている彼女は王尚花。

“王美人”と称される劉宏が迎えた側室である。

今は亡き曹騰の弟子であり、曹真の友人でもあった王倫の末娘である十七歳。

何皇后とは違い、官吏の家系に生まれ育った彼女は純朴ではないが、真っ直ぐな強さを持っている。

王倫亡き後、曹家が援助している事も有り、立場は違えど、曹操とは実姉妹の様に仲が良い。

そういう理由も有り、此処に参席してもいる。


劉宏が曾て何皇后を見初めた時の輝きと似て非なる王尚花の心の在り方を好ましく思っていた劉宏。

惹かれるのは時間の問題だったと言える。

何皇后の変化により、劉宏の愛情は冷めていた。

その穴埋め、というと可笑しいが、曹操を可愛がる理由は現実逃避と行き場の無い愛情の代替行為だと言えなくもなかったりする。

勿論、姪として普通に可愛いのは間違い無いが。

少々、可愛がり過ぎる嫌いが有ったのは事実。

その辺りを申し訳無く思った劉宏の配慮として今日此処に参席し、余計な横槍が入らない様にと睨みを効かせたりしている。

結局は曹操が可愛いからなのだが。


そんな一種の御前仕合と化しているが、これ自体は見合いの席である事を忘れないで貰いたい。

それも無理な話では有るのだろうが。

そう、愚痴を胸中で呟きながら曹嵩が前に出る。



「それでは只今より仕合を開始する、一人目前へ」


「は、はイっ!」



緊張からか声が裏返ってしまっている男が待機場所から仕合場の中央へと歩み出て来る。

男は趙拓と言い、宦官の趙忠の甥っ子に当たる。

この場にこそ居ないが、屋敷を出る際には伯父から「判っているな?、絶対に勝って来るのだぞ!」と強烈な期待を向けられているのだが。

皇帝陛下の御前という事よりも、負けたら帰れないという意味での緊張の方が強かったりする。

典型的な文官で、武の方は何年も前に少し試した。

その程度でしかなかった。

身体も細く、下手をすれば農民の女性にも劣る程に腕っぷしには自信が無かった。

ただ、勝機が無いとは考えてはいない。


筆記試験の結果発表の後、合格者四名への事前説明として仕合の概要が伝えられた。

先ず、仕合の順番は満点の一名が最後で、残る者は六十五点で同じ為、受け付けの番号順に早い者から仕合う事になるという事。

次に、使用する武器は木剣か棍の何方等かを選んで戦って貰う事、対戦する曹操は木剣を使用する事。

また、体術に関しては使用制限は無いという事。

最後に、勝敗は相手の気絶・負傷・降参、その他に相手の武器の破壊、または手放させ地面に落とせば勝利とする旨である。


趙拓が選んだのは──棍。

この三日間、只管に棍を握り、練習してきた。

相手が如何に麒麟児と名高い者でも、十二歳に成る前の少女であり、自分と同じ文系の人物。

体格差・得物の長さを考えれば、懐にさえ入れずに突きに徹すれば十分に勝機は有る。

それに何よりも、この仕合には筆記試験の時の様な時間制限が存在していない。

長期戦になれば如何に文系でも男である自分が有利になるのは間違い無いだろう。

そう確信していた。



「では、両者構えて…………始めっ!」


「えいやああぁっ!」



曹嵩の開始の合図と共に気合いを入れた趙拓は前に踏み込んで棍を突き出した。

そうして相手を牽制し、動きを止める為に。


しかし、其処に居る筈の曹操の姿は無かった。

突きを繰り出したままの格好で瞬間的に固まると、腕を千切り飛ばされる様な衝撃と共に両手が上がり──腕を痺れが、肩を激痛が襲った。

尻餅を突いて倒れ、痛みに顔を顰めて転がる。



「…………っ、それまで!、勝者っ、曹操っ!」



愛娘の実力を目の当たりにして驚愕していた曹嵩は趙拓の使っていた棍が時間差で地面に落ち転がった音で我に返り、勝敗を宣言した。

曹操は一礼すると開始線まで戻り、瞑目する。

汗一つ掻かず、息一つ乱さない、圧倒的な余裕。

その姿に、此処に来て初めて理解する。

自分が如何に彼女の実力を軽く考えていたのか。

それが大きな間違いだったという事を。


運び出される趙拓(はいしゃ)の姿を見ながら。

男達は今まで以上に緊張を高めてゆく。

敗ければ皇帝の御前で恥を晒すのだ。

将来に響く事は間違い無いのだから当然だろう。


その皇帝・劉宏は驚きながらも、素直に感嘆する。

知だけでなく武も一流である事には凡才の身として思わず嫉妬してしまう程だ。

ただ、それと同時に安堵もしていた。

曹操の実力ならば、万が一にも偶然は無い。

つまり、その曹操に勝てる者なら安心して任せるに足りる実力を持つ事になるのだから。



「それでは、二人目、前へ」



呼ばれた二人目の男──単均は武器選びで迷った。

祖父の代で洛陽に移り成功した商家の次男。

家の手伝い等をしている分、趙拓よりは身体付きは男らしくは有るが、武人からは程遠い。

一兵卒程度なら、居ても可笑しくはない感じだ。

“験を担ぐ”のなら敗者の使用していない木剣だが使って勝てるとは思わない。

抑、棍の方が有利だから棍の練習をしてきた。

だから、いきなり変えて勝てるとは思わなかった。

悩んだ結果、単均は棍を手に取った。

そして──趙拓同様に瞬殺されて退場となった。


三人目は秦奮、父の秦頡は軍将として劉宏に仕える事も有り、顔を合わせた事が有った。

四人の中では最も知名度は有り、文武両道としても知られている二十二歳の有望株。

彼が残った事で巷では「これは決まったな~」等と噂が立ってしまう程度には実力は確かだった。

槍を得意とする為、迷わず棍を選んだ秦奮。

流石に瞬殺されはしなかったが、曹操に棍を上手く捌かれて体勢を崩され、最後は棍を落として敗北。

後に「あの曹操を相手に善戦をした」と言い振らす事になるのだが、敗けは敗け。

両者の実力差は明らかだった。


そして──最後となる四人目。

唯一の満点を出し、曹操が興味を懐いた相手。

姓名は卞晧、歳は曹操と同じ今年で十二歳。

商家の一人息子という事なのだが。

曹操は一目見た瞬間に実力者であると気付いた。

身長は小柄な自分よりも頭半分程高い位。

同じ年頃の少年達の平均よりは少し小柄だろう。

白月の様な銀色の髪に隠れ鼻から下しか判らないが曹操の見立てでは美形だと思う。

一見して華奢に見える身体も無駄の少ない理想形。

他の三人の事など最初から眼中には無かった。

ただただ卞晧との戦いに期待を懐いていた。

そんな彼は迷わず木剣を選び取っていた。

それだけの事なのに、そんな事までも嬉しくなる。


曹嵩の合図で対峙し──闘いが始まる。

両者共に疾駆し姿が消えた様に見えた次の瞬間には中央で木剣を交えていた。

一瞬の拮抗の後、曹操は力を往なし左側に逸らして呼び込む様に卞晧の体勢を崩すと、死角から右足を振り抜いて左側頭部を狙う。

それを視線を向ける事無く卞晧は更に一歩、前へと踏み込んで前屈みに為って躱すのと同時に、身体を捻って右足で後ろ回し蹴りを放つ。

下から掬い上げる刃の様に鋭い踵撃を、曹操は振り抜いた右足の勢いを利用し身体を仰け反らせる様に倒して躱すと二人は一旦距離を取る様に飛び退く。


着地と同時に先に先に仕掛けたのは曹操。

小柄な身体を更に低く地を這う様に屈めて超低空の突きを放てば、卞晧は鋒に乗る様に右足で踏み込み強引に軌道を変え、木剣が地面を刺し抉る。

壁に衝突した様な衝撃と共に体勢を崩される曹操は右手を柄から離すと、身体を後ろに倒しながら踏み切って左手で掴んだままの木剣を軸にして旗が翻る様に身体を伸ばして蹴りを放つ。

前傾だった卞晧は曹操の身体を飛び越える様に跳び宙で身を捻って着地する。

回転の勢いで木剣を引き抜いた曹操は、既に体勢を整えて接近していた。

左薙に振り抜いた曹操の木剣を、後ろに跳びながら卞晧は右斬り上げで受け止める。

空中で鍔迫り合いをしながら着地すると直ぐに駆け移動しながら斬り結び始める。


開始から僅かな時間しか経っていないにも関わらず観ている者達は先程までの仕合が茶番劇に思えた。

とても十二歳に成らない少年少女の闘いではない。

深みの有る薫りと味わいの名杜氏の逸品の様に。

熟成された武に酔い痺れてしまいそうになる。


それは曹操も同じだった。

いや、彼女は一合目で女としての(本能)で確信した。

私は、この(オス)の子を産む為に(メス)として生を受けた。

目の前の彼こそが、自分の生涯の伴侶・半身だと。

理屈ではない、本能が感じた、運命という必然。

だから、自然と口元に笑みが浮かぶ。

彼を見詰める双眸は感情が溢れ出す様に潤む。

それは感動による涙ではなく、誑す為の女の毒牙。

想熱を帯びた眼差しは妖艶に揺らめき淫らに誘う。

誰に教わった訳ではない。

ただ女としての本能が彼女にそうさせているだけ。

しかし、それを拒絶していない事も確かだ。


ただ、敗けてしまえば簡単に手に入るのに、曹操は決して手を緩める事はしない。

それは人一倍彼女が負けず嫌いな事も有るのだが、それ以上に自分に夢中にさせたいから。

自分以上に貴男に相応しい女は居ないと。

自分以外に貴男と並び立てる女は居ないと。

彼女は己の全てを賭して示そうとしている。


激しく打付かり合う二人の剣閃と拳打蹴撃は謂わば最上級の求愛の舞い。

本人達は勿論、見る者さえも魅了してゆく。

もしも、退場となった三名が残っていたなら自身の浅はかさを悔い恥じて、明日には自害した姿で発見されていたかもしれない。

その可能性が、冗談では済ませられない程に高いと思えてしまう程に気高く、尊く、美しい舞闘。


けれども、それは終わりの無い事ではない。

始まった以上、必ず終わりの訪れる一時の夢現。

名残惜しいが、決着は時は確実に迫っていた。

御互いに、それを感じ取って、距離を取る。

一転して訪れるのは決闘の様な緊迫感の静寂。

見守る者達は息をする事さえも忘れてしまう。

それは時間にすれば数瞬の事だったが。

体感的には半刻以上に感じられてしまう。

それ程の二人の真剣な、忖度など無い、全身全霊を傾け絞り出し尽くす姿勢。

体を、技を、心を、今持てる全てを注ぎ込む様に。

高め、集め、束ね、研ぎ澄まし──疾駆する。


重なり合った咆哮と共に、弾ける様に散った闘気。

響き渡ったのは、木剣で有った事を忘れてしまったかの様な甲高い音。

そして風を切りながら空に高々と舞い上がっていた木剣が地面を叩き──曹嵩が闘いの決着を告げた。


その声さえ聞こえてはいない曹操は卞晧へと静かに歩み寄って行く。

頭の中で甦るのは、何時かの日の母との会話。


仕合の終了に伴い、集中を解いて、一息吐いた所で曹操に気付いた卞晧を目の前にして、曹操は卞晧の袂を両手で掴むと強く引き寄せながら同時に自らも爪先立ちとなって──卞晧の唇を奪った。

「本気なら待っていては駄目ですよ、自分の方から掴みに行きなさい」という母の教え通りに。

曹操(少女)卞晧(伴侶)を掴まえる。

逃がしはしない、誰にも渡さない。

貴男は私だけの(もの)よ。

そう周囲に示す様に、曹操は自らの意志を見せた。


完全に不意打ちされた卞晧は勿論、周囲も呆然。

しかし、唇を離した曹操の口から「今この瞬間から貴男の人生は私の人生と共に在り続けるのよ」と。

事実上の求婚の台詞が出た事で、王尚花は微笑んで祝福する様に拍手を贈る。

それに劉宏も倣い、曹嵩・曹騰、曹家の関係者から拍手の讃歌が贈られた。




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