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真・恋姫†無双 星巴伝  作者: 桜惡夢
一章 雷覇霆依
1/36

序話 金烏玉兎


 世は後漢代、時は延熹十年。

後漢王朝の十一代皇帝・桓帝が没し、十二代皇帝に河間王の血筋の劉宏が即位した。

しかし、時代の潮流は皮肉にも宦官と外戚の熾烈な権力争いを中心としており、皇帝とは名ばかりで、御輿・御飾りに過ぎなかった。


そんな時代の中、場所は豫州は沛国郡の沛県。

田舎ではないのだが素朴で、都の様な華は無い。

“その間”という表現が丁度良い感じの街。

その沛と言えば、曾て高祖・劉邦が誕生した地で、後には劉邦が挙兵した場所としても知られている。

とある伝承では、“赤龍が劉邦には宿った”等とも言われ、一時は聖地の様に崇められ人口が急増した事も有ったりする。

ただ、それに伴う混乱は必然であり、治安の乱れ、市勢の迷走、果ては過疎化した。

栄枯盛衰──街は人々の欲望によって荒廃、だが、人の志により復興。

現在では活気と平穏が共存する人々の笑顔の溢れる街へと成っている。


そんな沛の街外れに建てられている沛で最も大きな敷地を誇る大屋敷。

庶人の家とは一線を画す佇まいからも、特別な家柄である雰囲気が滲み出ている。



「やれやれ…儂とした事が焦って居ったかのぉ…

予定以上に早く着き過ぎてしもうたわ…」



その中庭で空を見上げながら白髪混じりの色褪せた金髪の歳老いた男性が呟く。

姓名は曹騰、字は季興、真名を雅信(がしん)

第八代安帝とは同じ歳に生まれた事も有り、幼少の頃より長く友人として、主従として共に歩んだ仲。

その後も、順帝・沖帝・質帝・桓帝と仕えてきて、新皇帝である劉宏にも仕える大宦官という身。

本来であれば、洛陽の屋敷、或いは宮中に居るべき重職に有る重要人物である。


そんな曹騰が洛陽を離れ、沛に居るのは何故か。

歳に似合わぬ健勝さ振りからしても、病気や怪我の療養といった訳ではない。


実は孫夫婦の子──つまりは曾孫が誕生する為だ。

それも曹騰にとっては待望の曾孫である。

「大人しく洛陽で来るのを待っていろ」という方が無理な話だったりする。

要するに、曾祖父は我慢出来無かった訳だ。



「急くなというのも無理な話であろう?」



庭木に止まる小鳥達に目を向け、話し掛ける。

勿論、小鳥達の返事が有る筈も無いのたが…。

それでも気を紛らわす為に口に出してみる。

自分の言動の正当化と自己暗示の様にも聞こえるが──其処は言わぬが花、だろう。


しかし、彼は宦官の為、本来であれば子供は無く、養子を迎えて家督を継がせるというのが普通だが。

それは今は亡き妻・呉景との間に宦官に為る前に、一人息子の曹真を授かっていた為である。

その曹真は正室・側室合わせて三人を娶っているのだが、正室の夏侯昭には中々子供が出来無かった。

夏侯昭自身が少々身体が弱かった事も有るが。

それでも、二十五年前、長男・曹嵩を出産。

その後は子宝には恵まれなかったが、曹嵩は順調に育ち、幼馴染みでも有った劉懿を正室に迎えた。

曹嵩と異母兄達は母親同士も含めて珍しく仲が良く御家騒動とは無縁で来た。

それに劉懿の子が産まれれば更に盤石となる。

何故なら、劉懿の実弟が、第十二代皇帝・劉宏。

期せずして、曹騰は宦官であり、外戚となった。


ただ、そんな面倒な立場は数年で引退する予定だ。

勿論、これは曹騰本人だけしか知らない事である。

準備が整う前に言えば、騒動になるからだ。

その辺りは魔窟と言える宮中で生き抜いた怪翁。

確と心得ている。



「…しかし、揃って時期が重なるとはのぉ…」



そう、実は“揃って”である。

出産を控えているのは劉懿だけではない。

曹嵩・劉懿に御腹の曾孫、更には従者達。

その命を救ってくれた恩人が身重の女性だった為、屋敷に滞在しているのだが。

医者によれば、彼女の方も間近だという話だ。


ただ、医者の当初の見立てでは、恩人の女性の方が先の予定と聞いていたが…少し遅れていた。

劉懿の方は、まだ数日の猶予が有るのだが。

曾孫は勿論だが、恩人の子供も気になっている。

だから、恩人の出産予定時期に合わせて休みを取り沛に遣って来てみたのだが…。



「…むぅ……読みが外れたか…」



拝める筈の恩人の子も未だ母親の腹の中。

“赤子を抱ける”と期待をしていただけに残念だ。

我が子は一度だけだったが、孫は何度も抱いた。

親類縁者の赤子も多く抱いてきた。

赤子は何度抱いても尊い。

生まれたばかりの無垢で、儚く、脆弱で、しかし、力強い息吹を感じさせてくれる。

最愛の妻亡き後、今も生き足掻いていられる理由は間違い無く、多くの赤子達の存在が有ってこそ。

「この子達の未来の為に…」という思いが。

自分を突き動かしているのだと曹騰は思う。


ただ、それはそれ、これはこれだ。

今は二人が、赤子達の無事が気掛かりで仕方無い。



「……まぁ、儂が焦った所で仕方無いがのぉ…」



そう呟き、空を仰いだ。

取り敢えず、冷静になろうと考えての事。

特に何かを感じたという訳ではなかった。

だが、何故か、妙に気になった。

視線の先──見詰める蒼天には、寄り添う様にして日輪と月輪が在った。

昼間の月など殊更珍しくもなかったのだが…近い。

普通では有り得無い程に近かった。



「…………まさか、のぉ…」



蒼天の輝きを見詰めながら長く立派な顎髭を撫で、何かを憂う様に呟きが溢れた。

気付けば渇いていた口内に自然と唾を飲む。


そして、暫し見詰めていると──始まった。

それは予期した通り、日蝕である。

昼間なのに空が眠る様に明かりを落としてゆく。

屋敷の外から人々の動揺振りが騒めきとなって耳に届いた時には既に曹騰は曹嵩に指示を出していた。

迅速な判断と決断。

全ては混乱による事故・死傷を避ける為に。


暫くすれば喧騒は収まり、夜の様に静まり返る。

真昼の闇夜が続く中、空を見上げれば金環が有る。

曹騰にしても初めて見る光景に見入ってしまう。

そんな中、屋敷の中が慌ただしくなった。

どうやら、二人共に産気付いたらしい。

「こんな時に…」と思わなくも無いが仕方無い。

意識して調整出来る事ではないのだから。


軈て、日蝕が終わりを迎え、黒天を裂く様に光輝が一際強く眩く閃いた。

──その瞬間だった。

屋敷の中から二つの産声が上がった。


元気な産声に安堵し、空を見上げた曹騰は反射的に表情を、身体を硬直させた。

日蝕が終わり、昼間へと戻り行く空に瑞雲が有り、更には雨も降っていないのに虹が架かっていた。

それは数瞬の光景だったのだが。

曹騰は静かに息を飲んだ。

瑞雲も虹も、吉兆・慶事だとされてはいるが。

果たして重なる物だろうか?。


そう考える曹騰の下に息を乱し、来た者が居た。



「御祖父様っ、今のはっ!?」



短く切り揃えた爽やかな印象の有る金髪の男性。

姓名は曹嵩、字は巨高、真名は准也(じゅんや)

此処、沛県の県令を務めている劉懿の夫だ。



「…准也か、お主も見た様じゃな…

儂も長く生きておるが…

この様な話は見るのも聞くのも初めてじゃのぉ…」


「…御祖父様でも、ですか…」


「それこそ、劉邦の再来とでも言うべきか…」



曹騰は眉間に皺を寄せる。

奇しくも同年同月同日同刻に産声を上げた二人。

まだ性別までは判らないが、予感はする。

勿論、双子という訳は無く、血縁関係も無い男女。

生を受けた、その瞬間から共に歩む運命の対存在。


だが、まだ産まれたばかりの赤子達に、多くの物を背負わせたくはないとは思う。

ただ、自分の立場を考えて見れば難しい事も判る。

自分の曾孫というだけでも大きな期待と重圧が伸し掛かるのは想像するに易い。

加えて、あの様な現象とが合わされば…。

一体どうなる事か。



「…あの空を見た者は?」


「…短い間でしたが、恐らくは、かなり…」



曹騰の問いに曹嵩は静かに答える。

昼間という事も一因の一つでは有るが。

「他の時間帯ならば良かったのか?」と聞かれれば頷ける訳でもない。

どうしようもない事だと言える。



「……暫し、二人の誕生は伏せておけ

何方等も母子共に大事な時期じゃ

良いな、准也よ?」


「はっ…」



家族と言えど、立場を弁え曹嵩は返答する。

直ぐに曹嵩は指示の為に動いた。


残る曹騰は大きく溜め息を吐く。

先の日蝕は吉兆か、或いは、凶兆か。

産まれたばかりの小さな二つの生命を思い、曹騰は静かに瞑目し、祈る。

亡き妻に、その赤子達を護ってくれと願う。



「…………世は乱れるか…」



既に兆しと言うには遅い。

火種──いや、燻る業火は確実に国を蝕んでいる。

それは群雄割拠に向かう始まりに過ぎないだろう。

その時代を、生き抜かなくては為らない。


故に、曹騰は天へと祈る。

産まれたばかりの曾孫達の未来を。

数多有る、まだ幼い世の子供達の未来を。

これから産まれてくる命達の未来を。

その未来が──平穏な事を。






屋敷の一室では金色の髪の女性が我が子を胸に抱き蕩ける様に微笑んでいた。

姓名は劉懿、字は徳尚、真名は芹華(せりか)

夫・曹嵩の補佐を務める稀代の才女である。

尤も、今は知的な姿からは遠く緩み切っているが。



「──芹華、起きてる?」


「────っ!?」



不意に声を掛けられ表情を引き締める。

真名を呼んでいる事で相手は限られるが、油断して聞き逃したので判らない。

──と、コンコンッ、と扉を叩く音がする。

それで、察する事が出来た。



「……安寿さん?」



劉懿が返事をするのと同時に扉が開かれ、見知った顔が笑顔で入室してくる。

熟れた李の様な赤桃色の綺麗な長い髪を揺らして、劉懿の寝台に歩み寄る。

姓名は田静、字は安寿、真名は蓮珠(れんじゅ)

劉懿達の恩人である。



「誕生祝いに──どう?」



そう言って白磁器の酒瓶を右手で掲げる田静。

左手に眼を落とせば──我が子を抱いていた。

産後直ぐに動ける事もだが、御酒を飲もうとする事自体に呆れるしかない。

だが、言って聞く人でもない事はよく知っている。

何しろ、助けられてから今日までの約三ヶ月。

劉懿は彼女を親友であり、姉の様に慕っている。

夫や義母達にさえ言えない話を彼女にはしている。

それ程に不思議と彼女を信頼しているから。



「はぁ~…相変わらずですね

…少しだけですよ?」


「そう来なくっちゃね~」



田静は劉懿の寝台に腰掛け持って来た御猪口を渡しトクトクッ…と音を立て御酒を注いだ。

それを見ながら劉懿は「……良いのかなぁ~…」と後で知って起こる医者の姿を想像して苦笑。

しかし、彼女なりに配慮はしているのだと、鼻腔を擽る淡い李の甘い香で察した。

そういう問題ではない気もするのだけれど。


差し出された御猪口を右手で受け取る。

疲弊している身体は食欲さえ拒絶している。

しかし、その香は優しく染み込む様に馴染む。

……飲めるかどうかは別の話として。



「それで、どうだった?

女の子だったでしょ?」


「…ええ、貴女の言った通りでしたね

だけど、そういうのは母親の私が感じる事では?」


「私だって母親だもの

別に可笑しな話ではないでしょ?」


「それは……そうですけど…」



笑顔で言って田静は自分の御猪口を口元に運ぶと、香りを楽しんでから躊躇せずに呷る。

その姿を見ながら劉懿も恐る恐る御猪口を口に運び本当に少しだけ、唇を、舌を湿らせる程度に含む。

しかし、懸念していた様な拒絶感は無い。

改めて、ゆっくりと御猪口を傾ける。

控え目に開いた唇の隙間を奥へと流れてゆく。

疲労が、虚脱感が、不思議と和らいだ気がする。


劉懿は田静の腕の中に視線を落とす。

夫である曹嵩から話には聞いている。

同時に産声を上げた二人の赤子。

その自分の子供は娘だった。

では、彼女の子供は?。

それは当然の疑問だったが、劉懿は一目見て直ぐに彼女の子供が“男の子”だと確信する。



「元気そうな男の子ですね」


「ん~?、そうでもないのよ?

健康なのは確かだけど、殆んど泣かないし…

まあ、手は掛からないんだけどね

其方はどう?、結構泣いてた?」


「……そう言われると他の赤ん坊に比べると…」



そんなに多くの赤子を知っている訳ではない。

しかし、知っている赤子に比べると大人しい。

その事実を理解した途端に不安に為ってしまう。



「大丈夫よ、芹華、私が保証するわ

貴女も、その娘も健康には問題無いわよ」



その然り気無い一言で、私の不安は拭われる。

夫の事は愛しているけれど。

もしも、彼女が男だったら私は惹かれていた。

そう断言出来る位に、この人は狡い程に優しい。

同時に違う意味で嫉妬と不安を懐く。

夫が彼女に惹かれてしまわないか。

彼女と私を比べないだろうか。

そんな不信感に染まった嫌な思考と感情から。

それに気付き、自己嫌悪に陥り掛ける。

けれど、それさえも彼女は容易く拭い去る。



「将来は貴女に似て美人になるでしょうからね~

父親として気が気じゃないかもしれないわね~

目とか、こーんな感じで吊り上げて、「貴様になど宅の娘は遣れんっ!!」とか言いそ~っ!」


「………ぷっ……も、もぅ、蓮珠さんったら~…

そんな事、有りませんよ」



「……多分…」と言いそうになる劉懿。

それは妻として夫の名誉の為に飲み込んだが。

その姿が想像出来てしまった事は否めない。

しかも、本当に有り得そうだから困ってしまう。

夫の愛妻家振り──と言うよりも、一途さは自分が誰よりも知っているのだから。



「えぇ~、芹華だって想像して笑ったのに~…」


「そっ、それは言わないで下さいね?!」



拗ねる様に唇を尖らせる田静に慌てて言う劉懿。

その劉懿の様子に田静は無言で笑い、酒瓶を劉懿の前に突き出して、促す。

「それじゃあ、もっと深く共犯に、ね?」と。

言外に言う田静に逆らえず、劉懿は御猪口を出す。

御酒を注ぎながら、田静は普通に話し掛ける。

「この話は終わりね」という事だ。



「それで、もう名前は決めたの?」


「はい、貴女に女の子だと言われた時、一番最初に頭に思い浮かんだ名で──“操”です」



そう言って劉懿は愛娘の顔を田静に見せる。

眠ったままの赤子は反応する事は無い。

空気が読める訳ではないのだから当然だ。

だが、赤子の寝顔というのは見ているだけでも十分癒しを与えてくれる。

そう劉懿は母親に為って、より強く感じる。



「宜しくね~、操ちゃん

此方が貴女と同じ歳になる宅の“晧”ちゃんよ~」



そう言って田静が顔を見せる様に近付ける。

それは何気無い、特に意図した事ではなかった。

しかし、運命という絲を手繰り合うかの様に。

小さな手が、虚空を彷徨う様に動いた。

それも一人ではない。

二人が全く同時に、である。


その光景に魅入られる様に動いたのは母親達。

切な気な、今にも泣き出しそうな二つの小さな掌。

客観的に見れば赤子達が意識しているのではなく、偶々そんな感じに見えるだけ。

そう言えなくもない。

しかし、当事者二人は理屈ではなく、感じた。

そうする事が、母親としての最初の大仕事だと。


──すると、それに応えるかの様に。

赤子達が頭を動かし始める。

愚図り出す訳でもない。

聞こえているかさえ判らない耳を頼りに。

必死に何かを探しているかの様に。


それを見て、母親達は距離を詰め、肩を寄せ合う。

気付けば、御互いの腕は触れ合っている。

しかし、感触から理解するだけで、視線は二人から一瞬も逸らす事が出来無かった。


母親達が見守る中、二人がゆっくりと目蓋を開けて御互いの姿を確認する様に見詰める。

父親譲りの青玉の双眸と、母親譲りの蒼玉の双眸。

生まれて初めて眼にするのは運命に導かれる様に、共に現の世に生を受けし、生涯の半身。

暫しの静寂、その後、二人は同時に動き出す。



「………ぁ………ぁ、ぅ……」


「………ぅぅ…ぁ、ぅぁ……」



本能的に何かを感じ合ったのだろうか。

御互いを見詰めながら何かを話す様に声を漏らし、まだ自由には動かせない筈の小さな手を伸ばす。

思う様に動かいから、擦れ違う様に虚空を彷徨う。

見ている母親達からすれば、もどかしい光景だ。

しかし、今は自分達が動いてはならない時だと。

そう感じて、堪える様に静かに見守り続ける。


生まれ落ちた現世という水の中を泳ぐ様に。

或いは、懸命に生きようと足掻くかの様に。

一瞬も眼差しを御互いから逸らす事無く動かし。

けれど、非情なまでに二つの小さな掌は交わらず。

それでも諦める事無く、懸命に伸ばし、ただ只管に御互いを求める。


そして──二つの小さな掌は御互いの掴み合う。

御互いの温もりと存在を掴み取る様に

しっかりと確かめ合う様に。

目を細めて──二人は微笑みを浮かべ合った。






そのまま二人は同時に目蓋を閉じ、寝息を立てる。

先程までよりも安心しているかの様に。

御互いさえ居れば、この世の中には恐れる物なんて何一つ無いかの様に。

安心し切っている二人の様子を見ながら。

母親達は、漸く我に返る。



「………寝ちゃったわね」


「………寝ちゃいましたね」



田静と劉懿は自分達の間で御互いの手を握ったまま安らかな寝息を立てている二人を見詰めて微笑みを浮かべながら一息吐く。

普段、意識的に呼吸しているという事は少ないが、今だけは自分が呼吸していたのか否か、判らない。

それ程に意識は二人に向けられていた。

その事実を認識してから、揃って苦笑を浮かべる。


ただ、今の一連の出来事を言葉で説明しようとして出来る気はしなかった。

いや、言葉には出来ても、伝えられはしない。

そう言うのが正しい気がする出来事だった。


そんな不思議体験から切り替える様に田静は息子の頬に右手の人差し指を押し合てて突っ突く。

嫌がりもせず、されるがままの息子に田静は言う。



「産まれて初めて見るのが母親以外の女って…

ねえ、晧?、どういう事なのかしら~?」



田静は唇を尖らせ拗ねた様に呟きながら晧を見る。

母親と息子でなら特には珍しくはない話だろう。

しかし、田静は本気ではない。

……まあ、多少は気にしているのだが。

先程の光景を、二人の姿を目の当たりにしたら。

そんな事を本気では考えられない。

空気の読めない駄目な母親には為りたくはない。

そういう思いも無きにしも非ずだったりする。



「ふふっ、蓮珠さんたら…

早くも嫉妬ですか?」



田静の様子に乗る様に劉懿は我慢せず、クスクス…と笑い声を漏らしながら揶揄う。

暗に「早くも親馬鹿ですか?」と言う様に。


しかし、そうなる気持ちは理解出来てしまう。

自分は娘で、女同士だから、娘が幸せになるのなら特に異論は無いのだけれど。

母親にとっての息子とは、ある意味では恋人だと。

そんな話を聞いた事も有るから。

そういう意味では娘で良かったと思う。

……いえ、跡継ぎ問題的には駄目なのですけど。



「ん~…………うん、そうかもね~」



揶揄われた田静は暫く悩んでから小さく舌を見せて苦笑しながら肯定する。

それは場を和ませる為でも有ったが。

意外と本音でもあったりする。

少なくとも、生き死にの苦痛に耐えて御腹を痛めて産んだばかりの母親より、運命の相手の女の子を、目の前で選んでくれたのだから。

田静としては愚痴の一つも言いたくなるのは当然だと言えるだろう。

ただ、我が子の幸せを願うのも本音である。

それは正解の無い葛藤だと思う。

──と、其処で田静は揶揄い返す振りを思い付き、胸中で意地悪な笑みを浮かべる。



「──あっ、でも、アレよね

操ちゃんを晧の御嫁さんに貰えば良い訳よね~」


「──ちょっ!?、駄目ですよっ!?

絶対に駄目ですからねっ!?

私の操ちゃんは誰の嫁にも出しませんからねっ!?」



田静の「御嫁さん」発言に愛娘を奪われると察した劉懿は必死に反対し、拒否する。

先程までは「娘が幸せなら~」という感じだったが一転して本気で娘を護ろうとする。

興奮した猫の様に「フシャーッ!」と威嚇する姿を見ながら田静は笑いを堪える。

もう少し、揶揄いたいという気持ちが有るから。


劉懿が田静を姉と慕う様に。

田静も劉懿を妹の様に思っている。

だから、ついつい意地悪もしたくなる。

こういう反応が可愛いのだから。


ただ、そんな事を遣りながらも二人は腕を動かして我が子達を引き離しはしない。

其処に母親としての愛情が現れている。

何故なら、未来の事は誰にも判らないから。

だから、せめて、今この瞬間だけは。

幼くも、本物の、その想いが離れぬ様に。

この時間を、護ってあげたいのだから。



「────プッ、ふふっ、あははは~っ♪

も~、芹華の方が親バカじゃないの~」


「──っ!、蓮珠さんっ!?」



──だが、意外と早く田静の限界が来た。

吹き出した田静の言葉に揶揄い返された事に気付き劉懿は一瞬で顔を真っ赤にする。

布団を、劉懿の背中や肩を叩いて爆笑したい所だが流石に田静も我慢はしている。

其処まで遣ったら劉懿が拗ねるより泣きそうだから田静は場の空気を読んで。


それでも中々治まらない田静の笑い声。

劉懿は誤魔化す様に御猪口を置いて、田静の傍らに置かれていた酒瓶を右手で持ち手酌を越え、口元に直接運んで傾けて呷る。

自棄ではないので、ちゃんと加減はしながら。



「お?、おおぉ~っ♪

芹華ってば、良い飲みっぷりね~」



田静も楽しそうに御猪口に残った分を一気に呷ると劉懿から酒瓶を受け取り、同じ様に口へと運ぶ。

勿体無いから溢さない様に丁寧に。


頭を冷やす訳ではないけれど。

その一口が、笑慟を抑え、宥めてくれる。

味わう様に喉の奥まで染み込ませてから、ゆっくり一息吐いて田静は独り言の様に呟く。



「……でもね、真面目な話だけど…

話を聞く限り、二人は一緒になるべきよね…

勿論、それを二人が望まないなら話は別だけど」


「……そうですね、私もそう思います

とても“運命”という一言では説明出来ません…

御祖父様が箝口令を敷かれたのも判りますから…」


「色々と面倒な話でも有るものね…」



急に声を抑え静かに言う田静に劉懿も真意を悟り、本音を語り合う。


田静の方は旅人の身であり、夫とは死別している。

行く宛は無いのだが、長く留まるつもりもない。

劉懿達も恩人である田静の事情を知り、家人として曹家に迎える事も提案したのだが。

田静は旅する事を選んでいる。

──とは言え、まだ幼い我が子を危険に晒す真似は遣る気は一切ないので今暫くは御世話になる予定。

ただ、孰れは各々の道へと歩む日が来る。


それは仕方の無い事だろう。

しかし、劉懿の娘は現時点では曹家の跡取り娘。

二人が一緒になる為には遣らなくてはならない事が多々有り、その中のでも田静は自分の素性に関して詮索される事を嫌っている。

訳有りなのは確かだろう。

しかし、悪人ではないし、特殊な事情なんだろうと劉懿達は察しているからこそ、強くは望めない。



「……だけど、もしも二人が本当に運命という絲で繋がっているのだとすれば…

私達大人の事情なんかに関係無く、絲を手繰り合う時が来る気がするの…

だから、今は二人の誕生を、健やかな成長を願って──乾杯しましょうか?」


「………………もぅ~…蓮珠さんはぁ…」


「だから、将来は操ちゃんを御嫁に──」


「──晧ちゃんを御婿に貰います

曹家の跡取りさんとして」


「──ちょっ!?、狡いわよっ!?」


「お互い様ですっ!」



口喧嘩をする様な田静と劉懿だが、言葉とは真逆に二人は楽し気に話を弾ませる。


未来を思い描く事は自由であり。

人の数だけ思い描く未来は存在する。

何が正しくて、何が間違いなのか。

直ぐには答えが出ない。

そんな事は多々存在するだろう。


それでも、二人が願う事は唯一つだけ。

ただただ、胸に抱く我が子の手が虚空を彷徨わず、御互いを想い、繋いで居られる事を。

心の底から願い、祈って。

小さく祝音を鳴らした御猪口に注いだ御酒を飲み、迷いを振り払う様に微笑む。


静寂の黒天に浮かぶ冷めた弧月。

孤独に狂い、愛を見失うのか。

憤怒に迷い、哀に見失うのか。

今はまだ、誰にも解らない。

ゆっくりと歯車の廻り始め、動き出す。

歯車が噛み合う時、世界は歪み、終焉に向かう。




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