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車は振動も無く、高速を走っている。
車内には控えめに洋楽が流れていた。
「さっき言ってた話・・なんだけど。」
ハンドルに置かれている手をぼんやりと見る。
「はい。」
「配属、変わるかもしれないから。」
「え・・・」
配属が変わる。それはすなわち自分の力が及ばなかったということ。
何がいけなかったとか、どうすればいいとか、そういう事よりも何よりも。
社長自らに言われる事がショックだった。
今までの内示は全て文書。しかもメールだったから・・・。
「あー、そんなに落ち込まないで。」
「・・・・・はぁ。」
落ち込むなといわれて落ち込まない奴はいないだろう。
ましてやこの状況。
「今度の配属は君しか適任はいないからさ。」
適任・・・。雑用とかだろうか。
「それに、君以外考えられなかったし。」
ライターの石が擦れる音と同時に、タバコが燃える音がする。
左隣から煙がスモークのように目の前を霞めた後、むせ返った。
煙に・・・・ではなく、発せられた言葉によって。
「今度は僕の面倒見てね。」
むせ返る以外、どうリアクションをとればいいのだろうか。
「え・・・と。社長?」
「はいはい?」
「それは・・・誰の決定なんでしょうか?」
自分ですらなんて間抜けな質問だと思ったくらいに、間抜けな質問をした。
「それは僕以外いないでしょ?」
「はぁ・・。面倒といいますと・・・」
「僕のメンタルというか、体というか、生活というかなんと言うか・・・・」
「か・・体??」
「お、食いつくとこはそこか?」
「いやいや・・・・」
「だーかーらー。結婚してみない?僕と。」
車は静かに路肩に止められていて、自分の唇には柔らかい感触が残ってた。
「人事異動は・・・そうだな、今のプロジェクトが軌道に乗ってからのほうがいいと思うから・・・・」
左隣に座ってる人は、淡々とこれからの予定を空で読み上げていく。
左手で自分の唇を確かめながら、自分の膝頭をジーッと見つめてしまう。
「・・・・って、聞いてる?」
肩に手を置かれて、はっと我に帰る。
「え?・・えと・・・」
「ん?」
「・・・結婚って、ためしでするもんなんですか?」
「んん??」
「いや、なんか軽かったから・・・」
自分で何を言っているかなんてさっぱり分からない。
エフェクターによって、他人の声で自分の声を聞いている感じだ。
「嫌?」
「嫌って・・・?」
「僕と結婚するの、不安?」
「不安・・・というかなんというか・・・」
「君のひっかかってる物は何?」
「・・・・私のこと、どう思ってらっしゃるんですか?」
「・・・・迂闊だった。それ言ってなかったっけ?」
「はい。」
「好き。」
「え?」
「だから、好きだって。」
「・・・・ありがとうございます。」
で、って話だ。
いきなり結婚を通達されて、その後に告白されて・・・
というか、告白された相手が社長で、しかも有名人で、
その人の奥さんに成るということだったりするわけだから・・・・・
「・・・ダメか。」
「え?」
「人事異動、無理そうだなと思って。」
「え?え??」
「だって、結婚、してくれないんでしょ?」
「今、答え出すんですか・・・??」
「じゃぁ、いつ、答えくれる?」
「えぇぇぇぇ??」
質問したら質問返し。
いつ答えるって、答えるも何も、考えすらまとまってない上に
今、この状況を自分自身全然把握できてない。
「よし、分かった。」
「??」
「人事異動は君が答えてくれてからにしよう。」
「は?」
「そうじゃないとな。答えもらえなかったときのことを考えると結構痛いしな・・・」
相変わらずブツブツ何かを言ってる。
「とりあえず、時間が時間だし。送ってく。」
「あ・・・・はい。すいません。」
静かに車は車道へと戻り、オレンジ色の街灯が夜のトンネルを導く。
追い越し車線にも車はまばらで、時間の深さを物語っている。
マンション手前に車を止めてもらい、お礼を言おうと運転席に顔を近づけた瞬間。
「覚悟、しといて」
食べられてしまうかと錯覚したくらい激しいキスを奪われた。
「じゃね。明日は午後出社でいいから。」
最後に小さく口端を奪われ、車は静かに動いていった。
テールランプを見ることも無く、私の目線は冬の冷気に包まれたアスファルトにあるだけ。
あの一言が、私の心を捕らえて離さないと気づいたのは3日後だった。