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ご来場ありがとうございます。
このお話は次の2話目で完結します。
どうぞ、読んでみて下さいね。
月曜日の朝、学校に行く前の時間。
僕はゴミ箱から溢れんばかりに山盛りになったゴミを捨てようとしていた。
プラスチック製で円筒計のゴミ箱をひっくり返してゴミ袋に入れる。
昨日、美術の課題で使った紙切れがたっぷりと入っていた。
夜遅くまでホームページの更新をして、何度も絵を書き直した。
上手くいかず、何度も修正、上書きをしてしまいには削除した。最期はどこまで書き直したのか、収集がつかなくなり書置きの整理整頓まで行った。
そんなことをしていたから、課題の絵に取り掛かるのが遅れて夜更かしした。
時間ギリギリに起きた僕はゴミ箱を叩く。
細切れになった紙切れはお互いに絡まりあい、ゴミ箱の中で引っかかっり落ちなかった。
僕は逆さにしたゴミ箱の中に手を突っ込み、引っ張って流すようにゴミ袋に入れる。
腕に短冊が繋がったような紙切れが付いていた。
紙切れを払い落すと、着替えて学校へと向かった。
昨日は雨が降った。
学校に向かう途中、朝日が反射するまだ乾いていない道の途中で足を止めた。
丸いマンホールの蓋がずれて、細い線のような雨水が隙間から流れ込んでいた。
重そうな金属の蓋が持ち上がり、斜めに傾いている。
足を引っ掛けそうになった僕は蓋の端を踏んで押し込もうとした。
妙な具合に引っかかった蓋は踏んでも動かない。
放置しておこうかどうか数秒考える、僕は蓋の端にゆっくりと指を当てる。
ずっと閉まったままの蓋、引くと出る取っ手が錆びて動かない。
蓋の見えない場所には、長年積み重なった得体のしれない苔やどろっとしたものが付いてそうで、僕は触るのが嫌だった。そっと湿って冷たい金属をなぞる、縁の固い手触り。
大丈夫そうだ、僕は少し指を伸ばした。
両手で蓋を持ち上げて、ずらそうとした時だった。
下から声が聞こえた、女の子の声が。
「あの、何をしているのですか」
僕は蓋に両手をかけた無防備な姿のまま、一瞬の間思考が止まった。
驚きのあまり後ろを振り返る。
声は下から聞こえた気がしたが、地面の下に人がいる筈はない。
マンホールの蓋を持ち上げて不審な行動をしている僕に、通りすがりの誰かが声を掛けたのだと思ったからだ。
僕の背中越しには誰もいなかった。
近所の家の中からかもしれない……頭を左右に振り近隣の家を見渡す。窓が開いている家も、敷地から覗く人物もいなかった。
無人の道が何となく怖かった。
学校の怪談とか、夏休みに観た恐怖番組を思い出して背筋が寒く、緊張で体が強張った。
蓋を持ったままの手にはっとして気づく、この下に何かがいるとしたら、得体の知れない何かの蓋を開けてしまったのかもしれない。
とっさに両手を引こうとした僕は、蓋の隙間からこちらを覗く二つの細長い光と目が合う。
声にならない叫びを発し息を詰まらせた僕を、二つの光は何度か点滅してじっと見ている。
瞬きした……眼だ。しかも人間だ。
僕が手をひく前に、その上から小さな指が重ねられた。
「あの、聞こえていたらお願いがあるのです」
声は蓋の隙間から聞こえた。さっきと同じ可愛らしい女の子の声。声に合わせて光る眼がわずかに揺れる。
不可解な状況で可愛らしい声が、より一層の不気味さを演出していた。
ここで返事をすれば死の世界に連れて行かれる、もしくは謎を問いかけられて答えられないと魂を抜かれるとか。
記憶にあるホラー物の話が頭をよぎり、僕は声も出せず動けなくなった。
僕の手に添えられた指がぎゅっと、僕の人差し指を握った。
暖かくて柔らかい指だった。
「お願いがあるのです、聞いてください。創造の指を持つお方」
蓋の隙間に見える瞳が真摯な眼差しでこちらを見つめる、僕は返事をしない。
返事どころか、声を出していいのか逃げるべきか、両手を引き抜いたら呪いでも掛けられそうで動けなかった。
蓋がずれた。
重たい金属が僅かに持ち上がり、揺れて動き隙間を広げた。
薄い日光が差し込む穴の中、肌色の皮膚が見えた。
いよいよ僕が悲鳴を上げようとした。
優しく僕の手を掴んだ、細くて小さな爪の生えた指が、そっとカーテンを下すように僕を暗闇へと引き込んだ。
とても優しいのに、僕は全く抵抗できなかった。
死にたくない こんな場所で一人 何でもするから 助けて
僕が暗闇の中で想ったのはそれだけだ、後ろで金属の蓋が閉まる音が聞こえた。
僕は暗い下水道の中に座っていた。
座ってなお首を曲げないと頭が天井にぶつかる狭い空間。
湿ったカビ臭い空気は冷たい。ゆっくりとうねる波のように僕の体と心を冷やす。
前に突いた両手には固い床、流れる水が僕の指と手首あたりで分かれて支流を作り、僕の後ろで合流して本流になる。水がどこまでも流れる、どこまでも続く。
僕の前には、暗い中でも何故かそれだけ視える白い毛の生えた、ゆっくりと動く横長の物体……恐らくは生き物。
その物体に両手を重ね、膝を突いて体を預ける全身が肌色の……服を着ていない女の子。
女の子は体を隠そうとせず、横たわる白い生き物の全身の毛をさすり、声を掛けていた。
「大丈夫……スレイプニル」
僕は怖かった、それにこちらを意識しないすべすべの背中と丸いお尻に対し、目のやり所に困った。
女性は嫌いじゃない、むしろ好きだ。だけど、あからさまに見せられると、こちらが狼狽えてしまう。
スレイプニルと呼ばれた生き物は弱っているようだ。
巨体を横たわせたまま動かず、呼吸をしているのか体をかすかに膨らませて苦しげな音を発していた。
喉がむず痒くなるようなビヒューという、破れた風船から空気が漏れるような息が聞こえる。
僕はどうしたらいいか分からなかった。
なるべく女の子の体を見ないように目の端で様子を伺っていると、女の子はスレイプニルの呼吸が楽になるように、両手で一生懸命に背中らしき箇所をさすっている。
白い動物が頭を振る、一抱えはある細長い頭に生えたたてがみが炎のように舞う。
太い柱のような首にも、人間ならば見事な長髪の白い毛が頭頂部から背中に沿って生えている。
座った馬のような姿をしている。
長い毛の中に手を入れた女の子は、首を両手で抱えるようにさすり、小声でしきりに話しかけていた。
この暗くて狭い洞窟のような下水道に引き込まれた僕を尻目に、スレイプニルの呼吸が落ち着くまでずっと、その小さな手で何度も何度も撫でていた。
白い正体不明な生き物の呼吸が落ち着いたのか、ようやく女の子は手を離し僕を見た。
僕は女の子とスレイプニルに見とれてしまっていた、正面向きになった女の子から僕は慌てて目を逸らす。
ショートにするつもりが、少し長くなってしまいました。
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