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前篇

 風呂上がりにじっと鏡と睨めっこ。かれこれ十分は続けていると思う。

 鏡にはショーツ一枚でほぼ全裸姿の、しかめっ面をした私が映っている。私はその中の一点に視線を集中させる。そう、胸だ。

 もう中学生になったのに、一向に今後発達する可能性の片鱗を表わさない、まるでなだらかな平地の如き胸。クラスの中では、多くの女子がすでにふくらみの兆しを見せ始めている。現時点で小高い丘の子もいれば、立派な双子山がそびえる子もいる。

 しかも、これは決して私の気のせいではないと思うが、胸の大きさに応じて女子たちはより大人っぽくなっているのような気がする。妙な色気というか、悩殺フェロモンが出ているのだ。とにかくエロい。私は男子が授業中に、胸の大きな子のブラ紐をちらちら見ていたり、体育の時間中弾む胸に釘付けになっていることにも、ちゃんと気付いている。男はエロくて大きなおっぱいが大好きなんだ。

 その点私のおっぱいはエロくない。というか男のそれと大差ないのが現状だ。

 ……いや、それは言い過ぎか。男子に比べたらちょっとは膨らんでるはず……、なんて期待と願望をいくら込めようとも鏡に写るそれが現実だった。せいぜい男子の胸に毛が生えた程度の膨らみ。もちろんこの毛というのは言葉のあやだ。胸毛のことじゃない。

 まあこんな悩み、今更な感は否めないわけだけど。ではなぜ私が今日に限ってこんなにも苦悩し悶々としているかと言えば、その原因を知るには半日ほど時を遡る必要がある。今日の学校での出来事だ。

 昼休み、私は男子に交じってバスケットボールをしていた。これはほとんど日課になっていて、学校にある日は毎日給食を食べ終えると男子達と一緒に体育館に急ぐ。

 私は運動はかなり得意な方だし、とりわけバスケットボールに関しては男子に決して引けを取らないと思ってる。今日もなかなかの活躍をすることができた。その甲斐あって見事に私の入ったチームは勝利したわけなのだが、試合後チームメイト同士で「やったな」「勝ててよかった」などと言葉を掛け合っていると、私は一人の男子に、

「――それにしても、七原はホント女子とは思えないな。実は男だろ、ははは!」

 と言われ、背中をバーンと強く叩かれた。

 その言葉を私のなけなしの胸をズバッと貫いた。顔を引きつらせながら後ろを振り返ると、その言葉の主はなんと相庭君だったのだ。

 この相庭という男子に私は、恥ずかしながら淡い恋心を抱いていたりする。そんな彼に、「本当は男だろ」なんて言われて傷付かないわけがなかった。私だって一丁前に乙女をやっているのだ、当然である。

 そりゃあ、男子に交じってよく遊んだりするし、髪だってボーイッシュで短い、それに……胸だって全然ないから男の子っぽいというのは、自分でも認める。それでも、私は好きな人にはちゃんと女の子として見てもらいたかったのだ。そして、出来れば相庭君にとって特別な女の子になりたい!

 そのためにも、バストアップこそが私にとって急務であるように思える。髪を伸ばしたり、見せかけの言動だけ変えたとしても、巨乳女子の醸し出すフェロモンに対抗することはできない。相庭君とて、大きな胸が好きであることに関しては、他の男子と変わりない。ずっと彼を見てきたからこそ私には分かる。

 相庭君攻略のための一歩として、まずはBカップを目指すことを目標にしようと思う。私の勘だが、BカップとAカップの間にこそ、男の子っぽい女子と女の子っぽいを隔てる壁があると思う。つまりは、アンダーバストとトップバストの差が十三センチ前後のBと十センチ前後のA、この間にある三センチこそが男か女かの境目なのだ! この三センチを埋めることができれば私にもある程度の色気がついてくるに違いない。そう、この三センチさえっ!

 ……三センチ? よく考えれば、私は現在Aカップ未満だった。アンダーとトップの間に十センチの差すらない。そもそもブラジャーだってまだ付けていない。そんな私にとって、Bカップまでの道のりは予想以上に遠かった。

 その事実に早くも挫折しそうになった。だが、それでも私は相庭君に好きになってもらいたい。くじけそうな心を立てなおし、決意を新たにする。絶対に私はBカップになって、相庭君と付き合うのだ!




「――えー大変残念なことですが、相庭君は来月お引っ越ししてしまいます」

 翌日の帰りのホームルーム、私の希望はそうそうに潰えた。

「皆さんも寂しいとは思いますが残りひと月、相庭君にここでの楽しい思い出をたくさん作ってあげてください」

 先生の言葉が空虚な私の心の中で寂しく反響している。

 残りひと月? ひと月で胸が大きくなるわけないだろ! 私の胸がビッグバンでも起こさない限り無理だ!

 いや、それ以前に相庭君が転校してしまうのだから、そんな胸どころの話じゃないだろ。あまりに唐突の出来事で私の頭が混乱してしまっているようだ。落ちつけ、私。

 そっか……、相庭君、転校しちゃうのか。親の仕事の都合らしいが、それにしても急な話だ。胸がぎゅーっと締め付けられるように苦しい。今にも体が溶けて消えてしまいそうなほど私の心は打ちのめされた。

「相庭君、転校かぁ。なんだか寂しいね」

 机に突っ伏して生きる屍と化している私の頭上から声がした。「あー?」とやる気ない声を出しながら上を見上げると、そこにいたのは同じクラスの島居、通称島ちゃんだった。

「……寂しいどころじゃないよぉ」

 涙声で私が答える。今にも目の端にためた大粒の涙がこぼれ落ちそうだ。

「そっかぁ、七ちゃん相庭君のこと好きだったもんね」

 島ちゃんにはとっくに相談しているため、私が相庭君のことを好きだということは彼女は承知済み。なにせ彼女とはクラスで一番の仲良しなのだ。

「……遠距離かぁ。それでもいいから、付き合いたいなぁ」

 私がぼそっと小声でつぶやく。耳ざとく島ちゃんはそれを聞き取ったみたいだ。

「あらま、七ちゃん。もう、本当に七ちゃんは一途だなぁ。人一倍乙女なんだから」

「それでも相庭君は、私のことを女とは見てくれないんだぁ」

 再び私は自分の腕に顔をうずめて、拗ねるように不平を言う。島ちゃんが「しっ、誰かに聞かれちゃうよ」と私をたしなめる。そんなこと知るか、なんて心の中でやけっぱちになる。

「――じゃあさ、コクっちゃいなよ」

 その言葉に私は思わず勢いよく立ち上がった。勢い余って今まで座っていた椅子が大きな音を立てて倒れてしまった。周囲の目が一斉に私の方へと向けられる。私は、はははと愛想笑いを浮かべてごまかすと、集まっていた注意もすぐに散った。

「し、島ちゃん。いきなりなんてこと言い出すんだよ」

 私は倒れた椅子を起こして座り直してから、島ちゃんに責めるように言った。おかげで恥ずかしい思いをしてしまった。

「別に私はおかしなことは言ってないよ? そんなに悩むくらいなら、いっそ当たって砕けちゃえ」

「……本当に砕けちゃうから、無理だよ」

 だって、私には胸という武器がない。男の子みたいにつるペたな胸に相庭君がなびくわけがない。いや、胸だけじゃない。今まで男友達同然に一緒にバスケをやってきたんだ、向こうにとって私は恋愛対象になりえない。

「七ちゃん、確かに男の子っぽいけど、女の子っぽくオシャレすれば絶対にかわいいから大丈夫だよ!」

 島ちゃんが必死になって励ましてくれる。だけどやっぱり自分に自信が持てない。

「どうしてそんなに卑屈になるの? 七ちゃんなら絶対に大丈夫だって。あ、そうだ! なんなら私がとっておきの作戦を練ってあげる」

「……作戦?」

「そうよ、だから大丈夫。大船に乗ったつもりでいて!」

「う、うん」

 結局私は島ちゃんに乗せられてしまった。この日私たちは学校帰りに島ちゃんの家に集まって作戦会議を開くことになった。




 次の週末の午前十時、私は公園のベンチに座っていた。

 これからのことをあれこれ想像しながら、かれこれ三十分は待ち続けている。冷や冷やする胸をぐっと抑え、爆発しそうな頭を必死に抑える。

「わりぃ、待った!?」

 唐突に声がして、私の体はびくっと跳ねた。相庭君がようやく来たみたいだ。

「う、ううん! 全然待ってないよ」

 私は平静を装ってそう言おうとしたが、声が少し上ずってしまった。しかし相庭君はそんなこと気にも留めずに辺りをきょろきょろと見回す。

「あれ? 他の奴らは?」

「えとね、なんか急に用事ができて来れなくなったんだって」

 私は用意していた嘘を、噛まないように慎重に言った。

 これは島ちゃんが考えた作戦に一環だった。何人かで遊びに行くという約束を取り付け、実は私と相庭君を二人きりでデートさせるという、極めてシンプルなもの。シンプルと言ってもこの作戦の前に何人かに口裏を合わせてもらったりなど、色々下準備はあった。

「ふぅん……」

 ――後は相庭君がこのまま帰らずに付き合ってくれれば。

「じゃあ仕方ないから、二人で行こっか?」

 よし、第一関門クリア。この時点で失敗したらどうしようかと思った。相庭君ならそんな冷たいことしないという確信はあったけど。

「うん、そうしよ」

「……なんか今日の七原は、いつもと雰囲気が違うな」

「……どう違う?」

「服装が女の子っぽい。そういう服、着るんだ」

 今私が来ている服は、島ちゃんから借りたものだ。白いコットンブラウスにピンクのひらひらスカート。普段の私はこんなものを着ないし、そもそも持ってすらいない。島ちゃんいわく『男はギャップ萌えだ』そうだ。普段色気のない私が着ると効果的らしい。

 少し怖い気もするが、勇気を振り絞って相庭君の反応をちらっと見てみる。相庭君は私の姿を興味深そうに眺めていた。うぅ、ちょっと恥ずかしいかも。しかし、これだけでは終われない。更なる秘策を用意してあるのだ。

「え? ちょっと待て。七原ってそんなに、……えっとその、胸あったっけ?」

 食いついた! 私は拳をぎゅっと握って気づかれないように小さくガッツポーズをする。

 もちろん急に私の胸が爆発的に成長したわけではない。これは偽乳だ。中に詰め物をしているのだ。

 と言ってもパッドなんてものは、家中探しても見つからなかったので、代わりのもので代用したのだが。しかもハンドメイド、私と島ちゃんの手作りの詰め物だ。作り方は簡単、水溶き片栗粉を皿に盛ってひたすらレンジで加熱、水分が充分にとんだら冷蔵庫で冷やすと、寒天のようにぷるぷるの詰め物ができた。作り方は全部島ちゃんが教えてくれた。ネットで得た情報を応用したらしい。

 今現在もブラの中でぷるぷる震えながら潜んでいる。ずっと冷蔵庫に入れていたから、冷たい感触がしてどうも気になるが、これのお陰でBカップの壁を超えることができたのだ、我慢我慢。ちなみにブラも島ちゃんからの借り物だったりする。

「えぇーっと。あ、ほら、私って着やせするタイプなの!」

「へ、へえ、そうなんだ?」

 相庭君は少し面食らったような顔をしながらも納得してくれた。我ながら苦しい言い訳だと、自分でも思うのにも関わらずだ。よほど驚いているんだろう。相庭君は私の胸を先ほどからちらちらと見てくる。自分の胸を相庭君が見てる、そう思うとなんだか変な気分になってきた。今までにはありえなかったこの光景、少し快感を覚える。ああ、胸を好きな男の子に見られて喜んでいるなんて、私はいつの間にこんなはしたない女の子になってしまったのだろう。

「……じゃあ、行こうぜ」

 相庭君が私の手を掴んで歩き出そうとする。あまりにその動きが意外だったので、私は手を握られたことに一瞬気付かなかった。なんということだろう! これは私が相庭君に女の子として見られた証拠じゃないだろうか! やはりおっぱいは凄い。

 相庭君に引っ張られるまま、私も歩き出そうと一歩踏み出す。そのとき――ズルッと胸から何かが滑り落ちる嫌な感触がした。

「きゃあっ!!」

 私はすぐさまその場に蹲る。詰め物が滑り落ちたのだ。

「どうした、七原!?」

 相庭君が私の傍らに膝をついて心配そうな顔で覗きこんでくる。

 だが、まだ大丈夫だ。完全には落ち切っていない。すぐにブラの中に収めれば済む。

「あの、相庭君。……ちょっとの間、向こうの方を向いててくれる?」

「え、どうして?」

「おねがい」

 胸を手で押さえながら顔を真っ赤にして私は必死に頼んだ。心なしか、声が甲高くなっていたかもしれない。そんな私を見て相庭君は「ご、ごめん!」と謝って素早く背を向けてくれた。その隙に私は服の中に手を突っ込んで、詰め物をブラの中に差し込む。

「もういいよ」

「あ、そう?」

 相庭君が少し気恥ずかしそうにこちらに振り返る。私に負けないくらい真赤な顔だ。私は「ごめんね」と言って、今度はこっちから相庭君の手をギュッと掴んで歩き出そうとする。だがまたしても――

「ほわぁっ!!」

 詰め物が脱出を試みたようだが、今度はブラから滑り落ちる前に手で押さえつけることに成功した。ふぅと一息ついてから何事も無かったかのように「なんでもないよ、さあ行こ?」と言って歩く。しかし、またして詰め物はずれる。なんでこんなにも滑るんだ! 私の本来の胸がぺったんこだからか!? 摩擦係数ゼロとでもいいたいのか! そりゃ凸は無いよ、詰め物が引っ掛かるような凸は! でも、少しくらいは根性でこらえてよ!

 私は意地になって歩き続ける。手を胸にギュッと押し付け、詰め物が滑るのをしっかりガードしているが、その分胸にぴたぁと冷たい感触が張りつき、歩くたびに寒天状のそれは暴れて胸と擦れる。

「あっ、あっ、んん、ああっ!」

 なんか思わず変な声が出た。足の力もへなへなと抜けてくる。

「え、ちょっと七原? 大丈夫か!?」

「だ、大丈夫……、あっ、ああん!」

 体中から汗がぶわっと出てきて、妙に火照ってきた。頭の奥からじわじわと今まで感じたことのないような感情が溢れ出てくる。

「絶対お前、おかしいって!」

 相庭君が私の肩を掴んで言った。私はどうしていいか分からなくて、涙で潤んだ瞳で彼の方を見た。相庭君としばらく見つめ合うような形になったが、彼はすぐに目を背けてしまった。彼の体はわなわなと震えている。

「お、お、俺、……誰か呼んでくるーー!!」

 突然彼はそう言って、公園から足早に走り去ってしまった。私は引き留めたかったが、体に力がうまく入らず、ただ名残惜しそうに見送ることしかできなかった。

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