stronger than the dark
俺の同級生、一瀬嘉夜が謎の失踪を遂げてから三日が経った。相変わらず俺の周りには荒波が立っている。警察は事件性があると見て捜査をしているらしい。
俺と一瀬の間には特別な男女関係があったわけでも、仲が良かったわけでもない。俺たちは唯のクラスメイトで、その関係はそれ以上でもそれ以下でもないのだ。
「萩野、今日は付き合えよ」と、校門を出ようとしていたら後ろから声を掛けられた。幼馴染みの伏見だった。
今時、月曜日の午後零時。俺の中学ではもちろんまだ授業の真っ最中である。中一の頃からこういったサボり癖が身に付いていたのだ。それもこれも全部、俺の目の前でニヤニヤしている“いい友達”の所為である。
細く吊り上がった眉毛と目筋。襟足は赤く染まっているそのためにパッと見は高校生や大人に見えるが、笑うと笑窪が出来る為、かなり幼くも見える。
「今夜、お前も来いよ」
学校を背にして、俺の横を歩きながらもう一度くり返した。
「あぁ」と曖昧に返事を返す。
すると、「一瀬って、美人だったよなぁ」と口元を緩ませながら、伏見は失踪した一瀬についての話をし始めた。
「マジ、一度ヤってみたかったぜ」
この下品なトークも彼の好みである。
「けどよ、知ってっか? 一瀬ってもしかしたら魔女なのかもって噂。萩野って同じクラスだったよな? 聞いたことあるだろ?」
「は?」
思わず相手の顔を見る。伏見は小柄だ。俺はそこそこ厳つい方な為に、完全に伏見を見下ろす形になる。
「おっ!! 萩野チャン、食いついてくるねぇ。もしかして、デキてた?」
一瞬怯むがニタニタと茶化す。笑窪が憎たらしく頬に浮かぶ。
「ふざけんな、馬鹿。初めて聞いたんだよ、今」
思わずマジになる。何故か顔が熱い。
一瀬とは本当に何もない。彼女はクラスの中心的存在。俺は非行少年。立場が違いすぎる。
「あいよ」と、不満そうに顔をしかめたが、とりあえず伏見は納得したようだ。
「何か、ニュースとか新聞で公表とかはしてねぇらしんだけどね。一瀬と仲良かった女子が、“嘉夜の部屋にオカルトグッズが散乱してた”ってさ」
「だから、なんだよ」
「だからぁ、よくホラー映画であるじゃん。悪魔とか怪物、喚び出すときに床に描くヤツ……えーっと、その……星形のさぁ……――」
伏見はそう言って、空中を何度も指でなぞりながらどもる。
「ペンタクル、ってヤツだろ?」
煩わしく思いつつ、俺が洋画の“オーメン”で見たのを思い出して補足してやった。
「あぁっ! それだよ。それが床に描かれてたんだってさ。んで、こっからは一瀬の弟、あの超キモいデブが見たらしいんだけど、その話がスゲぇんだ!!朝方らしいんだけど……――」
伏見はまるで他人事で、興奮気味で話し始めた。
ヤツの話はこうだ。
一瀬が行方不明になった朝、物音で目を覚ました彼女の弟が(といっても一瀬とは血が繋がっていないのだが)、言葉では言い表せないような不思議な何かがスッと姉の部屋から出て行くのを見たらしい。始めは野良猫か大きな鼠かなと思って部屋を覘いてみたという。しかし、すでに姉の姿はなく、変わったことと言えば、何かの儀式をしたような痕が残っていたこと、そして、腐乱臭が今も絶えないことだという。
「それで、そんなデマが流れた訳か」
ぶっきらぼうに呟いた。
「まぁ、デマだろうね。もしくは早とちり。一瀬ちゃんは、悪魔と契約して人を殺すような人じゃあ、ないよ」
あぁ、と話を合わせつつ、内心俺は、その可能性を疑っていた。0ではない。伏見が思っているような人間ではない。
「けど、一瀬ってすんごい幸せな家庭で育ったんだったんだろうなぁ」
憶測の話をし終えた後、伏見はそんなことを言った。
「そうじゃないとあんなデキた女にゃならねぇよ、な」
素知らぬ顔で応対していたが、右拳が震えた。
「お前にアイツの何が分かるって言うんだ?」と、俺はその間抜け面に一発かましてやりたい衝動に駆られたのだ。
「お袋さんも、素敵な人なんだろうなぁ……昴はブスだけどな」
俺らの分かれ道に差しかかるまで、あくまで伏見の“想像上の一瀬の家庭の事情”を延々と聞かされた。
何度もムッと来て半殺しにしたい衝動に駆られた。だが、何とか「じゃぁ今夜っ!」と無事に伏見は俺に別れを告げることが出来たようだ。
空が真っ赤に焼けている。
あの日もこんな空だったと思う。あの日初めて、俺は本当の一瀬を知った。俺は、“一瀬の存在理由”を見たのだ。
夕焼けで、部活からの帰り道だった。ある閑静な住宅街の一角に、彼女の家はあった。果たしてそれが彼女にとって家と呼べる存在であったかは分からないが。俺の通学路に彼女の家があるとはつゆ知らず、普段と変わらぬ足取りでその家に差しかかった。そのとき、家の扉が慌ただしく開いて、彼女が荒い息をしながら、まるで何かから逃れるように、飛び出してきた。その時のことは断片的にしか覚えてないが、その断片はくっきりと脳裏に焼き付いている。
荒い彼女の息の音と、俺には気付かずに手首を押さえて去ってゆく後ろ姿。そしてその背後には点々と紅い血が滴り落ちて、数メートルで途切れていた。扉の側で立ってそれを眺めていたのは、首もとや、顎に贅肉がこびりついた垂れ目の少年、彼女の義理の弟、昴だった。
やがて彼が俺に気付いて口を開いた。
「ふん、あんなのいつものことだから気にしないでよ」と、ツンとした態度で言った。
あんなのが、“いつものこと”だって?
日常茶飯事なのか?
それでお前はその態度か?
「お父さん、お酒が入るといつも“あの人”にああやって当たるんだよ。でも、大丈夫さ。死にはしないさ。じきに戻ってくるよ……もう戻って来なくってもいいんだけどね、別に」
そう言って嫌みったらしく肩をすくめた。
唐突に“衝動”に駆られた。もう抑えきれなかった。
気付いたら彼を殴りつけていた。何発も、何発も……。
その時、俺は思った。
彼女との繋がりが見つかった
俺と同じだ
だが、同時にこうも思った。
どうしてこうも、彼女は俺と違うんだろう
どうしてこうも、彼女は強いんだろう
このときはまだ、彼女は“闇”より強かったに違いない。
押し殺す、強さを、支えを持っていたに違いない。
彼女のいない今、彼女は“闇”に負けたのだろうか。
彼女の支えがプツリと切れてしまったのだろうか。
俺がその答えを知るのに、時間はかからなかった。