割り箸を折るときに
最初にバランスが崩れたのは、いつだったか。
「今日は少し疲れたから」
そんな言い訳とともに、自炊のコンロに火をつけなくなった夜からだった。
スーパーの棚に並ぶ作り置きの弁当。
はじめのうちは、まだ自炊の延長線上だった。栄養の偏りがないように、彩りを気にして赤や緑の副菜が入ったものを選び、飽きないように今日は幕の内、翌日は焼き魚と、メニューをローテーションさせる余裕もあった。
だが、慣れは重なり、疲労だから、残業で時間がない。、今日は早く寝たい。
日を追うごとに蓄積していく言い訳。
「魚は骨があって面倒だ」「こっちのほうがボリュームがあるな」
いつしか基準は栄養から手軽さへ、そして「安さ」と「高カロリー」へとスライドしていった。
茶色い揚げ物ばかりが並ぶ割引前の弁当。好みに任せた重たい炭水化物の塊。それすらも毎日続けば、やがて舌が麻痺するように飽きてくる。
「またこれか」
そう思いながら、彩りの消えたプラスチックの容器に箸を伸ばす。
同じものばかりでは物足りず、かといって別の惣菜を追加すれば余計な出費になる。
その「少しの割高感」すら、妙に惜しく感じられるようになっていた。
ある日、閉店間際のスーパーで、半額シールが貼られた総菜を手に取った。
「お買い得だから」
そう自分に言い聞かせたその日から、歯車は完全に狂い始めた。
どうせ同じようなものだ。ならば、より安いほうへ。より手間のかからないほうへ。
弁当からカップ麺へ。カップ麺から、かろうじて腹を満たすだけの菓子パンや、味気ない栄養補助食へ。
食卓のラインナップはみるみるうちに縮小していった。
決定打は、仕事での些細な失敗をした日だった。帰宅途中の駅ビルで、見つけたのは「消費期限間近」の投げ売りされた惣菜。ふと、心の中に冷たい声が響く。
——どうせ自分なんて、この程度の扱いでいい人間だ。
その日、あえてその期限切れ間近の、値引きされた冷たい惣菜を買い、一人きりの部屋で食べた。
傷みかけたような味を噛み締めながら、不思議と奇妙な安堵感と、自分を罰するような歪んだ感情が胸を満たしていく。
そんな日が続くと、気がつけば、食費は驚くほど削られていた。
口座の残高が思ったより残っていることに気づいたとき、胸の奥で小さな冷たい合理性がささやいた。
「食の質を戻さなくても、貯金が増えるならこのままでいい」と。
けれど、それは錯覚だった。
いつしか、食べるという行為から「美味しい」という喜びや、「栄養を摂る」という肯定的な意味合いは綺麗さっぱり消え去っていた。
毎日の食事は、もはや「コストがかかる面倒な作業」であり、「たまの贅沢のために耐え忍ぶべき負債」でしかなかった。
お金をかけないこと、味気ないもので腹を満たすこと、そして、心身の不調や自分への罰をそこに重ね合わせること。
今日もまた、安売りの棚から拾ってきた無機質なパッケージを開けながら、私はただ、義務のようにそれを喉の奥へと流し込んでいる。




