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割り箸を折るときに

作者: 晴読雨読
掲載日:2026/10/23

 最初にバランスが崩れたのは、いつだったか。

「今日は少し疲れたから」

 そんな言い訳とともに、自炊のコンロに火をつけなくなった夜からだった。


 スーパーの棚に並ぶ作り置きの弁当。

 はじめのうちは、まだ自炊の延長線上だった。栄養の偏りがないように、彩りを気にして赤や緑の副菜が入ったものを選び、飽きないように今日は幕の内、翌日は焼き魚と、メニューをローテーションさせる余裕もあった。


 だが、慣れは重なり、疲労だから、残業で時間がない。、今日は早く寝たい。

 日を追うごとに蓄積していく言い訳。


「魚は骨があって面倒だ」「こっちのほうがボリュームがあるな」

 いつしか基準は栄養から手軽さへ、そして「安さ」と「高カロリー」へとスライドしていった。


 茶色い揚げ物ばかりが並ぶ割引前の弁当。好みに任せた重たい炭水化物の塊。それすらも毎日続けば、やがて舌が麻痺するように飽きてくる。


 「またこれか」

 そう思いながら、彩りの消えたプラスチックの容器に箸を伸ばす。

 同じものばかりでは物足りず、かといって別の惣菜を追加すれば余計な出費になる。

 その「少しの割高感」すら、妙に惜しく感じられるようになっていた。

 ある日、閉店間際のスーパーで、半額シールが貼られた総菜を手に取った。

「お買い得だから」

 そう自分に言い聞かせたその日から、歯車は完全に狂い始めた。


 どうせ同じようなものだ。ならば、より安いほうへ。より手間のかからないほうへ。


 弁当からカップ麺へ。カップ麺から、かろうじて腹を満たすだけの菓子パンや、味気ない栄養補助食へ。

 食卓のラインナップはみるみるうちに縮小していった。


 決定打は、仕事での些細な失敗をした日だった。帰宅途中の駅ビルで、見つけたのは「消費期限間近」の投げ売りされた惣菜。ふと、心の中に冷たい声が響く。


 ——どうせ自分なんて、この程度の扱いでいい人間だ。

 その日、あえてその期限切れ間近の、値引きされた冷たい惣菜を買い、一人きりの部屋で食べた。


 傷みかけたような味を噛み締めながら、不思議と奇妙な安堵感と、自分を罰するような歪んだ感情が胸を満たしていく。


 そんな日が続くと、気がつけば、食費は驚くほど削られていた。

 口座の残高が思ったより残っていることに気づいたとき、胸の奥で小さな冷たい合理性がささやいた。


「食の質を戻さなくても、貯金が増えるならこのままでいい」と。

 けれど、それは錯覚だった。

 いつしか、食べるという行為から「美味しい」という喜びや、「栄養を摂る」という肯定的な意味合いは綺麗さっぱり消え去っていた。

 毎日の食事は、もはや「コストがかかる面倒な作業」であり、「たまの贅沢のために耐え忍ぶべき負債」でしかなかった。

 お金をかけないこと、味気ないもので腹を満たすこと、そして、心身の不調や自分への罰をそこに重ね合わせること。

 今日もまた、安売りの棚から拾ってきた無機質なパッケージを開けながら、私はただ、義務のようにそれを喉の奥へと流し込んでいる。

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