走るセンリツ
「橋田、こねぇな」
坂本がゲームのコントローラーを雑に置いた。数拍の間の後に激しいロックが流れ始める。
坂本主催の飲み会は彼の推しバンドを布教するためのもので、酒とつまみをすべて坂本が用意する代わりに延々とこのバンドのライブ映像が流れ続けるのだ。
うるさいのは最初のうちで、酒が入り始めれば特に気にならなくなる。最初はライブへ一緒に来てくれだとか言っていた坂本も、いつの間にかバンドの話を黙って聞いてくれればいい程度に落ち着いた。
「駅に着いたって連絡あっただろ? 追加の酒でも買ってきてるんだよ」
坂本はそう言って冷蔵庫から大皿を取り出す。今日のつまみのメインは馬刺しらしい。赤身が均一に並んでいる。
奮発したなというと、たまたまいいのが手に入ったんだと坂本は得意げだ。
「そういや、橋田に聞いた?」
橋田のいないうちに聞いとくかと、話題に出すと、坂本は一瞬呆けたあと、あぁと頷いた。
「結婚の話か?」
「そう、お祝いどうする?」
「式上げないって言ってたしな。少し奮発するか」
坂本がスマホを手に取って何か調べ始める。酔っぱらうとあちこちに置いてしまうと言って頑丈なカバーに入れているやけに大きなスマホだ。確かに以前、電子レンジの中に入っていて危うく気が付かず温めるところだった。
「二人で食べられるものとか、あ、食事券とかどうだ? ホテル選べるやつ」
そう言ってホテルのリストの写った画面を見せてくる。ちょうどそのタイミングで画面の上部にメッセージの通知が入った。
『では、明日、おじゃまします』
名前とアイコンは女性からのようだ。坂本に家に招き入れるような相手ができたのか。思わずからかいそうになるのをぐっとこらえて、良さそうだなと答えた。
爆音で流れていたライブの音楽のバランスが崩れたように感じて、ライブ映像のほうを見る。
坂本は、あぁわかるか、と嬉しそうにうなずく。
「このライブ、最初結構走ってたんだ」
そう話しながら冷蔵庫から酒の缶を出しオレに差し出す。
いつもオレが飲んでいるものではない。これは橋田が好きで毎回用意しているものだ。
「初めてのでかい箱でテンション上がっちまったんだよ。きっと」
坂本の声を背に冷蔵庫を開ける。橋田用の酒をしまって、オレの酒を見繕う。いくつも並んでいる酒の缶の隙間に黒い板のようなものが見えた。気になって引っ張り出す。スマホだ。しかし、坂本のあのいかついカバーのではない、仕事用のものだろうか。
坂本はいつのまに酔っぱらったんだと、苦笑いをしながら冷蔵庫から出した。
ロック画面が目に入る。
数秒考え、オレは冷凍庫に手をかけた。
目があった。
坂本が不思議そうに笑っている。
「……ちょっと、橋田迎えに行ってくる」
オレの言葉に坂本が思いっきり顔をしかめて窓の外を指さした。今にも降り出しそうな曇天はその黒い巨体の中にきらびやかな帯をいくつも抱えている。
「そのうち来るさ。それよりも早くこれ、食ってみてくれよ。とっておきだぜ」
「いや、こんな天気だから。ほっとけないだろ」
バンドの激しいドラムが腹の奥を打ち付けているような感覚がする。しかめっ面の坂本の顔から目が離せない。
「……しょうがないな」
坂本がそう言って、レインコートを差し出す。コンビニとかで売っている薄っぺらいものではない。分厚くしっかりと撥水加工された布で作られたつなぎのタイプだ。
「帰りも着てっていいぜ。使ったら捨ててくれていい。俺がこないだ降られたときにしょうがなく買ったやつだ」
随分太っ腹だ。
しかし、いまはそれどころではない。レインコートを片手に俺は荷物をまとめて靴を履く。
「レインコート。ちゃんと捨ててくれよ」
――テンション上がってたな、走っちまった。
坂本の静かな低い声が響いた。
オレは扉が閉まる音を確認することなく走り出す。
スマホのロック画面は、橋田と女性が仲睦まじく笑っている写真だった。
冷凍庫の中にはたくさんの肉があった。
冷凍庫を開けたら、目があったのだ。
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