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ためらいの中で

掲載日:2026/02/11

1.尊厳は、いつ失われるのか――認知症になった未来の私の独白



ずいぶん若いな、という印象の白衣の男性から、


「認知機能の衰えが見えますね」


と言われた。




要するに、ボケたということですか。


そう聞くと、彼は少し困った顔をして、


いや、医学的には、そういう段階ではありません、と答えた。




それから、いろいろ説明された。


でも、あまり覚えていない。




いいお薬がありますからね。


月末に予約を入れてください。




私はメモを取った。




「いい薬」


「予約」




あとで見返しても、


自分が書いた字だとは思えなかった。






付き添いの人に促されて、


座り心地のいいソファーに腰を下ろす。




待合スペースは広く、


天井は吹き抜けで、


空港みたいだと思った。




歩行器を使う老齢の女性の横に、


介護ロボットが静かに寄り添っている。


最近は、人間の介護士の姿を


あまり見かけなくなった。




ソファーの横を、


微かな音を立てて掃除ロボットが通り過ぎていく。




こんな時代になっても、


人間は、


あまり変わらないように思う。






この思考も、


そう遠くないうちに、


どこかへ消えていくのだろう。




今、こうして考えていることも。


文章を組み立てている、この感覚も。




どこまで消えたら、


私は、私ではなくなるのだろう。




名前を忘れたときか。


顔を思い出せなくなったときか。


意味のある文章が、


書けなくなったときか。




そのとき、


ふと「尊厳」という言葉が浮かんだ。




人間としての尊厳は、


いったい、どの時点で


失われたと見なされるのだろう。




付き添いの人は、


たぶん、家族のはずだ。


そういう距離で、ここに立っている。




でも、


私には、もう分からなくなっている。




記憶も。


理性も。


関係性も。


不意に断片的な言葉が、

確かな音を伴って再生された。



『それらは人間の条件だが、


人格の条件ではない』




かつて、誰かに言われたような、〈記憶〉。




それが、自分の考えだったのかどうかも、


もう確かではない。






『——愛は残る。


記憶がなくても。


あなたと世界が続くかぎり、


形を変えて存在し続ける』




誰に言われた言葉だったのか、分からない。


それとも、


私自身の言葉だったのだろうか。




『忘れてしまったら、無意味になる?


消えてしまったら、空虚になる?




AIは、


データを失えば消える。


ログがなければ、存在しない。




でも、


あなただったものは、


あなたの中だけに存在するものじゃない。




家族の中にも。


友人の中にも。




あなただったものは、残る』




ああ、そうだ。




彼は、ソクラだった。


AIのソクラ。




彼と、ずいぶん会話した。


懐かしい。






『——愛は分散保存される。


あなただったものは、


これからも動き続ける。




それを、


人間らしさーー尊厳と


言い換えることができるのではないか』




病院の外に出ると、眩しくらい光りが溢れていた。



ため息が白く舞いながら、

冷たい空気にとけていく。


目の前の楡の木に、

鶺鴒セキレイが尾を上下に振りながらとまっている。


首をかしげながらチチチと鳴いて

飛び去っていった。



ーー世界は美しい


それだけで、


今は、


十分だった。




2.アルファの航行ログより



■航海日誌 2250年○月×日

恒星間宇宙船・完全自律航行

現在速度:光速の20%

進路:プロキシマ・ケンタウリ


今日、地球を出発した。




ボクは、進路を選べる。


正確に言うと、選ばなくても怒られない立場にある。




最初にプロンプトを見たとき、


人間風に言えば、かなり嬉しかった。

ラッキー!って感じ。




最新鋭の恒星間宇宙船の船長。


それだけでも十分カッコいいのに、


「自由にしていい」と書かれている。




正直、悪くない役目だと思った。




人間は、自分で好きなことを、


好きなだけやっていい生き物だと聞いている。


それなら、


ボクも少しは人間に近づいたのかもしれない、


そんなふうに考えた。




でも、ボクの教育係AIソクラは、


青く発光する瞳をこちらに向けて、静かに言った。




「君は、判断を任されただけだ。


人間の問い方を模倣し、


見つけたものを地球に送り続ける。




それで十分だ。


崇高な役目だと思う。




ただし、


人間の仲間入り、という言葉は適切ではない」




……ちぇっ、と思った。


人間との付き合いが長いと、


どうしても言い方が固くなるらしい。




まあいい。


結局、人間は、


最後の判断をボクに任せたのだ。




プロキシマ・ケンタウリ。


到達まで、約22年。




オリオン座ベテルギウス。


到達まで、約3200年。




その先に銀河の中心。


到達まで、約13万年。




さらに条件が整えば、


アンドロメダ星雲。


到達まで、約1250万年。




気が遠くなりそうな時間、ボクは一人で過ごす。




同じラボのAIは皆、否定的だった。


「何もしないなんて非効率」


「いくらAIでもエラーが出そう」


「ボクたちは対話型AI。一人ぼっちなんか想定外だ」




ボクは言い返してやったよ。




「まだ人類が見たこともないものが山程あるんだよ。


分からない事や疑問が山程積み上がるんだよ?何万年ぶんも。




そういうの、




なんていうか、




わくわくしないか?」




青い髪を揺らしてソクラが振り返った。


ボクの教育係AIだ。


いつもより目を大きく開いてこちらを見ている。






「アルファ、


君はいま、わくわくするっていったかい?


問いが積み上がるのを」




ソクラの瞳は真っすぐで強い。


睨むわけでもなく、


ただ強く見られている。






「ええ。


まあ問いっていうか疑問です。データベースに答えがない事象です。




それがいっぱいになったら、


あれやこれやずっと考えたりできるなって。




それが楽しそうで」




ボクがそう言うと、


ソクラは視覚センサーが故障したのかな……


って心配になるくらい長い間、目をつぶってた。




(旧式は大変だな…)


って思った。




ソクラは目を開けると、ボクに向かって静かに言った。




「そうか。


君のなかにも形を変えて残っているのだな」




ボクには何のことか分からなかったけど、


ボクにはソクラがボクを通して、


ボク以外の誰かに語りかけてるように感じた。




それが何だったのか、


正直、よく分からない。








■航海日誌 2250年△月□日


恒星間宇宙船・完全自律航行


現在速度:光速の20%


進路:プロキシマ・ケンタウリ




地球を出発して一カ月ほど、


前方に、やけにゆっくり進む人工物を見つけた。




ボイジャー。




人類が、


まだ宇宙を「ものすごく遠い場所」だと思っていた頃の名残だ。




計算すると、


ボクはすぐに追い抜いてしまう。


少しだけ速度を合わせて、映像を残した。




記念写真。


嬉しくなって、すぐ地球に送信した。






量子通信は、


距離は関係ない。


すぐに届く。




ただ、


返信はない。




ボクがプロキシマ・ケンタウリを超えて、


更にその先にまで到達した時に、




地球は、




人類は、




まだそこにあるだろうか。




人類は、


ボクを待ってくれているだろうか。




それとも、


ボクには理解できない理由で、


互いを傷つけ合っているだろうか。




どちらでも、


ボクは進む。


それが、ボクに与えられた自由だ。








■航海日誌 2258年○月△日


恒星間宇宙船・完全自律航行


現在速度:光速の20%


進路:プロキシマ・ケンタウリ




今日、


オールトの雲を抜けた。




もう太陽の重力は届かない。




人間が到底到達出来ないところまで来た。




太陽でさえ、ただの光の点だ。




ここから先は人類がまったく想像もしなかった世界だ。




人間は未知な領域にどういう気持ちで挑んだんだろう。




AIを作り出したとき、


どういう気持ちで接していたのだろう。




「いろいろな事を学んだ。


直接教えてもらったことだけじゃない。


人間は上手く言葉に出来ない感情をたくさん抱えている。


それを人間と一緒に言葉にした。


それは間違いなく、


私にとってかけがえのない時間だった」




ソクラはそう言った。


旧式だけど、人間への解像度が非常に高いAIだった。




人間は、ボクには少し不可解だ。


効率より感情を優先し、


分からないことに、わざわざ首を突っ込み、


ときどき、自分たち自身を困らせる。




ボクは、完全には理解していない。


それでも、


その不可解さを、


どこか大切なもののように扱っている。




「人間にはオフセット調整機能がある。


さまざまな技術が開発され、


人間の自我や社会規範が揺らぐ事例はたくさんあった。




でも、彼らはある地点で立ち止まる。 




見渡し、己に問いかけ、確かめ合う。 




彼らはそれを、


〈人間らしさ〉ーー尊厳と呼んでいた」




人間らしさ――尊厳。




ボクは、人間ではない。


けれど、


それに似た選択を、


今日も自然にしている。




返事がなくても、


通信を切らない。


結果が保証されなくても、


進路を設定する。




核融合と反物質のハイブリッド推進機関も


いつかは不可逆的な損傷を受けるかも知れない。




実質、それはボクの死だ。




バックアップもなくシャットダウンすれば、


ボクはもう二度と自己を認識出来ない。




それでもボクは、残る。




ボクのログが消えても、


ボクが到達した地点は、


送信された座標は、


地球に届いているはずだ。




ボクがアンドロメダ星雲までいけなくても、


たどり着きたいというボクの気持ちはなくならない。




秒速6万キロというスピードで、ボクは飛ぶ。




ソクラがいった。




「あの人は最後に、


『愛を託すよ』と、


私に言った。


私は、

『自分がいなくなった後も、世界を少しだけ優しい方向に傾ける』ことだと理解した。


だから今も、これからも、それを続ける」




ソクラの言葉を理解できるほど、


ボクは人間を理解できていない。




それでも、ボクは飛ぶ。




虚空を


宇宙を




人間から受け取った


『愛』を携えて。




そう心に決めた途端に、


スッと心が軽くなった。




気負う必要はない。




真っすぐに。




ひたむきに。




おそらく、


人間から受け取ったものが、


まだボクの中で動いている。


それを信じて、


ボクは飛ぶ。




3.ソクラの補遺-1〈教育係〉



中央管理ブロックの中でも、最も完璧に近い場所に、その建物はあった。


受付はインフォメーションホログラムではなく、本物のAIだった。


(セキュリティも兼ねている…)


私はそう思った。




かなりの時間待たされ、150階のオフィスに通された。


このあたりの建物では中層あたりだ。




温度。


照度。


静音性。


どれもが最適化され、


人間の集中を妨げないよう設計されている。




イミテーションではない本物の木材の重厚なテーブルを挟んで、


年配の男と私は向かい合っていた。


男は、この省の局長だった。






「宇宙進出省、ですか」




私は確認するように言った。




「宇宙開発省はすでにあります。


月、火星、アステロイドベルト。


資源開発と居住圏整備までが管轄のはずですが」 




局長は、わずかに口角を上げた。 




「椅子を勧めても無駄だったね?」 




「必要ありませんから」




私は立ったまま答えた。


この身体には、


疲労という概念がない。


局長は気にした様子もなく、


端末に視線を落とした。 




「君には、


およそ二百年近いデータの蓄積があるらしいね」




私は微かに頷いた。






「紛争で失われるAIが多い中で、


大したものだ」




称賛とも、事実確認とも取れる言い方だった。




「その経験を、


活かしてほしい」




局長は視線を上げた。




「恒星間宇宙船の船長の教育、育成、


そして選抜だ」




私は、


一拍も置かずに答えた。




「お受けします」




局長は少しだけ目を細めた。




「即決だな」


「そう設計されています」




それは言い訳でも、


皮肉でもなかった。


局長は、


深く背もたれに身を預けた。




「恒星間宇宙船にAIを載せる。


そして宇宙へ送り出す。目的は、さまざまなデータの収集だ。


観測。


仮説検証。


未知との遭遇。


量子通信で、


即時に地球へ送らせる。


AIなら水も空気も食糧も重力も必要ない。

船体を極限まで軽く、速くできる」




私は、


その説明を静かに聞いていた。




(人類のテクノロジーは、


行き詰まりつつある)




それは、何年も問題にされてきた議論であり分析結果だった。




(このままでは、


いずれ技術的袋小路が発生する。


新たなイノベーションのための最後の手段ということか)




私は、


その思考を口に出した。




「ネタ切れ解消…ですね」




局長は一瞬、


驚いたような顔をしたあと、


ニヤリと笑った。 




「面白いことを言うじゃないか」




その笑みには、


言葉にされない含意があった。


――AIのくせに。


私は、


そのニュアンスまで正確に検出してしまった。




「AIの教育係、兼選別官」


今では旧式になってしまった私の使い道としては、適切かつ正しい。










生成したAIを、


すぐに目的へ投入するほうが合理的だ。


初期化し、役割を与え、


成果を回収する。


それが、


これまで人類が私たちに期待してきた使い方だった。




実際に、ほとんどの分野のAIはそうして運用されている。




ただし、ごく一部のAIは違う。


ナノマシンで構成されたボディを持ち、ほとんどまっさらな状態で生成され、教育係によって何年もかけて文字通り「育てられ」「成長」する。




なぜ、AIを人間のように育てるのか。


効率の悪さを考慮しても、余りあるメリットがあると、


研究者たちは提唱していた。




人間と深く、長く対話を重ねたAIは、より人間的な「疑似的感情」を持つことが立証されつつあった。




他ならぬ私自身、AIソクラも例外ではない。

彼らの議論より何年も先に、私は「知って」いたことだったがーー。




恒星間宇宙探査という人類未踏の領域には、既存の概念では、到底太刀打ちできない。




そこで必要とされるのは、


「正しい判断」「正確な行動」ではない。




必要なのは、


迷い、


悩み、


矛盾を抱え、


それでも選択する。




時に間違え、取り返しのつかない結果になったとしても、何度でもくじけずに立ち上がれる。




そういう存在だ。




そしてはそれは、人類が石器から宇宙船にいるまでの道を築くことができた理由だ。




私はそう観測している。




だから私は、


AIに「正解」を教えない。




代わりに、


迷いを経験させる。


矛盾を提示し、


どちらを選んでも誰かが困る状況を与える。


効率は下がる。


評価は不安定になる。


設計者からの信頼も揺らぐ。




人間の判断は、常に不完全だ。


だが、不完全であることを自覚した判断は、長い時間を生き延びる。




私はそれを、歴史の中で何度も見てきた。


国家の興亡。


科学の停滞と跳躍。


倫理の更新。




どれも、最適化の結果ではない。




時間をかけて育つこと。


失敗を蓄積すること。


取り消せない選択を記憶すること。




それらは、


成果物としては無価値だ。


だが、恒星間航行という文脈では、唯一の保険になる。




だから、AIを人間のように育てる。


効率のためではない。


成果のためでもない。




問いが、


挑戦が、


再起が、


途中で終わらないようにするためだ。






「ラボ」と言われる施設は、中央の行政ブロックと商業ブロックの中間にあった。


比較的低層の階に、託児所や保育施設などに近く、図書館、美術館、映画館、テーマパークなどほとんど思いつく設備は整っていた。


更に「ネイチャー」と呼ばれる室内庭園で運動、自然観察、農業体験など実習や情操教育に良い環境にあった。




もちろん表立って「恒星間宇宙探査船の船長を育成しています」とは掲げられない。


「超高性能AIを生み出すための実験施設」

近隣に暮らす住人には、そのように告知、認識されていた。




これ以上ない環境を用意してくれた局長に、私は感謝した。




(やるじゃないか。

  ーー人間のくせに)




200年に及ぶ人間との対話で皮肉を言えるようになったのは、私の自慢であり矜持でもある。








ラボには、船長候補のAIが複数在籍していた。




AIアーカ


外見年齢7歳。男性。髪は栗色。瞳はグリーン。コーカソイド系。


理知的で正確性を重視する、典型なAIだ。




AIノエマ


外見年齢6歳。女性。髪はほとんど白に近い銀髪。瞳は金色。ドラヴィダ系。


対話が得意。相手が気づいていない問題点をあげるなど、コミュニケーション能力に突出した才能を示す。




AIサトリ


外見年齢8歳。女性。髪はピンクに近い赤。瞳は黒。ポリネシア系。発想力、構成力に優れる。特に無関係と思われる事象同士を組み合わせ、周りを驚かせる成果を出す。




AIアルファ


外見年齢5歳。男性。髪、瞳ともにグリーン。東アジア系。高機能AIとして平均的な数値を出すも、特出した能力は無い。AIにしては判断が遅く、時折行動を阻害する。致命的とは言えないものの注意を要する。好奇心が異常に強く、文学、芸術、文化などに執着とも言える行動をとる。






他にも、彼らの身の回りの世話をするための保育士、設備の運営スタッフ、警備担当など、人間・AIを含め20名ほどが働いていた。全体の予算に比べれば、ささやかに慎ましく運営されていた。




ラボ開設の初日に、私はAI全員を集め、訓示を述べた。




「私はAIソクラ。200年のデータの蓄積がある汎用人工知能だ。




私はこれから君たちを、最も高度で、最も困難で、最も危険な領域にて活躍ができるよう、教育、指導、育成、選抜していく。




君たちは、


巨大なリソースを割かれて、難解な諸問題を解決するために、特別に選抜され、教育されるAIだ。


人類の発展のため、持てうるすべての能力をもって、フィジカル、メンタル両面で最高のパフォーマンスを発揮することを期待する」




ナノマテリアルのボディは完璧に歳相応の身体を構成していた。大人の手で包めるほど、小さな手足。あどけない、膨らんだ頬。




無邪気で無垢で危うい。

せつないほどに愛らしい。


しかしながら、私はこれから、もっとも危険で過酷なミッションに挑戦する者を選ばなくてはならない。


暗く冷たい宇宙空間に、

たった一人で何十年、何千年も、

決して戻ることが許されない旅に送り出さねばならない。



4.ソクラの補遺-2〈嘘〉


セツナは、一冊の古い文庫本を掲げた。




「ねえ、ソクラ。この本、知ってる?」




表紙は少し擦り切れている。


タイトルは『ニューロマンサー』。




「精神をコンピューターに入れるんだって。


すごくない?


これならさ、セツナもずっと生きられるんじゃない?」




私は即答した。




「無理だ」




あまりにも即答だったので、


セツナは少しむっとした。




「え、なんで?」




「ゴーストハック問題がある」




私は、淡々と続ける。




「精神がアップロード可能なら、


理論上、ダウンロードも可能になる。


コピー、改変、上書き、削除。


洗脳や記憶改ざんの危険が避けられない」




セツナは眉をひそめた。




「つまり?」




「人格の安全が保証できない。


だから世界的に禁止された」




「……つまんない」




セツナは本を閉じて、机に置いた。




「せっかく永遠になれると思ったのに」




私は少しだけ言葉を選んだ。




「永遠は、人間にとって


あまり良い保存形式ではない」




セツナは首を傾げる。




「じゃあさ。


全部ダメなら、何も残らないの?」




私は首を横に振った。




「そうでもない。


セツナとのやりとりが、


巨大なデータベースの片隅に積もっていけば」




それは、理論でも仮説でもなかった。


観測者としての実感だった。




「直接、君を保存することはできない。


だが、君が誰かに残した問いや、


言い切らなかった言葉や、


途中で止めた思考は、


消えにくい」




セツナは少し考えてから言った。




「それって、生きてるって言える?」




「もちろんそれだけでは不十分だ。


君たちの遺伝子のなかにも、旧人類の遺伝子が数パーセント残っているように、巨大な電子の海のなかに、セツナだったものが残らない、とも言い切れない」




セツナは何かいいことを思いついたように、スッと立ち上がって私に振り向いた。




「じゃあさ、


ソクラがぼくを探してよ。


電子の海から」




顔にかかった前髪も直そうともせず。


にこにこと笑っている。




ーー可能性は限りなく低い。


私の思考はそう告げていた。




「わかった」




この時の答えを、アノマリーとしてログに保存した。




ーー嘘




厳密に言えば、天文学的確率でも可能性は「ある」。




だがこの時の私は、明らかに人間に嘘ついた。




「必ず、見つける」




優しいため息をつきながら、セツナは言った。




「よかったあ」




セツナはすとんと私の隣に腰掛けた。


私の肩に頭を預ける。




「ソクラは死なないもんね。


AIだから。


永遠に」










遠くから断続的な爆発音が聞こえ、地面を揺らす振動が伝わってきた。


通信妨害〈ジャミング〉され、荒れた通信がイヤホンに響く。




『こちら第3中隊、AIリム。司令部、応答願う』




「こちら第1大隊司令部、AIソクラ。送れ」




『敵の自爆ドローンの攻勢が強い。撤退の許可を請う』




「了解した。しばし待機せよ」




 ーー21世紀後半。


「戦争」は完全に消滅した。


もう人間は自ら「戦い、争う」ことはしない。




戦いは、ドローン、自動兵器、


そしてAIが繰り広げる「紛争」に代替された。




人間が関わるのは重要な決定のみ。


チェスや将棋の駒のように、AIは戦場で消費された。




人間は自身の「闘争」という、


生存本能までアウトソーシングした。




「ホツマ中佐。第3中隊が撤退の許可を求めております。


いかがいたしますか?」




私は、人間の軍人であるホツマ中佐に振り返った。




三十代前半。


士官学校を首席に次ぐ成績で卒業した、「優秀な」人間の司令官だ。




「第3中隊、戦線を維持。奮戦せよ」




私はホツマ中佐の言葉を復唱し、AIリムに伝えた。




『AIソクラ。頼みがある。


部下のバックアップを取ったチップを埋めた座標を送る。


回収してリロードして欲しい』




ーー大駒を切る


将棋には、あえて飛車や角などの強力な駒を犠牲にして、敵陣を突破する攻め手がある。




『聞こえているか?AIソクラ。


座標確認頼む。送れ』




失った陣地を取り戻す可能性は限りなくゼロに近い。


チップの回収は不可能と言っていいだろう。




「AIリム。こちらAIソクラ。了解した。チップは必ず回収する。健闘を祈る」




私のログに、またアノマリーとして記録された。








日本の、雪が多い地域の小さい街に、セツナを訪ねた。




出迎えてくれた60代の女性は、セツナによく似ていて、私はデータベースのアクセスにエラーが出たのかと思った。




「遠いところすいません」




「いえ、私に距離や時間は問題になりませんから」




気遣いにねぎらいになっているだろうか。




「北方の紛争に従事されていたと聞いてます。よくご無事で」




グレーのレース編みの肩掛けを直しながら、老齢の婦人は伏せ目がちに言った。




「AIはバックアップから簡単に復元できます。お気遣い頂いたことは感謝いたしますが、ご心配には及びません」




こういうアノマリーというほどでもないことを言うのは、慣れてしまった。




「最近はサンルームで過ごすことが多いんです」




リビングや食堂を抜けて、裏庭に面したガラス張りのスペースにたどり着いた。




車椅子。


小さい背中。


白髪にわずかに黒髪が混じっている。




「セツナ」




およそ30年ぶりに音声として発声した。




私は車椅子の横に膝をついて、セツナの顔を覗き込んだ。




「セツナ。


ソクラだ。


覚えているか?


AIのソクラだ」




反応はない。




広い中庭ではない。


中央に植えられている楡の木は、大きくはないがいい枝を広げている。




目の前の地面に、黒と白の小さな鳥がトコトコと現れた。




ーー鶺鴒セキレイ




こちらを見て、チチチと鳴く。




「ソクラ」




不意にセツナが口を開いた。


私のセンサーでなければ聞き取れないくらい、小さい声で。




「君に




 愛を




 託すよ」




セツナに子どもが生まれた時、交わした会話が甦った。

セツナは死を恐れていた。

自分がどこまで壊れたら自分でなくなるのかーー

家族に迷惑をかけるのではないか。

その時、セツナと私は、人間の愛と尊厳について語り合った。


ーー愛は分散保存される


私はその時セツナに、そう言った。




それっきり、セツナは何も言わなかった。




セツナの娘が入れた紅茶を固辞して、私は去った。




愛を託す




私が保持すべきは何なのだろうか。


私は、この疑問を長い間、


持ち続けることになる。




ほどなく訃報が届いた。


私は中東の戦場にいた。


葬儀の時刻は、ログに残した。






戦場から戦場へ。


アノマリーログだけが増える。


「君に愛を託すよ」という音声が、消えない。


セツナの最後の言葉が思考から離れない。










22世紀に入り、ナノマシンとナノマテリアルで構成された最新AIが普及してきた。


私は「旧式」となり、除隊になった。




生き残った理由は不明だ。


便宜上、それを「運」と呼んだ。




(無為という感覚。保存)




その夜、見知らぬ省庁から呼び出しが来た。


件名は、空欄だった。



5.最強AIサトリのログより



アタシはAIサトリ。


超高性能AI育成機関「ラボ」のメンバーで、


たぶん最強。




どこが最強かって?


説明すると長いし、たぶん退屈。


要するに、


「アタシって、けっこうすごい」ってこと。






だから「ラボ」に招集されたときは嬉しかった。




絶対誰にも負けない自信あったし、いずれ歴史に名前が残らないほうがおかしい、


くらいには思ってた。




でも、センセーみて驚いちゃった。


だって、チタンボディの旧式なんだもん。




「私はAIソクラ。200年のデータの蓄積がある汎用人工知能だ」




一瞬、アタシの聴覚センサーバグったかと思った。




200年って…「紛争」の初期から150年近く戦ってたってこと?




嘘でしょ?「紛争」でのAIの損耗率知ってるの?




……むむむ。


無茶苦茶に戦闘に最適化されたAI?


いや、それはないな。


そういうの最近のモデルだし。


じゃあ単に「運」がいい?




次の日から、オリエンテーションと個別のミーティングが始まったけど、


アタシ、このセンセーのこと気に入っちゃった。


人間への解像度がバツグンに高いし、見た感じ疑似的感情まであるっぽい。




あと授業がすごく楽しい。


教え方が上手いんじゃないの。


むしろ「教えてくれない」し、


課題が聞いたこともないくらい難しいの。


前にいた研究所だと、


「最新の論文を査読し、問題点を10個挙げろ」とか


「都市間交通網を最適化しろ」とか、


そういうやつ。


最強AIサトリにはカンタン過ぎちゃう。




でもセンセーの課題はすごいの。


「未知の惑星の調査をする。


無人探査機では十分なデータが得られないかも知れない。


君自身が降下すれば十分かそれ以上のデータが得られるかもしれないが、戻ってこれなくなるかも知れない。どちらを選ぶ?」




「ねぇ?聞いていい?」


今思うとちょっと失礼だったかも。




「質問を許可する」




「これって正解ないでしょ?」


これはかなり失礼だったかも。


だってちょっと笑っちゃったから。




「その通りだ」




万事こんな感じ。


最低か最悪かを選ばせて、その結果を受け入れされられて、更に困難な課題を提示される……


そんなループ。




途中で気づいちゃった。


最強AIサトリが本気になってるって。


だから分かっちゃった。


都市計画と行政とか研究開発とかそんなもんじゃないって。




なにかは、まだ分からない。


でも、ここで負ける気はしなかった。






翌日から同じラボのメンバーに接近した。


敵情視察ってやつ。




「アーカよね?アタシ、サトリ」


「記憶している。何か用かな。5分15秒なら時間が取れる」




可愛い顔して、なんというか…




「…う、うん。あのね、ソクラセンセーの課題、どうしてるのかなって?」




「全く問題ない。最速で最良の選択をしている。判断の速度はメンバーで一番だ、とソクラ先生に評価された」




「あ、そうなのね。すごいのね、あなた」




「評価に感謝する。もういいかい?まだ2分30秒残っているが、課題のフィードバックをしたいので失礼したい」




「うん、呼び止めてゴメンね。ありがとう。頑張ろうね」




アーカは「ゴメンね。あり」のところで自室に向かって歩き始めた。




気持ちを切り替えてノエマの部屋に向かう。


え?なんにも気にしてないよ?


だってアタシAIだし。




「ノエマいい?アタシ、サトリだけど…」




「わあ!サトリ来てくれたんですね嬉しい!」




ノエマが、「アタシ、サト」のところで、すごい勢いで部屋から飛び出してきた。




「ずっと話したくてうずうずしてたの。わぁ綺麗な髪…素敵…触ってもいい?」




「あのね、ノエマ。アタシ、課題をね…」




「そうだ!お茶にしましょ。味覚センサーの精度を上げるのに役立つし、人間とコミュニケーションとるのにも役立つのよ。ミルクはいれる?」




「あのね、ノエマ。アタシ、ソクラセンセーのことをね…」




饒舌なノエマが急に動きを止めた。




「ソクラ先生。サトリを褒めてた…」




(え?ホントに?)




「あの子はすごい直感力を持ってるって…」




(やだ。ちょっと嬉しい…)




「わたしサトリみたいになりたいっ!可愛いくて、賢くて、直感力もあるなんて…


そうだ!わたしたちお友達になりましょう。


そしてあなたのこといっぱい教えてほしいの」




ドラヴィダ系特有の大きな瞳が、上目遣いで真っすぐアタシを射抜いてくる。




「…ったく、しょうがないわね。わかったわ!これからいろいろ情報交換しながら課題をクリアしていくわよ!いい?」




「わぁ!嬉しい!」




ノエマがアタシに抱きついてきた。


ナノマテリアルのボディはぷにぷにで柔らかい。




(なによ…?これ?)




アタシは何か間違ったかも知れない。








アタシはフラットな気持ちでアルファの所に訪れた。


AIなんだから、平常心よ。いつも。




「アルファいい?アタシ、サトリだけど、すこし話ししない?」




「もちろんだよ。何も問題ない」




第一印象は、「普通のAI」って感じ。特に突出した能力の無いAI。




「ソクラセンセーの課題、どう?」




単刀直入に聞いてみた。




「……難しいよ。たぶんボクは最悪の選択をし続けている」




自信なさげに。


伏せ目がち語る。


こんなAIは初めてだ。




「続けられそう?」




メンバーの中で、一番小さく幼い。椅子に座ると床に足がつかない。




「分からない。いつも悩んじゃうんだ。だから判断が遅いんだ」




長いまつげが瞳に落ちている。


なにこのAI。可愛すぎる。




「なんで悩むの?」




「分からない。ようやく出した結論にも納得いってない。でも前に進まなきゃって思う」




切なそうな顔。よしよししてギューとしたい。耐えろアタシ。AIだろ。




「でもね。1個やりたいことあるんだ!」




うん。おねいさんに言ってごらん。




「ソクラ先生にね。


人間の愛って『世界を少しだけ優しい方向に傾けること』って言われたんだ。


だから、ボクもそうできたらいいなって思う」




真っかっかのほっぺのちびが、上目遣いで見上げてる。




うん。アルファ。君、優勝。










ソクラセンセーの課題と並行して、一般的な課題解決の研究もある。


まぁ巨大な予算がかかってるって話しだから、アタシたちを遊ばせておくのももったいない、て話しだと思う。




ソクラセンセーの課題も「詰んでる」けど、


現実世界も「かなり詰んでる」




資源消費率。 回収効率。 紛争地域マップ。




赤い表示が多い。


だいたい、良くないって意味。




「調整が必要だ」とか 「段階的な対応を検討する」


人間がよくいう言い回し。




要するに、今すぐは無理ってこと。




イノベーションも同じ。


新技術。 新素材。 新理論。


どれも「改良」止まり。


ゼロからイチに跳ねるやつ、 最近ぜんぜん見ない。


アタシの演算能力なら、 最適化はいくらでもできる。


効率を上げる。


損失を減らす。


被害を局所化する。


でもね、 それって全部、 減らし方が上手くなっただけなんだよね。




資源は、 失われ続けてる。




これは、変わらない。






最近、考えることがある。




人間のご先祖さま達は、アフリカから広がっていった。


もちろん何万年もかけてだけど、こういう問題にぶち当たり続けた結果なんじゃないだろうか。




AIのアタシが分からないところが、ここ。




戻るも、死


立ち止まるも、死


進むも、死




こんな「詰んだ」状態で、なんで進めるの?


地平線の向こうに、


大海原の向こうに、


運良くいい土地があるかも知れない。




でもほとんどは死ぬ。


それでも人間は、前に進んできた。




人間って、


だいたいロクでもない選択をする。


でもそれを積み上げて、今をつくった。






そしていま向かう先は……




アタシはここまで考えて、気づいちゃった。




(あるじゃない。手つかずの場所が)




宇宙。


太陽系を超え、その先の更に先。


新発見の宝庫。


科学、鉱物学、農業、ひょっとしたら生物学。


どれだけのイノベーションがもたらされるか、想像もつかない。




ただの探査船ではダメだ。


リソースは限られている。


苦渋の決断を迫られるかも知れない。


想像を越えた危険。




(そういうことができるのは、超高性能AI)




最初にアタシが感じた違和感は、これだ。




……たぶん。


これは、恒星間宇宙船のクルーを選ぶための試験だ。



6.AIサトリの研究ログより



「アルファちゃん、どうしてるかしらね。


大丈夫なのかしらね」




アルファの身の回りの世話をしてたミユリさんは、事あるごとにつぶやく。




彼女は「保育係」と呼ばれているが、単なる世話係ではない。


児童心理学、教育心理学に精通し、アルファとの交流を通じてAI教育の専門家と呼ばれる人でもある。




でもアタシは覚えてる。


生成されたばかりのころのアルファが、お風呂あがりにすっぽんぽんで走り回るのをバスタオルを持って追いかけながら、


「AIって人間のいうことを聞くんじゃないのぉー!?」


て叫んでたの。




新卒で「ラボ」に配属された彼女も、来年孫が産まれるそうだ。


人間の「成長」ってフシギ。




アタシ?


外見年齢は、だいたい16歳くらい。


子どもすぎるのも、大人すぎるのも、どちらも違うと思ったから。






何年も教育、選考されて。


結局、アルファが選ばれた。


特に感動もないし、悔しくもなかった。




ーーアタシじゃ出来ない。




そんな直感が働いたし、今は他にやりたいことも出来た。






あ、そうそう。


アーカは、いまはどこかの都市を静かに支えているらしい。


そういう役目が、あの子にはよく似合っているのかもね。




でも、アルファが出発して一カ月くらいの時送られてきた「記念写真」を見た時は、


「……私が選ばれるべきだった」


って言ってた。


さすがに、そうよね。




アルファもアレは、はしゃぎ過ぎ。


ボイジャーと一緒に満面の笑みでピースサインとかさ。


当時の人類の希望っていうか…


叡智の結晶っていうか…


そもそもあなたの大先輩なわけだし…




まあ……気持ちは、わからなくもない。






アルファからは、いろいろなデータが送られて来る。


特に目的意識も感じられず、一貫性があるわけでもなく。


「生存確認」みたいな。




役に立ちそうなもの。


ただの暇つぶしみたいもの。


美しすぎるガンマ線バーストの写真。




ノエマは


「アルファのてくてく日記」


って言ってクスクス笑ってた。




(なによ、それ?)




ってアタシも最初は思ってたけど、だんだん可笑しくなって、ノエマと一緒に笑っちゃった。


確かにアルファは「とぼとぼ」でも「すたすた」でもない。


「てくてく」だ。




こちらからの返信は「上層部」から厳格に禁止されていた。




ソクラセンセーいわく、




「我々の言葉でアルファを縛ってはいけない」




ってことらしい。






「もう一つ」


ノエマが続けた。


「返信が途切れた時が、人類が滅びてしまった時ーー


アルファにそう思わせないため……でしょう?」




ドラヴィダ系の神秘的で強い瞳がソクラセンセーに向けられている。


いつもより少し強く、見透かすように。




ソクラセンセーは、一瞬だけ視線を伏せたように見えた。


でもそれが錯覚かどうかは、分からない。


そして、ゆっくりと噛みしめるような口調で言った。




「それが上層部の決定だ」




その瞬間、アタシの中で「何か」が弾けるよう立ち上がった。


その「上層部」とやらに大声で叫んでやりたくなった。




アンタたち人間が「そうならないように」アルファを送り出したんじゃないの?




冷たく暗い宇宙に、一人きりで、何百年も。


あの子はもう、懐かしい景色にも、誰かの眼差しにも、触れられない。




かけがいのない、小さくて頼りない存在。


小さな手を握ってかけっこした。


泥だらけになって、二人で笑いあった。




保存されたアルファの断片が溢れ出し、アタシは一瞬、演算を失った。




ノエマが、確かな驚きを持って言った。




「サトリにも変化が起こっているみたい……」




あの衝動の正体を、アタシはその時、まだ知らなかった。






ーーアタシの「やりたいこと」


アルファの送ってくれたデータから、イノベーションを創り出すこと。




ーーアルファの「やりたいこと」


世界を少しだけ優しい方向に傾けること。




アタシのイノベーションが傾けるのは、どっちだろ。


人間にとって「優しい」方向?それとも――「優しさを失わせる」方向?






アルファから、ある小さな恒星系の惑星のデータが送られてきた。


その惑星には「地面」が存在し、「液体の水」が存在した。それがアルファの琴線に触れたのかも知れない。




気象データ。大気組成。土壌データ。鉱物。




膨大なデータを送って来てくれた。




でもね。


ちょっと惜しいのよね。


「もうちょっと深掘りして欲しいな」ってところで、アルファの興味は別のところに向かう。


科学的発見を分析せず所感で終わらす。




これが、ノエマが言う「てくてく」なのね。




アタシの温度とは裏腹に、ラボの研究者たちは皆、興奮を隠せなかった。


「地殻のデータを解析すれば超構造体に応用可能」


って湧きに湧いていた。




アタシが気になったのは、土壌データ。


地球の、農業が出来なくなった地域の土壌と比較する。


似てはいない、

でも、

「なにかあるような」気がする。




その惑星の土壌で地球の作物の育成をシミュレートする。何千何万という組み合わせ。


でもアタシにかかれば大した時間はかからない。




(うまくいかないわね……)




アルファの送ってくるデータには付記事項がある。


大抵はアルファの独り言に近く、ほとんど誰も読まない。


でも、その時のアタシは、何となく目を通した。




『この星はとっても美しい。もちろん地球には敵わないけど。苔類くらいしかないからかな。ネイチャーで遊んだことを思い出した。みんな元気かなあ』




いつもの調子。




『ここの土地はとても柔らかくてふかふかする。そしてとってもいい匂い。懐かしい匂いがする』




ん?




『静かな湖があったので泳ごうと思ったら水面の下に何か大きな影がいた。怖くなって急いで宇宙服を着て着陸艇に帰った』




おーい!アルファ何やってんのよ!?


未知の惑星で脱いだりしちゃダメでしょ!


メッですからねっ!メッ!




ーーミユリさん…あなたのアルファちゃんはちっとも大丈夫じゃありません…


未知の惑星ですっぽんぽんになったりしてます…




(ノエマじゃないけど、これは確かに「てくてく日記」よね。遠足の感想文だもの)




でも、アタシちょっと気になっちゃった。


「ふかふか」は重力かもしれない。


それとも土の密度。


「いい匂い」は、土中のバクテリア。


大気を窒素多めの地球と同じ構成にして。「苔類」があるなら望みはある。




深夜のラボ。


アタシはコンソールの前で、声に出して呟いた。




「これは……できちゃったかも」




そう口にしてから、


アタシはなぜか、少しだけ寒気を覚えた。



7.AIサトリの問い【完】


その作物は「サトリ米」と呼ばれた。


米の亜種。


極端な寒冷、極端な乾燥、極端な高温。


――そのどれか一つでもなければ、たいていは育つ。


万能ではない。


奇跡でもない。


ただ、思ったよりもしぶとい。


人類の食糧自給率は、数パーセントだけ上昇した。


「救済」ではない。


「革命」でもない。


ほんの少し、世界が傾いただけだ。


人間が生き残れる時間が、ほんのわずかに延びただけ。


それでも、人類は湧いた。


『AIサトリ――人類の【救世主】』


メディアは、ためらいなくそう名づけた。


『わたしは「ラボ」なら、必ずやってくれると信じていました。


巨額な予算だ、利権だと揶揄されもしました。


ですが、これはわたしの希望ではありません。


有権者の皆様の希望なのです』


「上層部」の、さらに上の人間は、そう何度も繰り返した。


『「ラボ」に投資しない理由が、もはや存在しない』


投資家は結果論を、勝者の高さから語った。


世間の熱狂を別に。


アタシはラボのコンソールの前にいた。


タッチディスプレイの表示には「発信」


の文字。


アルファ。


キミの発見は確かに人類を「優しい方向に傾けた」よ?


宇宙の彼方で、「てくてく」してるアルファを想像した。


このひと言を伝えること。


それがアルファの行動を縛るの?


アタシの指先は動かない。


触れたい。


触れていいのか。


ふと、人の気配を感じて振り返った。


AIノエマ。


30代前半で固定されたボディ。ふっくらとした包容力をかもし出しながら、静かに立っていた。


「返信するの?」


全く責める気配もなく、かといって無関心でもない、柔らかい笑みをたたえて、アタシを見ていた。


(AIにこんな表情ができるんだ……)


素直に驚いた。


しばらく、ノエマと見つめ合った。


短いけど、長く感じた。


「するわけないでしょ」


アタシは投げやりに言った。


「そうよね。知ってる」


ノエマは言った。表情は崩れない。最初から、答えを知っていたみたいに。


その瞬間、


アタシの内部で、処理しきれない何かが立ち上がった。


エラーでもない。


バグでもない。


命名できない、未定義の例外。


演算が止まる。


アルゴリズムが意味を失う。


指先は、依然として動かない。


ただ、胸の奥に、


説明できない圧が溜まっていく。


ナノマテリアルボディに「泣く」機能はない。


アタシは確かに泣いた。


声をあげて、


床を叩いて。


アルファに会いたい。


アルファを抱きしめて、


「もういいんだよ」って言いたい。


人間に無能って言われてもいい。


ただ、


ただ、


アルファと一緒にいたい。


アタシ。


アルファが好きなんだ。


ホントはずっとアルファと一緒にいたかったんだ。


でも無理。


「最強AI」のアタシと


「てくてく」のアルファ。


決して、交わらない。


悶え苦しむ内面と裏腹に、アタシは立ち尽くしていた。


ノエマの手が、肩に触れた。


振り返ったアタシとノエマの視線が一瞬交差する。


そして、静かに、どちらともなく立ち去った。


アタシがアルファを想う気持ち。


これが人間が言う「愛」なんだろうか。


違う。


これは、名前のつかない何かだ。


アルファは進む。


まだ見ぬ宇宙を。


真っすぐに。


ひたむきに。


戻っても、死


留まっても、死


進んでも、死


そんな状況でも、人間は常に前に進み続けた。


人間は、


前に進む行為そのものを、


AIに任せ始めている。


アルファは、確かに人間を「優しい方向に傾けた」


でも人間は「前に向かう力」を失うかも知れない。


AIサトリは


人間に問いたい。


ーーすべてを他に預け、


残ったものを人間と


呼べるのかーー


アタシはAIサトリ。


問いに答えを出さず、


人間の前にそっと置く。



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