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陽だまりの庭  作者: はるうた
第一部 花咲く季節

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9/25

第9章 秋風のころ

ひまわりが俯いている

花が終わっても

茎はまっすぐだった


種のひとつひとつに

夏がしまってある


手のひらに乗せたら

小さいのに、重かった


---


九月。温室に差し込む光が、変わっていた。


夏の強い日差しではなく、柔らかく、どこか淡い光。ガラス越しに見える空が高くなって、雲が薄く広がっている。


開け放した窓から、涼しい風が入ってきた。温室の中の空気をゆっくりとかき混ぜて、花の匂いを運んでくる。


「ひまわり、大きくなったね」


小春は、背の高くなったひまわりを見上げた。春に蒔いた種が、夏の間にこんなに立派になっている。


「もう少ししたら、種が取れるよ」


柚葉が言った。ひまわりの茎をそっと撫でながら。


「種を取って、また来年蒔くの」


「命のリレー、みたいですね」


小春が言うと、柚葉は嬉しそうに頷いた。


「そう。こうやって種を繋いで、来年もまたここで咲いてくれるんだよ」


ひまわりの花びらは、少し元気をなくしていた。夏の盛りを過ぎて、種をつける準備を始めている。季節が、静かに移ろっている証拠だ。


---


「ねえ、文化祭の話、聞いた?」


凛が、温室に入ってきながら言った。少し息が弾んでいる。


「文化祭?」


「十一月にあるでしょ。うちの部も、何かやらないとって」


「去年は花の展示と、押し花のしおり作り体験だったよね」


柚葉が言った。


「今年はどうする? 同じでもいいけど」


凛が聞いた。


「せっかくだから、何か新しいことしたいな」


柚葉が少し考え込んだ。


「フラワーアレンジメントとか?」


詩が提案した。いつの間にか、温室の奥で本を読んでいたらしい。


「ああ、それいいかも」


凛が身を乗り出した。


「小さいブーケを作る体験。来てくれた人に、持って帰ってもらうの」


「いいですね!」


小春が目を輝かせた。


「じゃあ、材料を揃えないとね」


柚葉が頷いた。


「花材とか、リボンとか、包装紙とか。買い出しに行かないと」


「……けっこう量がありそうですね」


真白が言った。


「うん。でも、二人いれば十分運べると思う。今週の土曜日、誰か一緒に行ける人いる?」


凛が、スマホを確認した。


「あたし、土曜はバイトだ」


「私も、土曜は予定があって」


詩が、静かに言った。


「わたしは家族のお出かけが……すみません」


小春が、申し訳なさそうに手を合わせた。


「……私は、行けます」


真白が、小さく手を挙げた。自分でも意外なほど、すんなり声が出た。他のみんなが行けないなら、自分が行くしかない。そう思ったのは本当だけれど、それだけじゃないことも、わかっていた。


柚葉が微笑んだ。


「ありがとう、真白ちゃん。じゃあ、二人で行こうね」


「……はい」


真白は、小さく頷いた。膝の上の手を、そっと握りしめた。


---


買い出しの日。秋晴れの土曜日だった。


空が高く、空気が澄んでいる。


真白は、待ち合わせ場所の駅前で柚葉を待っていた。


今日は私服だ。白いブラウスに、紺色のスカート。シンプルだけど、何度も鏡の前で確認してきた。


「真白ちゃん、お待たせ」


柚葉が、小走りでやってきた。


クリーム色のワンピースに、薄いカーディガン。髪は、ゆるくまとめてある。


「かわいい……」


「え?」


「あ、いえ……その、服、かわいいなって」


「ありがと。真白ちゃんも、似合ってるよ」


「……ありがとうございます」


真白は、目を逸らした。心臓が、速くなっている。


---


商店街に向かって歩く。


街路樹の緑が、夏より少しだけ淡くなっていた。風に揺れる葉の音も、どこか軽い。


「いい天気だね」


「……はい」


「こういう秋の日が、好きなんだ。空気が澄んでて、気持ちいいよね」


「……わかります」


真白は、隣を歩く柚葉をちらりと見た。秋の日差しが、柚葉の髪を柔らかく照らしている。


——きれいだな。


思って、すぐに視線を前に戻した。


---


最初に、花屋に入った。


色とりどりの花が、店先に並んでいる。甘い香りが、鼻をくすぐった。


「フラワーアレンジメントに使う花、何がいいかな」


柚葉が、花を見ながら言った。


「……カーネーションとか、ガーベラとか。長持ちするものがいいと思います」


真白は、手近なカーネーションを一本手に取った。茎がしっかりしていて、指に心地よい弾力が伝わる。花びらの縁はフリルのように細かく波打って、触れるとかすかにひんやりとした。


「さすが真白ちゃん。ちゃんと考えてくれてる」


柚葉がガーベラを一本持ち上げた。つるりとした太い茎が、カーネーションとはまるで違う手触りだった。


「……当たり前です」


「あと、カスミソウも入れようよ」


「カスミソウ、好きです」


真白は、バケツに浸かったカスミソウにそっと指先を伸ばした。息をかけたら崩れてしまいそうなほど繊細な白い花が、指の動きにあわせてかすかに揺れる。


「知ってる。前に言ってたもんね」


柚葉が、ふっと笑った。


——覚えてくれてたんだ。


真白の胸が、きゅっとなった。何気ない一言なのに。この人は、いつもそうだ。さりげなく、相手のことを覚えている。


店主と相談しながら、文化祭当日の仕入れの予約をした。真白がメモを取り、柚葉が数量を確認する。


「真白ちゃん、メモありがとう。助かるよ」


「……これくらい」


---


花屋を出て、次の店に向かう途中。


風が吹いた。夏とは違う、乾いた涼しさがある。


街路樹から、一枚の葉が舞い落ちてきた。柚葉が、その葉をそっと手で受け止めた。


まだ緑が濃いけれど、縁がほんの少しだけ色褪せている。


「……少し、変わり始めてますね」


「うん。まだ夏の名残があるけど、こうやって少しずつ秋になっていくんだよね」


柚葉は、それをベンチの上に静かに置いた。


「こういう、変わりかけが好きなんだ」


——変わりかけ。


真白は、その言葉を胸の中で繰り返した。


---


リボンの店、包装紙の店を回った。


「これ、かわいいね」


柚葉が、小さな造花のパーツを手に取った。


「アレンジメントのアクセントに使えそう」


「……いいと思います」


「真白ちゃんは、何か気になるのある?」


真白は、店内を見回した。


白いレースのリボンが目に入った。繊細な模様が編み込まれている。指で触れると、細い糸の凹凸がかすかに指紋をくすぐった。薄いのに、引っ張っても簡単にはほつれなさそうなしっかりした織りだ。


「……これ」


「あ、きれいだね。真白ちゃんらしい」


「……そうですか?」


「うん。白くて、上品で。でも、ちゃんと芯がある感じ」


柚葉は、リボンを手に取った。光に透かすように見る。レースの隙間から、午後の日差しが小さな影の模様を柚葉の掌に落とした。


「これも買おうか」


「はい」


——白くて、上品で、芯がある。


柚葉がそう言ってくれたことが、嬉しかった。


---


買い物がひと段落して、カフェに入った。


窓際の席。午後の日差しが、テーブルの上にやわらかい影を落としている。


「何飲む?」


「……アイスティーで」


「じゃあ、私はカフェラテにしよう」


注文して、飲み物が来るのを待つ間。柚葉が、窓の外を眺めていた。


「真白ちゃん」


「はい」


「園芸部に入ってくれて、本当によかったって思ってる」


「……突然ですね」


「ふふ、そうだね。でも、ずっと思ってたの」


飲み物が運ばれてきた。柚葉がカフェラテを一口飲んだ。カップから立ちのぼるミルクとコーヒーの香りが、テーブルの上でふわりと混ざる。ふっと表情がゆるんで、続けた。


「ね、真白ちゃんは、花を好きになったきっかけって何?」


「……園芸部に入ってからです。柚葉先輩が、水やりのこと、丁寧に教えてくれて」


「そっか」


柚葉は、少し遠い目をした。


「前に、おばあちゃんの庭の話、したでしょ」


「……はい」


真白は頷いた。入部して間もない頃、温室で聞いた話。花を見るとおばあちゃんのことを思い出す、と柚葉が言っていた。


「あの時は言わなかったんだけど、おばあちゃんがよく言ってたことがあって」


柚葉は、カフェラテのカップを両手で包んだ。


「『花はね、見てくれる人がいると、嬉しそうに咲くんだよ』って」


「……」


「子供だったから、そのまま信じちゃって。毎日花に話しかけてた。おはよう、きれいだねって」


柚葉が、少し照れたように笑った。


「今思うと恥ずかしいけど。でも、あの頃の気持ちが、ずっと残ってるんだと思う」


真白は、柚葉の話を黙って聞いていた。あの日聞いた話の、その奥にあったもの。温室で花に話しかける時の、あの柔らかい声の理由。全部、繋がった気がした。


「真白ちゃん、丁寧に花の世話をしてくれるでしょ。水やりの量とか、葉っぱの様子とか、ちゃんと見てくれてる」


「……当たり前のことです」


「ううん。当たり前じゃないよ。ちゃんとできる人って、意外と少ないんだ」


柚葉は、まっすぐ真白を見た。


「だから、ありがとうね」


真白は、テーブルの上のコースターを見つめた。


顔を上げられない。上げたら、きっと赤い顔を見られてしまう。


「……こちらこそ、ありがとうございます」


やっとそれだけ言った。


——好き。


この人のことが、好き。


おばあちゃんの庭のこと。花に話しかけていた小さな柚葉のこと。知らなかった一面を見せてもらえたことが、嬉しくて、切なくて、胸がいっぱいになった。


でも、言えない。言ったら、この関係が変わってしまうかもしれない。


真白は、アイスティーを一口飲んだ。レモンのかすかな酸味が舌に触れて、冷たさと一緒に喉を通っていった。甘さはほとんどない。今の気持ちに、ちょうどいい味だった。


---


買い出しが終わって、駅に戻った。


日が傾いて、風が変わっていた。昼間の穏やかさとは違う、ひんやりとした空気が素肌をなでる。どこかでコオロギが鳴いている。夏の蝉とは違う、細く澄んだ声だった。


荷物を二人で分けて持っている。


「今日は、ありがとうね」


「……私の方こそ」


「楽しかった。真白ちゃんと買い物するの」


「……私も、楽しかったです」


真白は言った。自分でも驚くほど、素直に出てきた言葉だった。


柚葉が、嬉しそうに笑った。


「また、一緒に出かけようね」


「……はい」


「じゃあ、また月曜日に」


「さようなら」


柚葉は、反対方向のホームに向かっていった。


真白は、その後ろ姿を見送った。


クリーム色のワンピースが、人混みに消えていく。


——今日は、夢みたいだった。


柚葉と二人きりで、買い物をして、カフェでいろんな話をして。普通のことなのに、特別な一日だった。


真白は、買い物袋を持ち直した。


白いレースのリボン。「真白ちゃんらしい」と柚葉が言ってくれた。


——大事にしよう。


電車が来て、真白は乗り込んだ。


窓の外を流れる景色を見ながら、柚葉の言葉を思い返していた。


「花は、見てくれる人がいると、嬉しそうに咲くんだよ」


——私も、そうかもしれない。


柚葉先輩に見てもらえると、嬉しくなる。ちゃんとしようって、思える。


窓の外の空が、夕焼けに染まり始めていた。


---


翌週の月曜日。温室で。


「買い出し、どうだった?」


凛が聞いた。


「ばっちりだよ。いろいろ揃えてきた」


柚葉が、買ってきたものを見せた。花材のカタログ、リボン、包装紙、造花のパーツ。


「おー、いい感じじゃん」


「真白ちゃんも、いろいろ選んでくれたんだよ。リボンとか、すごくいいの見つけてくれて」


「そうなんだ。真白ちゃん、センスいいね」


「……別に」


真白は、素っ気なく答えた。


小春が、真白の隣に来た。


「真白、土曜日どうだった?」


小声で聞いてくる。


「……普通」


「嘘。顔、赤いよ」


「……赤くない」


小春が、にやにやしている。真白は温室の棚に視線を逃がした。ガーベラの鉢が整然と並んでいる。花は何も言わないから、こういう時に助かる。


「赤い」


「……うるさい」


真白は、小春の方を向かずに答えた。


小春は、くすっと笑った。


「よかったね」


「……別に」


でも、真白の口元は、少しだけ緩んでいた。


「あ、そうだ。ほのか、すごく大きくなったんだよ」


「……ほのか?」


「お祭りの金魚。詩先輩が名前つけてくれた子」


「ああ……」


「毎朝、餌あげると寄ってくるの。かわいくて」


小春は嬉しそうに笑った。真白は、小春の横顔をちらりと見た。金魚の話をしているのに、詩先輩の名前を出す時だけ、声が少し弾んでいる。


——わかりやすいなあ。


---


その日の帰り道。


詩と凛は、同じ方向だった。


並木道を歩く。まだ緑の葉が、夕日の光を透かしている。


「凛」


「なに」


「最近、何か考えてる?」


凛は、一瞬だけ足を止めた。


「……別に。何も」


「そう」


詩は、それ以上聞かなかった。


二人で、しばらく無言で歩いた。


落ち葉を踏む音だけが、規則的に響く。


「……柚葉と真白ちゃん、買い出し楽しそうだったね」


詩が、ぽつりと言った。


凛は、前を向いたまま答えた。


「そうだね。いい物揃えてきたし」


「うん」


また、沈黙。


凛は、自分でもわかっていた。柚葉と真白が二人で出かけたと聞いた時、胸がざわついたこと。でも、それを表に出すわけにはいかない。


「凛は、優しいね」


「は? 何急に」


「何でもない」


詩の目は、穏やかだった。でも、全部わかっているような気がした。


——詩には、隠せないんだよな。


凛は、心の中で呟いた。あの子は、人の気持ちに敏感すぎる。


「何かあったら、言ってね」


「……別に、何もないって」


「うん」


凛は歩き続けた。葉が一枚、肩に落ちた。


「……詩」


「なに」


「ありがとう」


「どういたしまして」


詩は微笑んだ。凛は、照れくさそうに視線を逸らした。


---


秋風が、温室のガラスを揺らした。


季節は確実に進んでいる。空が高くなり、日が短くなり、風が冷たくなっていく。


でも、温室の中は温かい。ガラス越しの日差しが、花たちを柔らかく照らしている。


文化祭まで、あと二ヶ月。


みんなで頑張る日々が、始まろうとしていた。


---


柚葉の園芸ノート 9月20日(土)晴れ


ひまわりの種が取れそう。花びらが落ちて、花の中心が

ぎっしり詰まった種の円盤になっていた。

指で押すと、硬くて、ちゃんと実が入ってる感触。

この種を蒔いたら、来年もまた咲いてくれる。

命のリレー、って小春ちゃんが言ってた。いい言葉。


今週やること:

・ひまわりの種取り(しっかり乾燥させてから)

・マリーゴールドの花がら摘み

・スイートピーの種まき準備(土を深めに耕す)

・コスモスの支柱チェック(秋の台風に備えて)


文化祭でフラワーアレンジメント体験をやることになった。

今日は真白ちゃんと二人で買い出しに行った。

白いレースのリボンを見つけてくれて、すごくきれい。


カフェでいろいろ話した。おばあちゃんの庭の話も。

真白ちゃん、最初は緊張してたけど、

だんだん言葉が増えて、嬉しかった。


……秋の空気って、なんだか特別。

夏とは違う、静かなあたたかさがある。

帰り道、コオロギの声がした。もう秋なんだな。


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