第5章 夏への扉
六月の雨は優しい
花を濡らすためじゃなく
花を咲かせるために降る
待つことは
信じること
雨上がりの空を
一緒に見たいと思う
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六月。梅雨の季節。
温室の紫陽花が、見頃を迎えていた。青、紫、ピンク。色とりどりの花が、雨に濡れて輝いている。
「きれい……」
小春は、紫陽花を見つめながら呟いた。
「紫陽花、好き?」
柚葉が、隣に立った。
「はい。梅雨は憂鬱だけど、紫陽花があるから好きです」
「わかる。私も、そう思う」
柚葉は、紫陽花の花びらをそっと触った。
「紫陽花の花言葉、知ってる?」
「えーと……『移り気』とか?」
「そうそう。でも、色によって違うの」
「そうなんですか?」
「うん。青は『辛抱強い愛情』、ピンクは『元気な女性』、白は『寛容』」
「へえ……」
小春は、青い紫陽花を見た。辛抱強い愛情。なんだか、素敵だ。
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温室に戻ると、凛と詩が何か相談していた。
「だから、サプライズにしたいんだって」
「わかってるよ。でも、何を用意する?」
「それを相談してるんじゃん」
「何の話ですか?」
小春が聞くと、凛と詩は顔を見合わせた。
「ああ、ちょうどよかった。小春ちゃんと真白ちゃんにも相談したかったの」
「相談?」
「柚葉の誕生日。来週の土曜日なんだけど」
「え、そうなんですか!」
「そう。だから、サプライズでお祝いしようと思って」
小春は、わくわくした。サプライズパーティー。楽しそうだ。
「わたしも、手伝います!」
「ありがと。真白ちゃんも、いい?」
「……はい」
真白も、静かに頷いた。
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柚葉が温室にいない間に、4人で相談した。
「何を用意する?」
「ケーキは、あたしが作るよ」
凛が言った。その声には、いつもより少しだけ力が入っていた。
「本当? ありがとう」
「柚葉の好きな味、知ってるし」
凛は、何でもないことのように言った。でも、詩は気づいていた。凛が柚葉のことを話す時、その目が少しだけ柔らかくなることを。
「何味が好きなんですか?」
「いちご。シンプルなショートケーキが好きなの」
「へえ」
詩が、メモを取りながら言った。
「じゃあ、プレゼントはどうする?」
「何がいいかな……」
「柚葉の好きなもの……花?」
「花は、自分で育ててるからなあ」
「園芸用品とか?」
「それはありかも」
小春は、考えた。柚葉が喜ぶもの。
「あの、みんなで寄せ書きとか、どうですか?」
「寄せ書き?」
「はい。メッセージカードを集めて、アルバムみたいにするの」
「いいね、それ」
凛が賛成した。
「物だけじゃなくて、気持ちも伝えられるし」
「じゃあ、それも準備しよう」
「はい!」
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「真白ちゃんは、何かアイデアある?」
詩が聞いた。
真白は、少し考えてから言った。
「……花束は、どうですか」
「花束?」
「柚葉先輩の、好きな花で作った花束。自分で育てるのとは、また違うかなって」
「ああ、なるほど」
「いいと思う。柚葉、もらう花も好きだから」
凛が頷いた。
「じゃあ、花束も用意しよう。何の花がいい?」
「柚葉先輩の好きな花……スイートピーって言ってませんでしたっけ?」
小春が言った。
「スイートピーか……でも、春の花だから、今の時期は難しいかも」
詩が首を傾げた。
「そっか……じゃあ、何がいいかな」
少し沈黙があった。
「……カスミソウは、どうですか」
真白が、静かに言った。
「カスミソウ?」
「白くて、控えめで……柚葉先輩に、似合うと思います」
真白の声は、いつもより少しだけ小さかった。
「いいね。カスミソウ、可愛いよね」
凛が頷いた。小春は、真白がカスミソウを提案したことに、少しだけ驚いた。真白の好きな花だったはずだ。
「あと、何か色のある花も混ぜよう」
「ピンクのバラとか?」
「うん、それでいこう」
計画が、だんだん形になってきた。
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当日まで、準備は秘密裏に進められた。
小春は、メッセージカードを書いた。何を書こうか、すごく悩んだ。
「柚葉先輩へ。いつも優しくしてくれて、ありがとうございます。園芸部に入ってよかったです。これからもよろしくお願いします。小春より」
シンプルだけど、気持ちを込めた。
真白も、カードを書いていた。何を書いたのかは、見せてくれなかった。
「真白、何書いたの?」
「……秘密」
「えー、教えてよ」
「だめ」
真白は、カードをそっと隠した。本当は、何度も書き直した。「先輩が好きです」という言葉を、何度書いて、何度消しただろう。結局、当たり障りのないことしか書けなかった。
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土曜日。柚葉の誕生日当日。
「今日は、温室でパーティーをしよう」という名目で、柚葉を呼び出した。
柚葉が温室に入ってきた瞬間——
「お誕生日おめでとう!」
4人が、声を揃えて叫んだ。
クラッカーが鳴って、紙吹雪が舞った。
「え、え?」
柚葉は、目を丸くした。
「サプライズ、成功」
凛が、にやっと笑った。
「みんな……これ、私のために?」
「当たり前じゃん。誕生日なんだから」
温室のテーブルには、凛が作ったケーキが置いてあった。いちごのショートケーキ。ろうそくが、17本立っている。
「凛、これ、作ったの?」
「まあね」
「すごい……きれい」
柚葉の目が、潤んでいた。
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「ろうそく、吹き消して」
「うん」
柚葉は、目を閉じて、願い事をした。それから、ふっとろうそくを吹き消した。
拍手が起こった。
「何、願ったの?」
「秘密。言ったら叶わないでしょ」
「ずるい」
「ずるくないよ」
柚葉は、笑った。
ケーキを切り分けて、みんなで食べた。
「おいしい……凛、ありがとう」
「どういたしまして」
凛は、照れくさそうに目を逸らした。でも、その頬は少しだけ赤かった。
——柚葉が喜んでくれた。それだけで、十分だ。
凛は、そっと柚葉の横顔を見た。ケーキを食べて、幸せそうに笑っている。その笑顔を見られるだけで、胸がいっぱいになる。
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「これ、プレゼント」
詩が、花束を差し出した。
ピンクのバラと、カスミソウの花束。リボンで可愛く結んである。
「わあ……きれい」
「みんなで選んだの」
「ありがとう。すごく嬉しい」
柚葉は、花束を大切そうに抱えた。
「あと、これも」
小春が、アルバムを渡した。
「開けていい?」
「はい」
柚葉は、アルバムを開いた。中には、4人のメッセージカードが貼ってある。
柚葉は、一つずつ、ゆっくり読んだ。
「……みんな、ありがとう」
声が、少し震えていた。
「泣かないでよ、柚葉」
「泣いてないよ。……ちょっとだけ」
柚葉は、目元を拭った。
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真白は、柚葉の様子を見ていた。
柚葉が笑っている。柚葉が泣いている。柚葉が、みんなに囲まれている。
胸が、温かくなった。
——柚葉先輩、喜んでくれた。
真白は、自分が書いたメッセージを思い出した。
「柚葉先輩へ。いつも優しくしてくれて、ありがとうございます。先輩のおかげで、毎日が楽しいです。……これからも、よろしくお願いします。真白」
本当は、もっと書きたいことがあった。でも、言葉にできなかった。
——先輩が好きです。
そんなこと、書けるわけがない。
真白は、小さくため息をついた。
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「真白ちゃん、どうしたの?」
柚葉が、真白の隣に来た。
「……何でもないです」
「そう? 元気なさそうに見えたから」
「大丈夫です」
「ならいいけど」
柚葉は、真白の頭をそっと撫でた。
「メッセージ、ありがとうね。すごく嬉しかった」
「……よかったです」
「真白ちゃんの字、きれいだね。丁寧で」
「……ありがとうございます」
心臓が、速くなった。柚葉に褒められると、どうしていいかわからなくなる。
——好き。
その気持ちが、胸の中でどんどん大きくなっていく。
でも、言えない。言ったら、この関係が壊れてしまうかもしれない。
真白は、ただ黙って、柚葉の笑顔を見ていた。
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パーティーが終わり、みんなで後片付けをした。
「今日は、本当にありがとう」
柚葉が、みんなに言った。
「最高の誕生日だった」
「よかった」
凛が、嬉しそうに言った。
「来年も、やろうね」
「うん。楽しみにしてる」
温室を出ると、雨が上がっていた。夕焼けが、空を染めている。
「虹、出るかな」
小春が、空を見上げた。
「出るといいね」
詩が、隣に立った。
「詩先輩、今日のパーティー、楽しかったです」
「うん、私も」
「柚葉先輩、すごく喜んでましたね」
「そうだね。企画した甲斐があった」
詩は、穏やかに微笑んだ。
小春は、その笑顔を見て、また心臓がどきっとした。
——なんだろう、この気持ち。
わからない。でも、嫌じゃない。
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帰り道、真白と二人で歩いた。
「真白、今日どうだった?」
「……楽しかった」
「よかった。真白、柚葉先輩と話してたね」
「……うん」
「何話してたの?」
「……別に、大したことじゃない」
真白は、いつもより言葉が少なかった。
「真白?」
「……なに」
「なんでもない」
小春は、真白の様子が少し気になった。でも、深く聞くのはやめておいた。
夕焼けの中、二人は家路についた。




