第4章 テスト前夜
五月になると、中間テストが近づいてきた。
「やばい、全然わかんない」
小春は、教科書を前に頭を抱えていた。数学の公式が、まったく頭に入ってこない。
「小春、ちゃんと授業聞いてた?」
真白が、呆れたように言った。
「聞いてたよ。聞いてたけど、忘れちゃった」
「それ、聞いてないのと同じ」
「うう……」
小春は、机に突っ伏した。
中学の時から、数学は苦手だった。真白に教えてもらって、なんとか赤点を免れていた。高校でも、同じことになりそうだ。
「真白、教えて……」
「家でね。今は授業中」
「はい……」
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放課後、温室に行くと、先輩たちも勉強の話をしていた。
「中間テスト、来週だよね」
「そうだね。そろそろ勉強しないと」
「凛、大丈夫なの? 去年、数学やばかったじゃん」
「うるさいな。今年はちゃんとやるって」
凛と柚葉のやりとりを聞きながら、小春はため息をついた。
「小春ちゃん、どうしたの?」
詩が聞いた。
「数学が、全然わからなくて……」
「ああ、1年生の数学、最初は難しいよね」
「詩先輩は、得意ですか?」
「得意ってほどじゃないけど、まあまあかな。国語と英語の方が好き」
「いいなあ……」
小春は、また机に突っ伏した。
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「ねえ、勉強会しない?」
柚葉が、唐突に言った。
「勉強会?」
「うん。みんなで集まって、テスト勉強。一人でやるより、はかどるでしょ」
「いいね、それ」
凛が賛成した。
「どこでやる? 温室?」
「温室でもいいけど、机が小さいからなあ」
「じゃあ、誰かの家?」
柚葉が考えた。
「私の家、来る? 両親、週末は仕事でいないし」
「いいの?」
「うん。妹はいるけど、自分の部屋にいるだろうし」
「じゃあ、土曜日。柚葉の家で勉強会」
「決まりだね」
小春は、少しだけ元気になった。みんなで勉強するなら、頑張れるかもしれない。
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土曜日。
小春と真白は、柚葉の家を訪ねた。
住宅街の中にある、普通の一軒家。玄関には、プランターが並んでいて、花が咲いている。
「柚葉先輩らしい」
「だね」
チャイムを押すと、柚葉が出てきた。
「いらっしゃい。上がって」
リビングに通された。広くて、明るい部屋だ。テーブルの上には、お菓子と飲み物が用意してあった。
「凛と詩は、もう来てるよ」
「おじゃまします」
凛と詩は、すでにテーブルに座っていた。教科書とノートを広げている。
「遅いよ、二人とも」
「ごめんなさい、道に迷っちゃって」
「小春が迷ったの」
真白が、冷静に訂正した。
「真白!」
「事実でしょ」
凛がくすくす笑った。
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勉強会が始まった。
それぞれ、苦手な科目の勉強をする。小春は数学、凛も数学、詩は物理、柚葉は英語。真白は……特に困っていなさそうだ。
「真白ちゃん、何やってるの?」
柚葉が聞いた。
「復習と……少し先の予習を」
「予習? もう?」
「はい。1年生の範囲は一通り終わったので、2年生の教科書を借りて」
「すごいね。真白ちゃん、勉強得意なの?」
「……得意というか、先に進めておくと安心するので」
真白の謙遜に、小春が口を挟んだ。
「真白、中学の時、学年10位以内だったよ」
「小春、それは言わなくていい」
「でも、本当のことだし」
「……」
真白は、少し恥ずかしそうに目を逸らした。
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「真白ちゃん、ちょっと教えてくれない?」
凛が、数学の教科書を持って近づいてきた。
「この問題、どうやって解くの?」
「……どれですか」
真白は、凛の教科書を覗き込んだ。二次関数の問題だ。
「ここは、まず公式を使って……」
真白は、丁寧に説明し始めた。凛は、真剣にメモを取っている。
「なるほど……そういうことか」
「わかりましたか?」
「うん、ありがと。真白ちゃん、教えるの上手だね」
「……そうですか」
「うん。柚葉より全然わかりやすい」
「ちょっと、凛」
柚葉が、ぷくっと頬を膨らませた。
「だって、柚葉の説明、たまに飛躍するじゃん」
「そんなことない……と思いたい」
みんなが笑った。
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「小春ちゃんも、真白ちゃんに教えてもらえば?」
詩が言った。
「あ、いつも教えてもらってます」
「そうなの?」
「はい。中学の時から、真白に助けてもらって」
「真白ちゃん、いい友達だね」
「……当然のことです」
真白は、素っ気なく言った。でも、その耳は少し赤い。
「じゃあ、私も教えてもらおうかな」
詩が、物理の教科書を持ってきた。
「この問題、ちょっとわからなくて」
「……見せてください」
真白は、詩の教科書を覗き込んだ。
小春は、その様子を見ていた。真白が、先輩たちに頼られている。なんだか、嬉しい。
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「休憩にしよっか」
柚葉が、時計を見て言った。もう、2時間が経っていた。
「疲れたー」
小春は、背伸びをした。
「お菓子、食べよう」
凛が、テーブルの上のお菓子を指差した。クッキーとチョコレート、あとフルーツ。
「凛先輩が作ったんですか?」
「クッキーだけね。あとは柚葉が用意した」
「ありがとうございます」
みんなで、お菓子を食べながら休憩した。
「柚葉先輩の家、きれいですね」
「ありがとう。母がきれい好きで」
「お花もいっぱいあるし」
「うん。家族みんな、花が好きなの」
「素敵ですね」
小春は、窓の外を見た。庭にも、花壇がある。いろんな花が咲いている。
「妹さんも、花好きなんですか?」
「んー、妹はそこまでじゃないかな。どっちかというと、絵を描くのが好き」
「絵?」
「うん。美術部に入りたいって言ってる」
「へえ」
「あ、紹介しようか? 今、部屋にいると思う」
「いいんですか?」
「うん、ちょっと待ってて」
柚葉は、階段を上がっていった。
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しばらくして、柚葉が妹を連れて戻ってきた。
「妹の、ひなた」
「こんにちは」
小柄な女の子だった。柚葉によく似ているが、髪はもう少し短い。中学生だろう。
「七瀬ひなたです。姉がお世話になってます」
「こちらこそ」
「ひなた、園芸部の後輩たちだよ」
「ふーん」
ひなたは、小春と真白をじっと見た。
「かわいい先輩たちだね」
「え?」
「お姉ちゃんの部活、いい人ばっかりなんだ」
「そうだよ。いい子たちだから」
柚葉が、にこにこしながら言った。
「ひなた、高校生になったら、園芸部入る?」
「えー、私は美術部がいい」
「そっか、残念」
「でも、遊びに行くかも」
「いつでもおいで」
ひなたは、少しだけ笑った。それから、また自分の部屋に戻っていった。
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「かわいい妹さんですね」
小春が言うと、柚葉は嬉しそうに頷いた。
「でしょ。ちょっと生意気だけど、いい子なの」
「仲いいんですね」
「うん。年が離れてるから、喧嘩とかもあんまりしないし」
凛が、ぽつりと言った。
「いいな、兄弟いて」
「凛は一人っ子だもんね」
「うん。寂しくはないけど、たまに羨ましいと思う」
「私も一人っ子です」
詩が言った。
「真白ちゃんは?」
「……姉がいます。でも、一人暮らしをしているので、普段は父と二人です」
「そうなんだ」
「小春ちゃんは?」
「わたしは、兄がいます」
「へえ、お兄さん」
「はい。大学生で、一人暮らししてて、今は家にいないですけど」
「そうなんだ」
「たまに帰ってくると、うるさいです」
みんなが笑った。
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休憩が終わって、また勉強に戻った。
小春は、真白に数学を教えてもらっていた。
「ここは、こう計算して……」
「うん、うん」
「わかった?」
「わかった……と思う」
「じゃあ、この問題、解いてみて」
真白が、別の問題を指差した。小春は、ノートに式を書き始めた。
「えーと、まずここを……」
真剣に解いていると、詩が隣に座った。
「頑張ってるね」
「あ、詩先輩」
「数学、苦手なの?」
「はい……昔から」
「わかる。私も、物理が苦手で」
「詩先輩でも、苦手なものあるんですね」
「あるよ。得意なものと苦手なもの、誰にでもあるでしょ」
詩は、小春のノートを覗き込んだ。
「字、かわいいね」
「え?」
「小春ちゃんの字。丸くて、かわいい」
「そ、そうですか?」
小春は、急に恥ずかしくなった。字を褒められるなんて、初めてだ。
「うん。読みやすいし、いいと思う」
「あ、ありがとうございます……」
詩は、にっこり笑った。その笑顔を見て、小春の心臓が、少しだけ跳ねた。
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夕方になって、勉強会はお開きになった。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。また、やろうね」
柚葉が、玄関まで見送ってくれた。
「テスト、頑張ろうね」
「はい!」
小春と真白は、柚葉の家を後にした。
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帰り道、真白が言った。
「小春、ちゃんと勉強できた?」
「うん。真白のおかげで、少しわかるようになった」
「ならよかった」
「ありがとね、真白」
「……別に」
真白は、いつものように素っ気なく答えた。
「詩先輩、優しいね」
小春が言うと、真白は少し首を傾げた。
「そう?」
「うん。字、褒めてくれた」
「ふーん」
「なんか、嬉しかった」
小春は、自分でもよくわからない気持ちを感じていた。詩に褒められたことが、妙に心に残っている。
「詩先輩、物静かだけど、話しやすいよね」
「……そうかもね」
真白は、小さく頷いた。
夕焼けの道を、二人で歩いた。
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翌週、中間テストが行われた。
結果は――小春は、数学で平均点を取ることができた。赤点回避だ。
「やったー!」
「よかったね」
真白は、相変わらず上位の成績だった。
温室で、結果を報告すると、みんなが喜んでくれた。
「小春ちゃん、頑張ったね」
「はい。真白と、みんなのおかげです」
「勉強会、やった甲斐があったね」
柚葉が、嬉しそうに言った。
「また、期末の前にもやろうね」
「はい!」
小春は、元気よく返事をした。
温室の中は、いつもの穏やかな空気に満ちていた。




