第3章 雨の日の温室
種を蒔く
土に託した
小さな夢
見えなくても
ちゃんとそこにある
いつか芽を出す日を
静かに待っている
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四月の終わり、雨の日が続いた。
「今日も雨かあ」
小春は、教室の窓から空を見上げた。どんよりとした灰色の雲。傘を持ってきてよかった。
「外の作業、できないね」
隣の席で、真白が言った。
「そうだね。でも、温室はあるから」
「そうだけど」
真白は、窓の外を見た。
「雨の日の温室、どんな感じだろう」
「行ってみればわかるよ」
放課後のチャイムが鳴った。小春は、教科書をカバンにしまった。
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温室に着くと、ガラスの天井を雨粒が叩いていた。
ぱらぱら、ぱらぱら。規則的な音が、温室の中に響いている。
「いらっしゃい」
柚葉が、作業台の前に座っていた。手元には、小さな鉢がいくつか並んでいる。
「今日は、種まきをしようと思って」
「種まき?」
「うん。夏に咲く花の種。今蒔いておくと、ちょうどいいの」
小春は、柚葉の隣に座った。真白も、反対側に座る。
「何の花ですか?」
「ひまわり、マリーゴールド、あとコスモス」
柚葉は、種の袋を見せてくれた。
「ひまわり、かわいい」
「小春ちゃん、ひまわりっぽいね」
「そうですか?」
「うん。明るくて、元気で」
小春は、ちょっと照れた。
「真白ちゃんは、何か好きな花ある?」
「……特に」
「何でもいいよ。なんとなく好き、でも」
真白は、少し考えた。
「……かすみ草」
「かすみ草?」
「白くて、小さくて、控えめなところが好き」
「へえ。真白ちゃんらしいかも」
柚葉は微笑んだ。真白は、少しだけ目を逸らした。
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種まきの作業を始めた。
小さな鉢に土を入れて、指で穴を作って、種を落として、土をかぶせる。
「こうですか?」
「うん、そんな感じ。種は深く埋めすぎないように」
「はい」
小春は、丁寧に種を蒔いた。小さな種。ここから芽が出て、花が咲く。不思議だ。
「種って、すごいですよね」
「すごい?」
「こんなに小さいのに、ちゃんと花になる」
「そうだね。生命の神秘ってやつかな」
柚葉は、自分の鉢に水をあげながら言った。
「私、それが好きなんだ。種を蒔いて、芽が出て、花が咲いて。その過程を見るのが」
「柚葉先輩、花が好きなんですね」
「うん。小さい頃から」
「なんでですか?」
「んー……おばあちゃんの影響かな」
柚葉は、少し懐かしそうな顔をした。
「おばあちゃん家に、大きな庭があってね。いつも花がいっぱい咲いてたの」
「素敵ですね」
「うん。おばあちゃん、去年亡くなっちゃったんだけど」
「……そうなんですか」
「でも、花を見ると、おばあちゃんのこと思い出すから。だから、ずっと花を育てていたいなって」
柚葉の声は、穏やかだった。悲しみというより、温かさが滲んでいる。
「いい話ですね」
「そうかな。ありがと」
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凛と詩がやってきた。
「雨、すごいね」
凛が、傘を畳みながら言った。
「うん。外の作業、今日は無理だね」
「だね。何やってるの?」
「種まき」
「ああ、夏の花か」
凛は、作業台の隣に座った。
「手伝う?」
「ありがと。じゃあ、マリーゴールドお願い」
詩は、いつもの文庫本を持っていた。でも、今日は読まずに、種まきの様子を見ている。
「詩先輩、今日は本、読まないんですか?」
小春が聞くと、詩は少し微笑んだ。
「たまにはね。みんなの話を聞いてる方が、面白い時もあるから」
「そうなんですか」
「うん。小説よりも、リアルな会話の方が面白いこともある」
「詩先輩、詩を書くんですよね」
「ああ、柚葉から聞いた?」
「はい。すごいなって思って」
「すごくないよ。趣味だから」
詩は謙遜したが、少し嬉しそうだった。
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「ねえ、花言葉って知ってる?」
詩が、唐突に言った。
「花言葉?」
「花に、それぞれ意味があるの。知ってた?」
「聞いたことはあります」
「例えば、マリーゴールドは『変わらぬ愛』。コスモスは『乙女の純真』」
「詩先輩、詳しいですね」
「詩を書くから、調べることが多くて」
詩は、窓の外を見た。雨は、まだ降り続いている。
「花言葉って、誰が決めたんだろうね」
「確かに、気になります」
「昔の人が、花を見て感じたことを言葉にしたんだと思う。ロマンチックだよね」
小春は、手元の種を見た。ひまわりの種。夏になったら、大きな花が咲くのかな。
「わたしも、花言葉、覚えたいな」
「教えてあげようか」
「本当ですか?」
「うん。詩を書く参考に、いろいろ調べてあるから」
詩は微笑んだ。その笑顔が、なんだか温かくて、小春は少しドキッとした。
詩は、小春を見ていた。
——この子、本当に素直だな。
目がきらきらしている。花言葉に興味を持ってくれたのが、なんだか嬉しい。
——もっと、いろいろ教えてあげたいな。
そう思った。
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「凛先輩は、好きな花ありますか?」
小春は、凛にも聞いてみた。
「あたし? んー……」
凛は、手を止めて考えた。
「ひまわり、かな」
「ひまわり?」
「うん。まっすぐで、元気で、好きなんだよね」
「花言葉、何ですか?」
「えーと、確か『憧れ』とか……」
「『あなただけを見つめる』もあるよ」
詩が、さらっと言った。
「あなただけを見つめる!」
小春が声を上げると、凛は慌てた。
「べ、別にそういう意味で選んだわけじゃないから! ただ、見た目が好きなだけで!」
「凛、顔赤いよ」
柚葉が、くすくす笑った。
「うるさいな」
凛は、ぶっきらぼうに言って、種まきに集中し始めた。
小春は、凛と柚葉のやりとりを見ていた。なんだか、微笑ましい。
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作業が終わると、いつものようにお茶の時間になった。
雨音を聞きながら、5人でテーブルを囲む。
「雨の日の温室も、いいですね」
小春が言うと、柚葉が頷いた。
「そうだね。静かで、落ち着く」
「雨音が、心地いいです」
「わかる。私も、雨の日の温室、好きなんだ」
凛が、クッキーを出してきた。今日は、レモン味だ。
「雨の日用に、さっぱりしたの作ってみた」
「おいしい!」
小春は、一口食べて声を上げた。
「レモンの香りがする」
「レモンの皮、擦り下ろして入れてあるの」
「すごい、本格的」
「そんなでもないって」
凛は照れくさそうに言ったが、満更でもなさそうだ。
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「ねえ、みんな」
柚葉が、紅茶を飲みながら言った。
「将来、何になりたいとか、ある?」
「急ですね」
「さっき、おばあちゃんの話をしてて、なんとなく気になって」
凛が、最初に答えた。
「あたしは、調理師になりたい」
「お菓子屋さん?」
「んー、まだ決めてないけど。料理に関わる仕事がしたい」
「凛先輩なら、なれそうですね」
「どうだろ。まあ、頑張るよ」
詩は、少し考えてから答えた。
「私は、文学に関わる仕事かな。編集者とか、ライターとか」
「詩を書く仕事?」
「それは趣味のままでいいかな。仕事にすると、好きじゃなくなりそうだから」
「なるほど」
柚葉が、自分の番だと言うように話し始めた。
「私は、農学部に行きたいなって思ってる」
「農学部?」
「うん。植物のこと、もっと勉強したくて」
「柚葉先輩らしいですね」
「そうかな。まあ、花に関わっていたいなって」
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「小春ちゃんは?」
柚葉に聞かれて、小春は困った。
「わたしは……まだ、決まってないです」
「そうなんだ」
「将来の夢とか、考えたことなくて」
「焦らなくていいよ。まだ1年生だし」
「でも、みんなちゃんと考えてて、すごいなって」
「そんなことないよ。私だって、中学の時は全然わからなかったし」
柚葉は、優しく言った。
「いろんなことを経験していく中で、見つかるものだと思うよ」
「そうですか……」
「うん。だから、今は好きなことをやればいいんじゃないかな」
小春は、少しだけ気持ちが軽くなった。
「真白ちゃんは?」
「……栄養士に、なりたいと思ってます」
真白が、ぽつりと言った。
「栄養士?」
「はい。母が……入院してた頃から、父と一緒にごはんを作ってて」
真白の声は、静かだった。小春は、真白の母親のことを思い出した。真白が小学生の時に、亡くなったのだ。
「それが楽しくて、もっと知りたいなって」
「そっか。素敵な夢だね」
柚葉が、真白を見て言った。
「真白ちゃんなら、いい栄養士さんになれると思う」
「……ありがとうございます」
真白は、小さく頭を下げた。
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雨は、いつの間にか小降りになっていた。
「そろそろ帰ろっか」
柚葉が言って、みんなが立ち上がった。
温室を出ると、空が少しだけ明るくなっている。雲の切れ間から、夕日が見えた。
「あ、虹」
小春が、空を指差した。
薄い虹が、雲の向こうにかかっている。
「きれい」
「本当だ」
5人で、虹を見上げた。
雨上がりの空。虹。温室。花言葉。将来の夢。
なんだか、特別な一日だった気がする。
「また明日ね」
「はい、また明日」
小春は、真白と一緒に校門へ向かった。
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帰り道、真白が言った。
「小春」
「なに?」
「将来の夢、なくても大丈夫だよ」
「え?」
「小春は、今を楽しんでればいいと思う」
「……ありがとう、真白」
小春は、真白の横顔を見た。真白は、まっすぐ前を見ている。
「真白は、栄養士になりたいんだね」
「……うん」
「知らなかった」
「言ってなかったから」
「いい夢だと思う」
「……ありがと」
真白の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
雨上がりの道を、二人で歩いた。




