第2章 はじめてのお当番
入部してから、一週間が経った。
小春は毎日、放課後になるのが楽しみだった。授業が終わると、真白と一緒に温室へ向かう。それが、日課になっていた。
「小春、また走ってる」
「だって、早く行きたいんだもん」
「転ぶよ」
「転ばないってば」
言った直後、小春は廊下の角で足をもつれさせた。
「わっ」
「ほら」
真白が、小春の腕を掴んで支えた。
「……ありがと」
「どういたしまして」
真白は、いつもこうだ。小春がドジをしても、呆れながらも助けてくれる。中学からずっと、そうだった。
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温室に着くと、先輩たちはすでにいた。
「いらっしゃい」
柚葉が、穏やかに微笑んだ。
「今日は、水やりのやり方を教えるね」
「はい!」
小春は元気よく返事をした。
園芸部の活動は、主に花壇と温室の管理だ。水やり、草むしり、植え替え、肥料やり。地味な作業が多いけれど、小春は苦にならなかった。花に触れているだけで、楽しい。
「じゃあ、外に出よっか」
柚葉に連れられて、花壇へ向かった。
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「水やりは、朝と夕方がいいんだよ」
柚葉が、じょうろを手に取りながら説明した。
「昼間にあげると、水が温まって根を傷めちゃうから」
「そうなんですか」
「うん。あと、葉っぱにかけるんじゃなくて、根元にあげるのがポイント」
柚葉は、実際にやって見せてくれた。じょうろの先を花の根元に近づけて、ゆっくりと水を注ぐ。
「こんな感じ。やってみる?」
「はい!」
小春は、じょうろを受け取った。
柚葉の真似をして、花の根元に水をあげる。
「そうそう、上手」
「本当ですか?」
「うん。筋がいいね」
柚葉に褒められて、小春は嬉しくなった。
「真白ちゃんもやってみる?」
「……はい」
真白も、じょうろを受け取った。小春と同じように、丁寧に水をあげていく。
「真白ちゃん、すごく丁寧だね」
「……普通です」
「ううん、几帳面。いいことだよ」
真白は、少しだけ頬を赤くした。
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水やりを続けていると、凛がやってきた。
「どう? 後輩たち、ちゃんとやってる?」
「うん。二人とも上手だよ」
「そりゃよかった」
凛は、腕まくりをしながら言った。
「じゃあ、あたしは草むしりやるわ。柚葉、温室の方、お願い」
「了解」
凛は花壇の端にしゃがみ込んで、雑草を抜き始めた。手慣れた動きだ。
「凛先輩、手際いいですね」
「まあ、2年やってるからね」
「2年……中学からですか?」
「そう。柚葉と一緒に入ったの」
「柚葉先輩と、中学から一緒なんですね」
「うん。幼馴染……ってほどじゃないけど、中学で同じクラスになって、一緒に園芸部入って」
凛は、草を抜きながら続けた。
「そのまま、同じ高校に来た。腐れ縁ってやつ」
「仲いいんですね」
「……まあ、そうかもね」
凛の声が、少しだけ柔らかくなった気がした。
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水やりが終わると、温室に戻った。
詩がテーブルでお茶の準備をしていた。
「お疲れさま。紅茶、淹れたよ」
「ありがとうございます」
5人で、テーブルを囲んだ。
凛が、紙袋を取り出した。
「はい、これ。昨日焼いたクッキー」
「また作ったんですか?」
「暇だったから」
小春は、クッキーを一つ取った。今日のは、チョコチップ入りだ。
「おいしい!」
「よかった」
「凛先輩、お菓子作り、得意なんですね」
「趣味だよ。作るのが好きなだけ」
「でも、こんなにおいしいの作れるの、すごいです」
凛は、照れくさそうに目を逸らした。
「……大げさだって」
真白も、クッキーを食べていた。無言だが、二つ目に手を伸ばしている。
「真白ちゃんも気に入った?」
「……おいしいです」
「ありがと」
凛は、少しだけ嬉しそうだった。
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「ねえ、小春ちゃん」
詩が、紅茶のカップを持ちながら言った。
「中学では、何か部活やってた?」
「いえ、帰宅部でした」
「そうなんだ。じゃあ、部活は初めて?」
「はい。だから、ちょっとドキドキしてます」
「大丈夫だよ。うちの部、ゆるいから」
柚葉が笑った。
「厳しいルールとかないし、自分のペースでやれればいいから」
「そうなんですか?」
「うん。花を枯らさないことだけ気をつけてくれれば」
「それは大事ですね」
小春は笑った。
「真白ちゃんは? 中学で何かやってた?」
詩が聞いた。
「……帰宅部です。小春と同じで」
「二人とも、仲いいんだね」
「中学からの友達なんです」
小春が答えた。
「真白がいなかったら、わたし、高校でも一人でお弁当食べてたかも」
「そんなことない」
真白が、ぼそっと言った。
「小春は、すぐ友達できるタイプでしょ」
「えー、そうかなあ」
「そうだよ」
真白の言葉は素っ気ないが、小春にはわかる。褒めてくれているのだ。
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「そういえば」
柚葉が、思い出したように言った。
「来週から、当番制にしようと思ってるんだ」
「当番制?」
「うん。毎日、誰か一人が水やりを担当するの。朝練の時間に」
「朝練、あるんですか?」
「っていうか、朝の水やり。授業前に、ちょっとだけ」
「なるほど」
「小春ちゃんと真白ちゃんも、慣れてきたら入ってもらおうと思って」
「はい、やります!」
小春は即答した。
「真白は?」
「……やる」
「よかった。じゃあ、来週から五人で回そう」
柚葉は嬉しそうに言った。
「月曜は私、火曜は凛、水曜は詩、木曜は小春ちゃん、金曜は真白ちゃん。これでいい?」
「はい!」
小春は、また即答した。
木曜日。自分の当番の日。なんだか、特別な気分になった。
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帰り道、真白と並んで歩いた。
「真白、朝の当番、大丈夫?」
「何が?」
「早起き、苦手じゃなかった?」
「……まあ、大丈夫」
「本当?」
「小春に言われたくない」
「えー、わたし、最近ちゃんと起きてるよ」
「入学してから一週間で、二回遅刻しそうになったじゃん」
「あれは、たまたま……」
真白は、小さくため息をついた。
「木曜、起こしてあげようか」
「え、いいの?」
「どうせ、同じ電車だし」
「ありがとう、真白!」
小春は、真白の腕に抱きついた。
「ちょ、離れて」
「えへへ」
真白は迷惑そうな顔をしたが、振りほどこうとはしなかった。
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温室での日々は、穏やかに過ぎていった。
水やり、草むしり、植え替え。先輩たちに教わりながら、少しずつ覚えていく。
凛のお菓子は、いつもおいしい。詩は、時々面白いことを言う。柚葉は、いつも優しい。
そして、真白は相変わらず無口だが、小春のそばにいてくれる。
「真白」
「なに」
「園芸部、入ってよかったね」
「……まあね」
真白は素っ気なく答えたが、その口元は少しだけ緩んでいた。
四月の風が、温室のガラスを揺らした。




