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陽だまりの庭  作者: はるうた
第二部 花ひらくとき

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18/26

第18章 秋の気配

キンモクセイが咲いた

どこにあるかは見えない

けれど、匂いでわかる


風が吹くたびに

近くなったり、遠くなったり


ずっと前から

ここにあったのかもしれない


---


## 一・コスモスの秋


九月。二学期が始まった。


温室のコスモスが、咲き始めていた。ピンク、白、赤。風が吹くたびに細い茎が揺れて、花びらが踊るように動く。


「咲いた」


遥が、嬉しそうに声を上げた。


夏の間、毎日水をやり続けたコスモス。芽が出て、葉が伸びて、茎が高くなって——ようやく、花が開いた。


「遥ちゃんのおかげだよ」


柚葉が言った。


「夏の間、ずっと面倒見てくれたもんね」


「真白先輩も一緒でした」


遥が、真白を見た。真白は、窓際で水やりの準備をしていた。


「私は、何もしてない」


「してましたよ。水の量とか、日当たりとか、全部教えてくれたじゃないですか」


「……それくらい」


真白は、じょうろに水を入れた。遥が育てたコスモスには触れず、別の棚のマリーゴールドに水をやり始めた。


小春は、コスモスの前でしゃがんだ。


「春に蒔いた種が、こんなにきれいに咲いて」


「感慨深いね」


詩が、小春の隣で言った。


「一緒に育てたものが、花開くのって、嬉しい」


「うん」


二人は、顔を見合わせて笑った。


---


温室の外に出ると、空が高くなっていた。


夏の間ずっと響いていた蝉の声は聞こえなくなって、代わりに秋の虫たちが夕暮れから鳴き始める。校庭の木々の葉が、ほんの少しだけ色づき始めている。


温室に向かう小道の百日紅は、最後の花びらを散らしていた。七月から咲き続けた花が、ようやく休む時が来たのだ。散った花びらが、道のアスファルトにピンクの点を散らしている。


その代わりに——キンモクセイが咲いていた。


小さなオレンジ色の花が、枝いっぱいについている。甘い香りが、秋風に乗って運ばれてくる。


「いい匂い」


小春が、深呼吸した。


「キンモクセイだ」


「秋だね」


詩が呟いた。


「この匂い、好き。どこにいても、秋が来たってわかるから」


小春は、詩の隣を歩きながら、ポケットの中のクラゲのストラップに触れた。夏休みの水族館で買った、お揃いのもの。


「ねえ、詩先輩」


「なに?」


「プラネタリウム、いつ行きましょうか」


「来月、新しいプログラムが始まるって聞いたよ。秋の星座」


「行きたいです」


「じゃあ、十月の最初の日曜日にしよう」


「約束です」


小春は、嬉しくなった。


夏に約束したこと。一つずつ、叶えていく。


---


## 二・ドライフラワー


九月の半ば。文化祭の企画会議。


温室に六人が集まった。テーブルの上に、柚葉が用意した資料が広げてある。


「今年の文化祭、どうしようか」


柚葉が言った。


「去年のフラワーアレンジメント体験、評判よかったよね」


「うん。でも、今年はもうちょっとパワーアップしたい」


凛が腕を組んだ。


「何か、新しいことを」


「たとえば?」


「ドライフラワーとか、作れないかな」


凛が言った。


「ドライフラワー?」


「うん。日持ちするし、インテリアにもなる。お客さんが家に持ち帰って、ずっと飾れるやつ」


「いいね。それ、いい」


柚葉が目を輝かせた。


「ドライフラワー、どうやって作るんですか?」


遥が聞いた。メモ帳を開いて、ペンを構えている。


「いろいろ方法があるんだけど、一番簡単なのは、逆さに吊るして乾燥させる方法」


柚葉が説明した。


「風通しのいい場所で、一週間から二週間くらい。シリカゲルを使う方法もあるけど、数が必要だから吊るし乾燥がいいと思う」


「どの花がいいんですか?」


「乾燥させても色が残りやすい花がいいね。バラ、カスミソウ、ラベンダー。あと、千日紅とかスターチスも」


遥は、一つ一つ丁寧にメモを取っていた。


「真白先輩、千日紅って温室にありましたよね」


「……うん。奥の棚の」


「使えますか?」


真白は、柚葉を見た。柚葉が頷いた。


「じゃあ、明日から準備始めよう」


---


翌日から、ドライフラワーの制作が始まった。


放課後、六人で温室に集まる。花を選んで、茎を切って、麻紐で束ねて、温室の奥の棚に逆さに吊るす。はさみが茎を断つ小さな音と、麻紐を引く乾いた音が、静かな温室に繰り返し響いた。


「こうやって、一本ずつ吊るすんだよ」


真白が、遥に見せた。


「茎は、斜めに切って。そのほうが水分が抜けやすいから」


「はい」


遥が、真白の手つきを真剣に見ている。


「紐は、きつく結びすぎないで。乾燥すると茎が細くなるから」


「なるほど……」


遥は、真白に教わりながら、一本ずつ丁寧に吊るしていった。


小春と詩は、バラの花びらの状態を確認している。


「これ、まだつぼみが固いかな」


「もう少し開いてからの方がいいかも。七分咲きくらいが一番きれいに仕上がるんだって」


「詩先輩、詳しいですね」


「図書室で調べた」


詩は、小さく笑った。


柚葉と凛は、ラベンダーの束を作っていた。


「ラベンダー、乾いてもいい匂いだよね」


「うん。お客さんに喜ばれると思う」


凛は、ラベンダーの茎を揃えて、きゅっと紐で結んだ。手つきが、正確で丁寧だった。


柚葉は、その手元を見ていた。


凛の指。ケーキを焼く時も、花を束ねる時も、いつも丁寧に動く。


——凛って、こういうところ、すごいな。


ふと、そう思った。


---


一週間が過ぎた。


温室の奥に吊るしたドライフラワーが、少しずつ形を変えていく。


「色、きれいに残ってますね」


遥が、バラのドライフラワーを見上げた。


「うん。いい感じ」


真白が言った。


生花とは違う。鮮やかさは薄れて、代わりに落ち着いた深みが出ている。赤いバラは暗いワインレッドに、ピンクのカスミソウは淡いアンティークピンクに。ラベンダーは、紫のまま。


「きれい」


小春が言った。


「生きてた時とは違うけど、これはこれで」


「うん。違う美しさだよね」


詩が頷いた。


「時間が経って、形が変わっても、美しいものは美しい」


その言葉に、柚葉がちらりと凛を見た。


凛は気づかず、千日紅の乾き具合を確認している。


---


## 三・気づき


十月。


空気が澄んで、空がどこまでも高い。温室の窓から差し込む光も、夏とは違う。柔らかくて、少しだけ寂しい色をしている。


文化祭まで、あと二週間。


ドライフラワーのブーケ作りが始まった。小さなブーケを作って、リボンで結んで、お客さんに選んでもらう。体験コーナーでは、自分で好きな花を組み合わせてもらう。


「リボンの色、何種類くらい用意する?」


凛が聞いた。


「五色くらい? 赤、ピンク、白、紫、水色」


「去年の余りもあるし、足りない分だけ買い足そう」


凛は、テーブルの上でリボンを切り分けていた。


長さを揃えて、一つずつ丁寧に。はさみの刃がリボンを滑るたびに、くるんとカールする。


柚葉は、その姿を見ていた。


——凛。


最近、凛のことを考える時間が増えていた。


夏休みのオープンキャンパス。二人で行った、大学の温室。帰りのバス停で、凛が言った。


「あたしたちって何なんだろう」


あの時、柚葉は答えられなかった。「友達以上に、かどうかは……わからないけど」——嘘だった。わからないんじゃなくて、言えなかった。


凛の存在は、いつも当たり前にそこにあった。中学からずっと、隣にいてくれた。


でも、「当たり前」は、当たり前じゃないのかもしれない。


卒業が近づいてくると、そのことが少しずつわかってくる。


凛がいない温室。凛がいない放課後。凛の焼いたお菓子がない、ティータイム。


想像しただけで、胸がざわつく。


——これは、なんだろう。


柚葉は、リボンを切る凛の手元に目を戻した。


「柚葉」


「え」


「ぼーっとしてるけど、大丈夫?」


「あ、うん。大丈夫」


「手、止まってるよ。ブーケ、あと十個」


「ごめんごめん」


柚葉は、慌てて作業に戻った。


凛が、ちょっと呆れたように、でもどこか嬉しそうに、ため息をついた。


---


## 四・特別


文化祭まであと十日。


放課後、みんなで準備を進めている中、柚葉が凛に声をかけた。


「凛。ちょっと、外で話せる?」


「……うん」


二人は、温室の外に出た。


校舎の裏手。花壇の横のベンチ。キンモクセイの香りが、まだかすかに残っている。十月の風は、もう肌寒い。


「何の話?」


凛が聞いた。


「受験のこと……と、それ以外のこと」


「受験?」


「志望校、決まった?」


「……まあ、一応。桜丘大学の調理科学科」


「そっか。凛らしいね」


「柚葉は、緑風大学の農学部でしょ」


「うん」


しばらく、沈黙が続いた。


風が吹いて、また甘い香りが届いた。


「離れるね」


凛が、小さく言った。


「うん」


「でも、いいんだ。自分のやりたいこと、追いかけないと」


凛の声は、さっぱりしていた。でも、少しだけ震えていた。


「凛」


柚葉は、凛の方に体を向けた。


「夏から、ずっと考えてたことがあるの」


「……なに」


「私たちのこと」


凛の肩が、微かに動いた。


「夏休み、バス停で凛が聞いたよね。『あたしたちって何なんだろう』って」


「……覚えてるんだ」


「忘れるわけないよ」


柚葉は、自分の膝の上で手を組んだ。


「あの時、ちゃんと答えられなかった。ごめんね」


「別に——」


「凛のこと、友達以上に大切に思ってる」


凛が、柚葉を見た。


柚葉は、まっすぐ凛の目を見ていた。


「まだ、名前をつけられないの。この気持ちに」


「……」


「でも、特別なんだ。凛は」


凛の心臓が、どきっとした。


五年間、ずっと聞きたかった言葉。いや、正確には——聞くことを諦めていた言葉。


「凛が焼いてくれるお菓子の味。温室で隣にいる時間。くだらないことで笑い合う放課後。全部、特別」


「柚葉……」


「来年、離れるでしょ。だから余計に、わかったの。凛がいない毎日を想像して、初めて気づいた」


柚葉は、凛の手を握った。


凛の手は、少し冷たかった。十月の風のせいだ。


「あたしも……」


凛は、声が震えそうになるのを堪えた。


「あたしも、柚葉のこと……特別だと思ってる」


——五年間、ずっと。


その言葉は、喉の奥に留めた。今はまだ、言わない。


二人は、しばらく黙った。


手を繋いだまま。


キンモクセイの香りが、二人を包んでいた。


---


「文化祭が終わったら」


柚葉が言った。


「ゆっくり話そう。私たちのこと」


「うん」


「今は、準備に集中しよう」


「そうだね」


凛は、繋いでいた手を、そっと離した。


名残惜しかった。でも、今は——まだ。


二人は、温室に戻った。


ドアを開けると、小春たちの声が聞こえた。


「柚葉先輩、凛先輩、おかえりなさい」


遥が言った。


「ブーケ、もう少しで全部できますよ」


「ありがとう。あとは任せて」


柚葉は、いつもの笑顔でみんなの輪に戻った。


凛は、少しだけ遅れて——自分の頬が熱いことに気づきながら——作業台に向かった。


---


## 五・文化祭


文化祭当日。


十月の終わり、土曜日。朝から秋晴れだった。


温室の前にテーブルを並べて、園芸部のブースを設営した。テーブルクロスは白。その上に、ドライフラワーのブーケと、生花のアレンジメントの見本を並べる。


「いらっしゃいませ。園芸部のフラワーアレンジメント体験です」


小春が、笑顔でお客さんを迎えた。


「今年は、ドライフラワーバージョンもあります。自分で好きな花を選んで、小さなブーケを作れますよ」


「やってみたい!」


女子の二人組が、テーブルの前に座った。


「どのお花にしますか?」


遥が、ドライフラワーの種類を説明した。


「これはバラです。乾燥させると、こういう深い赤になるんです。こっちはカスミソウ。ピンクのままきれいに残ってます」


「遥ちゃん、すごい。全部名前知ってるの?」


「先輩たちに教えてもらいました」


遥は、にっこり笑った。


真白は、ブースの奥で材料の補充をしていた。リボンが足りなくなれば補充し、包装紙がなくなれば新しいものを出す。お客さんが迷っていれば、さりげなく色の組み合わせを提案する。


「この三色だと、まとまりがいいですよ」


「ありがとう。センスいいね」


「……どうも」


柚葉は、真白の様子を少し離れた場所から見ていた。


——真白ちゃん、本当に成長したな。


凛は、体験コーナーの横でお菓子を配っていた。文化祭のために焼いた、小さなクッキー。花の形をしていて、バターの甘い匂いがする。


「これ、園芸部の人が作ったの?」


「はい。うちの凛先輩が」


小春が答えた。


「すごい。おいしい!」


柚葉もひとつ口に入れた。バターの風味と、ほんのりシナモンの香ばしさ。甘さが控えめで、後味がすっと消える。凛らしい味だった。


凛は、お客さんの反応を聞いて、少しだけ嬉しそうな顔をした。


詩は、ブースの隣に小さな看板を出していた。手書きで、花の豆知識を書いたもの。


「ドライフラワーの花言葉は『永遠の思い出』です」


詩の字は、丁寧で読みやすかった。立ち止まって読んでいくお客さんが、何人もいた。


「永遠の思い出……いいね」


「詩先輩が書いてくれたんです」


小春が、誇らしそうに言った。


---


午後三時。ブースの前に、長い列ができていた。


「ドライフラワー、すごい人気だね」


柚葉が言った。


「在庫、大丈夫?」


「あと二十個くらい」


真白が答えた。


「リボンは、紫と水色がもう少し」


「私、奥から持ってきます」


遥が、温室の中に走った。


「去年より忙しいね」


凛が言った。額に汗が滲んでいる。


「でも、六人いるから回せてる」


「うん。去年は五人で大変だったもんね」


去年の文化祭。みんなで必死に対応して、片付けの後、温室で倒れ込むように座ったのを覚えている。小春が詩の肩にもたれて眠ってしまったことも。


——一年、経ったんだな。


同じ場所で、同じことをしている。でも、去年とは違う。遥がいて、真白が頼もしくなって、小春と詩が恋人同士になって。


変わったもの。変わらないもの。


「柚葉」


凛が、ペットボトルの水を差し出した。


「水。飲んで」


「ありがと」


柚葉は、水を受け取った。凛の指が、ほんの一瞬、柚葉の手に触れた。


それだけのことなのに。


胸が、少しだけ騒いだ。


---


## 六・後夜祭の火


文化祭が終わって、後片付けをした。


「お疲れさま」


みんなで声を揃えた。


「今年も、大成功だったね」


柚葉が言った。


「ドライフラワー、全部なくなったよ」


凛が言った。


「来年は、もっと作らないとね」


「来年は——」


凛が言いかけて、止まった。


来年の文化祭には、三年生はもういない。


「……ごめん」


「謝ることないよ」


柚葉が言った。その声は、明るかった。でも、最後がほんの少し揺れた。


「小春ちゃんと真白ちゃんと遥ちゃんがいるから」


「そうですね。頑張ります」


小春が言った。


「任せてください」


真白が言った。小春が驚いた顔をした。真白が自分から「任せてください」と言ったのは、初めてかもしれない。


「頼もしいね」


柚葉が微笑んだ。


「来年も、きっと素敵な文化祭になるよ」


---


後夜祭。校庭のキャンプファイヤー。


炎が、秋の夜空に向かって燃えている。パチパチと薪が爆ぜる音。煙の匂い。火の粉が、星のように舞い上がっていく。


十月の夜は、もう冷える。制服の上着を着ていても、腕の先がじんと冷たい。吐く息が、かすかに白い。


みんなで火を囲んだ。去年もここで、同じように火を見た。でも、今年は隣にいる人が、少しだけ変わっている。


小春は、詩の隣に座っていた。


「去年もここで見ましたね」


「うん。あの時は、まだ——」


詩が、少し照れたように言いかけて、やめた。


「まだ、何ですか?」


「まだ、小春ちゃんに気持ちを伝えてなかった」


小春の頬が、火の明かりだけじゃなく、赤くなった。


「今は、伝えた後だね」


「はい」


「ねえ、小春ちゃん」


「はい」


「プラネタリウム、楽しかったね」


「はい。秋の星座、きれいでした」


十月の初めに、約束通りプラネタリウムに行った。暗い天井に映し出された星空。詩が、一つ一つの星座の物語を、小さな声で教えてくれた。


「天の川のこっち側が織姫で、あっち側が彦星」


「七夕の話ですよね」


「うん。でも、秋の天の川って、夏よりずっと淡いんだよ。見えにくいけど、ちゃんとそこにある」


「見えなくても、あるんですね」


「うん。離れても、繋がってるの」


あの時の詩の声を、小春はずっと覚えている。


「詩先輩」


「なに?」


「来年、先輩がいなくなっても——天の川みたいに、繋がってますか」


「もちろん」


詩が、小春の手を握った。


「離れても、小春ちゃんのこと、ずっと好きだよ」


「……わたしも」


二人は、火を見つめながら、手を繋いでいた。


炎の向こうに、冬の星座が見え始めている。


---


真白は、少し離れた場所で火を見ていた。


丸太に腰掛けて、両手をポケットに入れて。去年もここにいた。去年は、柚葉先輩の笑い声ばかり追いかけていた。


今年は——ただ、火を見ている。温かい。それだけで、十分だった。


「真白先輩」


遥が、隣に来た。


「一緒に見ていいですか」


「……いいよ」


遥が、真白の隣の丸太に座った。腕一本分の距離。いつもと同じ。


「今日、忙しかったですね」


「うん」


「でも、楽しかったです。お客さんが、花を選んでる時の顔、嬉しそうで」


「……うん」


「真白先輩の色の提案、すごくよかったです。あの三色の組み合わせ」


「別に。なんとなく」


「なんとなくで、あんなにセンスいいの、すごいです」


真白は、何も言わなかった。でも、耳の先が少し赤い。火の明かりのせいだと、遥は思った。思ったことにした。


「来年、先輩たちがいなくなったら、寂しいですね」


「……うん」


「でも、真白先輩がいてくれるから、安心です」


「……」


「真白先輩、部長になるんですか?」


「……たぶん」


「絶対、いい部長になります」


遥は、にっこり笑った。


「花のこと、よく知ってるし。面倒見もいいし」


「面倒見は、よくない」


「えー。私のこと、いっぱい教えてくれたじゃないですか」


「……それは」


真白は、言葉を探すように、火を見つめた。


「遥が、ちゃんと聞くから」


「え」


「聞いてくれるから、教えたくなるだけ」


遥は、一瞬、目を見開いた。


それから、嬉しそうに——本当に嬉しそうに、笑った。


「ありがとうございます」


真白は、遥の方を見なかった。火を見ている。でも、表情は少しだけ柔らかかった。


火の明かりが、二人の顔を照らしていた。


---


柚葉と凛は、火のそばに並んで座っていた。


肩が、ほとんど触れている。


「一年、早かったな」


凛が呟いた。


「うん」


「去年の後夜祭、何してたっけ」


「五人で、火を囲んで。凛が焼きマシュマロ作ってくれた」


「ああ、そうだった。焦がしたやつ」


「あれはあれで、おいしかった」


「嘘つけ」


凛が、くすっと笑った。


柚葉も、笑った。


しばらく、二人で黙って火を見た。


炎が踊っている。オレンジと赤と黄色が混じり合って、形を変え続ける。


「凛」


「なに」


「文化祭、終わったね」


「うん」


「約束、覚えてる?」


「……覚えてるよ」


「ゆっくり話そう」って言ったやつ。


凛の心臓が、速くなる。


「今日じゃなくていいよ。疲れてるし」


「……うん」


「でも、近いうちに」


「わかった」


柚葉が、そっと凛の手に触れた。


指先だけ。ほんの少し。


凛は、その手を振り払わなかった。


火の粉が、夜空に舞い上がっていく。星と混じって、見分けがつかなくなる。


---


## 七・キンモクセイの夜


後夜祭が終わって、帰り道。


柚葉と凛は、並んで歩いていた。


他のみんなとは、校門で別れた。小春と詩は反対方向。真白と遥も、別の方向。


夜道に、キンモクセイの香りが漂っている。もう盛りは過ぎたけれど、まだかすかに残っている。最後の甘い香り。


「疲れた?」


柚葉が聞いた。


「まあまあ」


「凛のクッキー、すごく人気だったね」


「……まあね」


「来年の文化祭には、もういないけど」


「うん」


「凛の焼いたお菓子、食べられなくなるの、寂しいな」


「……別に、会いに来れば食べられるし」


「本当? 作ってくれる?」


「……考えとく」


柚葉が、くすっと笑った。


「それ、真白ちゃんの真似?」


「はあ?」


「『考えとく』って。遥ちゃんに言ってたやつ」


「全然違うし」


凛は、少しむっとした。でも、自分でもおかしくなって、小さく笑った。


---


街灯の下を、二人で歩く。


影が二つ、並んで伸びている。


「ねえ、凛」


「なに」


「さっき、火の前で思ったんだけど」


「うん」


「来年の今頃、こうやって並んで歩けなくなるんだよね」


「……まあ、毎日は無理かもね」


「寂しい」


「……うん」


しばらく、二人の足音だけが響いた。


「でも」


凛が言った。


「会いたくなったら、会いに行く」


「凛から?」


「……悪い?」


「ううん。嬉しい」


柚葉が、微笑んだ。


キンモクセイの香りが、ふわりと風に乗ってきた。


「いい匂い」


「うん」


「この匂い、嗅ぐたびに、今日のこと思い出すかもね」


「文化祭?」


「うん。文化祭と、後夜祭と、この帰り道」


凛は、前を向いたまま歩いた。


隣に柚葉がいる。いつもの距離。いつもの温度。


——特別。


柚葉がそう言ってくれた。


五年間、ずっと隣にいた。これからも、隣にいたい。


でも、「隣」の意味が、少しずつ変わろうとしている。


「文化祭が終わったら、ゆっくり話そう」——柚葉は、そう言った。


文化祭は、終わった。


次に話す時、何を言おう。何を伝えよう。


五年分の気持ちを、どうやって言葉にしよう。


凛は、秋の夜空を見上げた。


星が、きれいだった。


「凛、どうしたの?」


「……なんでもない」


「そう?」


「うん。なんでもない」


——まだ、もう少しだけ。


この距離のまま、歩いていたい。


二人の影が、街灯の下で重なりそうになって、また離れる。


キンモクセイの最後の香りが、秋の夜に溶けていった。


---


柚葉の園芸ノート 10月26日(土)晴れ


九月、コスモスが咲いた。遥ちゃんが夏の間ずっと面倒を見てくれたおかげ。ピンクと白と赤。風が吹くと一斉に揺れて、温室の前が一気に秋の景色になった。


文化祭に向けて、ドライフラワーを制作。バラ、カスミソウ、千日紅、ラベンダー。吊るし乾燥で一週間〜二週間。茎は斜めに切ること、紐はきつく結びすぎないこと。真白ちゃんが遥ちゃんに丁寧に教えていた。


文化祭当日、ドライフラワーのブーケは完売。凛のクッキーも大好評。去年は五人で必死だったけど、今年は六人で余裕があった。詩が書いた花の豆知識の看板、立ち止まって読むお客さんが多かった。


キンモクセイが咲いている。どこにいても匂いで気づく。校庭の百日紅は最後の花びらを散らした。


凛のことを「特別」だと伝えた。名前はまだつけられない。でも、文化祭が終わったら、ちゃんと話す約束をした。


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