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陽だまりの庭  作者: はるうた
第二部 花ひらくとき

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16/25

第16章 それぞれの想い

## 一・水色の世界


七月最後の日曜日。


小春は駅の改札前で、詩を待っていた。


付き合い始めて二週間。初めての、温室の外でのデート。


白いワンピースを選んだ。朝、三回着替えた。真白に写真を送ったら「似合ってる」とだけ返ってきて、ようやく家を出られた。


改札の向こうに、見覚えのあるシルエットが見えた。


「小春ちゃん」


詩先輩。白いブラウスに、薄い水色のスカート。いつもの制服姿とは違っていて、小春は思わず足を止めた。


心臓が、どきっとした。


「お待たせ」


「いえ、わたしも今来たところです」


嘘だった。十五分前から来ていた。


---


水族館は、駅から歩いて十分くらいの場所にあった。


入口を抜けると、青い世界が広がった。


大きな水槽の向こうを、銀色の魚の群れが泳いでいく。水の揺らめきが天井に光の模様を映して、まるで海の底にいるみたいだった。外の七月の暑さが嘘みたいに、ひんやりとした空気が肌に触れる。


「わあ……」


小春は、思わず声を漏らした。


水族館特有の匂い——潮と、少しだけ薬品が混じった匂いがする。どこかで水が流れる音が聞こえて、それが水槽のフィルターの音だと気づくまで、少しかかった。


「きれい」


水槽の光が、詩先輩の横顔を青く染めている。


——見とれちゃう。


魚よりも、隣にいる人を見てしまうのは、もう慣れたことだ。


「小春ちゃん、こっちにクラゲがいるよ」


「あ、はい」


---


クラゲの水槽は、一番奥の暗い部屋にあった。


透明な身体が、ゆらゆらと漂っている。青と紫のライトに照らされて、まるでガラス細工みたいだった。傘を開いて、閉じて、また開いて。ゆっくりとした動きが、いつまでも見ていられる。


「自分では方向を選べないのに、こんなにきれいなんだね」


詩先輩が、じっとクラゲを見つめていた。


「詩先輩、何か思いつきました?」


「……少しだけ」


鞄からスマホを取り出して、画面に何かを打ち込んでいる。


「何書いてるんですか?」


「メモ。クラゲの動きを見てたら、言葉が浮かんで」


「見ていいですか?」


「……まだ、断片だけだよ」


詩先輩がスマホの画面を見せてくれた。


『水の中の月——自分がどこへ行くか知らないまま、ただ光る』


「……すごい」


小春は息を呑んだ。たった一行なのに、目の前のクラゲの姿がそのまま言葉になっている。


「詩先輩、やっぱりすごいです」


「大げさだよ」


「大げさじゃないです。わたし、詩先輩のこういうところが——」


口の中で、言葉が止まった。「好き」と言いたかったのに、面と向かうと、まだ恥ずかしい。


「こういうところが?」


「……すごいなって、思います」


詩先輩は、少し首を傾げて、それから微笑んだ。


「ありがとう。小春ちゃんに読んでもらえると、嬉しい」


紫色の光が、二人の間をゆらゆらと揺れていた。


---


イルカショーでは、詩先輩が水しぶきを避けきれなくて、ブラウスの袖が少し濡れた。小春がハンカチを差し出すと、「ありがとう」と受け取ってくれた。自分のハンカチで詩先輩の袖を拭いている——それだけのことが、なんだか特別だった。


ペンギンの水槽の前で、詩先輩がまたスマホを取り出した。


「また、メモですか?」


「ペンギンの歩き方が面白くて」


「詩先輩、今日、メモばっかりですね」


「ごめんね。デート中なのに」


「ううん、いいんです。詩先輩が言葉を探してる姿、好き——」


言ってしまった。


詩先輩が、こちらを見た。


小春は、顔が熱くなるのを感じた。


「……今の、なし——」


「なしにしないで」


詩先輩が、小さく笑った。


「嬉しかったから」


小春は、俯いた。耳まで赤くなっている気がする。


---


お土産コーナーで、クラゲのストラップを二つ買った。


「お揃い」


「えへへ、お揃いですね」


小春は嬉しくて、ストラップを何度も眺めた。透明な樹脂の中に、小さなクラゲが浮かんでいる。


カフェで休憩していると、窓の外に海が見えた。青い水面が、午後の日差しにきらきら光っている。アイスコーヒーのグラスに結露が浮いて、テーブルに小さな水溜まりを作っていた。


「去年の夏も、海に行きましたね」


「うん。小春ちゃんに泳ぎを教えてもらった」


「詩先輩、全然泳げなくて」


「……そうだったね」


詩先輩は苦笑いした。


「あの時から、ずっと……」


小春は、ストローをくるくる回した。氷がからんと鳴った。


「わたし、詩先輩のことが好きでした。あの時から」


「……私もだよ」


テーブルの下で、詩先輩の手がそっと小春の手に触れた。指先が重なる。冷たいグラスを持っていたせいで、指先がひんやりしていた。


「小春ちゃんが隣で笑ってくれるだけで、幸せだなって思ってた」


心臓が、どきどきしている。


「詩先輩」


「なに?」


「わたし、今、すごく幸せです」


詩先輩の指が、小春の手をそっと握った。ひんやりした指先が、だんだん温かくなっていく。


「私もだよ」


窓の外で、カモメが一羽、青い空を横切っていった。


---


帰りの電車で、小春は詩先輩の隣に座った。


揺れる車内で、二人の肩が触れる。その小さな接触が、嬉しかった。


「また行こうね」


「はい。次はどこに行きますか?」


「プラネタリウムとか、どうかな」


「行きたいです」


小春は、鞄の中のクラゲのストラップに触れた。


——今日という日を、ずっと覚えていよう。


車窓の向こうを、夏の景色が流れていく。


---


## 二・真白の夏


八月に入った。


真白は、自分の部屋で本を読んでいた。


窓の外では蝉が鳴いている。朝から暑い。エアコンの風が、カーテンをかすかに揺らしていた。


小春から、メッセージが来る。


「水族館、楽しかった! クラゲのストラップ、お揃いで買ったの」


写真には、二つ並んだクラゲのストラップ。透明な樹脂の中に、小さなクラゲが浮かんでいる。淡い青と紫の、硝子みたいな色。


「かわいいね」


返事をして、スマホの画面を下にして机に置いた。


机の上に、くまのぬいぐるみが座っている。


去年の夏祭りで、射的で取ったもの。柚葉先輩と二人で、屋台を回った日。


『真白ちゃん、すごい』


あの時の柚葉先輩の声。嬉しそうな笑顔。


——一年経っても、まだ覚えてる。


真白は、ぬいぐるみの頭をそっと撫でた。


---


小春が幸せそうにしている。それは、本当に嬉しいことだ。


あの日——雨上がりの温室で、詩先輩と小春が二人で離れていった時。何も言わなくても、わかっていた。小春が好きな人に気持ちを伝えに行くんだって。


戻ってきた小春は、目が少し赤くて、でも笑っていた。


「真白、ありがとう。伝えた方がいいって、言ってくれたから」


——あの言葉は、自分にも向けていたのかもしれない。


真白は、天井を見上げた。


柚葉先輩のことが好きだ。入部した日から。温室で微笑んでくれた、あの瞬間から。


一年以上、ずっと。


柚葉先輩には凛先輩がいる。二人の間には、自分には入れない何かがある。それは、わかっている。


でも——伝えたい。


答えがわかっていても、伝えたい。


そうしないと、いつまでもこの気持ちを抱えたまま、前に進めない気がする。


——花火大会の日に、伝えよう。


八月の終わりに、地元の花火大会がある。去年は五人で夏祭りに行った。今年は遥も加わって六人。


去年と同じ浴衣で。去年とは違う覚悟で。


真白は、ぬいぐるみを手に取った。ふわふわの手触り。一年間、ずっとそばにあったもの。


——柚葉先輩。私、ちゃんと伝えます。


答えがどうであっても、後悔しないように。


---


## 三・オープンキャンパス


八月の第二週。


凛と柚葉は、大学のオープンキャンパスに来ていた。


正門をくぐると、広いキャンパスが目の前に広がった。木立の間を学生たちが行き交い、案内の看板があちこちに立てられている。アスファルトが陽炎で揺れていて、蝉の声が空から降ってくる。


「大きいね」


「うん。高校とは全然違う」


柚葉の目が、きらきらしていた。案内パンフレットを片手に、あちこちを見回している。


「農学部は、あっちだって」


「行こう」


凛は、柚葉の半歩後ろを歩いた。


---


農学部の研究棟は、キャンパスの奥にあった。


建物の横に、大きな温室が並んでいる。奥には実験農場も見えた。


「……すごい」


柚葉が、足を止めた。


温室のガラスの向こうに、見たことのない植物が茂っている。高校の温室とは比べものにならないくらい大きくて、中には木のようなものまで見えた。


「柚葉、目が輝いてる」


「だって、凛、見て。あの温室」


「見てるよ」


凛は、温室ではなく柚葉の横顔を見ていた。


研究室の見学では、大学生の先輩が植物の品種改良について説明してくれた。柚葉は質問をいくつもして、熱心にメモを取っている。「この温室の温度管理はどうしているんですか」「品種改良にはどのくらいの年月がかかるんですか」——目を輝かせて、次から次へと聞いていく。


凛は、その姿を少し離れた場所から見ていた。


——柚葉は、ここに来るんだ。


大学生の先輩が「植物のことが好きなんだね」と柚葉に言った。柚葉が嬉しそうに頷いた。


その姿を見て——胸が、きゅっとなった。


---


昼食を学食で食べた後、二人はキャンパスのベンチに座った。


木陰で、風が少しだけ心地いい。でも八月の空気は重くて、じっとしていても汗が滲む。


「ここが柚葉の第一志望?」


「うん。農学部の植物科学科。園芸だけじゃなくて、植物の遺伝子や生態も学べるの」


「柚葉にぴったりだね」


「そうかな」


「うん。花や植物を研究してる柚葉、想像できる」


柚葉が嬉しそうに笑った。


「……凛は? 大学の調理科、決めた?」


「うん。都内のところ。実習が多いところがいいかなって」


「凛なら、どこでもうまくやれるよ」


「……ありがと」


しばらく、二人とも黙った。キャンパスの向こうで、誰かが笑い声を上げている。


「……来年、柚葉とは違う学校になるんだよね」


凛が、足元の地面を見ながら言った。


「そうだね」


「今まで、ずっと一緒だったから。中学から」


蝉の声が、急にうるさく感じた。


「離れるの、少し……寂しいなって」


「凛……」


柚葉が、凛の顔を覗き込んだ。


凛は、目を逸らした。


「なんでもない。気にしないで」


「気にするよ」


柚葉の声は、いつもより少しだけ低かった。


「凛が寂しいって言うの、珍しいから」


「……別に」


「大学が違くても、会えるよ。電車で一時間もかからないし」


「……うん」


「それに、まだ一年ある」


柚葉が、凛の手をそっと握った。


凛は、驚いて柚葉を見た。


柚葉は、まっすぐに凛を見つめている。


「一緒にいられる時間、大切にしよう。ね?」


「……うん」


凛は、握り返した。小さく、だけどしっかりと。


——五年。


中学一年の春から、ずっと。


この手を離したくないと、思い続けてきた。


---


帰りのバスを待っている時、凛がふいに言った。


「ねえ、柚葉」


「なに?」


「あたしたちって、何なんだろう」


柚葉の心臓が、跳ねた。


「え?」


「友達……だよね。幼馴染みたいな」


「……うん。そうだよ」


凛は、バス停の向こうの道路を見つめていた。風が、凛の短い髪を揺らしている。


「でも、最近……それだけじゃない気がして」


「……」


凛が、柚葉を見た。


「柚葉のこと、大切だなって思う。友達以上に」


心臓が、うるさいくらいに鳴っている。聞こえてしまいそうなくらい。


「……私も」


柚葉は、バス停の時刻表に目を戻した。


「私も、凛のこと……大切だと思ってる」


「……」


「友達以上に、かどうかは……わからないけど」


嘘だった。わからないんじゃない。でも——まだ、この気持ちに名前をつけられなかった。


「柚葉……」


「……今は、まだわからなくていいかな」


柚葉が、少し考えてから言った。


「……うん」


「ゆっくり、考えよう。卒業するまでに」


凛は、小さく頷いた。


バスが来た。二人は並んで乗り込んだ。


窓の外を、夏の景色が流れていく。


凛は、さっき握った手の温もりを思い出していた。


——まだ、言えない。


でも、いつか。必ず、伝える。


---


## 四・花火大会の夜


八月の最後の土曜日。


花火大会の日が来た。


去年は五人で行った神社の夏祭り。今年は遥も加わって六人。場所も違って、河川敷の花火大会だ。


真白は、鏡の前で浴衣を着ていた。


紺色の浴衣。白い帯。去年と同じ。


去年もこの浴衣を着て、小春と待ち合わせて、神社に行った。柚葉先輩が淡い紫の浴衣で、「かわいいね」と言ってくれて、嬉しくて——目を逸らした。


今日は——伝える日。


「……よし」


真白は、鏡の中の自分に頷いた。


---


集合場所は、河川敷の入口。


真白は、約束の時間より三十分早く来ていた。


まだ誰もいない。夕暮れの空がオレンジ色に染まっている。屋台の準備が始まっていて、ソースと砂糖が焦げる甘い匂いが風に乗って漂ってくる。


浴衣姿の人たちが、少しずつ集まり始めていた。下駄の音が、あちこちから聞こえてくる。


「真白ちゃん」


振り返ると、柚葉がいた。


淡い紫の浴衣。去年と同じ色。髪を少しアップにして、簪が夕日に光っている。


「早いね」


「……はい。柚葉先輩も」


「うん。ちょっと早く出ちゃった」


柚葉が笑った。


夕日が、柚葉の横顔を照らしていた。去年の夏祭りでも、同じ笑顔を見た。


一年経っても——やっぱり、きれいだ。


「柚葉先輩」


「なに?」


「少し、話があるんですけど」


柚葉が、少し目を見開いた。ほんの一瞬だけ、何かを覚悟するような表情が浮かんだ。


「……うん、いいよ」


---


二人で、河川敷の少し離れた場所に移動した。


川沿いの土手。草の匂いがする。川面に、夕焼けの橙色が映っている。


花火が始まるまで、まだ一時間ほどある。遠くで、屋台の呼び込みの声が聞こえる。子供たちの笑い声。


真白は、深呼吸をした。夕暮れの風が、浴衣の袖を揺らした。


「柚葉先輩」


「うん」


「私——柚葉先輩のことが好きです」


柚葉が、真白を見つめた。


「友達として、じゃなくて。恋愛として、好きです」


声が、少しだけ震えた。でも、止めなかった。


「入部した日のこと、覚えていますか。温室で、柚葉先輩が私に声をかけてくれました。『真白ちゃんも、花、好きなの?』って」


「……」


「あの時、柚葉先輩が笑ってくれて。ああ、この人と同じ場所にいたいって——思ったんです」


川面を、トンボが一匹、低く飛んでいった。


「去年の夏祭りで、射的をしました。私が取ったぬいぐるみを、柚葉先輩が『すごい』って褒めてくれた。あのぬいぐるみ、まだ持ってます。机の上に、ずっと」


真白は、柚葉の目をまっすぐに見た。


「冬に、凛先輩にマフラーを編んでいた柚葉先輩の横顔も。文化祭で一緒に買い出しに行った日も。テスト前の勉強会で、私のノートを褒めてくれた時も」


ひとつひとつ、大切に言葉にした。


「全部、覚えてます。柚葉先輩と過ごした時間、全部」


「真白ちゃん……」


「好きです。ずっと、好きでした」


夕焼けが、真白の頬を染めていた。


「迷惑だったら、ごめんなさい。でも、伝えたかったんです。柚葉先輩が卒業する前に、ちゃんと」


---


柚葉は、しばらく黙っていた。


川を渡る風が、二人の間を通り過ぎていく。


柚葉の目が、少し潤んでいるのが見えた。


「真白ちゃん」


「はい」


「……ありがとう」


柚葉の声は、いつもより静かだった。


「気持ち、すごく嬉しい。本当に」


「……」


「真白ちゃんが私を見てくれていること——実は、気づいてたの」


真白は、少し驚いた。


「去年の夏祭りの頃から。射的のぬいぐるみを大事そうに抱えてた真白ちゃんの顔、覚えてる」


柚葉が、真白を見た。その目は優しくて、少しだけ申し訳なさそうだった。


「でも、確信が持てなくて。それに、もし気づいてしまったら、何かが変わってしまう気がして……何も言えなかった」


「……」


「ごめんね」


柚葉は、一度目を閉じた。夕暮れの風が、アップにした髪を揺らしている。


そして、目を開いた。


「私、真白ちゃんの気持ちには——応えられない」


「……わかってます」


真白は、頷いた。予想していた答えだった。覚悟は、していた。


「凛先輩のこと、好きですよね」


柚葉が、息を呑んだ。


「……え」


「見てれば、わかります」


真白は、小さく笑った。泣きそうなのに、笑えた。


「柚葉先輩が凛先輩を見る時の顔——私が柚葉先輩を見る時と、同じだから」


柚葉が、唇を噛んだ。


「……自分でも、まだよくわからないの。凛のこと、大切なのは確かだけど。それが恋なのか、友情なのか」


「それは、柚葉先輩が決めることです」


真白は、言った。


「でも、私は——柚葉先輩が幸せなら、それでいいです」


「……」


「だから、いいんです。伝えられただけで」


---


柚葉が、真白の手を取った。


「真白ちゃん」


「はい」


「ありがとう。私のこと、好きって言ってくれて」


柚葉の手は、温かかった。


「真白ちゃんは、すごい子だよ。こんなふうに、ちゃんと気持ちを伝えられるの——本当に、すごいと思う」


「……」


「私は、真白ちゃんの大切な先輩でいたい。これからも、ずっと」


真白の目に、涙が滲んだ。


でも、泣かなかった。頬を伝ったのは、ひとつだけだった。


「……はい。よろしくお願いします」


柚葉が、真白の手をそっと握り返した。


二人の向こうで、空の色が藍色に変わり始めていた。


---


## 五・花火


みんなと合流した。


凛は黒地に赤い花模様の浴衣。去年と同じだ。詩は白地に青い模様。小春はピンクの生地に白い花。遥は、薄い黄色の浴衣を着ていた。


「遅かったね、二人とも」


凛が言った。


「ちょっと、散歩してた」


柚葉が笑った。いつも通りの笑顔だった。


小春が、真白をじっと見ていた。


「……真白」


「なに」


「何かあった?」


「……別に」


真白は、小春と並んで歩いた。


---


河川敷にレジャーシートを敷いて、六人で座った。遥が屋台で買ってきたラムネを配っている。


「真白先輩、どうぞ」


「……ありがと」


遥の手からラムネを受け取った。瓶が冷たくて、気持ちいい。


「もうすぐ始まりますね」


遥が、嬉しそうに空を見上げた。


——そうだ。去年は五人だった。今年は六人いる。


真白は、ラムネのビー玉を押し込んだ。しゅわっと泡が弾ける音がした。


---


ドーン。


最初の花火が、夜空に咲いた。


「始まった!」


小春が声を上げた。


大きな光の花が、夜空に広がっていく。赤、金、青、銀。次々と打ち上がる花火が川面にも映って、上にも下にも光が溢れていた。火薬の匂いが、風に乗って漂ってくる。


「きれい……」


「すごい、大きい」


遥が、目を丸くしている。


光が、六人の顔を染めていた。


小春は、隣に座る詩の横顔を見た。赤や金色に移り変わる光の中で、きらきらしている。去年の夏祭りでも、こうやって詩先輩の横顔を見ていた。


あの時は、まだ付き合っていなかった。


今は——隣にいる人が、自分の恋人だ。


詩が、暗がりの中でそっと小春の手に触れた。指先が重なる。


小春は、ぎゅっと握り返した。


---


真白は、花火を見上げていた。


一年前の夏祭りでも、花火を見た。あの時は、柚葉先輩の隣で。「きれいだね」と言ってくれた声。あの横顔が、眩しかった。


今は——少し離れた場所にいる。


花火の光が、柚葉を照らしていた。隣には、凛がいる。二人が何か話している。花火の音で、声は聞こえない。でも、柚葉が笑って、凛が少しだけ照れたように目を逸らすのが見えた。


——きれいだな。


花火じゃなくて。あの二人が。


「真白」


小春が、そっと真白の隣に座り直した。


「……なに」


「隣、いい?」


「……いいよ」


小春は、何も聞かなかった。ただ、真白のすぐ隣に座っていてくれた。肩が触れるくらいの距離。


ひゅーーーーどーーん。


ひときわ大きな花火が上がった。金色の光が夜空いっぱいに広がって、ゆっくりと消えていく。


真白は、その光を見つめていた。


一瞬だけ夜空に咲く花。どんなに美しくても、やがて消える。


でも——きれいだった。


見られて、よかった。


「……小春」


「うん」


「ありがと」


「え? 何が?」


「……別に」


小春は首を傾げたけど、それ以上は聞かなかった。


ただ、真白の手をそっと握った。


真白は、握り返した。


---


## 六・夜道


花火が終わって、みんなと別れた。


小春と真白は、いつものように並んで歩いている。


下駄の音が、夜道に響く。花火の匂いが、まだ空気に残っていた。虫の声が、あちこちから聞こえてくる。


「真白」


「なに」


「今日、柚葉先輩と話してたの……」


「……うん」


「伝えたの?」


「……うん」


小春は、真白の横顔を見た。真白は、前を向いたまま歩いている。


「……そっか」


「振られた。わかってたけど」


真白の声は、いつもより少し低い。でも、震えてはいなかった。


「でも、伝えられた。それでいい」


「……真白」


「小春のおかげ。『伝えた方がいい』って言葉——私にも刺さってたから」


小春は、少し目が潤んだ。


「泣かないで。泣くのは私の方でしょ」


「だって……」


「いいの。ほんとに。伝えられて、すっきりした」


真白は、空を見上げた。星が、ちらちらと光っている。花火の煙で少し霞んでいるけれど、夏の星座がかすかに見えた。


「柚葉先輩のこと、まだ好きだよ。すぐには消えない」


「……うん」


「でも、それでいい。好きだった自分ごと、受け入れる」


小春は、真白の手をぎゅっと握った。


「何かあったら、いつでも言ってね」


「……うん」


二人は、夜道をゆっくりと歩いた。下駄の音が、二人分、静かに響いていた。


---


家に帰って、浴衣を脱いで、パジャマに着替えた。


真白は、ベッドに座って、机の上のくまのぬいぐるみを見つめていた。


ふわふわの手触り。去年の夏祭りの景品。


柚葉先輩が「かわいいね」と言ってくれた、小さなくま。


「……ありがとう」


ぬいぐるみに、小さく呟いた。


柚葉先輩のことが好きだった時間は、苦しいこともあったけれど——温かかった。


入部した日に、温室で微笑んでくれたこと。


射的で取ったぬいぐるみを、褒めてくれたこと。


冬に、マフラーを編む手を見つめていたこと。


文化祭で、一緒に走り回ったこと。


全部、大切な思い出だ。どこにも行かない。


真白は、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。


——前に進もう。


涙は、もう出なかった。


---


## 七・温室


翌日の朝。


スマホに、メッセージが来ていた。


遥からだ。


「真白先輩、今日の温室当番なんですけど、一緒に行きませんか?」


真白は、少し考えた。


昨日の今日で、気持ちの整理がついたわけじゃない。でも——温室に行けば、花がある。水をやる仕事がある。何もしないで部屋にいるより、ずっといい。


「いいよ」


返事をすると、すぐに遥から返信が来た。


「ありがとうございます! 十時に温室前で待ってます」


---


温室は、八月の日差しで蒸し暑かった。


窓を全開にして、風を入れる。それでも、中に入ると汗が額に滲んだ。マリーゴールドの鮮やかな黄色が、夏の光の中で眩しい。日々草の白とピンクが、花壇の縁を彩っていた。


「真白先輩、水やり、始めますね」


「……うん」


遥がじょうろを持って、花壇を回っていく。四月に入部した頃と比べて、手つきが随分しっかりしていた。水の量も、花によって変えている。


「遥、上手になったね」


「え? ほんとですか」


遥が、ぱっと顔を上げた。


「水の量、花ごとに調整してる」


「真白先輩に教えてもらったから。ペチュニアはたっぷり、日々草は少なめって」


「……覚えてるんだ」


「もちろんです。全部メモしてあります」


遥は、ポケットから小さなノートを取り出した。花の名前と水やりのメモが、丁寧な字で書いてある。


「……真面目だね」


「だって、ちゃんと覚えたいから。真白先輩みたいに、花のことわかるようになりたいです」


真白は、少し驚いた。


それから、小さく笑った。


「……ありがと」


---


水やりが終わって、温室の中で休憩した。


麦茶を飲みながら、遥が花壇を眺めている。光が窓から射し込んで、温室の中に明るい四角を作っていた。


「マリーゴールド、元気ですね」


「……うん。夏に強い花だから」


「真白先輩」


「なに」


「私、真白先輩のこと、すごいなって思います」


「……どうして」


「落ち着いてて、優しくて。花のこと、丁寧に教えてくれるし」


遥は、まっすぐな目で真白を見た。


「憧れます」


その眼差しには、何かまぶしいものがあった。


真白は、目を逸らした。


「……そんなこと、ない」


「あります。私にとっては、憧れの先輩です」


真白は、麦茶のコップを両手で包んだ。冷たいガラスの感触が、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれた。


——憧れ、か。


自分がそう言われる側になるとは、思わなかった。


「……これからも、よろしく」


「はい。よろしくお願いします」


遥が、にっこり笑った。


窓から入る風が、温室の花を揺らしていた。マリーゴールドの黄色が、朝の光の中でひときわ明るい。


---


夏休みが、ゆっくりと過ぎていく。


温室の花たちは、夏の太陽を浴びて、元気に咲いていた。


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