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陽だまりの庭  作者: はるうた
第二部 花ひらくとき

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13/26

第13章 新しい春

花壇の縁に

知らない芽が出ていた


植えた覚えはない

でも、ちゃんと根を張っている


どこから来たのかは聞かない

ここにいることだけ、知っている


---


# 第二部 花ひらくとき


---


## 一・チューリップの花壇


四月。


花壇のチューリップが咲いていた。


赤、黄色、白、ピンク——三月の終わりに芽を出してから二週間。花壇は、色とりどりの春に埋まっていた。


小春は、登校しながらその景色を見つめた。


——咲いたんだ。


去年の秋に、みんなで植えた球根。冬の間、わらの下でじっと春を待っていた。雪が降った日も、凍えるような朝も、土の中で根を伸ばし続けていた。それが今、こんなにきれいに咲いている。


校門を抜けると、桜並木がピンク色に染まっていた。花びらが風に乗って、ひらひらと舞い落ちる。朝の光が桜の隙間からこぼれて、道路にまだら模様を描いていた。


四月の空気は、二月とは全然違う。張り詰めたものが消えて、代わりに柔らかい匂いが満ちている。耕したばかりの土の湿った匂い。チューリップの花壇から漂う、かすかに甘い匂い。


小春は、二年生になった。


昇降口で靴を履き替える時、隣にいたのは見知らぬ顔だった。去年は自分が「新入生」だったのに、今年はもう「先輩」になる。


不思議な気持ちだった。


---


「おはよう」


温室に入ると、柚葉がいた。窓を開けて、空気を入れ替えている。冬の間は温度管理のために閉めきっていた窓。四月になって、やっと風を通せるようになった。開いた窓から入ってくる風は、まだ少しひんやりしていた。


「おはようございます」


「今日から新学期だね」


柚葉が目を細めた。エプロンをして、ジョウロを持っている。いつもの柚葉だ。


でも、胸のリボンの色が変わっていた。二年生の青から、三年生のえんじ色に。


「柚葉先輩、リボン、変わりましたね」


「うん。こんな色なんだ、三年生」


柚葉は、えんじ色のリボンに視線を落とした。


「最後の一年だな」


小春は、その言葉を繰り返さなかった。言葉にすると、本当になってしまいそうだったから。


柚葉は、窓の向こうのチューリップを見ていた。


「でも、まだ一年あるよ」


その声は、自分に言い聞かせるようでもあった。


---


## 二・ポスター


五人が揃った。柚葉がお茶を淹れて、みんなでベンチに座る。いつもの放課後の光景。


でも、テーブルの上にはいつもと違うものが載っていた。新入部員勧誘のチラシの束。


「去年は、小春ちゃんと真白ちゃんが来てくれたよね」


柚葉が言った。


「もう一年前なんですね」


小春は、去年の四月を思い出した。入学式の日、花壇の前で立ち止まって、柚葉先輩に声をかけられた。温室に行って、凛先輩と詩先輩に会って。あの日から一年。


「今年も、花が好きな子が来てくれるといいな」


「ポスター、作りましょうか」


小春が提案した。


「いいね。小春ちゃん、絵が上手だから」


「任せてください」


小春は、張り切った。


「真白も手伝って」


「……わかった」


真白は素っ気なく答えた。でもすぐにノートを開いて、全体の構図を引き始めた。花の配置、文字の大きさ、余白のバランス——小春がイラストを描き始める前に、もう全体のレイアウトが出来上がっている。


「園芸部、部員募集中! 花が好きな人、大歓迎!」


カラフルな花のイラストと、バランスのいい文字配置。


「いいじゃん」


凛が言った。


「かわいい」


柚葉が微笑んだ。


「去年のあたしたちのポスターより、全然いいよ」


「凛先輩たちのポスターも見てみたかったです」


「やめて。あれは見せられない」


凛が笑った。


---


## 三・遥


新入生歓迎会の日。温室の前にポスターを貼った。


朝の日差しが、温室のガラスをきらきらと光らせている。どこかでうぐいすが鳴いていた。


「緊張する」


小春が言った。


「何が」


真白が聞いた。


「先輩として新入生を迎えるのが。去年は迎えられる側だったから」


「……まあ、そうだね」


「真白は緊張しない?」


「……別に」


真白は、温室の中の花に水をやりながら答えた。でも、水やりの手が、いつもよりほんの少しだけ丁寧に見えた。


午後になって、何人かの新入生が温室を覗きに来た。


「ここ、園芸部ですか?」


「はい。見学、どうぞ」


小春が案内した。去年、柚葉先輩がしてくれたように。


「温室、きれいですね」


「でしょ。この時期は、パンジーとかビオラが咲いてるんです」


小春は、花の名前を教えながら温室の中を歩いた。一年前は、自分が教えてもらう側だった。柚葉先輩に花の名前を聞いて、「へえ」と目を輝かせていた。


今は、自分が教える側にいる。


何人かの新入生は「また来ます」と言って帰っていった。入部するかどうかはわからない。でも、温室を見てくれただけで嬉しかった。


---


夕方近くになって、もう見学者は来ないかなと思った頃。


「すみません」


温室の入り口に、二人の女の子が立っていた。


一人は背が高くて、ポニーテールの活発そうな女の子。もう一人は、その後ろに隠れるように立っている、小柄な女の子。


小春は、ポニーテールの方に見覚えがあった。


「あ、夏希さん!」


「え、覚えてるの?」


「去年の文化祭で、フラワーアレンジメント体験に来てくれましたよね」


「そうそう! よく覚えてたね」


夏希が、にっこり笑った。バレー部のキャプテン。背が高くて、声が大きくて、すれ違うだけで元気をもらえるような人。


「今日は、妹を連れてきたの」


「妹さん?」


夏希の後ろから、小柄な女の子がそっと顔を出した。黒髪のショートカット。夏希と同じ目の形をしているけれど、雰囲気はまるで違う。夏希が太陽だとしたら、この子は——日向にそっと咲く、小さな花のようだった。


「妹の、遥。今年入学したの」


「はじめまして。日向遥です」


遥の声は、小さかった。でも、はっきりしていた。


「はじめまして。二年生の、藤宮小春です」


「遥、園芸部に興味あるんだって」


夏希が言った。遥の肩をそっと押すように。


「本当ですか?」


遥は、少し恥ずかしそうに頷いた。


「姉から、園芸部のこと聞いて。温室がきれいだって」


「見学していきますか?」


「……いいですか?」


「もちろん」


---


## 四・カスミソウ


小春は、遥を温室の中に案内した。


夏希は「私はバレー部の練習あるから、後で迎えに来るね」と言って去っていった。


温室の奥で、柚葉と凛と詩がいた。真白は、棚の隅で鉢の植え替えをしている。


「柚葉先輩、見学の方です」


「いらっしゃい」


柚葉がにこりと笑った。遥の表情が、少しだけ緩んだ。


「一年生?」


「はい。日向遥です」


「園芸部の部長、七瀬柚葉です。よろしくね」


「こっちが、凛先輩と、詩先輩」


「副部長の朝比奈凛。よろしく」


「白石詩です。よろしくね」


「よろしくお願いします」


遥は、丁寧にお辞儀をした。


「温室、見てみる? 小春ちゃん、案内してあげて」


柚葉が言った。


「はい」


---


小春は、遥と一緒に温室の中を歩いた。


「ここは、パンジーとビオラのコーナーです。秋に種をまいて、冬を越して、今が一番きれいな時期なんです」


「きれい……」


遥は、パンジーの花に目を近づけた。


「この色、フリズルシズルっていう品種ですよね。花びらがフリルみたいに波打ってて」


「え、知ってるんですか?」


「図鑑で見たことがあって」


遥の声が、少し弾んだ。さっきまでの控えめな様子とは、少し違う。花の前だと、別人みたいだ。


「遥さん、花に詳しいんですね」


「そんなことないです。本で読んだだけで、実際に育てたことはあんまりなくて」


「育てるのと読むのは違うよね。でも、知識があるのはすごいと思う」


「……ありがとうございます」


遥が、少し嬉しそうに笑った。小さな笑顔だった。でも、確かに、笑っていた。


---


温室の奥に進むと、真白がまだ同じ作業を続けていた。


土を入れ替え、根をほぐし、新しい鉢に移す。根を傷つけないように、指先でそっと土をほぐしている。春の土は冬より柔らかくて、少し湿り気を含んでいた。


「月島真白です。二年生」


真白が、手を止めずに言った。


「日向遥です。よろしくお願いします」


「……よろしく」


真白は、ちらりと遥を見て、また鉢に視線を戻した。


遥は、真白の手元を見ていた。


「……上手ですね」


「何が」


「植え替え。根を崩さないように、丁寧にやってるのが」


真白の手が、一瞬止まった。


「……普通にやってるだけ」


「でも、植物に慣れてる感じがします」


真白は、何も言わなかった。遥の視線から逃げるように、鉢に向き直った。


小春は、その様子を少し離れたところから見ていた。真白の耳が、ほんの少しだけ赤い。


---


「花は何が好き?」


小春が、遥に聞いた。


「スミレが好きです」


「スミレ、かわいいよね」


「小さくて、目立たないところに咲くでしょう。でも、よく見るとすごく繊細で、きれいで」


遥の目が、きらりと光った。


「見つけた時、嬉しくなるんです。あ、ここにいたんだって」


小春は、その言葉がなんだか好きだなと思った。目立たないところに咲く花を、ちゃんと見つけられる子。


「真白もね、控えめな花が好きなんだよ」


「え?」


真白が顔を上げた。


「カスミソウが好きなの。主役じゃないけど、いるだけで周りが引き立つ花」


「……別に。聞かれてないし」


真白は、ぶっきらぼうに言った。


遥は、真白を見た。


銀色の髪。少しだけ伏せた目。ぶっきらぼうな言葉の裏に、照れが見える。さっき植え替えをしていた手の、あの丁寧さと、今の素っ気なさ。


「カスミソウ、好きです」


遥が言った。


「え?」


今度は真白が、遥を見た。


「花束に入ってると、全体が柔らかくなりますよね。カスミソウがあるのとないのとで、全然違う」


「……わかるんだ」


真白の声が、少しだけ柔らかくなった。ほんの少しだけ。


遥は、真白のその変化に気づいた。


——笑ってはいない。でも、さっきより、少しだけ距離が近くなった気がする。


---


## 五・六人目


「遥ちゃん、入部してくれる?」


柚葉が聞いた。


「いいんですか?」


遥は、目を大きくした。


「もちろん。大歓迎だよ」


遥の表情が、ぱあっと明るくなった。


「入ります。よろしくお願いします」


「こちらこそ。よろしくね」


柚葉が手を差し出して、遥がその手を握った。


「六人になったね」


詩が言った。


「去年は三人から始まって、五人になった。今年は六人」


「賑やかになるね」


凛が言った。


「嬉しいな」


小春が言った。本心だった。自分たちが入った時も、こうやって迎えてもらった。今度は、自分たちが迎える番だ。


---


六人で、温室のベンチに座った。


柚葉がお茶を淹れた。六人分のカップが並ぶと、テーブルが少し狭い。


遥は、カップを両手で包むように持って、ひと口飲んだ。ほっとしたように、肩の力が少しだけ抜けたのが見えた。


小春もお茶を口に含んだ。いつもと同じ味なのに、六人で飲むと、なんだか少しだけ美味しい。


温室を見回す。ガラスの向こうに夕日が見える。オレンジ色の光が、花たちの上に降り注いでいる。


「すごい……」


「でしょ」


小春が言った。


「夕方の温室は、特にきれい」


「毎日、こんな景色が見れるんですか」


「うん。毎日、ちょっとずつ違うけどね」


遥は、しばらく黙って温室を見ていた。花の色と、夕日の色と、ガラスの光。


「……入部してよかった」


遥が、小さな声で言った。


「まだ初日なのに?」


凛がからかうように言った。


「でも、もう、わかります。ここ、いい場所だなって」


その言葉に、小春は胸の奥がじんわりと温かくなった。


——わたしも、同じこと思ったな。


一年前の四月。初めて温室に入った日。ガラスの向こうの光と、花の匂いと、先輩たちの笑顔。ここは特別な場所だって、すぐにわかった。


---


「遥ちゃん、姉の夏希さんにお礼言っておいてね」


柚葉が言った。


「はい。姉も、園芸部のこと、よく話してたんです。文化祭の時、すごく楽しかったって」


「夏希さん、元気だよね」


凛が言った。


「姉は、大変なことが好きなんです」


遥は、少し困ったように笑った。


「全然違うタイプなので」


「そう?」


「姉は、大きな声で走り回るのが好きで。私は、静かなところで花を見てるのが好きで」


「じゃあ、ここはぴったりだね」


柚葉が微笑んだ。


「あ、でも」


遥が付け足した。


「姉のこと、尊敬してます。似てないけど」


その声に、照れと誇りが混じっていた。


---


お茶を飲みながら、花の話になった。


遥は、最初は聞き役だったが、花の話になると、少しずつ自分から話し始めた。


「ビオラって、品種改良がすごく進んでるんですよね。最近は、フリル咲きとか、アンティークカラーとか」


「詳しいね」


柚葉が感心した。


「図鑑を読むのが好きで」


「詩と似てるかも。詩も、本が好きだよね」


「私は、花の図鑑は詳しくないけどね」


詩が言った。


「でも、名前を知ると、花の見え方が変わるのは同じかも」


遥は、詩の言葉に目を輝かせた。


「そうなんです。名前を知ると、なんか、親しくなった気がして」


「わかる」


詩が頷いた。


「言葉って、そういう力があるよね」


遥は、詩のその言葉を、大切そうに受け取った。


小春は、詩の横顔を見た。花の名前に宿る力。言葉で世界の見え方が変わること。それを自然に言える詩先輩が、やっぱり好きだと思った。


---


夕方。夏希が迎えに来た。


「遥、楽しかった?」


「うん。入部した」


「おっ、よかったじゃん」


夏希が、遥の肩をぽんと叩いた。


「よろしくお願いします。妹を、お願いしますね」


夏希が、みんなに頭を下げた。


「任せてください」


小春が答えた。


夏希と遥が帰っていく。大きくて元気な背中と、小さくて静かな背中。でも、二人の歩幅は同じだった。


---


## 六・帰り道


片付けをしながら、柚葉が言った。


「いい子が来てくれたね」


「花の知識がすごかったね」


凛が言った。


「図鑑を読むのが好きっていうの、真白に通じるものがある」


「……なんで私」


真白が、水道で手を洗いながら言った。


「真白も最初、花の名前よく知ってたでしょ。小春に教えてあげてたし」


「……覚えてない」


「あたしは覚えてるよ」


凛が笑った。


---


帰り道。


小春と真白は、並んで歩いていた。


桜並木の下。朝は満開だった桜が、夕方になって、花びらをたくさん落としていた。歩くたびに、花びらが靴の下でかさりと鳴る。


「先輩になっちゃったね」


小春が言った。


「……うん」


「遥ちゃんを案内してる時、ちょっとドキドキした。ちゃんと教えられてるかなって」


「……柚葉先輩みたいだった」


小春は、驚いて真白を見た。


「柚葉先輩みたい?」


「花の名前教えてる時。……ちょっとだけ」


小春にとって、それは最高の褒め言葉だった。あの温かい先輩のように、自分も誰かを迎えられたのだとしたら。


「ありがとう、真白」


「……別に」


桜の花びらが、二人の間を通り抜けていった。


「真白も変わったよ」


「……どこが」


「去年の真白は、新入生に自分から名前言ったりしなかったと思う」


真白は、少しだけ歩く速度を落とした。


「……言ったかな」


「言った。手を止めずに、だけど」


「……まあ。先輩、だから」


「うん。先輩だね、わたしたち」


桜並木を抜けると、夕焼けが見えた。空がオレンジ色に染まっている。


新しい一年が、始まった。


後輩ができて、先輩になって。柚葉先輩たちは、最後の一年に入った。


変わるものと、変わらないもの。温室は、変わらずそこにある。花を育て、人を迎え、季節を映す場所。


でも、その中にいる人たちは、少しずつ変わっていく。


小春は、夕焼けの中を歩きながら、それが少しだけ嬉しかった。


---


柚葉の園芸ノート 4月8日(月)晴れ


新学期。三年生になった。

リボンがえんじ色になって、まだ慣れない。


今日から温室の窓を開けた。

冬の間ずっと閉めきっていたから、風が入ってきた時、花たちが揺れた。嬉しそうに見えた。


新入部員が来てくれた。日向遥ちゃん。一年生。

バレー部の夏希さんの妹で、姉とは全然タイプが違う。

静かで、控えめで、でも花のことをたくさん知ってる子。


花壇計画: チューリップの花がら摘み、パンジー・ビオラの追肥、マリーゴールドとジニアの種まき準備。

スイートピーのつるが伸びてきた。そろそろ支柱を足さないと。


六人になった。テーブルが少し狭くなった。

でも、狭いくらいがちょうどいい。


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