標本の家
白い壁とガラスの棚が並ぶその家は、標本室のようだった。
家の中には、家主である老いた女性が、世界中のありとあらゆるものを標本にして保管している。
庭で拾った苔のついた石。
風に揺れる花びらの軌跡。
遠い国の砂漠の砂。
彼女が亡き夫と初めて出かけた日の、水族館の匂い。
そうした目に見えないものや、記憶の欠片までもが、彼女の手によって瓶や額縁の中に閉じ込められていた。
この家の使用人になった日、私は標本についての説明とは別で、彼女から一つのルールを教えられた。それは「標本に触れてはいけない」という決まり。わざわざ言うほどのものでもないことだった。
標本の家での仕事は、埃を払うだけの、簡単な流れ作業だった。棚に並べられた無数の標本は、静かに私を見つめているように感じられた。
ガラス瓶の中で褪せた色になった貝殻、漆黒のベルベットの上にピンで留められた小さな羽、標本箱の隅でひっそりと光る琥珀。どれもが厳密にラベルを貼られ、日付と場所が記されていた。それらも標本の一部として飾られているようだ。私は文字をこっそりなぞって、標本を眺めるのが好きになっていた。
気づけば、何か願望のようなものを抱いていた。これは多分憧れ、羨望からくるものだと思う。綺麗に丁寧に飾られた標本を、私は愛し、いつしかその愛される側になりたいと欲した。
彼女はそんな私を知ってか知らずか、時折標本になるまでの過程(作られ方)を語るようになった。私が掃除の手を止めて聞き入っていても、彼女はそれを良しとした。
使用人として働き出してから、三週間が過ぎた。
なんの変哲もない、いつも通りの午後。
私が掃除を終え、老婦人にお茶を運んだときのこと。ふと、彼女が語った標本の作り方が頭をよぎった。標本として完璧に残すには、生きたままの輝きを閉じ込めるのが最も良い、と彼女は言っていた。
「あなた、今日はとてもいい表情をしているわ」
老婦人は優しく微笑み、私の手からティーカップを受け取った。彼女の目が、私の首元、鎖骨のあたりをじっと見つめている。こっちまで照れてしまうぐらいの熱い視線だった。
「とても……愛おしい」
彼女の呟きが聞こえた後。
私はガラスのケースの中にいた。
いや、違う。私の記憶、感情、そしてこの肉体さえもが、彼女の標本の一部となっていた。私は、標本になる過程で彼女が語っていた「完璧に残す方法」を、身をもって知ることになった。それは、死ではなく、生きたまま、最も純粋な輝きを保ったまま、永遠に閉じ込められること。
私は、もう埃を払う必要もない。ただ静かに、他の標本たちと同じように、時を超えて彼女の愛を一身に浴びるだけ。ガラス越しの世界で、私は永遠に、彼女の愛を希求し続けるのだろう。
私も飾られた。