廃教会
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ラリィがスラム街で寝床にしていた廃教会は、近々取り壊されることになった。老朽化が激しく、倒壊の危険があるらしい。
確かに屋根は穴だらけで雨漏りしていたし、床が抜けている部屋もあった――そんな事を考えながら、ラリィはその教会を見上げていた。
ここに住み着いたのは、ラリィが13歳の時だ。稼ぎが少ないとレオに怒鳴られ、腹が立ったのでそのままレオの家を出たのが始まり。冬場は寒かったが、壁と屋根さえあれば良かった。
何よりも礼拝堂が気に入っていた。正面に大きく聖母を模したステンドグラスがあって、天井に描かれた神の周りには、沢山の天使が飛び交っている。ラリィは無神論者だが、聖母の前に立っていると何かに守られているような気持ちになれた。
「あれ、ラリィ? 今日は休みか?」
「よぉ、ヴィンス」
扉の外れた入り口の向こうから、ヴィンスの声がした。ラリィは片手を挙げて笑顔を向ける。
「剣士隊の入隊試験日だから、オレは休み。お前は?」
「ちょっと休憩した後、配達の仕事」
「おー。真面目に働いてんなぁ」
「お前は剣士。ジーナは食堂の調理師。2人とも真面目に働いてんのに、オレだけプラプラしてるわけにもいかねーだろ」
礼拝堂の壊れ掛けの椅子に、ふたりは並んで座った。
「ラリィ。体調は――」
「もういいって。しつこいぞ、お前」
「……だって……」
ラリィが逮捕されてから、ヴィンスはずっと後悔ばかりしていた。
「リズの言った通りだ。お前は弱くなんかなかったのに、オレが余計なことして……あのままでも、お前はひとりでちゃんと立ち上がれたんだ。昔からお前と一緒にいたくせに、オレは何にもわかってなかった」
「弱かったから、逃げたんだろ」
ラリィはヴィンスのポケットから煙草を抜くと、1本咥えて火を付けた。普段はほとんど吸わないが、たまに欲しくなる時がある。
「ひとりでなんか立てるもんか。昔からオレは、周りの人間に恵まれてんの。みんながオレを立たせてくれてんだよ」
「そんな事……」
「それより、今日はレオどーしたんだ? 昼飯食いに来たのに店閉まってんだけど」
レオの酒場の入り口には、準備中の札がぶら下がっていた。ラリィ曰く、金と酒の亡者であるレオが店を閉めているのは珍しいことなのである。
「ジーナが店辞めてから寂しそうだったからなぁ。どっかで飲んだくれてんじゃねーか?」
「久しぶりにレオの不味い飯が食えると思ったのになぁ」
「あの味で金取るんだから、ほとんど詐欺だよな。それなのに、何故かまた食いたくなるっていう」
「それな!」
礼拝堂の中に笑い声が響く。
それが何だかとても懐かしくて、嬉しくて、ヴィンスの目が潤んだ。
「えー……キモいって。なんで泣くんだよ……」
「だって……もう2度とラリィとこんな風に喋れないかもって思ってたから……」
「やめて。逆に死亡フラグっぽいから、マジでやめて。今オレ、そーゆーの笑えない」
「何だよ、それ」
涙と鼻水を服の袖で拭い、笑うヴィンス。
その時、俄かに外から騒がしい声が聞こえてきた。
ラリィとヴィンスは顔を見合わせ、立ち上がる。
「何かあったのか?」
「お……あぁ、ラリィか。そこで――」
「おい! 余計な事言わなくていいんだよ!」
近くにいた男に声を掛けたラリィだったが、後ろからやってきたレオがその男の言葉を遮った。
通りの奥の方に、何やら人集りがある。男は肩を竦めると、その人集りの方へと向かって行ってしまった。
「レオ。何だよ、気になるだろ? 喧嘩? 事件?」
「何でもねぇ! っつーか、てめぇはもう、こんなトコに来るな!」
「はぁ? 何だよ急に……」
レオはラリィの隣のヴィンスに目配せする。その意味に気付いたヴィンスは息を飲み、ラリィの背中を叩いた。
「昼飯まだなんだろ? なんか奢ってくれよ。な?」
「お前、今から仕事があるって言ってなかったっけ?」
「もうちょっとだけ時間あるし――」
人集りの方から、警察官がやってくるのが見えた。大勢いるうちの2人の警官が、レオの方へと歩いて来る。
「第一発見者のレオだな? まったく……この一帯はトラブルが耐えないな……」
「ご丁寧に報せてやったのに、随分な言い方だなぁ? これだからお役所人間は嫌ぇなんだ」
「第一発見者?」
「ほ、ほら、ラリィ! 行こうぜ! 腹減って死にそうだ!」
首を傾げるラリィの腕を引っ張るヴィンス。
すると警官の1人がラリィに気付いた。
「ラリィ=バイオレットか。あの時と同じだからって、また犯人を嬲り殺すんじゃねぇぞ?」
「同じ……?」
どう言う事かと、レオとヴィンスを睨むラリィ。
「何でもない! だから早く行こうって!」
「あぁ、そうだ! 早く行け! てめぇには関係ねぇ話だ!」
「何があったんだ?」
ヴィンスとレオを無視して、ラリィは警察官に尋ねた。
「何だ、知らないのか? あの時と同じように、腹を裂かれた女の遺体が発見されたんだよ。先週から続けて3人目だ」
「腹を裂かれた遺体……」
レオたちは額を押さえる。
リディアの時と同じような殺人事件が、またこのスラム街で起きていた。折角立ち直ったラリィには、聞かせたくない事件だった。
「あー……どっかのクソ馬鹿野郎が模倣してんだろ。気にするな」
「そ、そうそう! 沢山税金貰ってる奴らが明日にでも捕まえてくれるから、ラリィはもう忘れていいからな!」
「……」
必死でフォローするレオたちの言葉を聞き流しながら、ラリィは腰の短剣にそっと触れた。
「犯人の目星はついてんの?」
「ついていたとして、お前らに教えると思うか?」
「オレとお前の仲じゃん?」
「お前のことはよく知っているが、仲良くなった覚えはないな」
この警察官には、散々補導されてきたのである。
「せめて人間か魔物かだけでも教えてよ」
「はぁ? こんな街中に魔物が出るわけがないだろ?」
ラリィは口を閉ざし、考える。
これが魔物であれば弥月が絡んでいる可能性が濃厚なのだが、人間であるのならばただの模倣犯だろうか。
「なぁ、ラリィ……?」
「オレなら大丈夫。それよりも、これ以上被害者が出ないように、女と子供は気を付けてやって」
心配そうなヴィンスに、ラリィは笑いかける。
「ラリィ。てめぇ、絶対にこの件に関わるんじゃねーぞ。てめぇの敵は魔物だ。その腰にぶら下げるモンで斬るのは、人間じゃねぇからな!」
「わかった、わかったって! じゃあオレは、この件が解決するまでここには来ない。それでいい?」
「お、おう……それでいいんだ」
やけに聞き分けが良くて、レオは拍子抜けした。
それからラリィは警察官の方へ向き直る。
「じゃあ、そーゆーことで。早く犯人逮捕してちょーだいね」
そして手を振ると、ラリィはスラム街を後にした。




