88.リディア
それからリズは毎朝、その道を走った。
友達になろうなどただの社交辞令かとも思ったが、ラリィは律儀に毎朝リズを待っていた。
そして30分だけお喋りをして、リズは帰って行く。それが日課となっていた。
「ラリィは普段、何をしているの?」
「色々。レオの酒屋の手伝いをしたりとか、日雇いとか、道端でパフォーマンスしたりとか」
今日みたいな休みの日は、適当な時間にやって来て、夕方頃までここで過ごした。
道端の階段に座って喋る。ただそれだけ。
時々ガラの悪い連中に絡まれることもあったが、そのほとんどはラリィの顔見知りか、彼を見て嫌な顔をして去って行った。
「パフォーマンス?」
「手品とかかな」
そう言ってラリィはポケットからコインを取り出し、それを手のひらや甲を使って生き物のように動かしてみせた。そして左手から消えたと思えば、耳から出してみせる。
「すごい! 器用なのね」
「そう。器用なの、オレ。だから金持ってるおっちゃんとか見ると……」
わざと悪い表情を浮かべ、何かを盗むような仕草をするラリィ。
やはりラリィは、根っからの善人というわけではなさそうである。
「いつか捕まるわよ?」
「もう何回も捕まってる」
そう言って笑うラリィにリズは呆れたが、不愉快ではなかった。
ラリィの話はいつも面白い。根っからの善人ではないが、根っからの悪人でもない。
「剣士になるのって難しい?」
「どうだろう? 筆記試験が合格できたら、実技試験は決まった合格ラインがあるわけじゃないみたいだけど」
「筆記試験かぁ。じゃあオレには無理だな。読み書き苦手だもん」
「私だって、知らない国のことをイチから勉強してるのよ」
「リズは外国にいたのか?」
「私はーー」
言いかけた時、通りの向こうからヴィンスが手を振って現れた。
「よぉ、リズちゃんもいたのか」
「私がいたらマズい?」
「いやぁ……」
苦笑いを浮かべるヴィンスの背後には、子供がいた。
頭に大きな赤いリボンを飾り、フリルの沢山ついたドレスを着た、まだ年端もいかない幼い少女である。
「どうしたんだ、この子?」
ラリィも知らない子供である。
「さっきそこで拾ったんだ」
「拾った?」
ラリィは目を瞬かせ、再度少女を見る。
真っ白で柔らかそうな頬。長い金の髪はふわふわしていて、透き通るような青い大きな瞳でラリィを見上げている。
「お人形さんみたいな子ね」
人の美醜に疎いリズでも、この少女は可愛いということはわかる。
「だろ? めちゃくちゃ上玉だろ? どうする、ラリィ。この子、売る?」
半ば本気の冗談を口にするヴィンスを睨み、ラリィは少女を怖がらせないよう、極力笑顔で声を掛けた。
「名前は?」
「リディア」
少女は鈴の鳴るような声で答えた。
「オレはラリィ。こっちのねーちゃんがリズで、こっちがヴィンス。リディアは道に迷ったのか? それとも、ヴィンスに連れてこられたのか?」
「おい。オレは別に誘拐したわけじゃねーぞ! その辺ウロチョロしてたから声掛けただけだし!」
非難の声を上げるヴィンスの横で、リディアは首を傾げている。それから何かを思い出した顔をして、ポケットに手を入れた。
「これ。ママが、優しい人に渡しなさいって」
そう言ってリディアがラリィに差し出したのは、手紙だった。
字の読めないラリィは、それをリズに受け渡す。
「ーーこの子のお母さん……」
言いかけて、リズは言葉を濁した。
手紙には、娘と心中を図ろうとしたが、自分の勝手で娘の命までは奪えないこと。そして娘を幸せにしてあげて欲しいと、震える字で綴られていた。
「……じゃあ、お巡りさんのトコ行くか」
リズの表情から事情を察したラリィは、リディアをひょいと抱き上げる。その小さくて軽い生き物を抱え、近くの交番へと歩き出した。
「リディア。最後に飯食ったのいつ?」
「昨日チョコレート食べたよ」
「それから?」
「それだけよ」
ラリィは足を止めた。後ろから付いて来ていたヴィンスは、嫌な予感を覚えて必死に両手を振る。
「ラリィ、ダメ。レオもいつも言ってるだろ? 野良猫に餌はやるなって」
「こんな小っせぇのに腹空かせてるの、可哀想じゃん」
「俺らだって自分が食っていくだけで精一杯だろ。やめとけって」
ラリィはリズを振り返った。リズは困った顔をしているだけで、賛成も反対もしない。
「あの手紙、優しい人に渡せって言われたんだよな?」
「そうよ」
リディアはニッコリと笑う。
この小さな子供は、きっとまだ、自分の母親が死んだことを理解していないだろう。ただ母親の言いつけを守り、優しい人を探して歩いていたに違いない。
「手紙、読んじゃったからなぁ」
ラリィは回れ右をすると、交番とは逆の方向へと進み始めた。
「飯食ったら交番に届けるってことで」
「ラリィのトコに連れてきたオレが悪かった……」
ヴィンスの批難めいた視線を躱し、ラリィは寂れた酒場の中へと足を踏み入れた。
「いらっしゃ……ラリィ。何、それ?」
「ジーナ。この子に何かあったかいもん、食わしてやって」
カウンターの中にいたジーナは、ラリィが抱えた少女を見てキョトンとする。
「随分なお嬢様を連れてるじゃない。売り物?」
「拾ったんだよ。腹空かせてるみたいだから、警察に届ける前に何か食べさせてやりたくて」
ジーナは無言でヴィンスに視線を向けたが、ヴィンスはただ肩をすくめただけである。次にリズを見たが、すぐにジーナは目を逸らした。
「いいよ。ちょっと待ってな」
そう言ってジーナは扉の奥へと姿を消した。
カウンターの椅子にリディアを座らせる。足が床に着かなくて、それが面白いのかリディアは楽しそうに足をブラブラとさせた。
「すごい服だな。リズが言ったみたいに、人形みたいだ」
「リディア、お人形さんみたいになりたいってママに言ったの。そしたら昨日このお洋服を買ってくれたの。チョコレートも、昨日初めて食べたのよ。昨日はリディアの6歳のお誕生日だったから」
「そっか」
死ぬ前に、娘の望みを叶えてやりたかったのだろうか。それにしたって、よりにもよって誕生日に決別するなんて、残酷なことをしたものだとラリィは思う。
ジーナが運んできた熱々のシチューを、リディアは本当に美味しそうに食べた。いただきます、と手を合わせ、ご馳走様でした、とまた手を合わせたリディアを、ジーナは珍しいものを見るように見つめていた。
「いい子だね。可愛いし、ちゃんと躾もされているみたいだし、孤児院に行ってもすぐに里親が見つかるよ」
「孤児院ねぇ……」
ラリィとヴィンスはお互いに顔を見合わせる。
ヴィンスは数年前、飢えに耐えかねて孤児院に入ったことがある。
そこでは確かに飢えることも、寒さに震えることもなかったが、まるで軍隊のような生活を強いられた。
起床時間、就寝時間、排泄の時間まで分刻みで決められて、少しでも口答えをすれば折檻された。栄養剤と称して怪しい薬を飲まされ、反抗できないよう頭を朦朧とさせられたりもした。
結局ヴィンスは、1年足らずでここへ戻ってきたのである。
「里親っつっても、こっちは相手を選べないしなぁ。女の子は、変態野郎に引き取られることが多いって聞くし」
ラリィのセリフにリズの胸が少しだけ痛む。
だとすればこの子も、自分と同じような目に遭うかもしれないのだ。
「それしか方法は無いのかな……」
「ん?」
「あ、ううん。いい人に引き取って貰えたらいいな、って」
「そうだなぁ」
ラリィはリディアの頭をポンポンと撫でた。口元にシチューをべったり付けた少女は、ニッコリと笑ってラリィを見上げた。
「……ラリィ。変なこと考えるなよ?」
「なんだよ。別に何も言ってねーじゃん」
「俺はラリィの情に厚いところは長所だと思ってるけど、時々短所だとも思ってるからな」
「意味わかんねー」
リディアの口元を拭いてやった後、再び彼女を抱き上げる。
「よし。じゃあ、お巡りさんのトコ行くか」
「うん!」
わかっているのかいないのか、リディアは元気よく返事をすると、短い腕でラリィの首元にしがみ付いた。
「じゃあね、リディアちゃん。元気でね」
「バイバイ! またね!」
ジーナに笑顔で手を振って、リディアはラリィに抱き上げられたまま店を出た。その後ろを、リズとヴィンスは黙ってついて行く。
「お巡りさんがどんな人かはわかるか?」
「うん」
「オレとヴィンスはあんまり交番に近付きたくないから、近くまでは連れてくけど、リディアひとりでお巡りさんのところまで行くんだぞ」
「うん」
「んで、お巡りさんにさっきのママの手紙を渡せばいい」
「うんうん」
リディアは神妙に頷くものの、ラリィの腕の中でゴソゴソと落ち着きなく体を動かす。
「どした? 便所か?」
「ラリィ。肩車して?」
「肩車ぁ? いいけど……」
ヴィンスに手伝ってもらいながら肩にリディアを乗せると、彼女は心底楽しそうに笑い声を上げた。
「高ぁい!」
あまりにも嬉しそうに笑うものだから、ラリィも楽しくなってきて飛んだり走ったりしてみせた。すると頭の上の少女は、更に笑い転げる。
「ラリィって、本当に優しい人ね」
「優しいだけじゃねーけどな。怒らせたら怖ぇぞ」
ヴィンスに言われて、リズはラリィが怒るところを想像してみた。が、上手く想像出来なかった。
「怒ることあるの? ラリィが?」
「そりゃ、あるさ。強くなきゃここでは生きていけないしな。タイマンでラリィに勝てる奴なんて、オレが知る限りレオしかいない」
「へぇ」
リズの前にいるラリィはいつもニコニコしていて、とても誰かを傷付けるようには見えないのだが。
「ーーあ。お巡りさんだ」
あっという間に目的の交番へ辿り着き、ラリィはリディアを地面に降ろした。
「じゃあ、さっき言った通りにするんだぞ?」
「うん」
リディアはラリィたちから離れ、交番へと向かった。それをラリィたちは離れたところから見守る。
リディアは中にいた警官と言葉を交わしーーそして笑顔で警官に手を振ると、こちらへ戻って来た。
ヴィンスは思わず頭を抱える。
「なんで戻ってくるんだよ!」
「ママのお手紙、無くなっちゃった」
スカートのポケットの中を探るが空っぽである。
「……仕方ねーな。リズ、連れてってやってよ」
「私?」
リディアはリズの手を握り、その愛らしい顔で彼女を見上げた。
警察に連れて行けば、保護してもらえる。衣食住を与えてもらえる。
しかしーー
「ごめん……出来ない……」
リズもまた、孤児院から逃げて来た身である。
「リズ?」
「こらぁ! またお前ら、何か悪さしようとしてんのかぁ!?」
警官がラリィとヴィンスに気付いた。余程お世話になっているのか、警官は顔を真っ赤にしてこちらへとやって来る。
「やべっ! 取り敢えず逃げるぞ!」
「え? えぇ?」
「いいから! リズちゃんもリディアも走って!」
「かけっこー! あははは!」
ーー結局、リディアをどうするか決めあぐねたまま悪戯に時は過ぎ、いつの間にかラリィとリディアは一緒にいることが当たり前になっていた。




