80.村の長
「カッコいいなぁ! オレ、生まれ変わったら竜になりてぇな」
「馬鹿な事言ってないで、ウィルたちを追いかけましょう」
夢見る少年のような目でエルミナを見送るラリィの背中を、リズが軽く押す。セイルとゼンもその後に続いた。
彼らが降り立ったのは、村を一望出来る小高い場所だった。点々と並ぶ家々、畑や田んぼ、そして民家よりも少し大きな建物ーーおそらくウィルが通っていた学校だ。人口200にも満たない、小さな村である。
「……どうだ?」
ゼンはセイルに尋ねる。見覚えはあるか、という意味だ。セイルは短く首を振った。
「セイル先輩。俺の家、行きますか?」
振り返ったウィルの肩には、いつの間にか猫の姿になったフェリナが乗っていた。
「ネコに戻ったの?」
「1年以上猫でいたから、こっちの方が楽だそうですよ」
ネコはニャーと鳴き、ひらりとリズの肩へ飛び移る。
「ウィルは大丈夫?」
「……まぁ」
そう答えたものの、さっきから喉の奥が痛む。懐かしい景色と匂いが胸を締め付け、込み上げてくる感情を必死で飲み込んでいた。
「ここから見えるあの……青い屋根の家です」
ウィルは先頭に立つ。何も考えたくなくて、ただ足元だけを見つめて歩いた。
農道を進んでいると、作業していた女が顔を上げ、見慣れない一団に目を留めた。
「……ウィル……? あんた! ウィルだよ! ウィルが帰ってきたよ!」
「なんだって? ウィル? フェルのところのウィルか!?」
声を聞きつけた夫らしき男も飛んで来る。
ウィルはゆっくり顔を上げ、2人の顔を確認した。
「おばちゃん、おっちゃん……ただいま」
「ウィル! あんた……!」
女は目に涙をためてウィルを抱き締める。
「よく帰ってきたねぇ。長に知らせなくちゃ!」
「それで……後ろの皆さんはウィルのお友達? それとも悪い奴らかい?」
「だ、大丈夫! 職場の先輩だから!」
悪い奴らと答えたらどうなるのだろうかと考え、リズは少しだけ背筋がぞっとした。
「突然大勢で押し掛けてすみません。ウィルの家に寄って、ご両親のお参りだけしたらすぐに帰ります」
「まぁまぁ! これはご丁寧にどうも!」
「エルミナが運んだのなら問題ない。何もない村だが、ゆっくりしていきなさい」
その後もすれ違う村人たちに声を掛けられ、家に辿り着くまでに随分と時間を食った。
「すげー可愛がられてんじゃん、ウィル」
「こんだけ狭い村なんで、みんな家族みたいなもんなんですよ」
ウィルの頬はわずかに赤い。身内を見られるのは、妙にこそばゆいものだ。
村人たちのほとんどは、ウィルの帰省を喜んでいた。村を出て行ったことに怒っている者もいたが、それもまた心配ゆえのものだ。
「この家です」
青い屋根の家が近付いてくる。雪を被った玄関や庭、バルコニーは、この季節の花で彩られていた。
「誰も住んでいないのよね?」
「さっきのおばちゃんが世話してくれたんだと思います。母親と仲が良かったんで」
ウィルは玄関のドアノブに手をかける。
この村では鍵をかける習慣が無い。泥棒など入るはずがないからだ。それは空き家となったこの家も同じだった。
ウィルの手に馴染む、冷たいドアノブの感触。僅かに開いたドアの隙間から感じた、懐かしい匂い。
(あ……ヤな感じ……)
ウィルの手がぴたりと止まった。
意思とは無関係に汗が噴き出し、心臓が壊れた玩具のように狂ったリズムを刻み始める。視界が揺れ、あの日の惨劇が強制的に蘇った。
いつも通りに学校から帰宅したら、リビングに両親が倒れていた。母の首は胴体から離れて床に転がり、父は剣を握ったまま腹に大きな穴を開けていた。部屋は一面血に塗れていてーーあの死臭が今も鼻の奥にこびりついている。
「ウィル」
「っ!」
ドアノブを握りしめたウィルの手にセイルが触れた。壊れるほどの力で握っていたその手を、ゆっくりと解いていく。
「……俺の我儘に付き合わせて悪かった。無理しなくていい」
リズはウィルの額を流れる汗をハンカチで拭う。肩に乗ったネコも、心配そうに見つめていた。
「だいーー」
大丈夫、と言いたかった。
けれどもう、限界だ。
「中……入って、見てください」
それだけを絞り出し、顔を伏せて駆け出した。
「ウィル!」
追いかけようとしたリズを、ラリィが止める。代わりにネコに視線を送った。
ネコはリズの肩から飛び降りると、ウィルが曲がって行った道を追いかけた。
ウィルは後ろを振り返らず、ただ闇雲に両足を投げ出して走るーー
何も考えないように、身体中の酸素を使い果たすように。
それでも脳裏に張り付いたあの光景は消えなくて、ウィルは茂みの中に駆け込んで胃の中のものを吐き出した。
吐いても、吐いても、楽にはならない。
いい加減、乗り越えなくてはいけないのだとわかっている。アイザックやカストの時みたいに、両親の死も受け入れたい。
けれど涙は出ないのだ。
母親を思い出そうとすると、床に転がった頭が蘇る。甘いクッキーの香りは、血の臭い。あまりにも生々しい記憶たちが、恋しいと泣くのを阻むのだ。
「ニャォ……」
背後で聞こえたネコの声。
ウィルはひと呼吸置いてから振り返り、そこに先輩たちの姿は無いことにほっとした。
「……公園、行くか」
ネコはウィルの体を駆け上がり、上着の中に入り込む。
「お前さぁ、元の姿に戻って自分で歩けよ」
「ニャ」
ラリィとリズは家の外でウィルを待ち、セイルとゼンは家の中へと足を踏み入れていた。
1年以上誰も住んでいないはずの家は驚くほど綺麗に保たれており、両親が倒れていたリビングの床や壁も、痕跡がまったくわからないように修繕されている。
花の手入れも家の整備も、いつウィルが帰ってきてもいいように、と続けられてきたのだろう。荒れた自宅を見せるのは、あまりにも気の毒だと。
「竜と共同生活をしているということ以外は、本当に普通の家庭だな」
セイルはリビングに飾られた写真に目を向けた。
赤ん坊の頃から何気ない日常まで、至る所に写真が散りばめられている。
「……普通の家に、普通じゃない事が起きた……」
弥月という歪み。
その歪みを生んだのは、ウィルが持つあの指輪ーー
セイルは、あの指輪に見覚えがあると確信している。あの指輪が視界に入る度に、不快な頭痛は強くなるからだ。しかしこの家には、記憶に引っかかるものは何一つ無い。
リビング、キッチン、寝室、ウィルの部屋……隅々まで見たが、何も無い。
「ウィルに無理をさせてまで来る必要は……無かったか」
失望を滲ませた声で呟いた時、玄関先で賑やかな声が聞こえ、続いてドアを開ける音がした。
「ウィル、どこまで行ってたんだ?」
「公園まで散歩してたんです」
「本当に大丈夫なの? 無理しなくても……」
「リズ先輩が手ぇ握ってくれてたら大丈夫です」
「オレが握ってやろうか?」
「ヤですよ! リズ先輩がいい!」
「遠慮するなって!」
無理矢理ラリィに手を握られたウィルがリビングに顔を出した。
ウィルは両親が倒れていた床をなるべく見ないようにして、セイルへ顔を向ける。
「先輩、何か手掛かりは?」
「いや……」
「やっぱり、うちには何も無いですよねぇ……」
途方に暮れた空気が漂う。しばし沈黙が続いた後、ウィルが口を開いた。
「村長のじーちゃんはこの村が出来た時から住んでるんで、会いに行ってみますか?」
「その必要はないよ」
新たな足音と同時に、聞き慣れない声がした。
「おかえり。ウィル、フェリナ」
静かで穏やかな男の声。
ネコはウィルの上着の中から飛び出ると人の姿に戻り、ぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「じっちゃま!」
そこに居たのは、60歳前後の男だった。フェリナが呼んだ名前からすると、彼がこの村の長なのであろう。
「長老にしちゃ若くねぇか?」
「竜だからね。お望みならば、姿を変えられるよ?」
ラリィの言葉に、長老は柔和な笑みを浮かべる。
「私はアゼル。本来ならば村の人間以外は歓迎しないのだけれど、無事に2人を連れ帰ってくれたこと、感謝するよ」
リズたちに深く頭を下げるアゼル。ウィルは彼に向かって言う。
「じーちゃん。聞きたいことがあるんだけど」
「良ければ……見てもいいかな?」
頷いたウィルの頭に手を置き、アゼルは長い呪を静かに唱えた。
ゼンの目には、掌に淡く魔法陣が浮かんでいるのが見える。その魔法陣の意味を読み解こうとしてみたが、あまりにも難解すぎてすぐに断念した。
「ーー……色々な経験をしたね、ウィル」
「え? 今、何したんだ?」
「ウィルの頭の中の記憶を見せて貰った。この方が早いだろう?」
ただ手を置いただけにしか見えなかったラリィに、アゼルはニコリと笑って答える。
弥月みたいな力だとリズは思ったが、あれが魔法である以上、その魔法式を理解することさえ出来れば、きっとゼンでも同じことが出来るはずだ。
「さて……皆が欲しい答えは私が持っている。そして私が聞きたい答えはーー彼が持っているようだね」
と、アゼルはセイルを指差した。
「君の記憶も見てもいいかな?」
「ああ」
セイルは椅子に座る。その頭に同じように手を翳したアゼルは、眉を顰めた。
「これは……随分と頑丈に鍵をかけられているね。私の力では開けられそうにない」
顎に指を当てて思案し、それから皆を見渡すアゼル。
「本来ならウィルとフェリナの帰還を祝って宴を開きたいところだけれど……今は誰もそんな気分ではなさそうだね」
そして静かに告げた。
「ウィルとセイル。それから……シュイ=メイを宿している彼」
アゼルはゼンを指名する。
「この3人は、私についておいで。リズとラリィはフェリナの家でお留守番だ」




