79.リムの村へ
3本の背の高い木の下に、丸太を組んで建てられた小屋があった。
暖炉ではパチパチと火の粉が弾け、室内を柔らかいぬくもりで満たしている。ウィルは暖炉の前で濡れた長靴を脱ぎ捨てて、足先を火にかざしていた。
「誘拐されたセイル先輩をグリーンヒルに送り届けたのが、エルミナだったって?」
「そうじゃ」
エルミナは人数分のホットミルクをマグカップに注ぎながら答える。ウィルとフェリナの分には、蜂蜜がたっぷりと落とされた。
「あの日、この小僧はこの小屋の前に倒れておった。ご丁寧に住所の書かれた紙と一緒にの。小僧は眠ったままであったが、別段怪我や病気をしている風でも無かった。ちょうど暇をしておったので、とにかく住所にあった家の前に小僧を置いて、陰からこっそり様子を見ておったのじゃ。家の中から誰か出てきて、大騒ぎになっておったの」
「その住所の紙は誰が?」
「わからぬ。ただの迷子と思って、今日まで忘れておったわ」
「そんな奇妙な迷子、普通忘れるか?」
ぼそりと呟いたウィルのこめかみに、エルミナが容赦なく拳をグリグリと押し当てる。
「調子に乗るなよ、小僧。私はまだお主を許した覚えはないからの!」
「痛い痛い! 俺は悪くないってわかっただろ!?」
「我が娘の心を奪った時点でお主が悪いのじゃ!」
「フェリナ、ウィル好きー!」
フェリナがウィルの腕にぴたりとくっつくと、エルミナの怒りが再燃した。
「人間風情が我ら竜とどうにかなれると思うなよ!」
「思ってないってば!」
「フェリナ、ウィルと結婚するー!」
フェリナの発言は火に油を注ぐだけである。
「フェリナ! お主もいい加減にせい! お主は竜としての自覚が足りぬ!」
「フェリナ、村から出て行くウィル、悲しかった! 知らない街でウィル、独りにしたくなかったヨ!」
「だからと言って、お主が側におったところで何になる!」
フェリナは頬を最大限に膨らませ、母親に背を向けた。
「俺は……いてくれて良かったけど」
ウィルの小さな声に、フェリナの耳がぴくりと動く。
フェリナは、ウィルがグリーンヒルに到着してすぐに現れた。練習生として宿舎に入るウィルとフェリナは一緒にはいられない。一度そう説得して帰りかけたフェリナだったが、結局は野良猫としてグリーンヒルに残ったのである。
慣れない街で大人に混じることはしんどかった。寮に帰らず公園で野宿をしていた日もあった。その時側にフェリナがいてくれたことは、ウィルにとってとても心強かった。
「ウィルは時々フェリナを見捨てて女の子の所、遊びに行ってたけどね」
ジト目のフェリナの視線を、ウィルは笑って躱す。
「……俺も、ネコがいて、ありがたいと思っていた……」
ゼンがぽつりと続ける。妹の初めての笑顔は、ネコの話をした時であった。その後もネコは、フォトを沢山笑顔にしてくれた。
「ネコがいると、場が和むんだよな。寮の管理人のおっちゃんも、今回はネコを預かれなくて残念がってたし」
ゼンとラリィの言った『ネコ』という言葉に反応して、フェリナの輪郭が一瞬揺らいだ。
「ありゃ。油断するとネコになっちゃうヨ」
フェリナは竜としては幼く、変身能力も未熟だ。猫でいた時は『ネコ』と呼ばないと、人の姿に戻ってしまいそうになるのである。
「……ふんっ! 私の娘じゃからな。どんな姿でも愛らしいわ!」
そっぽを向いたエルミナの声の端は、どこか誇らしげだ。
「全員で村へ行くつもりか?」
「そのつもり。ダメ?」
リムの村人以外を案内するのは禁じられているし、前例もない。エルミナは渋い顔をする。
「長は良い顔をせんじゃろうな」
「言いふらすような人たちじゃねぇし……あ、報告なんかしないですよね?」
「そうねぇ……」
リズは苦笑いを浮かべる。リムの村が竜と交流があるのなら、報告すべき事象ではある。しかし半ば強引にウィルを説得してここまで来た手前、それを裏切るようなことは出来ない。
「俺は……昔ここで倒れていたということが分かった以上、やはり村へは行きたい。頼む」
セイルが静かに言う。
「お主はそれ以前の記憶が無いと言っておったな。その原因がリムにあるとは思えんが……」
「行ってみなければわからない」
エルミナは両腕を組んで暫く沈黙した。
悩んで、悩んで……そしてやはり部外者は連れて行けないと断ろうとした時ーーフェリナが勢いよく立ち上がった。
「フェリナが連れて行ってあげるヨ!」
「なっ……何を言い出すのじゃ!?」
「ママ、ダメって顔してる。だったらフェリナが連れて行く! じっちゃまに怒られたら、フェリナが謝るヨ!」
「ならん! そもそもお主、まだ竜の姿で飛ぶこともままならん癖に……」
「グリーンヒルまで行けたもん」
「人を運ぶのはまた違うじゃろう!」
「できるヨ!」
「フェリナも長の昔話をよく聞かされたじゃろ? 人間は、欲に駆り立てられたらどんな非道な行いでも躊躇わぬ生き物じゃ。リムはそんな人間たちから断絶された村。そこへまた外部の人間を入れるなど……」
「長の昔話って?」
「大昔のティルアとイシュタリアの戦争の話ですよ。じーちゃんも竜なんで、長生きなんですよね」
コッソリと尋ねるラリィに答えるウィル。
「この人たちは絶対に悪い事しない! それに長生きなじっちゃまなら、ウィルが知りたいことも知ってるかもしれない」
フェリナは真っ直ぐに母の目を見つめる。
「……ああ、もう!」
ついにエルミナが両手を上げた。
「どうなっても知らぬからな!」
小屋から村へ向かう移動手段は、エルミナが竜の姿になって運ぶというものだった。
小屋の外の物置き場には大人が4、5人入れるほどの大きな籠が置いてあり、セイルたちはその籠に入るよう指示された。
真っ白な体躯の白竜へと変じたエルミナは、優に10メートルは超える巨体の前脚を伸ばし、器用に籠の持ち手を掴んで翼を広げた。
「すげー! すげーすげー! オレ今、空飛んでるー!」
あっという間に籠が大地から離れると、ラリィは籠から身を乗り出さんばかりに興奮して叫ぶ。
「ば、馬鹿! 動かないでよ!」
ラリィが揺らす度に籠は傾く。リズは青ざめた顔でラリィの腕を掴んで座らせた。
その隣でゼンは防寒用の毛布にくるまって、無表情のまま固まっている。セイルはというと籠の持ち手が千切れないかと、不安そうに上を見上げていた。
この方法ならば確かに、村からグランチェスまでの道のりをウィルが知らなかったのも頷ける。
エルミナ後方では、ウィルの乗った1人用の小さな籠を抱え、灰色の小柄な竜がフラフラと危なげに飛んでいた。
「おま……っ! バカ! 真っ直ぐ飛べー!」
「ちゃんと飛んでるよー!」
「前を見ろって! 鳥! 鳥に気を付けろよ!?」
「もー! ウィルは怖がりだなぁ」
ウィルの悲鳴が雪山の上空にこだまし、響く。
エルミナにとって5人乗った籠を運ぶことは造作もない。だが人を運んだことのないフェリナに運ばせることで、ウィルに対する怒りの溜飲を下げることにしたのである。
「フェリナ。着地の時が最も難しいぞ。籠を地面に擦らんように気を付けるのじゃ」
「はーい!」
両前脚を高く挙げて元気良く返事をしたその瞬間ーー
「あ」
「バカバカバカー!」
フェリナの手を離れ、籠ごとウィルが落下。フェリナは慌てて追いかけ、キャッチした。
「えへ。ごめんね」
「……もうヤだ……」
「あいつら、仲良いなぁ」
ラリィには単なるじゃれ合いにしか見えていないようで、微笑ましそうに眺めている。
「俗に言う幼馴染じゃからな。共に机を並べて学んでおったのじゃ」
「竜も学校に行くのか?」
「リムの村では、竜も人間と同じ様に生活しておる」
「へぇー! じゃあ意外とグリーンヒルの中にも竜が混じってたりすんのかな」
「ーー下降するぞ」
エルミナが告げた途端、ラリィたちの体が一瞬ふわりと浮いた。
「っ!」
「ひゃっほー!」
冷たい風を切りながら、下降していく。
リズは心臓をギュッと掴まれるような感覚に、思わず体を強張らせた。対してラリィは両手を挙げて、まるで遊園地のアトラクションのように楽しんでいる。
「……酷い乗り心地だな……」
そっと地面に置かれた籠からゼンが降りる。もう揺れていないはずなのに、足元はまだおぼつかない。
「暖かい……?」
「長の力で、僅かに気候を調整しておる。人の身で真冬の雪山に住むのは酷であるからの」
セイルの言う通り、雪山の中腹であるにも関わらず地面は雪が薄く積もる程度で、かすかに土肌が見えている。
「っ痛ぇ! お前さぁ、気を付けろって言われたばっかじゃねぇかよ!」
遅れてフェリナとウィルが到着した。着地が少し強かったせいか、ウィルは籠の中でボールのように転がっていた。
「ウィル、文句しか言わない。フェリナ頑張ったのに!」
フェリナは竜から人の姿に戻ると、ウィルに舌を出して見せる。
「はいはい! それはお疲れ様でした!」
「ねぇ、ウィル! どこ行く? いつもの公園行く? 学校行く? 皆に会いに行く?」
「おい、ちょっと待てって!」
フェリナはウィルの手を引いて、村の入り口へと駆け出して行った。
エルミナは2人の背中をやれやれといった様子で見送る。
「私は一度下へ戻るが、夜には家に帰る。フェリナに門限通り帰宅するよう伝えておくれ」
そう言い残すと、エルミナは翼を羽ばたかせ、再び雪の舞う大空へと飛び立って行った。




