75.真冬のランニング
侯爵邸に戻るや否や、ディアス侯爵はウィルたちの元へと飛んできた。
少年のような輝きを瞳に宿し、興奮冷めやらぬ様子でラリィの手を取る。
「やっぱり! やっぱり守護剣は他にもあったんだなぁ! いやはや、こんなにも心が踊る出来事は久方振りだ! しかも剣に選ばれたのは貴殿だと聞きましたが、初めから並のお方ではないと感じておりました!」
「だろ!? これ、見る? ラグエルの槍!」
「ほっほぉ!」
侯爵はラリィの手の中の槍を楽しそうに眺め、少し触れては乙女のようにはしゃぐ。
「この新しい守護剣の処遇のことで、本部からこちらの伝話に連絡があると思うのですが……」
「どうぞどうぞ。うちの伝話士は24時間交代で常駐しております故、好きな時にお使いください」
リズの申し出にもニコニコと応じる侯爵の足元に、ゲストハウスで留守番をしていたはずのネコが擦り寄ってきた。
「あ、おい……」
「構いませんよ。メイドが掃除に入った際についてきたのでしょう」
止めようとしたウィルを制し、侯爵はネコを拾い上げる。
「私は動物が大好きでね。この屋敷の中には猫も犬も猿もおります。中でも竜が大好きで、よくバルコニーから山を眺めてはこちらに飛んでこないものかと願っているのですよ」
はっはっはっ、と笑いながらネコをウィルに手渡した。
「竜……」
「彼らは特定の人間としか交流しないと言われています。裏を返せば、竜族は人と交流できると言うこと。いつかこの街の人間とも交流できるようになれば良いのですがね」
壮大な夢を語る侯爵に、ウィルは曖昧に笑って頷いた。
「お疲れのところを足止めしてしまって申し訳ない。夕食を離れに用意させますので、どうぞごゆるりとお寛ぎください」
「ぅおぉぉぉぉぉ! 久々の明るい場所だ! あそこから抜け出してやったぞ! ザマァ見ろ、クソ焔真ぁぁ!」
開口一番、ラグエルは雄叫びをあげた。
既にこのテンションに慣れたラリィは、笑顔でそれぞれのメンバーのリアクションを観察する。
ウィルは両耳を手で塞ぎ、リズはポカンと口を開けている。ゼンはやはり無表情でノーリアクション。セイルは眉間に皺を寄せて不快を露わにした。
「全員オレの予想通りの反応だな」
「こいつ、頭は大丈夫な奴なんですか?」
「あんまり大丈夫じゃないかもな!」
ラリィの返答にウィルは苦笑いを浮かべた。
「ラグエル……だっけ? お前、焔真に閉じ込められてたって?」
「そうだよ! さぁ、ラリィ! 焔真を連れて来い! ぶっっっ殺す!」
「連れて来いったって無理だよ。あいつがどこの誰だかわかんねーんだから」
「はぁ!? 話が違うじゃねーか!」
「そもそも、そんな話をした覚えはねーぞ!」
不思議なもので、非常識人を相手にするとラリィが常識人のように見えてくる。
「五月蝿い……! 声のトーンを落として喋れ」
「あぁ? なんだ、てめぇは? 強そうだな。オレとバトルするか!?」
睨み付けるセイルに、ラグエルはファイティングポーズで近付いていく。当然、ラグエルが打ち出すパンチはセイルの体をすり抜けた。
「くそっ! 面白くねぇな! ……つーかお前、オレとどっかで会ったことあるか?」
「ない……と、思うが」
記憶を失くす以前に面識があったなら頭痛を引き起こしているはずだが、それはない。
「じゃあオレの気のせいだな」
「焔真とはどんな関係だ?」
「どんな関係でもねぇよ!」
セイルの問いを一蹴するラグエル。セイルは苛立ちをため息で抑え、リズに視線を送った。お前が話を進めろ、の意味である。
「ラグエル。焔真はどういう人なの?」
「俺を閉じ込めたムカつく野郎だ!」
「それじゃあ、どうして焔真はあなたを閉じ込めたの?」
「知らねぇよ! 頭のネジがイカれたんじゃねーのか!?」
「……弥月の事は知ってる?」
「知らねぇな!」
質問には答えるものの、どれも的を得ない返答ばかりである。
「もういいだろ。ここに焔真がいないならオレに用はねぇ! オレはその辺を走ってくる!」
「あ、ちょっと待って! ラリィ、ラグエルを戻して!」
壁という物理を無視してどこかへ走って行くラグエルに、リズは慌てて声をかけた。しかし戻ってくる様子はなく、ラリィはラグエルを一旦紋章の中に呼び戻し、それから再度封印を解く。
「何しやがる、てめぇ! オレを閉じ込める気でいるなら、てめぇもぶっ殺すからな!」
「別に閉じ込める気なんてねぇけどさぁ」
「新たな守護剣としてグリーンヒルに報告した以上、精霊の存在が人にバレるのはまずいのよ」
キリーたちはイシュタリア王との約束を守り、外では浮いたり壁をすり抜けたりはせず、人として振る舞っている。しかしラグエルにはその認識はないだろう。
「そんなことオレには関係ねぇ! オレは! 外を! 走りてぇんだ!」
「わかったわ」
リズはニッコリと笑顔をラリィに向けた。
「いってらっしゃい、ラリィ」
「は? オレ?」
「一緒に走ってきなさい。ラグエルが飛んだりすり抜けたりしないように、ちゃんと見張ってね」
「え……」
ラリィは窓の外を見る。日はすっかりと落ち、先程から雪も降り始めている。なんならちょっと吹雪いていたりする。
「私は本部の連絡を待たなきゃいけないし、ゼンも報告に立ち会うように言われているから離れられないの。セイルは負傷しているし、ウィルをこんな吹雪の中に放り出したら可哀想じゃない?」
「異議あり! ウィルのその理由だったらオレにも当てはまるはずだよな!?」
「ラグエルは何年も同じ場所から動けなかったのよ? 久しぶりに外の景色が見たいというその思いは理解できるんじゃない?」
「そりゃ……まぁ」
「いってあげなさい」
後光の差す聖母のような微笑みを湛えるリズ。
ラリィはぐっと拳を握りしめると、意を決してラグエルを振り返った。
「ちょっとだけだからな!」
「おぉ! オレに付いて来い、ヘナチョコ!」
ゲストハウスを飛び出して行ったラリィとラグエルを、黒い笑顔で見送るリズ。
「ほんと、馬鹿だわ」
「俺はちょっと、リズ先輩が怖いですけどね……」
「ウィル? 何か言った?」
「いえ、何も」
リズから目線を逸らしたウィルは、先程から何かを考えるように黙っているゼンを見た。
「ゼン先輩、何か気になることでもありました?」
ゼンは壁の1点を見つめながら、膝の上のネコをゆっくりと撫でている。
「……弥月は……守護剣の精霊のようだな……と」
「はい? 弥月が?」
説明が苦手なゼンは、どう切り出せばいいだろうかと迷う。少し間を置いて、ゆっくりと口を開いた。
「魔法を使う時……魔力がある人間には、魔法陣が見える」
ゼンの手の中に、小さな明かりが灯った。
魔法が生まれる瞬間、目には一瞬だけ魔法陣が映るーーそれは魔法が発動した証だ。
しかし魔力を持たないウィル、リズ、セイルには、その魔法陣は見えない。
「でも弥月が姿を消す時……魔法陣はどこにも見えない。……俺やリズの記憶を取り出した時には、見えたのに……」
「つまり、魔法で移動しているわけじゃない?」
「今のラグエルのように、精霊が……紋章に戻る時に似ているな、と」
ウィルは眉を顰める。
「でも弥月には触れるし、ラリィ先輩は手を切り落としたこともーー」
脳裏を過ぎる、セドリックの言葉。
躊躇なく人の手を切り落としたラリィには、本当に殺人の前科があるのだろうか。いや、あの能天気な人がそんな事をするはずがないーーと思いながらも、胸の奥に小骨のように引っかかって残っている。
「あの……ラリィ先輩ってーー」
ウィルがそう言い掛けた時、ゲストハウスのチャイムが鳴った。




