67.傷の手当て
「蓮ちゃんの馬鹿ぁ! なんでそんな無茶するのよぉ!」
「……うるさいって」
「だって……だってぇ……! 蓮ちゃんが死んじゃうー!」
「鈴。心配なのはわかるけど、ちょっとだけ落ち着こうよ」
遠くの方からなんとなく聞き覚えのある声がして、セイルは顔をそちらへ向けた。
学生服姿の男女3人組。泣き喚いている女の方の声は、今日支部で聞いた声である。セイルは鈴菜の顔は見ていないが、この甲高い声は会議室までよく聞こえて来ていた。
(早くクレイドルを退治しろと騒いでいた女か……)
関わらないでおこうと一度顔を背けたが、ひとりの男の方の左腕が血塗れであるのを見てしまった。
これが剣士の誰かであったのなら無視するのだが、街の学生である。しかもーー
「おい。魔物にやられたのか」
「は……? 別にーー」
「そうなの! 死んじゃうかも……」
「うるさいって。これくらいで死なないよ」
「放っておいたら死ぬぞ」
セイルは男のーー鈴菜に蓮と呼ばれている方の男の左腕を掴む。蓮は痛みに顔を顰めたが、セイルの手を振り解く力は無かった。
裂傷付近の皮膚の色が変色し、泡立っている。毒を持つ魔物特有の傷口である。
「毒のある爪か何かで引っ掻かれたんだろ。明日の朝にはこの腕、腐り落ちるぞ」
「腐……」
鈴菜の顔からザァーっと音がするほどの勢いで、血の気が引いていった。翅も驚いた顔をして、しかしなるべく冷静を保ってセイルを見返す。
「この子、そういう冗談通じないですよ」
「冗談だと思うなら帰ってそのまま寝たらいい。健全な学生生活を継続したいなら、ついて来い」
そう言ってセイルは歩き出した。この場所からだと病院や支部よりも、侯爵邸の方が近い。
「鈴、翅、帰ろう。変な人に関わっちゃダメだ」
「蓮ちゃん、翅ちゃん! ついて行くよ!」
「はぁ!? 正気!?」
「鈴の勘は、この人が正しいって言ってるの!」
「鈴の勘って、信用できるかなぁ……?」
「おかしな事をされそうになったら、鈴がふたりを守ってあげるからね!」
めちゃくちゃ不審者扱いをされながらも、セイルは3人を率いて侯爵邸に向かって歩く。
「お前、名前は」
「……蓮。蓮=ヒイラギ=オータムリーフ。こっちは鈴菜と翅」
「オータムリーフ……楓=オータムリーフの弟か」
「姉ちゃんの知り合い?」
わかりやすく警戒の眼差しをセイルに向ける蓮。しかしセイルは蓮の質問には答えない。
「……お前の姉、どんな女だった?」
「は? いきなり何なの? 意味わかんないんだけど」
「楓ちゃんは、すっっごく優しいお姉ちゃん……だったよ」
「優しくて、清楚で、しっかり者だったよね」
警戒を強める蓮に代わって、鈴菜と翅が答えた。
「そうか」
「で、何? 俺の姉ちゃんとどういう関係?」
「蓮。どこで魔物と遭遇した?」
「君さぁ、人の質問に答えるって常識はないの?」
「じゃあ俺の質問に答えろ」
「ムカつく……っ! 街の外だけど?」
「その魔物はまだ生きているか?」
「俺が殺した」
「ならいい」
質問は以上である。ポケットから煙草の箱を取り出すセイル。しかし1本口に咥えようとして、蓮の無事な方の手にそれを奪われた。
「信じらんない。歩き煙草はやめてよね」
思いもよらず、セイルは瞬きをする。それから小さく笑った。
「蓮……こんな怖そうな人にやめなよ……」
「歩き煙草する人の仲間だと思われたくないし、怖くもない。あ、言っておくけど、俺たちの前では室内でも吸わないでよね。副流煙で汚されたくないから」
「お前、面白いな」
笑うセイル。初対面でこんなにもハッキリと物申されたのは、初めてである。
「学生だろ、お前たち。街の外で何をしていた?」
「別に俺がどこで何をしていようと、君に関係なくない?」
「姉がクレイドルに殺されて、弟まで殺されに行くつもりか」
「っ! 俺がクレイドルを殺すんだよ!」
「蓮ちゃん!」
鈴菜が蓮にしがみ付く。それが傷口に響いて、蓮は顔を歪めて口を閉ざした。
「雑魚にやられておいて、クレイドルを倒すとはよく言ったものだな」
「偉そうに……じゃあ君なら倒せるわけ?」
「さあな。やってみなければわからん」
セイルは侯爵邸の敷地に入って行く。
「え……ここって……」
「早く来い。そろそろ指が腐り始めるぞ」
侯爵邸だと分かって躊躇する3人を煽るセイル。鈴菜は慌てて蓮と翅の背中を押して、後を追った。
「あれー? 鈴ちゃんじゃん? どしたの?」
離れに入ると、風呂上がりのラリィがリビングに居た。
「え? 誰だっけ?」
「今日、剣士隊の支部で会っただろ? オレ、ラリィ」
「そうだった? ごめんね。鈴、蓮ちゃんと翅ちゃん以外の男の子の顔の区別がつかなくて」
「いい性格してるなぁ。んで? 今度こそ『蓮ちゃん』?」
蓮はジロリとラリィを睨む。
「剣士隊の支部? どういうこと? 鈴。また無駄な直訴しに行ったの?」
「だって……」
「ってかお前、腕えらいことになってんじゃん? どうしたんだよ、コレ」
ラリィたちの声を聞き付けて、2階の寝室からウィルとゼンが降りて来た。
「……どうし……あぁ……」
ゼンは一目見て、蓮の腕に毒が回っているのを理解する。回れ右をして、荷物の中の解毒薬を取りに戻った。
セイルはコートを脱ぎながら、ウィルに指示を出す。
「バスルームで傷口を洗ってこい」
「あ、バスルームは今………………いや、一刻を争う時だから仕方ねぇな!」
ウィルは蓮の手を引いて、嬉々とした表情でバスルームに向かう。
「リズせんぱーい! 緊急事態なんで、入りまーす!」
「は?」
入浴中のリズの返事も待たず、ウィルは扉を開けた。
「ちっ。泡風呂か」
「緊急事態って……何なの?」
残念ながら、バスタブに入っているリズはモコモコの白い泡に包まれていて、ウィルの期待する景色では無かった。リズはリズで、悲鳴を上げるなど可愛らしいリアクションも無い。
「え、あ、は? ちょっ……!」
蓮だけが顔を熟れたトマトみたいに真っ赤に染めて、リズから顔を逸らす。
「こいつ、ほら支部で騒いでた鈴菜の彼氏です」
「あぁ、蓮ちゃん?」
「この腕見てくださいよ」
「あらら……しっかりと洗ってあげて」
「ちょっと! なんなんだよ、この状況は……って、痛っ! 痛いっ! もうちょっと優しくできないわけ!?」
「あーあ。眼福チャンスかと思ったのになー」
蓮の傷口を石鹸でゴシゴシ容赦なく洗うウィル。
「傷自体はそんなに大きくねぇし、綺麗だな。解毒薬を打てば、縫わなくても大丈夫そうですよね?」
「そうね。傷はここだけ? 他は大丈夫?」
「……っ」
蓮は首振り人形のように無言で首を縦に振り、洗い終わると逃げるようにバスルームから出て行った。
「すっげぇ慌てぶり」
「多分、彼のリアクションが普通なのよ。ウィルも早く出て行ってくれる?」
「はーい」
肝心なものは何も見えなかったが、これはこれでいいものが見れたと、ウィルは満足しながらバスルームを出る。
「蓮、大丈夫? 顔、真っ赤だけど……」
「だ、だ、大丈夫……っ!」
毒のせいかと心配する翅だが、鈴菜の前で本当のことは言えず蓮は首を振って応えた。
蓮は、ゼンに解毒薬の入った注射を打ってもらう。蛇足であるが、この場合の医師免許は不要なのである。
「見えた?」
「残念ながら」
小声でラリィがウィルに確認する。
「お前、勇気あるよなー。オレがやったら殺されてるぞ」
「まだ13歳なんで」
「時々その言い訳使うけどさ、13歳ってもう色々と許されねー歳じゃねーか?」
「声変わりするまではセーフですよ」
「そんなもんだっけ? ってかお前、声変わり始まってるよな?」
「マジで? 自分じゃよくわかんなくて。……じゃあもう、色々とアウトじゃないですか」
「ウィル……後でリズにちゃんと謝っておけ」
静かにゼンに注意され、ウィルは小さく舌を出した。
「まだ暫く痺れるだろうが、そのうち治るはずだ。明日の朝になっても痺れが消えていなければ病院へ行け」
傷口を消毒し、包帯を巻きながらセイルが言う。
蓮はバツが悪そうに頭を掻いた。
「蓮ちゃん。ちゃんとお礼言った方がいいんじゃない?」
「……ってゆーか君たち、何者なの? ここ、ディアス侯爵の邸宅だよね? 貴族や役人には見えないけど」
「オレたち、グリーンヒルから来た剣士だよん」
ラリィの答えは、蓮にとっては意外なものだった。
「剣士? 君たち全員? この子も?」
「俺が剣士じゃマズイかよ?」
この小柄な少年は今、13歳だと言っていなかっただろうか。蓮より4歳も年下である。
「剣士って子供でもなれるわけ?」
「才能がありゃなれるんだよ。っつーか、子供って言うな。微妙なお年頃なんだから」
「魔物1匹が倒せなくて、遂に子供まで投入するんだ? この国自慢の専属剣士サマは、本当に頼り甲斐があるね」
「命の恩人に向かって口が悪ぃ野郎だな」
額に青筋を浮かび上がらせるウィル。
「クレイドルの被害者の弟だ」
「おと……弟かよ」
セイルの言葉を聞いて、ウィルの怒りは矛先を失った。
「わざわざグリーンヒルから来たってことは、貴方たち強いんでしょ? クレイドル、退治できる?」
「オレ以外はみんな強いから大丈夫。ちゃんとやっつけてくれるからな」
縋るような鈴菜に、ラリィが笑顔で答えた。好みのタイプ、どストライクの女の子の上目遣いはたまらない。
「ラリィちゃんは弱いの?」
「オレは根性だけで戦うタイプ」
「あははっ。何それ」
声を上げて笑う鈴菜。その笑顔が、ラリィのハートに矢を突き刺しまくる。
「あー! くっそ可愛いなぁ! お前ら、ホントに付き合ってんの!? 羨ましすぎるんだけどー!」
蓮の背中を叩きながら悶えるラリィ。
「はぁ!? な、何なの急に!?」
「鈴は、生まれた時から蓮ちゃんのお嫁さんになる運命なの♡」
「やめろって! そういうの恥ずいから!」
「オレもそんな事言われてみたーい!」
「……いいな。なんか……青春だな……」
ゼンもなんだか羨ましそうである。
「鈴と、蓮ちゃんと翅ちゃんは親同士も仲良しで、生まれた病院も一緒の幼馴染なんだよ。小学校も中学も高校も一緒なの」
「いいわねー。私たちとは世界が違って、羨ましいわ」
バスローブを羽織ったリズが、バスルームから出てきた。濡れた髪をタオルで拭きながら、笑顔で蓮の顔を覗き込む。
「あっ! 女の子はそれ以上蓮ちゃんに近づいちゃダメ!」
「蓮ちゃん。剣、返してくれる?」
鈴菜の牽制は聞き流し、リズは蓮の目を真っ直ぐに見る。蓮はビクリと肩を揺らし、その隣では翅が深いため息をついた。
「え、な、な、何の話……?」
「剣士隊から剣を1本盗んだの、貴方でしょ?」
「し、知らないし……」
今日、支部で剣が足りないという話があった。バスルームまで聞こえて来た会話とこの状況を見ても、蓮が怪しすぎる。
セイルも勿論それに気付いていた。魔物に襲われただけならともかく、その魔物を殺したとなると、魔法が使えるか剣を持っているかのどちらか。蓮が魔法を使えるようには見えなかったし、街の高校生が剣を所持しているとも思えない。盗んだ剣をどこかに隠しているのだろうと思ったが、そこに興味は無かったので敢えてスルーしていた。
「窃盗は罪よ? 警察に通報されたくないでしょ?」
「俺が盗んだって証拠でもあるの? 無いよね? だったらそんなの、ただの言い掛かりだよ」
「蓮……」
蓮を肘で小突く翅。観念しろという意味だが、蓮は翅と鈴菜の手を取ると、リズたちに向かって頭を下げた。
「手当てしてくれてありがとうございました。それじゃあ失礼します!」
「蓮ちゃん! ちょっと……!」
「蓮、もう諦めようよ!」
「いいから帰るよ!」
ぐいぐいと2人の背中を押して、ゲストハウスを出て行く蓮。
リズは困った顔で彼らを見送った。
「支部から剣を盗んだって……もしかしてあいつ、自分でクレイドルを倒すつもりってことですか?」
「姉の敵討ちでもしたいんじゃないか」
ようやく煙草が吸える、と火をつけるセイル。
「分かっていたなら止めてあげてよ」
「痛い目に遭ったんだ。もう懲りてるだろ。それよりもーー」
セイルは、部屋の隅に移動して窓の外を眺めているゼンを見てから、バスローブ姿のリズに言う。
「目のやり場に困っている奴がいるが、いつまでその格好でいるつもりだ?」




