65.ディアス侯爵再び
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「これはこれは、わざわざご足労いただいて恐縮です」
ディアス侯爵は夜会の時と変わらず気さくな様子で、ウィルたちを直接出迎えた。
リズは一歩前へ出て、頭を下げる。
「ご無沙汰しております。あの時はきちんとご挨拶もできず、申し訳ございませんでした」
「いやいや! あれは本当に申し訳なかった! 私の方こそちゃんとお礼を申し上げていなかった。私が妙なものを持ち込んだせいで大変な騒ぎを起こしてしまって……招待客に怪我人が出なかったのは、本当にあなた方のお陰だ。ありがとう」
リズよりも深く頭を下げる侯爵。
ウィルを狙った弥月の仕業であったことを、侯爵は知らない。ただ魔物を引き寄せる魔石だったと思っている為、本当にただ、あの日の謝罪とお礼を言いたかったのである。
「この街へ来られると聞いて、居ても立っても居られなくてね。ホテルをご用意しようかとも思ったのだが、それよりも離れを使っていただいた方がおもてなしが出来るかと」
「お気遣いありがとうございます。でも私たちはーー」
「あくまでも離れですので、私に気を遣う必要はありません。ご自身の家だと思って、ご自由にお使いください」
リズは困った顔で後ろを振り返った。しかし全員が目を逸らし、上手くリズが申し出を断るのを期待している。
「あの、侯爵様ーー」
「……おや? 貴方は……ランク家のご子息では?」
口を開きかけたリズの後ろ。そこにいたセイルの顔を、侯爵はじっと見つめた。
「クリストファーの弟、確か名前は……セイル君、じゃなかったかな?」
「……はい」
「やはりやはり!」
嬉しそうに笑うと、侯爵はセイルの両肩に手を置いた。
「大きくなったなぁ! ここに遊びに来たことがあるのを覚えているかね?」
「あ……いえ」
横目でゼンを見たが、ゼンは小さく首を横に振る。ゼンに覚えが無いのなら、彼がランク家に来る以前の話なのだろう。
「お祖父様はご健勝かな? あの頃はよくこの街へお仕事でいらしていたが、最近は海外へ足を運ばれているとか」
「お陰……様で」
思い出そうとすると、頭が痛む。
「お祖父様とご一緒に、クリス君と君もこの街へ来た事があるんだよ。確か……君が8歳の頃だったと思うが」
8歳だったら、少しくらい覚えている歳である。
「クリス君とは3年ほど前にお会いしたよ。あの子は子供の頃から全然変わらないが、君は随分と雰囲気が変わったなぁ! 剣士になられたとは、お父上もさぞお喜びの事でしょう」
「……」
頭が痛い。耳鳴りもして、このどうにもならない痛みに苛立ちが湧き起こってくる。
何かを思い切り殴りたいような衝動に駆られた時、セイルの隣にいたラリィが咳払いをした。
「あのさぁ、積もる話はあると思うんだけど、取り敢えずオレ、便所行きたいんだけど。あ……行きたいでござる? ごわす? あー、敬語わかんね!」
その場で地団駄を踏み、侯爵を急かす。
「え? あ、ああ、これは申し訳ない! 話は夕食の時にまたゆっくりとしよう」
ラリィの不敬も笑って受け流し、侯爵は使用人たちに声を掛けて彼らを離れに案内させた。
離れとは言え、広大な敷地の中の立派な二階建てのゲストハウスである。トイレとバスルームは独立しているし、バスタブはお洒落な猫足付き。寝室はちょうど3部屋あり、ベッドには天蓋まで付いている。
「何だこれ、ふっかふか!」
使用人たちが退室した後、トイレを済ましてベッドに座ったラリィは、程よく体が沈む柔らかいマットレスに感動した。それに布団もなんだかいい匂いがする。
「面倒臭い感じかと思ったけど、いーじゃん! あのじーちゃんも優しそうだしさ」
「じゃあ、このままお言葉に甘える?」
リズはセイルに視線を向けた。苛々しているのが、痛いほど雰囲気でわかる。
「侯爵がうちと関係があること、知っていたのか?」
「……いや……」
セイルに詰め寄られるゼン。知っていたら最初から伝えていた。
「くそ……っ!」
悪態をついて、セイルは部屋を出て行く。
こう言う時は放っておいた方が良いと学んでいるゼンは、諦めた顔で息を吐いた。
「荒れてんなぁ」
「昔の話をされるのが……大嫌いだからな……自分からも滅多にしない」
ウィルは防寒具を脱ぎながら、以前母親の話をしたセイルを思い出した。それではあれは、その『滅多』だったのだろう。
「ああやって苛つく度に、煙草と酒と腕のタトゥーが増えていく……体を痛めつけて、頭痛を紛らわせているみたいだ……」
足元にやってきたネコを拾い上げ、ゼンはソファに座った。
「俺にはどうしてやることも出来ない……俺は助けてもらったのに」
「セイルが無茶しないように、ゼンも剣士になったんだろ?」
「……結局、無茶を止められていない」
ランクの家に居るのが嫌で、突然セイルは剣士隊の練習生になると言って家を出た。父親の監視下である事に変わりはなかったが、それでも宿舎に入ることで家を出ることが出来たし、あの時思い付く唯一の手段であった。
ゼンは漠然と、将来自分は実の父親と同じように魔法士になり、セイルはクリスと組んで祖父の事業を継ぐと思っていた。だから突然の方向転換に驚いたが、セイルの後を追うことに迷いは無かった。
けれど煙草も酒も、タトゥーを刻むことも止められない。セイルは魔物の牙も恐れないから、討伐に行く時はいつも肝が冷える。
ゼンにできる事は、セイルを独りにしないことだけだ。
「記憶……戻るだろうか」
そうすればもう、痛みに耐えるあの姿を見なくて済むのに。
「……俺の家に、セイル先輩の記憶と関係あるものがあるとは思えないけど……」
ウィルは、ゼンの膝の上で気持ち良さそうに喉を鳴らすネコを見た。ネコは薄く目を開けて、小さな声で鳴く。
「ーーいいですよ。村にちゃんと案内します」
「やっぱり、村へ行く別の方法があるのね?」
リズが問う。
「あります。けど……多分コレ、村の人間以外に教えちゃダメだと思うんですよ。怒られる……で、済むかなぁ? ってか、もう別件で怒られるのは確定してるんだけど」
「何をやらかしたの?」
「それは……無事にクレイドルを倒したらってことで」




