傷痕
翌日、ウィルたちがフォトを連れてランク邸にやって来たのは、昼近くのこと。
ゼンは想像していたよりも小柄なその少女と対面したものの、何と声を掛けるべきかと逡巡していた。
「あ、あの……?」
「フォト。見える? あなたのお兄ちゃんよ」
「お兄……ちゃん?」
リズがフォトの手を引き、ゼンの手に触れさせる。
しかしお互いに、その手を反射的に避けた。
「あ……悪い……」
どう接していいのかが、全くわからない。
フォトもまた、突然知らない街で知らない人に知らない家に連れて来られ、混乱している。しかもここに来る道すがら、両親が亡くなったことを告げられて、まだ頭が追いついていない。
「酷い格好だな。取り敢えず、風呂に入ってこい」
「っ」
低い声で言ったセイルに、フォトは体をこわばらせた。
「ビックリしたよなぁ。このお兄ちゃん、怖いよなー? 声も怖いし、顔も怖い! 煙草モクモク妖怪って言って、近付いたら煙草にされて吸われちゃうんだぞ! ほら、リズねーちゃんと風呂入っておいで」
「なんだその妖怪は……」
セイルはラリィに舌打ちし、フォトの手を握るリズに声を掛ける。
「医者を呼んである。後で診てもらえ」
リズとフォトが部屋から出て行くと、ゼンは大きく息を吐いた。
「……緊張した……」
「妹がいるってどんな気分ですか?」
「……セイルにも妹がいるが……全然違う……」
「セイル先輩、妹もいるんですか!?」
驚くウィルに、広間に飾ってある写真を目で指すセイル。
長い黒髪の、利発そうな少女である。
「今は全寮制の学校に行っている」
「セアラと同じくらい、か」
「だな」
セアラ=ランクは、ゼンがこの家に引き取られた後で生まれた。なのでゼンにとっても、妹のような存在である。
「セアラは可愛いと思うのだが……」
フォトは母親によく似ている。そして感情を殺したようなあの目が、自分を見ているようで近寄り難い。
それを察したように、ラリィはゼンに指を突き付けた。
「フォトには何の罪も無いんだからな。今、お前しか頼れる人はいないんだぞ」
「……重いな……」
「人間の命が軽くてたまるかよ」
「けど、実際どうするつもりなんですか? 先輩が引き取るんですか?」
「言っておくけど、グリーンヒルの孤児院は薬漬けにされるって噂があって、あんま良くねーぞ」
「……」
そんな事を言われても、わからない。急に現れた妹に掛ける言葉もわからないのに、その子の人生を決められるはずがない。
黙り込んでしまったゼンに代わって、セイルが口を開く。
「あいつの意思だってあるだろう。もしかしたらハルトブルグに帰りたいと思っているかもしれないし……百万歩譲って、実は虐待じゃなかったという可能性も、まだある」
ーーしかし、フォトを診察した医師は、百万歩譲った可能性をあっさりと否定した。
「外傷性の弱視だと思われます」
別室でゼンだけが、診察の結果を聞かされていた。
「栄養状態も良く無いですし、暴行の跡と思われる痣が、身体中に。左手の小指は骨折したまま放置されたのでしょう、歪んだままくっついています。それからーー」
「もういい」
ゼンは医者の言葉を遮り、息を吐いた。
「目は……」
「グリーンヒルの大学病院に、腕のいい医師がいます。手術をすれば回復は見込めるかと。必要ならば紹介状をご用意しますが」
「……お願いします」
頭を下げ、ゼンは部屋を出て広間に向かった。
広間では、セアラの服を着たフォトが、リズに髪を梳かして貰っている。
「髪質がゼンと同じね」
「ゼンを女にしたら、まんまフォトじゃね?」
髪を梳かれていても、ラリィが頭にリボンを飾り付けても、フォトは身動き一つせずされるがままだ。
「……そんなに似ているか?」
「あ、ゼン先輩。どうでした?」
診断結果を尋ねるウィルに、ゼンは首を横に振っただけ。全員が、二の句を継げなくなる。
「……フォト」
ゼンはフォトが見えるように、すぐ近くに寄って正面でしゃがんだ。
「お前を傷付けたのは……お前の両親か?」
「……じ、自分で、転んで……」
「本当の事を言っても、もう誰も、怒らない」
「……っ」
フォトは言葉に躓く。
「あの……」
手が震える。その手をリズがそっと握った。
「パパとママは……本当に、死んじゃった……の?」
「そうだ」
フォトの目が涙で潤む。それがこぼれ落ちないように、顔を天井に向けた。
「……悲しいか?」
「わから……ない……っ」
「お前を叩いたのは……パパか?」
「マ、ママも……っ」
涙が溢れた。フォトはリズにしがみ付き、顔を埋めた。震える小さな肩を、リズは静かに撫でてやる。
「でも、私が悪いの……! わ、私が馬鹿だから。ちゃんとママの言う事きけないから、だからっ、私がいい子になったら……」
「……」
「私がいい子になったら、また優しいママに戻ってくれる……っ」
「……違う」
「わ、私が悪い子だからーー」
「違う!」
「っ!」
思わず出た大きな声に、ゼンは自分でも驚いた。
フォトから離れ、背を向ける。
(弥月の言葉の意味は、こういうことか……)
ハーニアス夫妻がゼンを痛めつけたことに、理由など無い。ゼンが別の男との子で、魔力を持っていたことなど、理由では無かったのだ。
「……午後から、その子を連れて警察に行って来る」
「ゼン」
「……ひとりになりたい」
セイルの声を振り払って、ゼンは広間を出て自室に向かった。
心臓がいやに大きく鳴っている。
(なんだ、これは……)
ふたりが死んでも動じなかったのに、今はなんだか気分が悪い。
(生まれ持った力は、どうにもならなかった……)
心のどこかで、父親が違うから、魔力があるから、愛されないのだと思っていた。自分ではどうしようもない、仕方がないことなのだと、納得していた。
母は自分のせいで、義父に愛されなかった。義父は自分のせいで、母を愛せなかった。あのふたりにも、そんな葛藤があったのかもしれないと、自分なりに解釈をしていた。
けれどそれが理由では無かったのならば、何故あんな目に遭わなければならなかったのか。
ただ弱者を虐げる快楽の為なのか。
だとしたら、あの女の腹から生まれてきた自分は、何の為にーー




