妹
「やっぱり君、感情が欠落してるね」
「……弥月か」
誰もいないはずの部屋の中で、弥月の声がした。ゼンは驚いた様子もなく、最早体が覚えてしまった弥月の気配を探る。
「リズみたいに気持ちを揺さぶって遊んでみようと思っていたんだけど、君の場合は効果が無さそうだったからやめた。その鋼のメンタルに敬意を表して、あの生首をプレゼントに選んだのだけど、気に入ってくれた?」
「……」
背後に弥月がいる。ゼンは振り返らず、ネコの背を撫で続けた。
「ねぇ、最初に失った感情は何? 笑うこと?」
笑い声がうるさいと。ニコニコしていることが癪に障ると、家を追い出されたのは三歳頃。
「次は泣くことかな?」
泣き声が一番父親を苛立たせた。涙を流せば、被害者面をするなと殴られた。
笑うことよりも、泣くことを我慢する方が難しかった。だから考えること、期待することをやめた。
「子供じゃ大人に太刀打ちできないもんね。怒っても無駄だった?」
怒る気力も、体力も、無かった。
「生きていても、気持ちが死んでいるみたいだ」
「だから何だ」
本当に気持ちが死んでいるとは思わない。
あれが叔父だったら……セイルやウィルやラリィだったら、きっと感情は掻き乱されていた。リズの時だって、いなくなったら嫌だと思った。
「なんで君、虐待されていたと思う?」
「……他の男との子が、許せなかったんだろう」
義父にも、母にも、魔法を扱えるほどの魔力は無かった。魔力の許容量は遺伝だ。
「母親は?」
「子供よりも、新しい男が大切だった」
「本気で言ってる?」
弥月は嗤う。
「まぁ、いいや。君のドラマは退屈だけど、もう少し傍観させて貰うよ」
「……」
弥月の気配が消えた。
ゼンは安堵したように、軽く息を吐く。
ネコは、相変わらず気持ちよさそうに眠っている。
(敵意が無かったな……)
不思議な男だと思う。尋常ではない力を持ち、躊躇なく人を殺めるのに、時々無邪気な少年のように感じる。本当にただ、自分たちと遊んでいるだけのようだ。
(感情が欠落している……か)
そんなこと、改めて言われなくても分かっている。
警察に任意同行を求められたゼンが解放されたのは、すっかり夜も更けた頃だった。
両親との関係、最後に会った時の様子を何度も尋ねられ、指紋と法紋を取られた。犯人は弥月だと伝えてはみたが、まるでゼンが犯人であるかのような扱いは変わらず、辟易した。
「ゼン。大丈夫だった?」
ここはランク邸。事情聴取が終わったら、寮ではなくランクの家に帰ってくるよう、ライトから言われていたのだ。
夜遅い時間だが、広間にはライトと第三部隊一班の姿があり、ゼンが部屋に入ってくるとリズが椅子から立ち上がって迎えた。
「……みんな、帰って休め。俺は平気だから」
「あなたが平気でも、私が平気じゃないの。警察はなんて? まさか犯人扱いされてないよね?」
「動機がある……とは言われたが……」
「動機があると言うのなら、私の方だ! この国の警察は役立たずばかりだな!」
テーブルを叩き、激昂するライト。
「弥月の名前は出したんですよね?」
「ああ……ロックウェル・バレーに残されていた法紋と照合すれば、俺の容疑は晴れる、と思う。それよりも……」
ゼンは警察で聞かされた事を思い起こす。それを聞いた時、頭の中は一瞬真っ白になった。
「俺に妹がいる、らしい」
「妹?」
煙草を握る手を止めて、驚いた顔を向けるセイル。ウィルたちも同じく驚いているが、ライトだけは額を押さえた。
「そうだった……」
「知って、いたんですか?」
「一度だけ、母親からの手紙に書いてあった。半年ほど前だったか……娘の目が悪いから、手術費用を払って欲しいという内容だったと思う。……すまない」
「その子は……?」
「お前には悪いが、私がお前を引き取ったのは、兄の子だからだ。あの女と、お前を散々痛めつけた男との子供のことは……」
ライトは言葉を濁す。代わりにラリィが口を開いた。
「その妹ってのも、弥月に殺されてたのか?」
「いや……警察の話では、行方がわからない、と。あのふたりの首から下は、滞在先のホテルにあったが、それ以外には何も……」
「ゼンの実家っての? そこにいるんじゃねーの? ってか、ゼンてどこの出身だっけ?」
「……ハルトブルグ」
聞き覚えがある街の名前に、ラリィはリズを振り返った。リズも同じことを思い、ゼンに尋ねる。
「妹の名前は聞いた?」
「確か……フォト。フォト=ハーニアス」
「あれ? ハルトブルグのフォトって……」
ウィルの脳裏にも、昨日スラム街で保護した少女の顔が思い浮かんだ。
「そうかー! そういうことか!」
「本当に……ゼンの義父は最悪ね」
「なんだ、お前たち。まるでその子を知っているようだな」
「知ってるんだよ! 今、スラム街で保護してる!」
「スラム街だと?」
訝しげなライトに、ラリィは昨日のことを説明した。
「レオが父親の様子を見てから、家に帰すか通報するか決めるって言ってたから、多分まだレオと一緒にいると思う」
「うぅむ……」
ライトは指先で顎を摩りながら、考えを巡らせる。
「取り敢えず明日、ラリィとリズとウィルの三人は、そのフォトという子をここへ連れて来てくれ。セイルはゼンと待機。また警察から連絡があれば、私に報せるように。遺体が返ってきたら、葬儀や実家の手続きもあるし、ゼンは暫く仕事は休みなさい」
「……はい」
「一度ハルトブルグにも帰らねばならないだろう。私が付き添えたらいいのだが、外せない出張がある。爺様と長男のクリスは海外出張中だしーー」
ライトの妻は、暫く前に病気で他界している。
ライトは悩みに悩んだ末、セイルたちに視線を向けた。
「ちょうどハルトブルグの案件がある。お前たち一班に任せていいだろうか」
「それは、確か三班に決まった案件……」
「班長のダミアンは遠出が嫌いだから、喜ぶと思うわ」
戸惑うゼンに被せるリズ。
「しかし、俺の私情に巻き込むわけには……」
「水臭いこと言うなって!」
「仕事のついでに先輩の実家に寄るくらい、別に手間でもないですし」
「ハルトブルグ、行ってみたかったのよね」
「お前たち……いい奴らだな……」
ゼンは小さく頭を下げた。
「セイル。ゼンを頼んだぞ」
「何歳だと思っている……過保護すぎるだろ」
普段は仕事にプライベートを持ち込むことはないが、ライトは自分たちに甘すぎる。
「何歳になっても親は子が可愛いものだ。特にお前は亡くなった母さんに顔がそっくりで……」
「その話はもう聞き飽きた」
うんざりした顔で、セイルは広間から出て行く。ゼンとセイルの部屋は今も残してあるので、今夜はこの家に泊まっていく予定である。
ゼンはセイルが座っていたソファに腰を下ろし、天井を見上げた。
「妹……」




