49.無感情
――魔法士としてグリーンヒルで働いていたゼンの本当の父親は、不慮の事故で亡くなった。
入籍前にすでにゼンを身籠もっていた母親は、堕胎費用を父親の両親に請求したが、堕胎できる期間はすでに過ぎており、出産を余儀なくされた。
父親の両親はゼンを引き取ることを提案したが、母親はそれを強く拒否した。慰謝料を受け取ると、生まれたばかりの赤子を連れて行方をくらませたのだ。
母親はやがて別の男と結婚。しかし男は粗暴で嫉妬深く、ゼンを毛嫌いした。特に父親の魔力を受け継いだことが気に入らないと言って、ゼンが魔法を使おうものなら激しく叱責し、躾と称して暴行を繰り返した。
「そんなよくある……虐待家庭」
両手をぱっと広げ、何でもないことのようにゼンは話した。
「いや……よくはないでしょう、そんな家……」
ウィルは続きの言葉が出てこなかった。ウィルの家はごく一般的な家庭だと思う。母親はとにかくウィルに甘くて優しくて、父親は厳しかったけれど、尊敬できる人だった。だから、親から疎まれる気持ちは、正直わからない。
「物置小屋に放置されて死にかけていたところに……叔父さんが来て、ランク家に引き取られた」
「ゼンが十歳の頃だったな」
ライトはあの時、もっと早くに行動していればよかったと今でも後悔している。
「正直なところ、それまでは私もゼンのことは頭の隅にはあったが、気にかけることはなかった」
きっかけは、妻だった。ライトの妻はゼンのことは知らず、何かのきっかけで親戚の話になった折に、セイルと同い年の従兄弟がどこかにいると話した。妻は父親の人脈と財力を駆使し、ゼンを探し出した。そして彼の置かれた境遇を知ると、断固として引き取るべきだと言い張ったのである。それが、十年前の話。
「取り敢えず、そのクソババアとクソジジイに殴り込みに行く?」
拳を握り締めて立ち上がるラリィ。
「いや……本当に大丈夫だ」
ちょっと乗り気で立ち上がりかけたライトを手で制するゼン。
「金には困っていない。別に構わない」
「銅貨一枚たりとも、やる必要はないがな」
不機嫌そうなセイルに、ゼンは困ったように頭を掻く。
「俺は、ランク家に来てから……幸せだった。叔父さんも、叔母さんも、俺を本当の子供のように扱ってくれた。今も……こうやって、俺の代わりに怒ってくれている」
「ゼン……」
「だから、もう充分。あの人たちには……何の感情も、ありません」
もう覚えていないけれど、遠い昔は母親に愛されることを望んでいた気がする。手を繋いで歩く親子を羨ましいと思った気がする。しかしそんな想いを遥かに超えるほどの愛情を、ランク家では貰った。
「くっ……! なんていい子なんだ! 健気だなぁ、可愛いなぁ!」
ゼンに頬擦りする勢いで抱きしめるライトを、ウィルは心底気持ちが悪いものを見る目で見る。
「おっさん……いつもとキャラ違くね?」
「プライベートでは、いつもこんな感じだ」
ゼンはされるがままである。
「ランク家の人間は……いい意味で頭がおかしい」
「俺はそこに含むなよ」
「いい意味なのに……」
セイルは煙草の煙を吐きながら、やや自嘲気味に薄く笑う。
「お前の方が、本物のランク家の人間みたいだな」
「……セイル」
ライトは少し悲しそうな目をセイルに向けたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「なんだ、嫉妬か! セイルも私の可愛い息子だ。ほれ、昔のように高い高いしてやろうか?」
「とっとと帰れ!」
セイルはライトを追い出し、その日の夜は更けていった。
――そして翌日、冒頭に繋がる。
ゼンはゆっくりと地面に置かれた首に近付いていき、血で顔に張り付いた髪を指先で払った。苦悶の表情で歪んだその顔は、間違いなく昨日喫茶店で見た顔。隣の男は、十年前に何度も自分を痛めつけた義父である。
「ゼン! 一体何が――」
騒ぎを聞いて駆けつけたライトが、首の前にしゃがんでいるゼンを見つけた。
「……部隊長。これ……」
「っ!?」
ライトもまた、見覚えのある顔に絶句する。ゼンの目を覆うべきか、大衆の目から首を隠すべきか、一瞬迷った。
「――ウィル! ゼンを連れてこの場を離れてくれ」
人だかりの中にウィルの姿を見つけて、呼び付ける。
「ゼンのご両親だ」
「え……」
恐る恐る近付いてきたウィルは、その一言を聞いて強くゼンの手を引いた。
「ウィル……大丈夫だ」
「いや、大丈夫じゃ……ないでしょ」
「ウィルは班長に事情を説明しておいてくれ。ゼンはこのまま部屋で待機。恐らく警察の事情聴取があるだろう」
ウィルはゼンの手を引いて、足早に寮の中に入って行った。どう声を掛けたらいいかわからず、無言で階段を上がっていく。
「……弥月、だろうか」
「え?」
「さっきの、あれ」
言われてみれば、こんなこと普通ではない。明らかにゼンの両親だとわかっていて、あの場所に晒したのに違いない。
「冷静ですね……」
「……」
「家庭環境は違うとは思いますけど、俺は親が死んだ時、何も考えられなかったから」
「……」
ゼンは部屋までの廊下を歩きながら、黙考する。この場合、どういう感情が普通なのだろうか。
悲しむ? 怒る? それとも、死んだことを喜ぶものだろうか。
「何も感じないな……」
ぽつりと呟いて部屋の鍵を開けるゼンの背中を、ウィルは無言で見守る。そして部屋に入ったゼンがドアを閉じる寸前、口を開く。
「……ゼン先輩、ちょっと待って」
「?」
ウィルは隣の自室に入り、猫を抱えて出て来た。
「俺、戻ってリズ先輩に報告してから仕事に戻るんで」
「ああ……?」
猫をゼンに押し付け、ウィルは小走りで来た道を戻って行った。
「ミャァ」
人懐っこい猫は、ゼンの首元に顔を擦り付けてくる。猫の体は、温かい。
「……俺は、十五歳に気を遣われたのか……」
部屋の中に入り、ソファに座ってしばらく猫の背中を撫でていた。やがて膝の上で眠ってしまった猫の寝息を聞いていると、不思議と穏やかな気持ちになってくる。動物は会話をしなくていいから、楽だ。




