20.オーガ
――ウィルはなるべく耳を澄ましながら歩き、周りに視線を向ける。もともと魔物がほとんど出ない地域のため、渓谷には自然の動物が多く生息している。
鳥、うさぎ、リス……しかしそれらの気配が、先ほどからしなくなった。ウィルたち侵入者に警戒しているというよりは、元からここにはいなかったような静けさだ。
「何かいるかも」
「何かって? オバケとか?」
ふざけて言ったラリィが、岩陰に横たわるものを見つけた。
――鹿の死骸。
「なんだこりゃ。食われてるっていうより……潰されてる?」
鹿の胴体が、何か強い力で圧迫されたかのように潰れ、内臓がぐちゃぐちゃに飛び出している。
「っ! ウィル!」
ラリィが叫ぶと同時に、ウィルは横に大きく飛んで地面に転がった。一瞬遅れて、さっきまでウィルが立っていた場所に、何かが勢いよく落ちてくる。低い地響きを鳴らし地面を打ちつけたのは――棍棒。
「オーガ……」
ウィルの二倍はあろうかという巨体。血走った目と凶悪な牙、額には二本の角。異様に発達し隆起した腕に、巨大な棍棒が握られている。
「なんだコイツ!? 鬼!?」
「オーガだよ! デカい割に動ける奴だから気をつけろよ!」
悲鳴に似た声を上げるラリィに、剣を鞘から抜きながら言い放つウィル。ウィルもオーガに出会ったことは一度だけしかない。その時は一緒にいた父親が仕留めたのだが、簡単に倒せる相手ではなかったと記憶している。
「でも、こいつも他の魔物みたいに弱ってる可能性も……」
オーガは今度はラリィに狙いを定め、棍棒を振り上げた。
「ぎゃあ! こっち来るな!」
攻撃をかわされた棍棒は勢いを殺すことなく、そのまま木にぶち当たる。直径五十センチはある木が、いとも容易く真っ二つに折れた。
「なにが弱ってるって……? あんなもん直撃したら、脳みそ飛んでいくぞ!?」
「……やるしかねぇな」
ウィルはまだふらつく頭を軽く振って、剣を構え直す。
(取り敢えず、足!)
オーガの足元に飛び込み、左のふくらはぎの腱に剣の刃先を沈ませる。
「っ!?」
慌ててウィルはオーガから離れた。羽虫を払うように、大きな手でウィルへ殴りかかってくる。
「どうしたんだよ、ウィル!?」
中途半端に攻撃を中断したウィルに非難の声を上げ、ラリィも剣を構えてオーガに斬りかかった。オーガはウィルを捕まえようとしていて、背中ががら空きである。ラリィは剣を頭上に掲げ、勢いよく振り下ろした。
「なっ……! 硬っ!」
オーガの皮膚に、刃が通らない。
「ははっ……! こんなもん、どうやって斬るんだよ……」
もう一撃、今度は胴を横に薙ぐ。だがやはり、刀身に肉が斬れる感覚はない。オーガは三度棍棒を振り上げ、ウィルの頭の上から振り下ろした。
「ぐっ……!」
二日酔いのまま眠れていないウィルの足は、思うように動かない。避けられないと判断したウィルは、棍棒を剣の刀身で受ける。
そして――
「折れたぁ!?」
剣の刀身がボキンと折れた。力を受け流したつもりだったが、判断を誤った。
「くそっ! 二度と酒なんか飲むか!」
折れた剣を投げ捨て、身体をよじって攻撃を避ける。
「バカウィルー! どーすんだよ!?」
「どうするったって……」
残る手段は二つ。逃げるか、もしくはあまり気が進まないが――
「……なるようになれ!」
ウィルは左手の紋章に意識を向けた。以前キリーを呼び出した時のように、今度は剣を手の中に現すイメージを浮かべる。
次の瞬間、ウィルの右手に現れたのは、ウィルの背丈よりも大きな巨大な剣だった。
「でっっかっ!?」
思わず声を上げるラリィ。
――一度だけ、誰もいないところでこの剣を出してみたことがあった。そしてウィル自身も、ラリィと同じリアクションをしたのだ。
この剣は大きい。ウィルの背丈ならなおのこと大きすぎる。
「デカすぎて使いにくいんだよ!」
だが、重さはまったく感じない。先ほどまで使っていた剣よりも軽く、持っている感覚を忘れるくらいに。
ウィルは大剣を構え、地面を蹴った。
「グアァァッッ!」
さっきは斬れなかった足が、今度は容易に斬れた。
オーガは歪な声を上げ、痛みを与えたものへの怒りを露わにする。真っ赤な双眸に、ウィルだけを捉えた。
(この剣なら斬れるけど……場所が悪い)
狭い獣道の途中である。木々が乱立していて空間が狭く、大剣を振り回すスペースがない。振り切って致命傷を与えなければ、いたずらに怒らせるだけだ。
オーガは邪魔になる木を次から次に薙ぎ倒し、ウィルに迫ってくる。
(開けた場所まで戻る……? あいつに暴れさせてスペースを作らせるか……いや、倒れた木で足場が悪くなる……どうする……?)
「ウィル! こっち!」
ラリィの声。両足を大きく開き、両手を組んで構えている。
「っ! なるほど!」
ウィルは小さく笑って、ラリィに向かって助走をつけて走り出した。オーガはその後を追う。ラリィまであと一歩。強く地面を蹴って踏み切る。前に出した足を、構えたラリィの組み手に乗せた。
「行っけー!!」
そのままウィルの身体を上に持ち上げるラリィ。さらにウィルは大きく上へ飛んだ。
「っっらぁぁ!」
天地に向かって大剣を振り下ろす。気持ちが悪いほど切れ味の良い大剣は、オーガの身体を縦に真っ二つに斬り裂いた。




