110.双子の姉
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遠くの方で鳴っていたサイレンの音が止んだ頃、ウィルは閉じていた瞼をゆっくりと開けた。
硬い長椅子で寝たせいで、体中が痛い。腕をさすりながら起き上がり、近くの窓から外の様子を窺った。
空には墨の膜が広がっていて、それを見たウィルは小さく笑う。
「やけに早い再登場じゃねぇか」
「……気が変わったからね」
弥月の声は礼拝堂の中から聞こえた。ウィルは特に驚いた風も無く、振り返る。
燭台の明かりに照らされる中、先程までウィルが寝ていた長椅子に弥月は座っていた。彼の金の双眸が、薄暗い中でもはっきりと光って見える。
「余計なことをしない方がいいよ、ウィル」
「余計なこと? てめぇの姉ちゃんに、弟の後始末をさせることか?」
「……」
「どんだけ姉ちゃんの事が怖ぇんだよ」
ウィルは鼻で笑いながら、首から下げていた指輪を外した。
「会わせてやるから、封印を解く方法教えろよ。指輪を破壊すりゃいいのか? 体が必要なら、俺の体を使え。俺が指輪を飲み込めばいいか?」
「っ!」
一瞬で、弥月はウィルの眼前に迫った。そして彼の手から指輪を奪い取る。
「馬鹿じゃない? 君が綾乃になって、何の得があるわけ?」
「俺はもう、てめぇさえ死ねば何でもいいんだよ。俺が死のうが、この国がどうなろうが、もうどうでもいい」
「あぁ、そう。大事な仲間を失って、恐怖を超えてキレちゃったんだ? やっぱり、人間の感情ってどう動くかわからなくて面白いね」
弥月は手の中で指輪を転がす。
「ただの指輪だと思っているうちに、回収しておけば良かったね。そうすればもう少し生かしておいてあげられたのに」
「そうだな。そうすりゃてめぇも、姉ちゃんからお仕置きされずに済んだのになぁ」
そう言ったウィルの手には、鎖に繋がれた指輪が握られている。
弥月は今し方奪ったばかりの指輪を一瞥し、忌々しげにそれを床に投げ捨てた。
「何でも買ってくれるオネーサンがプレゼントにくれたブランド物なんだから、大事にしろよな」
「……調子に乗るなよ」
再度弥月は指輪を奪おうと、目で追えないほどの速さでウィルに迫る。
しかし大剣ヴァルキリーを出現させたウィルは、それを振るって間合いを取った。
「調子に乗ってんのはどっちだよ!」
更に弥月に斬撃を繰り出す。
最初の頃のような迷いは一切無い。確実に殺意を込めた一振りに、思わず弥月の口元に笑みが浮かぶ。
「やっと本気で人殺しをする気になったんだね」
「てめぇは人じゃねぇよ!」
「アゼルから聞いた事、もう忘れちゃったの? 僕は、ただ戦争に勝ちたいというくだらない欲の犠牲になった、何の罪も落ち度も無い哀れな子供だよ」
「てめぇは、それを盾にして好き勝手やってるだけだろうが! なんでてめぇに俺の親は殺されなきゃいけなかったんだよ!? じーちゃんは!? ラリィ先輩だって……っ!」
ウィルの振り下ろす剣に迷いは無いが、切先は弥月に届かない。まるで一歩先を読まれているかのように、するすると躱されてしまう。
「くそっ!」
両手で大きく振りかぶり、長椅子を蹴って飛ぶ。
だが。
「僕には勝てないよ」
弥月が人差し指を立てると同時に、彼の力がウィルの右脚を貫いた。
「ぃ……っっっ!」
「君と僕とじゃ力の差が歴然だってこと、思い出した? 怖いでしょう? 泣き喚いて許しを乞いなよ」
床に片膝をついたウィルの頭を、笑いながら足で蹴り上げる弥月。
「恨むなら、僕をこんなバケモノにした大人たちと、綾乃を恨むんだよ?」
ウィルは手の中に固く指輪を握りしめ、右脚を引き摺りながら立ち上がる。
「綾乃は生まれながらのバケモノだ。知能も魔力も発想力も、何もかもが規格外。国にとっては、それはそれは魅力的な駒だよね。だけど綾乃は、大人しく従うような奴じゃなかった」
「……だから、双子の弟のお前に白羽の矢が立ったってわけか」
「本当にふざけた話だよね。僕には特別な力なんて何も無かった。ただ普通に暮らしていただけなのに」
双子だからというだけで拉致され、監禁され、挙句の果てに頭の中をいじくり回された。綾乃の力を持った、綾乃よりも従順な兵士を作る為に。
「その上、この僕を失敗作呼ばわりだ」
「嫌だったなら、そこで勝手に姉弟喧嘩してろよ。俺らを巻き込むな!」
血の噴き出す脚に力を込め、剣を構えて走る。
「僕は誰の事も許さない」
綾乃も、研究所の人間も、それを指示したティルアも、その敵だったイシュタリアも、それらの血を継ぐ人間全て――
弥月は無詠唱で掌に防壁を張り、それでウィルの剣を受け止める。
「全員、僕の暇潰しの玩具だ。そして最後は、絶望しながら死ねばいい」
「ふざけたことを……っ!」
ウィルの剣は、弥月の髪の毛一本さえも斬る事が出来ない。
弥月は片手でウィルの剣を防ぎながら、もう片方の手に魔力を集中させた。それをウィルに放とうとしたが――軌道を変え、教会の入り口に向かって放った。
放たれた力は轟音と共に、教会の扉を粉々に吹き飛ばす。
「――ハズレだ」
粉塵の舞う中、剣を構えて現れたのはセイル。彼はその勢いのまま、弥月の右腕を断ち斬った。
「あはっ。惜しいね」
弥月は斬り落とされた右腕が床に落ちるより早く、それを左手で回収して大きく後ろに飛ぶ。右腕からは勢いよく出血しているが、弥月の顔に浮かんでいるのは笑顔だ。
「ただの剣ではどうにもならない事は、もう分かっているんでしょ?」
そう言いながら、斬られた右腕を断面に押し当てる。あっという間に腕は繋がり、傷は跡形もなく消えた。
「分かってはいるが、無いよりいい」
「そういうの、無謀って言うんだよ」
「生憎俺は、あれこれ考えて戦うタイプではないんでな」
セイルは横目で、ウィルの血塗れになった脚を見る。
「……俺は、大丈夫です」
「あいつの首を取るまで立っていろ」
ウィルは頷き、指輪を通した鎖を首に掛け直した。




